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2017年10月27日金曜日

「オトナのせい」



いじめによう自殺が急増している。
すべてはオトナ達のせいだ。
認知件数が約30数万人と発表されたが、これは氷山の一角だ。
小学校の運動会を見た。
紅勝て、白勝てと玉を転がし、玉を入れ、力を合わせ組体操をする。
徒競走という言葉がなく走れGOー!になっているので何故かと思い聞いてみると、”競走”という言葉が”走り争い”をするようなニュアンスなので使用しないとか(?)。
へえ~と思った。
運動会はみんな仲良く手をつなぎ合うダンスや、ソーラン節など踊り合うメニューが並ぶ。
小さな子どもたちが、いつかオトナになって行った後、画家や作家、博士とか、大臣になったり、殺人犯やヤクザの親分やオレオレ詐欺をする。
将棋の名人や野球の選手。
職人の鏡や社長になっている。
子どもの数だけ必ず親がいて、教育者たる先生がいる。
そして子どもの数だけ夢と未来があるはずである。
いじめはそんな中から生まれている、気づかないオトナ。
心ない教師、隠蔽する教育委員会。
土地の有力者の子とか、PTAの役員の子とか。
金持ちのボンボンはいじめられないのは何故か。
子は子でいじめる相手を選び教師はそれを黙認する、あるいはもっとやれとなる。
いじめで自殺した子の親に復讐する権利はない。
目には目をとはいかない。
子の自殺ほど悲しいニュースはない。
木曜日の運動会、長雨の後、空は雲一つない晴天だったが、足もとは積った雪が溶けた後のようにぬかるんでいた。
かわいい小学生たちの大切な子どもの未来がオトナにかかっている。
教師にかかっているのだが。
子どもはいつから何本もある運命線の上を歩き出し、走り出すのかは化学的に実証されない。
犯罪者と被害者は紙一重で生まれる。
「モノより思い出」かつて日産自動車の名コピーがあった。
「お金より愛」が大切だ。週末又台風が来る。
思い出は家の中でもつくれる。
どんなに苦しくても子の前でお金の話はダメ、それによる夫婦ゲンカもダメ、最大のトラウマとなる。
来週(月)と(火)は都合により休筆する。


2017年10月26日木曜日

「やっと運動会だ」

10月21日(土)雨にて中止、10月22日台風にて中止、次は10月23日(水)となったが雨にて中止。本日やっと小(一)の孫の運動会が行われる。
私にとって運動会での応援は最優先事項であった。
10月22日(日)は結婚式があったが午後二時十五分までに集合だったので、午前中は応援する予定だった。
おにぎり、おいなりさん、玉子焼き、ウインナーソーセージ、トリのから揚げ、ゆで玉子、フライドポテト、など定番を作って待機するも雨には勝てない。
運動場で昼ごはんを一緒に食べるのが何よりの楽しみであった。
本日は結局授業の一つというような扱いでお昼は一緒でないと昨夜帰って聞いた。
孫たちは教室で給食を食べるとか。がっかりであった。朝九時には運動場に行くからと言われ、深夜から早朝まで映画を見て過ごし、このブログを書いて目覚まし時計を七時四十五分にした。
レンドルミン+いつものグラスに45度のジンを入れてミネラルウォーターでほぼ22、5度にして、グイ、グイと飲む。ジンという位だから、口の中からノドを通り、食道から胃袋にジーンと来て、カァーと熱くなる。
以前買ってもらったt電気大切なスタンドがトホホのように暗くなり、湘南モールの中で以前より明るいのを買って来てもらった。
眠気が来るまで、森功著、「高倉健・七つの顔を隠し続けた男」を読み始める。へえ~健さんは酒が飲めないと言っていたが若い頃は大酒が飲めて、酒グセがすこぶる悪かった。酔うと物を壊すとか、大スターとなるにつけストイックになり酒から珈琲になったようだ。撮影が続くとパンツを替えたりできないので汚れが目立たないようにいつも赤いパンツをはいていたらしい。
ずーと健さんの面倒を見ていたマブダチ(本当の友人)の話が面白い。銀座警察と言われた住吉会・小林会会長との出会い。金筋の侠客と健さんの長い仲。健さんは小林会の幹部宅から一時通っていた。
実は女性が好きで何人かの女優と浮名を流した。
同性愛者との噂。終生江利チエミの明るさが大好きで、唯一深く愛し続けた。
江利チエミの親戚の女性による使い込み、大借金を背負う江利チエミ、自宅の大火災。二人のホテル暮らし、そして破局へ。
174頁になった時、眠気が強烈な耳鳴りと共にやって来た。
新しい電気スタンドはブルーの点々が八つ目うなぎみたいに七つあり、上から指で下にスーとすると、スーと暗くなる。七段階に調整ができる。でまっ暗に。全287頁の本なので次の機会に読むことになった。レンドルミン一錠+ジン二杯だと、二時間とちょっとできっと目が覚める。
ペンを置いたのは午前五時頃であった。
午後四時から打ち合わせがあるので、午後二時までフレー、フレー、ガンバレ、ガンバレだ。天気予報は上々である。昨夜雑誌ACTの元ステュアーデスの編集長と四人で食事をした。赤坂「津つ丼」のオムライスは最高だった、夢に出そうであった。”にっぽんの洋食”で有名な店だ。
旨い、高くない、広い、窓の外には一階から地下二階位まで美しく大きな滝が流れている。
一人2000円の予算でOK。
ワインを四人で一本なら一人約3000円。白いオムライスが有名だが、やはり黄色いのにした。確か先日、小泉純一郎、山崎拓、武部勤、そこに偶然小池百合子が居たという店のはずだ。大・中・小の奥座敷がある。
(文中敬称略)

2017年10月25日水曜日

「名前の出ない夜」



昨夜、渋谷宮益坂にあるスペイン料理の店で、現在手掛けている仕事の相談をしている出版社の編集者の人と、打ち合わせを兼ねた夕食を共にした。
6時31分05秒ヨーイドン。
女性編集者は大学時代は広告研究会に入っていたほど広告に精通している。
ご主人はエディトリアルデザインの会社を経営している。
ある物件の空間デザイン、共有施設部分のアイデアを具現化することに協力していただき、ある天才を紹介してもらった。
この天才の話は後日書く。
共有施設にもう一人の天才が参加してくれることになっている。
西麻布の天才と岐阜の天才と話をしていると、いかに自分が浅学非才かが分かる。
全く勉強不足である。編集者の方と話す側にシェフがつきっきりで話をする。
勿論料理を作りながら。読書の虫みたいなシェフと編集者と、本の話、世界史の話、作詞作曲で歌手の小椋佳さんが店に来てあれやこれやうるさく語り、その上バクチと金の話ばかりするので喧嘩になり、能書きばかり言うんじゃネエ、二度と来るなと言ったとかの話。
更に縄文時代から人類史。戦国時代から中国、北朝鮮問題の話、全共闘世代の今の話。そして料理の話と進んだ。このシェフは間違いなく料理の天才である。
村上龍さん、吉本ばななさん、鈴木成一さん、中田英寿さん、内田樹さんなどグルメが絶賛する。私が敬愛する某私立大学英米文学科名誉教授(E・ヘミングウェイ 下とF・ジェラルドの研究者)も大変気に入ってくれている。
小学生時代の同級生で学校で一番勉強ができたあこがれの女の子だった。
シェフはこの友人が大好きである。
とても美人で色っぽいわよなどと、急にオカマ調で話を盛り上げる。
やがて話は映画へと進んだ。やっと私の知る分野である。あの映画、この映画となり時間が3時間近く経った時、今度「ブレード・ランナー」の続編が35年ぶりに上映(今週27日から)されるけど監督は誰だったっけとなった。
えーと、えーと、えーと、みんな名前が出て来ない。
シェフが写真を持って来て、この人、誰だったっけとなったが、遂に名前が出て来ない。そろそろ帰りましょうとなり、友人にワインを一本置き、来たらよろしくと言ってなと言い、編集者の方と店を出た。
「ブレード・ランナー」はSF映画の名作である。続編は制作費165億円をかけたと新聞記事に書いてあったのを思い出した。家に帰ればその記事はある。
思い出せない名は家路につく間ずっとアタマから離れない。
12時15分頃家に着き、直ぐに新聞記事の中を探したら、あった。
なんだ「リドリー・スコット」かと拍子抜けした。2、3日前友人とリドリー・スコットの話をしたばかりだった。
友人は外国ですでに観ていた。
私はSF映画はあまり好みでないが、「ブレード・ランナー」は名作と認めていた。
「もしもし、12時30分近かったが店に電話をした。何度かコールしたら、ハイハイとなんだい今頃みたいに電話にシェフが出た。いきなり、リドリー・スコットだよと言ったら、えっ、何、あっそうと言った後、限りなくでかい声で笑った。
料理サイコーだって言っていたよ、今度ご夫婦で行くって言っていたからと言ったら、更に大きな声で笑った。
ブレード・ランナー続編について、友人は人差し指で口を閉じて話さなかった。観た人教えて、行くべしか否か。何しろこのところ映画館に行ったのは、「禅と骨」以外すべてイマイチであった。で、すこぶる疑い深いのである。

2017年10月24日火曜日

「侠客」

「筋者」男を売る世界では親の恩を裏切ることをせず、仲間や兄弟分との誓いを守る。
それは筋が違うだろう。
道を外しているだろうと、体を張る人間のことを言う。
「筋道」こそ命。
筋者の中の筋者の歴史を持つところを、“金筋”という。
逆に道を外す者を“外道”という。
男と男のやりとりは、筋を通しているか、否かで、いわば判定が決まる。
モメ事が起きた時、時の氏神と言って仲裁人が名乗り出る。
その時にモノを言うのが、どっちが筋が通っているかだ。
男の世界ではこの仲裁がどうしてもうまくいかない、あるいは交渉決裂となった時、仲裁人はそれじゃと言って指を詰める。
相方はそこまでさせては申し訳ないと手打ちをする。
昨今のことは分からないが、かつて縁故(?)(エンコ)を詰める(小指とサヨナラする)というのは男の紋章であった。
伊東ゆかりに「小指の思い出」という歌があったが、これは別世界の歌。

「尾崎士郎」の名作「人生劇場」に侠客吉良の常吉という人物が出て来る。
男とは“侠”のことである。
ヤクザとは違う、渡世人とも違う、勿論極道とも違う。
侠客なのである。
三州吉良の常吉は、清水次郎長の兄弟分だった。
吉良の仁吉の流れを持つ、つまり金筋の血脈である。
清水次郎長は静岡県清水港の博徒の親分であったが、明治維新の時、維新の“三舟”勝海舟、高橋泥舟、そして後年、明治天皇の先生となる剣術者“山岡鉄舟”と出会う。
清水次郎長は山岡鉄舟から強い影響を受けて、戦場で傷ついた人間を手当てし、死んだ人間を弔った。
夥しい数であったという。
やがて清水次郎長は博徒をやめ堅気になり、日本初の英会話教室みたいなものを生んだ。
山岡鉄舟から、男(当時は武士)の筋道の大切さを学んだ。
「諸田玲子」の小説に「空っ風」というのがある。(かなりおススメ)
子分の小政がどんどん堅気になって行く清水次郎長に、アタマきてケツをまくる。
小気味いい名作だ。
小政は博徒の道を通す。
明治26年まで清水次郎長は生き続け畳の上で死んだ。

中学生の頃、教科書は読まず、人生劇場をずっと読んでいた。
ある時生活指導の男の教師が、オマエ将来何になりたいんだと聞いて来たから、三州吉良の常吉みたいになると言ったら、誰だそれはと言うから、人生劇場に出て来る侠客だと言った。
バカかお前はと言われた。
人生劇場は尾崎士郎の自伝的小説である。
♪~やると思えばどこまでやるさ、それが侠の魂じゃないか、義理がすたれりゃこの夜は闇さ…。
と村田英雄が唄いラジオ番組で大ヒットした。
金筋者の飛車角(通称)若い侠客宮川が出て来る。

日本人は実は筋者→侠客が大好きである。
ヤクザ映画は大ヒットする。
人生劇場はウルトラ大ヒットした。
近頃はすっかり暴力団と言われるようになってしまった。
が筋者、金筋はたくさんいる。
堅気の世界にもいる。
立憲民主党の枝野幸男が大躍進したのは、ひとえに筋を通したからである。
道を外した裏切り者は敗北した。
自民党大勝利でも、笑顔はない。
何故なら連立を組む公明党が5議席も減らした。
誰か筋者が白い歯をみせんじゃないと(笑うんじゃない)公明党に筋を通したのだろう。
恩も義も忘れて自分のことだけ考えている人間は、必ずや手痛い仕打ちにあう。
これは古今の歴史が証明する。
三州吉良の常吉は、地元の没落名家(辰巳家)に終生仕える人間であった。

北朝鮮に仲裁人として日本人の誰かが行って、話し合い(掛け合いともいう)に失敗したら、小指を詰めて帰って来る。きっと世界の氏神となるだろう。

新宿歌舞伎町の春山外科(もうないかな)に行けば、麻酔をしてスパッと詰めてくれる。
そんな話が歌舞伎町伝説としてあった。
                      清水次郎長


2017年10月23日月曜日

「2017年10月22日」

猛烈な台風の中、よくぞ投票率が前回以上だったのは、結果はともかく日本人は未だ大丈夫だと思った。

昨日午後から仕事仲間の結婚式があったので愚妻と共に近所の小学校に投票に行った。
午前十時頃であった。
激しい雨だから人はきっとパラパラだろうと思ったが、投票所から人があふれ出ていた。
更に酷い風雨となる前にみんな一票を投じに来ていたのだろう。
私の選挙区は一人ダントツに強い候補がいるのだが、きっと投票に来た人たちは比例区に書きたい政党があったのだろう。

仕事仲間は若く美しい花嫁であり、お相手は若々しいスポーツマン。
その結婚式は盛大であった。若い人の門出はいいものだ。

私はこれからの若い人は、より一層欧米化すると思う。
又そうでなければならない。

一つの会社に入って定年までいるという時代は終わった。
自分をスキルアップしたら、どんどん会社を変わって更にバージョンアップすべきと思う。
実力がついたらもっと自分のためになる道を行く。
そして「鶏口午後」いつかは一国一城のに。

帰宅してからずっと開票結果を見た後、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」を見てしまった。
いつもながらのメンバーが、ひたすら自己主張ばかりで意見が噛み合ない。
すこぶる不快だったのは、田原総一郎なる男が何様のつもりか、安倍がとか、小池がとか、前原のバカがとか、枝野とか、次々と呼びつけにする。
誰もそれに対して注意しない。
全く情けないことであった。
このジャーナリストは、あっちこっちの政党のパーティーに顔を出しては扇動する。
世の中がガタガタしないと商売にならないからだ。

歴史に残る台風選挙と、若い人の晴れやかな門出は思い出深いものとなった。
幸多からんことを願う。
私がこの人が次のリーダーにと思っている人は当選した。

10月23日朝晴天である。
天は何を企んでわざわざ10月22日に日本を台風の渦に巻き込んだのだろうか。

2017年10月20日金曜日

「必ず投票を」

よくぞ採用したな、久々に力強い広告コピーだと思っていた。
しかも永ちゃんこと、スーパースター矢沢永吉がそのメッセージを送った。
「やっちゃえニッサン」と。
NO,1ブランド”トヨタ”を追うNO,2の挑戦広告(チャレンジアド)であった。
技術の日産がブランドのDNAとしてあった。
広告界も元気をつけてもらった。
が、ニッサン車がもし大事故を起こしたり、ネガティブな話題を提供したら、採用したトップ(カルロス・ゴーン)まで事が及ぶだろう。
そう思っていた人間も多い。
それほど思い切ったキャッチフレーズであった。
IOT化が進み運転は人工知能がすべてやってくれる時代になる。
ガソリン車はやがてEV車に変わる。
車の中からさまざまな情報の指示が出せる。
交通事故も未然に防止できる。
又、車の中にあらゆる情報が入って来る。
あんなんこと、そんなこと、すごいこと、すばらしいこと、「やっちゃえニッサン」のはずだった。
かつてやっちゃえといえば喧嘩とか暴行の合図、窃盗や万引きの合図でもあり、ちゃぶ台返しの合図だった。
久々の凄いキャッチフレーズも、その企業が最も大切な車づくりの安全確認を、車でいえば無免許の者がずーっと車を運転していたと同じ事をやっていたら形なしとなる。
製造メーカーとして決してやってはいけないことを、やっちゃえと続けていた。
カルロス・ゴーンはさてどう責任をとるのだろうか。
ラグビーの申し子と言われた元神戸製鋼の平尾誠二選手がついこの間無念にも癌によって若くしてこの世を去った。
ラグビーはスポーツの中で唯一勝ち負けをいわない。
試合が終わればノーサイドという。勝負は試合の結果である。
相方よくがんばったなとお互いを称え合う、フェアな精神の証であった。
その神戸製鋼も又、いい加減なチェックで、あらゆる部品を、何年にもわたって、何百社のメーカーに納品していた。
世界的信用を失い、やがて”タカタ”のように莫大な訴訟を起こされるだろう。
故平尾誠二はあの世で愕然としているだろう。
安倍晋三総理は政界に入る前は、神戸製鋼の社員であった。
大義なき総選挙はあと一日で終る。
したたかな小池百合子は負けたようで実は勝っている。
試合に負けて勝負には勝った。
何故なら自分の腹を一切痛めずに、国会議員数十人を手に入れる。
政党助成金も数十億円手に入る。
都会議員五十人の比ではない戦力を居抜きで手にする。
二年間オリンピックに精を出したように見せ、二年後の衆参同日選挙に最後の勝負をかける。
安倍晋三総理は改憲への補完勢力として、希望の党の数十人をノドから手が出るほど欲しがるだろう。
例え二十人、三十人でもその価値は大きい。
きっと連立を組むだろう。
ところで森友学園の小悪党籠池夫婦はどうしているだろうか。
おとうちゃん思いのおかあちゃんは。
選挙は投票箱が閉まるまで油断大敵と重ねていいたい。
小池百合子は、”さらさらない”と、”排除します”の言葉で大苦戦となった。
「やっちゃえニッサン」と共に言葉の恐さを思い知らされた。
棄権はダメだ誰でもいいから投票はすべし。(文中敬称略)



2017年10月19日木曜日

「久し振りだな直久」

一昨日の夜、私の乗った東京発「通勤快速」小田急行は、東京と神奈川を結ぶ橋の上で停車した。
九時十五分頃であった。
車内放送があった。
中学一年生の放送部員でも、これほどタドタドしいことはないだろう。
若い女性の声で、重く暗く小さく。
「ただ今連絡が入りました。京浜東北線で人身事故があり、この列車はどうなるか分かりません。分かりましたらお知らせします。列車は橋の上で停車してますので、ドアを開けて降りないで下さい。トイレは一号車、六号車、グリーン車内にあります。あっ連絡がありました。この列車がどうなるかまだ分かりません、列車が停まってすいません」
こんな調子で何度も同じことを繰り返した。
人身事故なら仕方ない。
きっとつらく苦しかったのだろうと思いながら、私は列車が動くのを待った。
橋を渡ればすぐ川崎駅なのだが、待つこと約30分。
「お知らせします。川崎駅に停車している列車が動くようです。この列車は「通勤快速」ですが、これから普通列車となります。川崎駅で停車しますが、いつその先へ動けるかはまだ分かりません、お急ぎの方は京急の改札口へ向って下さい」
列車はガッタンゴットンと動き出した。
川崎駅ホームにはごっそり人がいて、どっさり乗って来た。
車内はやけに暑い。
私の前に座っていた、男四十位、女性三十位はアサヒスーパードライの缶入りと、キリン氷結を飲んでいた。
ずっと我慢していたのだろう、女性がすいませんちょっとトイレに行きたいんですがと立ち上がったが、ぎっしり人がいて動けない。
かなりヤバイ風女性は悲しそうな顔をして座った。
私は人に酔うというか、人混みが苦手である。
息がイライラして来た。
当分動きそうもない。
で、ひとまず降りることにした。
女性に私が降りるからついてくればトイレに行けるよと言ったら、男、女性はほっとした顔になり、私が人をかき分けながら進む後について来てやっとこさホームに出た。
当分動きそうもない。
階段を上がって改札口の上の電光掲示板を見て列車が後三十分位は動かないのを確認した。
コーヒー店でもないかと思ったがない。
川崎駅は広くて大きい、人の数もすごく多い。
キオスクで夕刊でも買うかと歩き出すと、”直久ラーメン”という文字が目に入った。
オオ、直久ラーメンか新橋地下で、かつての銀座東芝ビル地下でよく食べた。
濃い醤油ラーメンで一時代を築いたラーメンであった。
夜寿し屋さんの座敷で会社の幹部と会議したが、その時、話しの内容が濃かったのでお刺身だけ食べて寿しは食べなかった。
腹が減ったなと思い直久に引き寄せられた。
店の中には立ってラーメンを食べる男たちで満員に近い、やけに旨そうだ。
気がつくと私は千円札を券売機に入れていた。
醤油ラーメン480円+味付け玉子100円。
二枚のキップを持っていざ店内へ。
お客さん7番ですから出来たらお呼びしますとおじさんは言った。
店内から外を見ると、トイレを済ませたあの女性が階段を降りて行った。
きっとずい分並んだのだろう。
7番のお客さんと声がかかったので、ラーメンを取りに行った。
直久おぬし久し振りだな何年振りかと箸を入れた。
週に一度は人身事故があるような多さだ。
濃いラーメンをすすりながら、気分は重かった。
直久の醤油ラーメンの味は変わってなかった。
何にしろ濃い味だ。
やみつきになるファンも多い。
列車は停車したままであった。
ある人に連絡して会うことにした。



2017年10月18日水曜日

「ツケとカードと、キャンセルと」

毎月10日前は嫌いな日だ。
何故かと言えばカードが決済されるからだ。
侠客に憧れていた頃に、男はよ現金で払うもんじゃねえ、ツケだ、ツケで済ますのが男の器量だ。
侠客(男)は酒を飲んでいくらですか、なんて聞くんじゃない、そんじゃヨロシクと言って店を出るんだと先輩は言った。
飲み代はいくらか分かんない。
あとで店の方から請求書が届くか、店の者か女の子が届けに来る。
赤坂・銀座には、ツケは60日以内に払うという暗黙の掟がある。
飲んだ後、まあこれ位だろと思って帰る。
向こう合わせと言って相手(お店)が高く付けることができる。
何にしろ現金払いじゃない、60日間は立て替えと同じだから金利みたいに少し高くなる。
ツケは高く付くとはここから来ている。
この間の請求書です、と届けに来た者から渡された金額を見て、ギョギョとした顔を見せたら男がすたる。
オウ分かった、まあお茶でも飲んで行けやと言えば、いい器量の人だねと言われる。
実はフトコロは寒い。
当分あったかくはならないのが分かっていても、見栄を張る。
「男はつらいよ」なのだ。
で私は酒を憶えた時から、行き付けの店で現金を支払ったことはない。
ツケが基本である。
その内カードなる物を使い始めた。
現金の方が安く済むのが分かっていても、ツケかカードである。
その分10日には決済される金額を銀行に詰めなければならない。
詰めるとは金を入れること。
Barやらクラブで60日以内に支払わずツケを貯め込み、付いた係りの女の子にバンス(借金)を背負わせてトンコ(トンズラ→逃げる)すると、女の子はアタマに来てヤクザ者に、切り取り(ツケの取り立て)を頼む。
取り分は相方で決める。
女の子がガッポリとバンスを背負うと、もう私の取り分はいらないから、あのヤローオッパイまで触りやがって、もう目茶目茶にしてとなる。
で、会社に乗り込んだり、自宅に乗り込む。
昨夜遅く帰宅すると、SIGNATUREというダイナーズカードの会員誌今月号が届いていた。
特集「歌舞伎」とあった。
カードの会員誌で我が国第一と言っていいエディトリアルデザインである。
写真もすばらしい。
SIGNATUREとは、署名(サイン)するの意味である。
パラパラめくって72頁で、オッ、何!ホントというのを読んだ。
年間750億から2000億円の損失。
この数字は飲食店に予約を入れておいて突然キャンセルされたことによる推定損失額であった。
「もしもし私◯△ですけど◯月△日6人で◯△コースを予約したいんですけど。」
大事なお客さんなので、ハイ分かりました。
念のため携帯のお電話をとなる。
で、お店は寿しならいい寿しネタ、天ぷら屋さんなら天ぷらのいいネタ、いいステーキ屋さんなら特上の牛肉を用意する、これが料亭、お座敷となると部屋を取り、懐石とか、うなぎ一式、スッポン鍋とか、ふぐ料理一式を用意して待つ、鱧料理なんていったら何時間もかけて、鱧(ハモ)の小骨をとげ抜きで一本一本取らねばならない。
で、予約時間になっても客は来ない、電話もない、仕方ないから聞いておいた携帯に電話してもつながらない。
こういう不届き者たちがお店に大損失を与えている。
「ダイナーズごひいき予約」というユニークなしくみを考えたことが72頁に書いてあった。
詳細は多分インターネットで調べると分かるはず。
お店と料理人泣かせの突然キャンセル、そして連絡がつかないのに対抗する。
ツケを払わないのと大差ねえなと思った。
でも待てよ、自分も結構突然キャンセルしたのを思い出してゾゾッとした。
何人かの店主と料理人の顔が浮かんだ。
出刃包丁、刺身包丁、とげ抜きを持って怒っている顔であった。

2017年10月17日火曜日

「和風アルジェリア人」

昨夜は雨、雨、雨であった。

六本木ミッドタウンの前にある和風料理屋さんでお世話になっている会社の社長さんが(女性です)一席を用意したからと招待してくれた。
もう一人の女性社長と私と若い男の四人。
六時から九時十五分までいろんな話で盛り上がった。
その話の内容を書くと二人の女性の正体が分かってしまうので書かない。

一人和風料理店にオモシロイ男がいた。
身長185センチ位、鼻が高い。
メガネをかけている。
面長の顔で着ているのが時代劇に出て来る十手を持った岡っ引きのような和服であった。
四人がゆったり座れる個室に男は入って来た。
いらっしゃいませときれいな言葉、オッ君何人と聞くと、ニッコニコ笑って、アルジェリア人ですと言った。
一枚板のカウンターは広くて長い、その前で、これぞ日本人の板前さんというのが目の前で料理をつくって出してくれるのが人気だとか。
粋なアルジェリア人の服は黒くて帯は白。
他の人は皆白い料理人の制服。
アルジェリアだったら、ジャンギャバン主演の「望郷(ペペルモコ)を知っている。
パリのギャングのボス・ペペルモコがアルジェリアの有名な迷路街カスバに逃げて来てひっそりかくれて生きている。
知ってる知ってるジャンギャバンの映画でカスバは有名になった。
今でも有名とアルジェリア人。
世界映画史上三大ラストシーンの一つだぜと私は言った。

一つは「シェーン」のラスト、一つは「第三の男」の並木道のシーン。
そして「望郷」ボスのペペルモコは、カスバの中にかくれていた時、観光に来ていた一人のフランス女性を見てしまう。パリに帰りてぇ、こんな貧民街のカスバで死にたくはねぇ、だが子分たちは、絶対カスバから出たらパリから追って来ている刑事に捕まるからとボスを止める。
キラキラ眩しいパリジャンヌ。
カスバの女と比べようもない。
声をかけひとときパリジャンヌと話をすると、心はパリに向ってしまう。
知ってる、知ってる有名な映画と話について来る。
いつアルジェリアに帰るのと言ったら、日本人妻と結婚したからもう帰らないと言った。
アルジェリア人はお店のスタッフでした。
私は日本酒を二合少々、アルジェリア人は日本酒にやけに詳しい。
日本人よりずっと、お・も・て・な・しが良かった。
君はいい奴だなと言ったら大笑いをした。
最後に大きな土鍋にサンマご飯をつくってくれた。
これが実に旨かった。
残ったご飯をちゃんと小箱に入れてみんなに分けてくれた。
私がいきなりアルジェリア人の男を話の中に入れたので、場が明るくなりすぐにジョークを交える時間が生まれ、続々といろんな話題へとなった。
私のような者にはすこぶる勿体ない一席であった。
チャイナドレスの美人と美人着物デザイナーの見事な和服に目を奪われつつ、話は楽しく弾んだ。
使い捨てトイレ「ポイレット」の話をし、「尿意ドン」のキャッチフレーズのことを言ったら、バカ受けでサイコー、私駄ジャレ大好きと言って笑い、それでは尿意ドンと言ってトイレに行った。

アルジェリア人にはまったく分からない言葉であった。雨の六本木はすこぶる粋であった。

2017年10月16日月曜日

「青木勤さんの水彩画展」

魚釣りは鮒に始まり、鮒に終わると言うが、違う違う鰱(たなご)に始まり、に終わると山岳関係の雑誌編集者から教わった。
絵は水彩に始まり水彩に終わる。
あるいはスケッチに始まり、スケッチで終わるのかも知れない。

この頃すっかり見かけないのが、小学生たちが近くの海岸に来て課外授業のお絵描きをしている光景だ。
富士山、大山運峰、鳥帽子岩、波立つ海、飛び立つカモメ、江ノ島の灯台、砂浜から投げ釣りをする釣り人、陸上げされた漁船があり、遠くに船があり、波の上にはサーファーがイルカのように動き回る。
浜昼顔が砂浜を彩る。
好きなだけ絵にするモチーフがあるのに、何故だろうか小学生たちの姿は見えない。
小学生の時、絵の道具とお習字の道具、裁縫の道具は必須であった。
鉛筆と消しゴム。パレットと水彩絵の具そして画板。
チューブを押すとグニュニュと出て来る楽しい色たち。

昨日の日曜日午前十一時半頃、銀座四丁目鳩居堂の隣り、大黒屋ギャラリー7階に行った。
四十年近くおつき合いをさせてもらっている人の個展を見るためであった。
大手広告代理店の取締役制作局長だった「青木勤」さんの南西フランスの風景を描いた水彩画展だ。
「フランスの美しい村。(サン・シル・ラポピー)」
定年後フランスに行ってスケッチをして帰り、それをもとに一枚一枚丹念に彩やかに、フランスを描き続けている。第一回は並木橋画廊であった。
およそ二年毎に個展をしている。
青木勤さんはとにかく勝負師であった。
武蔵野美術大学出身である。
ある年なんと運転免許を持っていない私を大手自動車メーカーの社運をかけた新車発売のクリエイティブディレクターとして起用してくれた。
新車は大ヒットした。
水彩画は加色混合が妙味なので油絵より難しいと言われる。
いかに描かないか、どこまで描くか、いかに白地を使うか、筆に含ませた水の量で、色と色の混合を生み絵の良し悪しを決める。
又水彩独特のボケ具合、グラデーションの上手下手が決まる。
一枚一枚一発勝負となる。
油絵は削ったり、色を重ねたり一度全部塗り直したりできるが、水彩はそれができない。まず雑念や邪念がなく精神が整っていないと描けない。

私は“息の芸術”と言う。
心が乱れ息が荒れたり、体調が悪く息が細々としたりしているとそれがそのまま筆先に伝わる。
水彩は小学生か定年後の人の作品がいいのは、欲がないからである。油絵は欲がないと描けない。
無欲が水彩、物欲が油絵と言ってもいい。
年を重ねないと枯れた心境にはなれない。
水墨画も同じである。

青木勤さんの水彩画は光りと影が極めて微細であり、色が重層的である。
初日から最終日まで、会場には奥さんが毎日来てた。
娘さん夫婦が来ていて、お孫さんが二人いた。
実兄の方が上梓した映画関係のすばらしい本の装丁画も描いていた。
いろんな人からたくさんの花。今後も重層的な深みと独自の水彩画を追求していきたいと、ご高覧誠にありがとう、と書かれた絵はがきを帰り際に受け取った。
32点の絵は殆ど赤い印がついていた。
修羅の道を行く私にはこんなウラヤマシイことはできない。

そぼ降る雨の銀座は灰色のグラデーションであった。

海岸に小学生が絵を描きに来なくなったのは、3.11の大津波があった後からだ。

定年後、同じ様に水彩画をパリに行ってスケッチして帰り作品にして個展を定期的にする知人、友人、親戚がいる。
水彩はその人の性格がそのままに出る。

青木勤さんは、下半身を鍛えて、又パリへ行くと言った。
スケッチ旅行は歩く歩くだから。

奥さんの明るい笑顔が水彩画のように“息を飲む芸術”であった。