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2023年10月13日金曜日

つれづれ雑草「コスモスと枯木のバラ」

「ご自由に持っていってください。」と書かれた一枚の紙が駐車場脇に貼ってある。その下には大きなバケツに入った、秋桜「コスモス」の花が何本も入っている。なんでこんな色が生まれるのだろうかと、植物界の不思議に敬服する。核戦争が起きて地球上の生き物が消滅しても、植物界とゴキブリ界は生き残るらしい。近所のコンビニにスポーツ紙を買いに行く途中でコスモスの花を見た。家に帰ると愚妻がすでにそのコスモスを何本も手に入れていた。花瓶に挿されたコスモスがあった。きれいでしょと言ったから、◯◯さんの家の駐車場にあったのだろうと言った。そうよと応えた。柿とかイチジクとか、キンカンとかをよく持って帰る。私は春に咲く桜よりも、秋に咲くコスモスのほうが好きである。コスモスは咲く場所を選ばない。路傍の花でもある。茎の部分は絡み合い、捻り合う。それはまるで抜き差しならない、男と女の関係のように、死ぬまで解れない。春の桜は散るのが覚悟みたいな戦争を連想する。桜の花の下には死体が埋っていると買いた小説家がいた。そういえば新橋駅SL広場のところによく出ていた右翼の街宣車はどこへ行ったのだろうか。あまりの暑さに活動を控えていたのだろうか。街宣車が同期の桜を流している後に、シュークリームで有名な“HIROTA”ヒロタがある。右翼とシュークリームは、シュールな関係で嫌いではない。(映像的に)この一週間は新作映画の撮影のために、山の頂上から、山の下にある滝まで、腰痛ベルトを装着してがんばった。もともとは修験者が歩んだところなので、岩やら石やら木の根などが山道にあり、汝修業行せよと足腰を痛める。映画についてはいずれ詳細を書く。山の人々がみんな応援してくれた。映画好き20数名がごっそり機材を運んだ。柳田國男の“遠野物語”ではないが、真夜中の山の中には、超常現象的なものを感じる。私は雨よ降るなと念力をかける。で、山の撮影中は思い通りの良い天気であった。山を下り私の地元茅ヶ崎の野球場のシーンを撮り、東京蔵前の地下スタジオ(音響が大きいので)で最終カット。監督のOKの声と共に、拍手拍手ヤッターである。みんなで記念撮影、息子が車で応援しに来てくれたので家に向う。腹が減ったなとなり、家の近所の中華ソバ店へ。12時閉店なので約30分、二人でカタヤキソバとギョーザ一皿を分け合って食べた。なんともいえない疲労感と達成感が、闘志をかりたてる。で、次の日は一日中雨であった。私にはまだ運があるぞ。長い間ロケで雨に降られたことのないツキが残っていた。50年以上傘というものを買ったことがない。一日中雨の日、一日中ゴロンゴロンしていた。両足がひきつりあわてて芍薬甘草湯を服用した。イノシシカレー、熊カレー、コンニャクの刺身、山わさびなどを食す。これがヒジョーニ旨い。そして起きてからは、お世話になった方々に、礼状、礼状、また礼状を書く。(これが重要)ファンドに出資してくれたありがたき方々には、一人ひとり会ってお礼を言う。(これからの最重要)自主映画づくりとは、頭を下げることでもある。北島三郎の歌に、「与作」というのがあるが、私の場合は「遺作」である。♪~ トントントン、トントントンと、与作は藁を打つが、私はドンドンドン、ドンドンドンとご迷惑を打つ。ヤクザ者を志すならこの一曲を知らぬ者はいない。この頃明け方にこれを聞く。31歳で殺された北海道のヤクザ、荏原哲夫通称“雁来のバラ”又、“枯木のバラ”ともいう。この伝説のヤクザを歌ったのが、「484のブルース」だ。484とは札幌刑務所の番地、雁来町に生まれた。♪~ 義理や人情に あこがれた 十九はたちが 花だった ここはその名も 雁来町 いきつく所は 承知の上で ままよこの道 おれは行く……。北海道中のヤクザを震え上がらせた雁来のバラは、当然のように銃弾を浴びた。数人に襲われてスミス&ウェッソン45口径で撃たれた時、海老のように飛び上がった。トドメを刺しに行くと、笑っていたと言う。ずっと昔の話だが、今も語り継がれている。私はバカな自分のことをこの曲を聞きながら想っている。目の前に小さな花瓶がある。濃紅なコスモス、妖しげな桃色のコスモスが、私をじっと見つづけている。人生は、くんずほぐれず、修羅の道だ。(文中敬称略)









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