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2017年5月29日月曜日

「カタツムリ」




パトリシア・ハイスミス(1921~1995)「見知らぬ乗客」や「太陽がいっぱい」などの作者でサスペンスが得意であった。ハイスミスは人付き合いが苦手で孤独だった。
小説を書くのは強迫観念のようなもので、仕事をしていないと苦しくなった。
現実の生活は仕事すなわち想像の世界にしかいない、インスピレーションに事欠くことはなかった。ネズミがオルガズムを感じるようにアイデアが湧いて来たそうである(本人の日記より)。

ハイスミスは午前中に三、四時間執筆した。
ベッド上に座り、タバコと灰皿、マッチ、コーヒーの入ったマグカップ、ドーナツと砂糖を盛った皿などをまわりに置いた。まるで胎児のような姿勢で書いたという。
執筆を始める前には強い酒を飲んだ。
それは躁状態にまで高まったエネルギーを抑制するためだった。
毎日ウォッカを大量に飲んだ(その日飲む分量を決めていたが)、チェーンスモーカーでもあった。
食べ物には無頓着で、アメリカ製ベーコンと目玉焼きとシリアルだけであったようだ。
人前で緊張するたちで、動物好き、特に猫とカタツムリに特別な愛着を感じた。

ある魚市場で二匹のカタツムリが奇妙な形でからみあったのを見てからだった。
ついには三百匹のカタツムリを庭で飼った。
レタス一個と百匹のカタツムリを入れた巨大なハンドバッグを持ってバーなどに現れた。百匹のカタツムリは彼女の夜のお供とのことであった。
フランスへ引越す時、生きたカタツムリの持ち込みが禁止されていたため、十匹近いカタツムリを左右の乳房の下に隠して何度も国境を往復したという(天才たちの日課/メイソン・カリー著 金原瑞人/石田文子訳より抜粋)。

昨日家の前にある公園のアジサイの葉の上に小さなカタツムリ(デンデン虫)が二匹いた。先日雨が降ったせいだろうか、わりと日隠にあるアジサイの葉はしっとりとしていた。手に取ろうとしたら必死に葉っぱに吸い付いていたので止めた。
カタツムリというと、パトリシア・ハイスミスを思い出すのだ。
デンデン虫というと、むかしいたお笑い芸人“大宮でん助”と、昨今名優の誉れ高い役者“でんでん”を思い出す。フランスで一度カタツムリ→エスカルゴ料理を食べたが私にはイマイチであった。緑の葉の上の極小のカタツムリは一つのアートのようであった。
ここに露雨でも降ればいいんだがなと思った。

家に戻りペットボトルを持って再びカタツムリのところに行き、口に含んだ水をプゥーと霧のようにしてかけた。
緑の葉が一段と鮮やかになり、カタツムリ二匹は心なしか身動き気持ちいいと言っているようだった。冬物の服やオーバーコート、セーターにシャツ、マフラー等をクリーニング店に持って行った。自転車一台はパンクし、一台は空気が抜けていたので二往復して運んだ。

どれほどの梅雨が来るのだろうか、六月一日衣替えは近い。
五月三十一日が誕生日の有能な友人がいる。実に区切りのいい日に生まれたものだ。

人生は急ぐことはない、カタツムリのように焦らずにジワジワと進むのがいいと思う。
カタツムリに霧を吹いていたら、小さな虹ができた。自然の色は美しい。
「雨に唄えば」という曲を思い出した。
梅雨が明けたらパトリシア・ハイスミスの「太陽がいっぱい」の季節だ。
午前四時四十八分十二秒、いつものグラスにジンを入れた。

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