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2023年10月1日日曜日

つれづれ雑草「髪切る前に」

誰れもまだ手にしていない新聞と、何人かが読んだあとの新聞とでは、同じ記事でも鮮度が違う。いつも行く床屋さんのソファーの前のテーブルには、スポーツ紙の報知新聞と、朝日新聞が置いてある。朝九時に行けば新しい新聞紙があり、午後や夕方に行くと、シワシワとなった新聞紙となる。報知新聞は読売系なのだが、きっと気をつかっているのだろう。昨日午後床屋さんに行った。その前に制作している映画の、あるシーンで使用したい施設の使用許可をとるために、尽力してくれた知人の元市議会議長に御礼のごあいさつをした。市営の施設なので役所への手続きが多々ある。床屋さんには先客が一人いた。三人ほど座れるソファーに、ヨッコラショと座る。若い頃はドーンと座った。全身が岩のようにガチガチになっていたのを、平塚の鍼灸の達人、マッサージも達人に来てもらって、鍼を刺してもらい、グイグイ体をほぐしてもらった。達人はこれはもう工事ですという。私の肉体はアスファルトになっている。報知の一面には現在フランスで開催中のW杯ラグビーの記事、サモア戦でトライをしたリーチマイケルのどでかい顔があった。私は早朝3時45分からしっかりと見た。NHKで再放送があるのを知っていたが、結果が分かっていたらツマラナイのだ。スポーツはやはり実況に限る。先日大相撲の千秋楽で、大関貴景勝と前頭どんじりの熱海富士の優勝決定戦があった。双方11勝4敗、20歳か21歳の前頭と、大関の対戦を楽しみにしていたが、勝負はあっけなかった。私は見ていて、汚ねぇ~ぞ大関と叫んだ。前頭がどーんと出ていったら、大関は逃げてしまった。いくら休場明け、心身共にボロボロでも、貴景勝がまさか逃げるとは思わなかった。翌日の新聞ではきっと叩かれると思ったが、協会のトップも、横綱審議会のメンバーも、苦しい中よくやったと語っていた。そりゃないだろうと思った。私はガーンとぶつかって貴景勝が負けてもよくやったという。上位の者が下位の者の挑戦から逃げてはいけない。W杯ラグビーで日本勝つ、ベスト8、ベスト4を目指すと、でっかく書いてあるのだが素直にはよろこべない。日本のチームの半分近くが外国人の助っ人さんたちだ。日本に帰化して日本人になった選手もいる。試合前日本人と外国人さんが君が代を歌っているのを見て、日本人選手がまだ世界レベルになっていない。何人かはいるが数は少ないと思った。いつか15人全員が日本人で戦っている姿を見たいが、その頃、私はあの世からの応援となっているだろう。大リーグで大谷選手が奇跡的活躍をしている。床屋さんの新聞を見て、やっぱり吉田正尚選手でも、大リーグはキツイのかと思った。ムキムキの筋肉で、日本では並ぶ者なきといわれる吉田選手が2打席凡退のあと、3打席目に代打を送られた。日本では吉田に代打なんて考えられないのだ。総理大臣にはいくらでも代打、代打を出すが、スケールが小さい者ばかりだ。吉田正尚を持ってしても体力がキツイのだろう。私は何がいいたいのかというと、貧富の差をなくして、幼少年期から栄養のある食生活をできるようにすべしである。勉強ができなくても、体力に才能があれば、その才能に投資すべしだ。国の予算を地方に割り振り、もっともっと助成しなければならない。新聞には伝統ある大相撲の入門基準が廃止されたとあった。今のままでは“おすもうさん”になる若者がいなくなってしまうからだ。例えが悪いがヤクザ者の世界には、一人親方という人間も多い。つまり子分がいない親分ということである。大相撲の親方になるには、“親方株”という数限られた高額の株を手にしなければならない。弟子がいなくなり廃業する親方もいる(株を売って)。体力に自信があれば誰れでも入門できる。ジャニーズ問題でメディアは大騒動、ずっとバックレ(しらばくれてた)てたツケが大洪水となった。サントリーの新浪剛史社長(経済同友会会長)が、知っていながら知らないそぶりの社長(東山紀之)は考えられない。国際的問題であると語っていた。帝国とか王国で滅亡しなかったのは歴史上ない。解体しかないだろう。そして次はアソコとかアソコ、ヒソヒソ話が広がっている。麻生太郎に呼び捨てにされて“がん”よばわりされた、公明党の代表山口邦津男、石井啓一、北側一雄などは、国土交通大臣の椅子が余程オイシイのか、ムニャムニャと応えている。例えが悪いが、ヤクザ者の世界では、親分が呼び捨てにされたら、言った者の命はとられるだろう。つまりプライドゼロだ。気がつけばインボイス制度などの増税が始まる。マイナンバーは大迷惑、ラチ問題はラチがあかない。北朝鮮に何度か交渉しているようだが、シカトされている。東大法卒の悪魔たちは弱者イジメをつづけている。さて、伸びた髪をカットしてもらうことにした。秋は近いようでまだ遠い。そういえばこんなサラリーマン川柳があった。「あの世では お願いだから 声かけないで」。深夜から朝にかけて、取り寄せてもらった、アンドレイ・タルコフスキーの自伝的名作映画「鏡」と、ベルナルド・ベルトルッチの名作「暗殺の森」の完全版を見た。詩的、哲学的、宗教的、暗示的、叙情的、叙事的、圧倒的であった。「言葉は半端なもの」とタルコフスキーは表現した。建築美、都会美、装飾美、教会美、群像美、暗殺美。「買い物は女同士、支払いは男」という洒落たセリフが53年前のパリで交わされていた。(文中敬称略)



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