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2017年10月10日火曜日

「足の裏の血」

箸より重いものを持たず、三日間ひたすら脳休めをしていた。
頭の中がビリヤードの台みたいになっていた。紅い球、白い球、黒に黄色、いろんな色の球と球がぶつかり合いをしていた。その球は今抱えている問題であった。
時代の変化があまりに激しく、人間と人間の宿命と運命が残酷にぶつかり合う。
そのままボーとしていると気は重くなる。
嫌な自分、ズルイ自分、嘘の自分、自分を演じる自分が、どれが本当の自分か分からねぇと文句を言う。

外の空気を吸いたいと思い、素足にデッキシューズをはいて近所の海岸に行く。
廃船になった船によりかかって波を見る。
前日の激しい雨のせいか、波は茶褐色であった。アンバランスに太陽光が真夏のように暑い。
二歩三歩砂の上を歩く。
ズボッと砂にはまり湿った砂がシューズの中に入る。
仕方なくシューズを脱いで両手で持って波打際に近づく。
観光用の地曳き網を引いている漁師と会う。
相模湾にはもう魚がいないよと言う。
息子と小学校で同級生だった娘さんは地方に嫁に行って二人の子がいると言った。
最近江ノ島まで歩いてないのと言うから、歩いていないよと言った。
打ち上げられた大・小の流木やゴミの中をカモメとカラスたちが忙しそうに突っついている。
とにかく脳休めをしたいと思い歩き出す。
足の裏に尖ったガラスの欠片や、貝殻の壊れたのが当たる。
痛え痛えと思うたびに、煙幕を張っていたような頭の中に刺激が起きる。

「乾いた花」原作石原慎太郎、監督篠田正浩の映画の中で、ヤクザ者が小悪魔のような若い女性と花札で博打をする。
その時、人を殺して刑務所に入っていたんだって、人を殺すってどんな気分、みたいなことを若い女性が言う。
中年のヤクザは、別にどうってことはねえんだ、ただ相手にブスッと刃物を刺すと、なんていうか、自分と自分がつながっているみたいな気持ちになるんだ。
そんなことを言う(正確ではない)私の好きな映画ベストファイブの中の一本なのだ。
海岸にいて足の裏にチクチク痛みを感じていると「乾いた花」のシーンを思い出した。
乾いた花とは水分を求めない死んだ花ドライフラワーのようなものなのだろう。

自分の抱えた諸々の問題は、自分でケジメをつけて行かねばならない。
背中の傷は男の恥、額の傷は男の勲章と言う。
解決しなければならないことに背を向けて背中に傷を背負っては生きて行けない。

痛え、かなり大きな貝殻を踏んでしまった。
足の裏を見ると貝殻の欠片が二つ刺さっていた。
しゃがみ込んでそれを取ると、赤い血が少し出て一本の線となった。
塩水につけると流れて取れた。
又、すぐ赤い血が出て来た。

「乾いた花」では、組の抗争が起き、相手の親分を誰が殺しに行くかとなった。
誰が行くんだと怒鳴る親分、尻込みする組の若い衆、刑務所から出て間もない中年のヤクザは、オヤジさん、オレが行きますよと言う。
今度人を殺したら生きて出て来ることはない。
親分はそうか行ってくれるか、急ぐことはねぇ、ゆっくり遊んでからでいいんだ、そうだオマエ歯が悪かったな、長くなるから歯の治療をちゃんとしてから行けやと言う。
そしてある日、喫茶店にいた相手方の親分を刺し殺す。
その時久々に自分と自分につながったのだろう。
シキテン(見張り)を切っていた若者が「もしもし兄貴がやりました、前の時より、少しぎこちなかったけど」と組に連絡を入れる。人間はボーとして自分を捨てていると、いちばん自分を思い出す。
許せない人間の顔を思い出す。
あいつと、あいつと、あのヤローだけは許さない。

今日10月10日、総理大臣による大義なき自己保身の選挙が始まる。
8党党首討論は出来の悪い学校の、生徒会の討論会程度であった。
白いボードにマジックインクで書いたその文字は、政治家の劣化を表していた。
幼稚な文字であった。
論語の一つでも書いてほしかった。

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