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2017年10月16日月曜日

「青木勤さんの水彩画展」

魚釣りは鮒に始まり、鮒に終わると言うが、違う違う鰱(たなご)に始まり、に終わると山岳関係の雑誌編集者から教わった。
絵は水彩に始まり水彩に終わる。
あるいはスケッチに始まり、スケッチで終わるのかも知れない。

この頃すっかり見かけないのが、小学生たちが近くの海岸に来て課外授業のお絵描きをしている光景だ。
富士山、大山運峰、鳥帽子岩、波立つ海、飛び立つカモメ、江ノ島の灯台、砂浜から投げ釣りをする釣り人、陸上げされた漁船があり、遠くに船があり、波の上にはサーファーがイルカのように動き回る。
浜昼顔が砂浜を彩る。
好きなだけ絵にするモチーフがあるのに、何故だろうか小学生たちの姿は見えない。
小学生の時、絵の道具とお習字の道具、裁縫の道具は必須であった。
鉛筆と消しゴム。パレットと水彩絵の具そして画板。
チューブを押すとグニュニュと出て来る楽しい色たち。

昨日の日曜日午前十一時半頃、銀座四丁目鳩居堂の隣り、大黒屋ギャラリー7階に行った。
四十年近くおつき合いをさせてもらっている人の個展を見るためであった。
大手広告代理店の取締役制作局長だった「青木勤」さんの南西フランスの風景を描いた水彩画展だ。
「フランスの美しい村。(サン・シル・ラポピー)」
定年後フランスに行ってスケッチをして帰り、それをもとに一枚一枚丹念に彩やかに、フランスを描き続けている。第一回は並木橋画廊であった。
およそ二年毎に個展をしている。
青木勤さんはとにかく勝負師であった。
武蔵野美術大学出身である。
ある年なんと運転免許を持っていない私を大手自動車メーカーの社運をかけた新車発売のクリエイティブディレクターとして起用してくれた。
新車は大ヒットした。
水彩画は加色混合が妙味なので油絵より難しいと言われる。
いかに描かないか、どこまで描くか、いかに白地を使うか、筆に含ませた水の量で、色と色の混合を生み絵の良し悪しを決める。
又水彩独特のボケ具合、グラデーションの上手下手が決まる。
一枚一枚一発勝負となる。
油絵は削ったり、色を重ねたり一度全部塗り直したりできるが、水彩はそれができない。まず雑念や邪念がなく精神が整っていないと描けない。

私は“息の芸術”と言う。
心が乱れ息が荒れたり、体調が悪く息が細々としたりしているとそれがそのまま筆先に伝わる。
水彩は小学生か定年後の人の作品がいいのは、欲がないからである。油絵は欲がないと描けない。
無欲が水彩、物欲が油絵と言ってもいい。
年を重ねないと枯れた心境にはなれない。
水墨画も同じである。

青木勤さんの水彩画は光りと影が極めて微細であり、色が重層的である。
初日から最終日まで、会場には奥さんが毎日来てた。
娘さん夫婦が来ていて、お孫さんが二人いた。
実兄の方が上梓した映画関係のすばらしい本の装丁画も描いていた。
いろんな人からたくさんの花。今後も重層的な深みと独自の水彩画を追求していきたいと、ご高覧誠にありがとう、と書かれた絵はがきを帰り際に受け取った。
32点の絵は殆ど赤い印がついていた。
修羅の道を行く私にはこんなウラヤマシイことはできない。

そぼ降る雨の銀座は灰色のグラデーションであった。

海岸に小学生が絵を描きに来なくなったのは、3.11の大津波があった後からだ。

定年後、同じ様に水彩画をパリに行ってスケッチして帰り作品にして個展を定期的にする知人、友人、親戚がいる。
水彩はその人の性格がそのままに出る。

青木勤さんは、下半身を鍛えて、又パリへ行くと言った。
スケッチ旅行は歩く歩くだから。

奥さんの明るい笑顔が水彩画のように“息を飲む芸術”であった。

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