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2023年2月11日土曜日

つれづれ雑草「常人は」

ねえ聞いて、聞いて。男のくせにさあ、みかんを食べるときに、白い筋をキレイに取るのよ、その上、女の子みたいにみかんを一つずつ取り離して、口の中で果汁だけ吸って、むいたみかんの皮にていねいに一つずつ出すのよ、キモクない。分かるよね、絶対NGでしょ。筋肉マンみたいな男がさ、ラーメン屋さんで、食べる前に手を合わせて、“いただきます”なんて口の中で言ってる。絶対NGでしょ、キモイよね。電車の中で隣りに座った中年オヤジがさ、スマホをメガネふきみたいなもので拭いていたのよ、そのとき小指がピンと立っていたの、キモクない。メチャ混んでいたから座っていたけど、気が散りまくりだったわ。いるよねえ、いるいる変な男。朝六時起床、シャワーを浴びてインスタントコーヒーを一杯飲んで、十時に京王線府中駅を目指す。辻堂から湘南新宿ライナーで新宿駅へ、そこから京王線まで人、人、人の流れの中にまみれて歩く。子どもみたいな私は、この手の行動がすこぶる苦手である。新宿駅は濃密な“人流”であった。そういえば“人流”という言葉はどこへいった。新宿駅にはいろんな表示があるので、外に出て会社員風の若い男に京王線は、ホラッあそこ、みたいに指を差してもらって改札口に着いた。そこから特急八王子行に乗って府中駅を目指す。目的はかわいい後輩のためにつくった作品を、プレゼンテーションするためであった。で、私は調布で降りてしまった。アタマの中で府中が調布になっていた。代理店のエライ人も同行してくれるために、十時に遅れることは許されない。予定より一時間位早く調布駅に着いた。中央口であった。オッPARCOがあるではないか。キレイな駅の側の珈琲店に入って新聞を読み始めた。その席の隣りに二人の若い学生風の女性(女の子)がいて、盛んに会話をしてはギャハ、ギャハ笑っていた。しばらくして若い男の店員に、南口はどこ(?)と聞くと、え~と、南口はもうありませんと言うではないか、時計を見ると九時四十分近くであった。ガラケーで後輩に電話する。オイ、イマドコ、南口なんてないぞと。ボ、ボクは調布でもうすぐ府中ですと言った。えっ府中だっけと言うと、そ、そうです府中の南口ですと言われた。あわてて手帳を見ると、調布南口と書いてあった。ヤ、ヤバイ。つい新聞を読みながら、二人の女性(女の子)の会話を楽しく聞き入ってしまった。あわてて府中に向って十時五分頃に着いた。(特急が来たのでよかった)そこからタクシーで目的の会社へ。プレゼンテーションは五分でOKをもらった。代理店の人が静かなる凄腕(ワイン検定一級を持っている)で、きっちり事前にこの作品の目的を話しておいてくれた。相変わらずの人柄に、心より感謝、多謝であった。15分ほど雑談して、男性と女性の責任者の方々に御礼を言って外に出た。そこからバスで調布駅へ。よかったなあ、あんなによろこんでもらって、奇跡が起きるかも知れないかもと思った。一年に一回のある賞を目指す作品だった。いままで誰れもやったことのないデザインを考えた。年末コロナに感染した、四十代の男の人には大変お世話になっているのだが、一ヶ月経った今でも、味覚障害、微熱による倦怠感、ゼイゼイする声、ノドの痛みなどに苦しんでいる。コロナをインフルエンザと同類にするというが、感染重症化すると、相当なダメージとなる。私のアレルギーもスッキリしない。列車内でクシャミをすると、ジロッと見られている気がする。かつて“人を見たらドロボーと思え”と言われたが、今では、“人を見たら殺し屋と思え”だ。通り魔的殺人が多発している。日本国内では、年間8万人以上の捜索願いが出ていると聞く。その内の多くは何らかの形で命を落としている。又、未解決事件の殺人犯がウヨウヨいるともいう。又、凶悪事件を犯した後、出所した常習犯もゴッソリといる。政府がしっかりと更生への援助支援を行なっていかねばならない。キ印(狂人)と、パープー(変・奇人)は、ビョーキなので治らない。人間はすべて多重人格性を備えている。あらゆる殺意を抑えて生きている。人間とは狂暴な動物なのだ。悪質な強欲人でもある。憎悪がヒトの形になったのだ。今日は昨夜がウソのように、ベリー・サニー・デー(いい天気)だ。人のこころも同じで毎日変わる。時間毎に変わる。一瞬で変わる。朝起きてこんなことを書きながら、みかんを一つ食べた。白い筋など取るわけはない。丸ごと食べた。先日キネマ旬報で第一位になった「ケイコ 目を澄ませて」を渋谷のユーロスペースで遅ればせながら観た。すごくいい映画であった。91席の内70席位に人がいた。三宅唱監督は今売り出し中の才能。私は、かつて観た「きみの鳥はうたえる」もすばらしいと思っていた。男と女の関係は、雲や水のように常形はない。いかようにも変化するのだ。人間に常人はいない。(文中敬称略)




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