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2010年4月20日火曜日

人間市場 モナカアイス市


藤原正彦先生は云う。
アメリカ人はジョギング好き、老若男女が至る所を走る。
健康の為なら何でもする。牛乳は低脂肪か無脂肪、チキンの皮や牛肉の白身は残し、ガムやコーラはシュガーレス、ランチはサラダバーへ、エアロビクスに腰振りダンス、ヨガや東洋的瞑想でストレスを解消しようとする。健康の為に一生懸命すれば永遠に生きられる。死んでしまうのは本人の過ちと考えられているのではという。

これだけしても肥満ばかり平均寿命は日本に比べて4.4歳も短い。アメリカ人は毎日アイスクリームを食べるという。30㎝位あるチョコパフェを食べる。世界一アイスクリームを食べる国民なのだ。逆にイギリス人は健康に注意を払わない。ジョギングなどはアメリカ人のものと見下しているのだ。

多くの人はせいぜい庭いじりで汗をかいたり、週末にロングウォークといって10㎞位の散歩をするだけ。食生活もいい加減で生野菜などは殆ど食べない。大学教授の家でも夕食はパンとスープだけ。イギリス人にはアメリカ人と違い、どうせいつかは死ぬんだという諦念があるのだ。それでもアメリカ人より平均寿命は1歳ほど長いのだ。

日本人もアメリカ人に近い、健康の為なら死んでもいいなんて思っている人もいる。
この頃ポカリスエットとかアクエリアスといったスポーツドリンクが売れなくなっている。糖分が入っているからだ。甘そうと思った品は買わない、糖質ゼロブームなのだ。とにかくゼロと表示しないと売れなくなって来たようだ。


四月十三日、東京駅発1936分の湘南ライナーに乗った。
発車ギリギリ腹の調子がイマイチなのでお腹の中はヘリヘリだった。前から四列目だけ二人分空いていた。窓際に座り夕刊を読む体勢が出来た時ドンという音と共にとんでもないデブの中年女性が乗って来た。
悪い予感は必ず的中する。手に缶ビール500mlとポカリスエット。大きなシュークリーム、モナカアイスの大判、袋物は海老せんとポテトチップスだ。飲んで食う、でっかいくしゃみする、飲んで食う、でっかいくしゃみの繰り返し、ゴクッゴクッ、バリボリ、バクバク、ナメナメ、そしてでっかいくしゃみ。ティッシュ出して思い切り鼻をかむ。全身無神経の固まりの様だ。夕刊を読んでいても文字がよく読めない。見た目と違って割と繊細な私としては横浜辺りで限界に達し始めていたが湘南ライナーは大船まで停まらない。ゴボッなんてでっかいゲップ、ビールの臭いがどっと来る。

こういうオバサンと一緒に暮らしているダンナがいるとしたらどんな人だろうと想像した。色々イメージしたがきっと温水洋一さんみたいな人ではなかろうかという結論を出した。
温水さんゴメンナサイです。

大船に着いた頃オバサンは膝の上に未だ半分位残ったかっぱえびせんの袋を乗せてゴーゴーとでかい鼾をかきだした。ウルセイのなんの上を向いて大きな口を空けてる所に夕刊を丸めてくわえさせてやろうかと思ったがあと二駅の我慢だと思い堪え切った。

藤沢そして辻堂着。オバサンちょっとどいて、降りるからと言うとキョトンとした目で大船ですかって言うから、大船はもう通り過ぎてここは辻堂、チョット早くどいて下さいよ、早くどけよと言い合っている内に列車が動き出してしまった。何たる事だ結局次の茅ヶ崎までご一緒となった。辻堂でも茅ヶ崎でもそう家まで大差がないが何しろオバサンから逃れたかった。

オバサンは荷物や空き缶や袋物をビニール袋に入れながらブツクサ言って茅ヶ崎で降りた。早足で歩きながら振り返ると丸太の様な体をユサユサさせながらホームを歩いていた。な、なんと又、モナカアイスを食べながらだった。温水洋一さん、奥さんの帰り時間が少し遅れますよと心の中で思った。どんな家庭か興味はある。

2010年4月19日月曜日

人間市場 デパート市


紫式部はきっと凄い不美人だったと推測した歴史学者がいた。
あれだけの美しい王朝文学を書く女性は自分のコンプレックスから来る美への憧れ恋愛への願望だという。

当時は電気もなく灯りは油皿に灯芯を浸けてそれに火を点けた程度。部屋の側には四角い穴だけ空いた厠、当然異臭まみれ。夏は暑く汗まみれの服の上に服を重ねていった。顔は火から出るススだらけで黒く鼻毛は伸びまくっていたと思われる。
髪の毛は長く伸び異臭を放つ、そんな感じで世界の文学史に残る源氏物語を書いたのだろう。

現代もそれに近い女性作家が源氏物語に挑戦した。その名を林氏という。これ程美への憧れを持っている人もいないのではないか。
ありとあらゆる方法でお金をかけるだけかけて美に挑戦している。
だがしかし、天は二物を与えずの通り直木賞という文学賞を天から授かったが、不美人からの「不」をとる事は与えなかった。
高い服、高い化粧品、高い靴、高い食事、高い香水、金で手に入れられるものは全て手にしたが「美人」には決してなれなかったようだ。土台が悪い建物はどうしたっていい建物にならない様に基礎が悪いのである。気の毒としか言い様がない。

プロゴルファーの不動裕理さんは大ファンだが、林氏の文学の世界は一度だけ半分読んで、こりゃ駄目だと思いそれ以来読んでいない。きっと私自身に文学に対する対応力が不足しているのだろう。どんな源氏物語か読んだ人間に聞いてみる事にする。

人間は不公平なもの」と言ったのは、確かJF・ケネディだった。ケネディも又、T・ウッズと同じセックス中毒症だったという。源氏物語でいえば光源氏だ。きっとそんな自分が普通の人間に比べて不公平に思ったのかもしれない。たまには何もしないでゆっくり眠りたかったのだろう。なまじイケメンに生まれたばかりに不幸になった人間を沢山知っている。顔やスタイルと人間の中身とは別だからだ。「色男、金と力はなかりけり」である。

仕事場の近所にデパートがある。
一階は化粧品売り場だ。そこに無料で化粧品の試しをしてくれるコーナーがある。メーカーは腕よりのコスメティックのプロに試しをさせる。がしかし、相手の土台と基礎が悪い人しか来ない。元々美しい女性はそんな事をして貰う必要がないのだから。
シャネル、エスティーローダー、資生堂、アルマーニ、みんな大苦労している。どうしたって美しくならないのだから。

丸く白い布の中からぽっこり顔を出した。白い生首みたいなのがゴロゴロしている。小さな目はやはり小さく、低い鼻はどこまでも低く、タラコ唇はやはり明太子でしかない。仮にその場で少々化けても家に帰り風呂に入り素顔に戻ると、誰なのこの顔はと鏡に向かって当たり散らすのだ。
全然変わってないじゃないと山ほど買った化粧品に八つ当たりする。悲しきかな、切なきかな人生の不公平。いいんだよ、心が美しい人ならばと声を掛けたくなるが近づくと恐い顔で睨み付けられる。

若い時四年間デパートに勤めた事があった。社員食堂に行くとコスメアドバイザーの女性スタッフが煙草をパカパカふかしサンダルの紐を外しながら酷い事をガンガンと言っている。世の中でどこが恐いって、デパートの社員食堂程恐い所はないと思う。売り場にいる時とは別人格の人間に変身してしまうのだから。

高級呉服、婦人服、化粧品、コレが大変身する三大売り場。源氏物語の主人公じゃあるめいし土台が悪いのは何着たって、何で化粧したって変わらねえってんだよ。全く時間ばかり掛けやがって結局何も買わねえんだからやってらんねえよ、あんた今夜紳士服の課長とだろ、あたしは家具の人、結構いい線いってるんだ今の処は。まあここは男がよりどりみどりだもんね。何て言いながら左手に煙草、右手にスプーンでカレーライスを食べているのです。
デパート不況の原因は実はここに問題があると私は確信を持って言えるのです。

十時オープン、四十五度に頭を下げて最敬礼、いらっしゃいませなんて言いながら腹の中では今夜のデートの相手の事を考えているのです。私はデパートに行けば一発でそういう女性を見つけられます。ただ、もの凄く多過ぎます。ホントに恐い女の人たちです。


2010年4月16日金曜日

人間市場 言葉と声市


大好きであり心から尊敬する作家、井上ひさしさんが亡くなった。

「記憶せよ、抗議せよ、しかして生き延びよ」がモットーであったという。そこに「笑い」を足したかったのだろう、反戦を言葉と笑いという武器で貫いた。
五歳の時から養護施設で過ごしたという。映画が大好きであったそうで、最後にこの一本を選ぶと云えば黒澤明監督の初期の作品、「素晴らしき日曜日」だと何かに書いてあった。

コーヒーが一杯5円の敗戦直後、35円しか持っていない若い男女のデートの物語だ。10円足らずに「未完成交響曲」のコンサートに入れない。二人は無人の野外音楽堂に行く、男は舞台に立ち指揮者の真似をする。
そして「未完成」を指揮する。拍手する聴衆は彼女一人だ。しかしそこには若い男女の明日への希望が満ち溢れている。いい作品を生むには日頃からよく勉強し、よく考え、大事な時にそういったものを捨て去って自然体にならなければならないと語っていた。「むずかしいことをやさしく」と言い更に、「やさしいことをふかく」と心掛けていらしたのだ。

こんなコラムを読んだ、今から十五年前警視庁上野署の取調室で中学三年生の非行グループのリーダーが一人の少年係の捜査員の取調べを受けていた。そこら中につけていたピアスを外された。その後冷えた缶コーヒーを出して貰った。その時少年はふと何で俺はこんな所に居るんだろうと思った。やがて両親に付き添われて署を出た。
一から勉強し高校に入り非行グループからも抜けた。専門学校に入りコンピューター会社に勤めた。世間からどう見られているんだろうと不安になる度にあの時の取調官のところに行ったという。五年間の保護観察が終わった後、挨拶に行くとこれからは大人と大人の付き合いだなと言われた。成人式を終えていたのだ。今29歳になった男は雪深い群馬の温泉旅館で結婚式をした。

乾杯の挨拶は取調官に頼んだ。本当の息子の事の様で嬉しいと声を震わせて話をしてくれた。今同じ年の奥さんの体の中には小さな命が宿っているという。
今度は赤ちゃんを挟んで一緒にコーヒーを飲みたいと思っているそうだ。きっとその日は来るだろう。

井上ひさし先生の「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」という言葉と重なり合った。「文学は声だ」と言った。ある文学者がいたが正に人と人の心は言葉と声で救われる。井上ひさしさんが舞台にこだわったのもその現れだろう。
いい文学は声を出して読むといいという。不出来な文章は声を出して読むとその正体が直ぐにバレてしまう。

宇宙に行った山崎直子さんから「瑠璃色の地球も花も宇宙の子」という俳句が届いた。声を出して読んでみると何と美しい句だろうと思った。山崎さんの心自体がきっと宇宙から見た瑠璃色の地球の様に汚れなく美しい心なのだろう。その地球を滅ぼしてしまうかもわからない核から地球を守ろうと核セキュリティサミットが始まった。

やっと地球のリーダー達は地球の危機を感じ始めたのだろう。地球の温暖化も待ったなしになって来た。四月なのに真冬のようだ。やはり井上ひさし先生の言葉を思う。「大きく見えた恐ろしいものの姿を小さくし、そのことによって、わたしたちの小さい力を大きく見せる」言葉と声はその武器なのだ。

一人の人間の力は小さいかも知れないが、一人の人間の遺した言葉と声は永遠の強さとして人の心の中に生き続ける。言葉も声も行動も軽い時代となってしまった。

小説家は自殺するために旅に出る。書き出しの一行を探すために何ヶ月も旅をすると、かつて開高健は云った。本屋に行って立ち読みし書き出しの一行が駄目な本は先ず買わない事にしている。

2010年4月15日木曜日

人間市場 お医者さん市


まず脈を測らせて下さい。それから、ハイ、アーンと口を開けて下さい。
ちょっと目を見ますね、舌を出して下さい。
胸を出して下さい、聴診器を当てますからそして後を向いて背中を出して下さい。
指でトントン、トントンと叩く。お腹を触りますからベットに横になって下さい。
首の回りを触ってくれる。昔はお医者さんに行くと先生が必ずやってくれる手順だった。手の感触が優しく痛かったお腹がそれだけで楽になったりする。

過日私が最も信頼する主治医の先生がこんな事を言った。
この頃ね、私大の医学部の受験が難しくなってしまった。それがいい医師を育てなくなってしまった、試験勉強ばかりしていて答案用紙はいい成績だが、人間が魅力的でないのだ。「病気を診ずして病人を診よ」というのが医師の基本だからね。

問診は一番大切な事。今は先ず採血、検尿、エコー検査や他の検査で患者を診ないで数値だけを見るんだな、前回来た時と今回来た時の顔色はどうか、肌のツヤはどうか、目の色はどうか等の変化を全然診ないんだ、これから日本の医療現場はどんどん非人間的になってしまうよ。研究専門の東大病院なんかは研究だけしておけばいいんだ。
商業的、官僚的、事務的になって行く。始めて解剖なんか立ち会わせると殆どの学生は倒れちまうよ。末期の癌の人の苦痛を毎夜聞いているだけで自分が病気になってしまう様な学生も多い。

外科医はね、救急医を何年か経験しないと一人前にはなれない、両手両足がちぎれている、頭はスイカを割ったみたいになっている、刺されて内臓が飛び出ている、毎日そんな救急の現場を経験して腕を上げ、度胸がついて行くんだ。正確な判断力と勇気ある行動が大事なんだ、絶対諦めない絶対命を守るその気持ちが何より大切なんだ。勉強ばかりしていた学生は使い物にならないという事だよ。
そんな話を聞いた、確かに最近はそんな若い医師が多くなった気がする。一度手術室に運び込まれたらそこは密室、中で何が起きても外からは判らない。手術ミスで命を取られても麻酔が未だ効いていますから、これから集中治療室に入りますから、実は既にこの時仏様になっている。真夜中容体が急変しましたと言われ、誠に残念でした、急変しました等と説明を受ける。こんな事が日本中の病院で行われているという。
手術室の中にいた人間はみんな共同正犯だから秘密は守られる。


私の義兄は八十歳で大手術をした、過去に大腸癌を二度手術している。体力的にも三度目の手術は無理だと思ったが三度目に挑戦した。始めは5時間位で終わるという事であったが、実際は13時間も掛かった。途中医師が追加投入されていった。姉は手術が成功した、やっぱりいい先生だったと手を合わせて拝んだという。私は間違いなく誤診だよ、一千万近く払ったんだから病院の方がありがとうございましたって手を合わせているよと入った。義兄はその後、抗癌剤と戦い大きな体は細く、小さくなり退院して三ヶ月後一月一日の元旦に亡くなった。

病院はしっかり選んだ方がいい、医師は必ず二人選んでおいた方がいい、この人なら、という絶対の信頼をおける主治医を持つといい。先日体調がイマイチだったのである医者に行った。どうしましたと言い、血液検査を進められた。いやちょっと腹をこわした様なので胃薬でも貰えばと言ったらああそうですかと薬を出す指示を、急ごしらえのカルテに書いてくれた。個人病院の中は人で一杯であった。
余程ここはやめといた方がいいよと言おうと思ったが営業妨害で訴えられるのが嫌で止めておいた。

一番素晴らしいお医者さんは、今日診た感じでは二、三日ゆっくり休めばいいですよ、お薬も別にいらないと思います、消化のいいのを食べて冷たくない水分をよく摂って下さい。こんなお医者さん近頃いないと思いますが私の主治医はこういう先生なのです。

2010年4月14日水曜日

人間市場 合がけ市


「カンヌキ」というと大具道具の様ですが築地の市場では特上のサヨリの事をいう。
カンヌキは漢字で書くと閂、観音開きの扉の錠で横に渡す棒の事、体長30㎝を超えるサヨリが一見このカンヌキに似ているからだという。

春を告げる魚、群れをなし海面を優雅に泳ぐ、築地の食通は薄づくりにしてから昆布締め。潮汁のお椀も上品でいい、体がピンとして銀色が鮮やかでくちばしが赤いものほど新鮮だという。
と、ここまではサヨリのいいところばかりの話だが私の様な岡山出身者にとってサヨリは忌まわしい魚なのです。ある高名な民俗学者が人国記を書き残した、そこに岡山県人は魚でいうとサヨリの如くであると書いてある。見た目はキラキラして美しいが中を開けると腹の中は真っ黒いという。

正体を中々出さずという。以来寿司屋に行ってもサヨリはあまりというより殆ど頼まない。確かに腹の中が黒い。そういえば私自身も腹の中は真っ黒いのかもしれない。それでもいろんな困難に対して閂(カンヌキ)の役目はして来た様に思う。

福沢諭吉の「学問のすすめ」の中にこんな一節がある。「人にして人を毛嫌いする事なかれ」つまり人間なのに人間を毛嫌いしてはいかんよ、という事だという。
世界の土地は広く色んな人がいる。碁でも将棋でも食事でも茶でも腕相撲でも何でもいい人と人の交際を大事にしなさいと教えている。明治以降のエリートたちは「学問のすすめ」を勉強のすすめと曲解し争って学歴の取得に走った。それが極端な官僚社会、学歴社会を創ってしまったのだろう。

築地市場といえば残念な事があった。
私の大好きな「合がけ」の店「大森」が創業から87年の店を閉じた。一杯700円、大盛り830B級でなくZ級ですよと主人は言う。カレーも食べたいけど牛丼も食べたい。
そういう重大な悩みを持った人にそれなら半分づつにして一つにしてしまおうという柔軟な発想から合がけは生まれた。

カウンター5席だけ、午前二時半に起きて仕込みを始めるという。
築地は早朝から午後二時位までが営業時間だ。小さな店、ユニークな店が沢山ある。徹夜した時等必ず朝方行ってとれたての魚を食べながら一杯飲む。これ程旨い酒はない。
コハダ、鯖、鰺、鰯、光り物が大好きだ。ホタルイカ、鮪の中落ちなんかは泣けてくる程旨い。この頃、魚の仕入れも電話やネット、ファックスが中心になり仕入れ人がめっきり減ってしまった。

その変わりに外国人観光客が増えた。中国語、フランス語、ポーランド語等で「ようこそ」という言葉を覚えたと言う。福井県の農家の三男だった祖父が上京して上野で開店、関東大震災に遭った。日本橋にあった魚市場が壊れて築地に来た、築地は日本の伝統文化の地、あらゆる知恵を出し合って残して貰いたいと思う。

今夜のメニューはカレー+すき焼きで合がけ丼を作ってもらう。
サヨナラ大森さん。ご夫婦お元気で。


2010年4月13日火曜日

人間市場 面接市


東大、藝大は別格として、早慶、一橋、上智のすべり止めといわれる大学がある。

第一群「MARCH」と呼ばれる、明治、青学、立教、中央、法政。
第二群「日、東、駒、専」これは日大、東洋、駒沢、専修。
第三弾「大東亜帝国」大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘。
第四弾「関東上流江戸桜」関東学園、上武、流通、経済、江戸川、桜美林。
関西第一群「関関同立」関西学院、関西、同志社、立命館。
関西第二群「産近甲龍」京都産業、近畿、甲南、龍谷。
医大、美大、地方の国大は別とする。

私は別格の大学以外は大学の四年間一生懸命遊べと言いたい。
いい友、いい先輩を作る事に四年間を使って欲しい。何故なら私の長い就職に於ける面接経験で学歴を重視した事は一度もない。

四年間何してたと聞く、ハイ勉強してましたなんて答えたら即終わり。
最近女の子と恋したかい?エッ(?)最近読んだ本一冊言って、最近観た映画は、コンサートは、劇は、歌舞伎とか好きかい、その安っぽいスーツはどこの、何で靴が汚れてんの、君なんで面接に来てるのに爪が伸びてるの、爪の中が汚れているよ、いつもそうなの?君は自分を海科、山科、沼科、河科、草原科に分けると何科だい?普段はどんな格好してるの、大好きなミュージシャン一人言って、バイトは何をやっていたの、この辺になって来ると学生さんは顔には汗がびっしょりとなる。

お父さんお母さんのスネかじってその程度の大学しか入れなくては君に学力は期待しないけど、自分の一番の取り柄を一つ言ってくれる。
一人は馬鹿です、一人は暗いです、一人は酒が好きです、一人は根性あります、一人は空気みたいです、一人はスーツにアロハです、一人は坊主になると東条英機に似ています。よし気に入った、入社決定となったある面接結果です。

彼等の出身校を後から見ると、馬鹿は青山学院二部、暗いは中央大学文学部、酒が好きは明治学院大学、根性あります高校卒、空気みたいは明治大学文学部、スーツにアロハは中央大学法学部、坊主になると東条英機は上智大学新聞学科。
後の人は専門学校や無学歴に近い人が多い。会社という個性を創るにはその人間の持っている目の輝き、声の出し方、声の質、体から出る気配が大事、コーヒーかお茶を出してあげてそれを飲むか飲まないかでセンスと育ちが判る。飲み方でも判る。

アロハシャツにジーパン、テーブルの上にレイバンのサングラス、目つきの悪いヤクザみたいな男に面接されているより脅かされている様な時間、そこで一人の男の人生が生まれる。私なりに真剣勝負である。その他の人間との個性のバランスを頭の中で考える。

私はワンパターンの就活スーツというのが気に入らない。
面接はいつも着ている格好の方が本人の個性がよく判る。私の面接成功率は八割から九割は大成功。みんな期待通りに個性を発揮してくれている。今や独立して立派にやっている者も数多い。文学者になった者も画家になった者もサンドウィッチを創って大成功した者、花屋さんになった人、様々に成功してみんな今も付き合っている。

一つの仕事に一生をかけよう等と思うことはない。その為には二流、三流、無名の大学に入ったら徹底的に遊べと言いたい。サーフィン、山登り、沢登り、カヌー、釣り、マンガ、落語、バンド、昆虫採集、SL写真、バードウォッチング等々ひたすら日本中を歩くのもいい。病的でなければ色んな事をやり、いろんな人たちと会う事だ。

ちなみに私の人生を支え会社を伸ばしてくれている幹部10人の内、大卒は和光大学のみ、高卒、専門学校出身が多い。
一人は三十六年、一人は三十五年、一人は三十二年、二人は三十年、一人は二十五年、二人は二十三年、二人は二十二年、記憶が確かなら面接した日から今も一緒に戦っている。目に狂いは無かった、素晴らしい人材たちである。

我が社の人材募集のキャッチフレーズは、「社長以外はみんないい人です」だった。
ある会社が八人全員東大卒の人間で会社を起こしたら一年も持たずに解散した。全員が俺が自分が私が四番打者だと思っていたからだ。
色んな個性が集まっている集団、例えば真田十勇士みたいな会社が最も強く理想だと思う。社員は現在65人(?)、私は経営にはほとんどノータッチだ。

2010年4月12日月曜日

人間市場 花巻市


三月二十九日花巻市北上川沿い、中村光一氏撮影、朝日新聞の心の風景という日曜版にこの写真があり思わず息を飲んだ。

この風景は長谷川等伯も小林古径もあらゆる日本画の名人、達人も描く事が出来ないだろう。
宮沢賢治の生まれ育った地、賢治風に言えばドドドドドーっと白い雪が降って来てザザザザザと風が吹いたのだろう。

かつて日本はとんでもなく美しい国であったのだろう。万葉集が生まれ、童謡が生まれ、奥の細道が生まれた。しばしこの写真を見て心を洗って下さい。

中原中也の「汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる」この頃自分の心もすっかり汚れちまった。

近々心を洗う旅に出る。
種田山頭火に尾崎方哉に宮本常一になってみる。
「花に嵐のたとえもあるさサヨナラだけが人生だ。」美しい連れと気の向くままに暫く歩き続ける。

2010年4月9日金曜日

人間市場 鯖江市


近松門左衛門、久里洋二、五木ひろし、佐々木小次郎、福井県の出身者だ。

過日鯖江という処に行って来た。
一日目は福井市、二日目は鯖江市に行った。
鯖江は日本の眼鏡の九割近くを作っている処だ。そこにいる若いデザイナー達と会った。ある新商品のアイデアを頼みに行った。三社三様それぞれ目を輝かして話を聞いてくれた。

福井駅に降りると街も道路も大きく広い、しかし人がいない。殆ど人が見えない。若者の姿はまるでなく、会社員も居ない、OLは全く居ない、オジサン、オバサンも居ない、ホームレスも一人も居ない。店はあるがお客が居ない、タクシーに乗って運転手さんにどうしてこんなに人が居ないと聞いたら、みんな家の中にいるんです。
漆芸と眼鏡は家内工業なのでみんな外に出ないのですと言う。塗芸と眼鏡はコツコツ、コツコツとにかくコツコツなんですよと言う。一人に一車というクルマ社会の処だから人が見えないのですよ、鯖江に行くともっと人が見えないですよと言われた。


その昔は鯖街道と言われ若狭湾でとれた鯖を京都に運んで栄えた。しかし雪深く農閉期になると産業がない、そこで明治三十八年増永五左衛門という人が少ない初期投資で現金収入が得られる眼鏡枠作りに着目した。大阪や東京から職人を招いたという。
世界で始めてチタン金属を用いた眼鏡フレームの製造の確率に成功した。世界シェアの20%は鯖江という。
又、業務用の漆器の九割近くもやはり鯖江だというではないか。持ち家率86%、みんな広くて大きい。人口比率は日本で第四位に低く、それ故人が見えず眼鏡をかけても見えない。家の中に居て場所から場所へはクルマで移動するからなのだ。

始めに駅に降りた不安はどんどん視界が広く明るくなった。大きな川べりには六百本以上の桜が咲いている。橋の名はさくら橋だ。


我々六人がなんか異物混入の様に思えた。清らかな湖に外来種のブラックバスが入った様なものなのだ。普通駅前にはお土産屋さんがあるのだが殆ど無いのも珍しい。ここから佐々木小次郎が出たと聞くと何か急に弱そうに感じてしまった。きっと穏やかな性格だったのではないかと思った。


DJ OZUMAもここから出たという。あんな派手な格好もきっと穏やかな心を隠すためなのだろう。何しろ人々はみんな穏やかなのだ。欲深き心を宿した人は居ない様に思われた。
東京という業深き会社の中で日々牙を剥いて目をギラギラさせて欲望にまみれた日々を送っている六人の一行は浮きに浮いていたのだ。中国や韓国やタイやベトナムは日本製を作っていた貧しい国であった、ところが今や著しい成長を遂げている。

日本人よ、今一度コツコツ精神コツコツ魂を取り戻せと云いたい。バブリーな心を一度捨てないといけない。濡れ手でお金を稼ぐとか、よその国に安い工賃で働かせて利益を出す。そんな邪な心を捨てよう。元々日本人程コツコツが似合う国民は居ないのだから。会社が大きい事がいいことなんていう時代は終わった事に気が付かないといけない。小さくても優秀な人間が集まれば一人でも二人でも、三人か五人でもいれば十分なのだ。

この街に来て確信した。
日本再生は日本人に帰ろうという事に、老人達の知恵を生かすのだ、老人達に教わるのだ。若者よ手に職をつけよ。大学を出ても会社に入れる時代ではない、大学はどんどん淘汰されていく、驚く事に近頃は大学生の入学式に親がこぞって参列するという。一度で入りきれず一部と二部とに分けて入学式を行っている大学もあるというではないか。大学生が幼稚化してしまっている大きな原因はここにある。親の過保護が様々な問題を起こすのだ、とんでもない風景だ。日本はもっと職能学校、職人学科を充実した方がいい、つくづくそう思った二泊の旅であった。

残念ながら越前ガニはシーズンが終わり、鯖はいいのが全然取れないと言う。
連れの一人が「へしこ」という鯖を米ぬかに着けたくさやみたいな品を買った。ほぐして茶漬けにすると絶品だと言った。
鯖江に「森六」というおろしそばで有名な店に行った。小さな民家であり、いい風情の店であった。


2010年4月8日木曜日

人間市場 相方市


この頃のテレビを観るとどうしたら人間は阿呆と馬鹿になれるのかの実験を受けている様な気がする。実験体になったつもりでバラエティ番組だけを選んで次々と見ていく。
その間にCMが入る。CMも又ほとんどがバラエティの延長の様なので区切りがつかない。

過日外国人家族と食事をしたら何で日本のCMには同じ人が出るのだと聞かれた。
一人の男がカメラに化粧品に住宅に車に飲料に通信に出るのか。外国人には考えられないという。有名人を使うのがこの国の習性なのだよと言ったらやはりその外国人家族には理解不能の様であった。何のCMだかこの国のCMは全然判らないと言った。私も判らない。

バラエティ番組を考えている人たちの頭の中も又理解不能だ。あるいは特殊な才能の持ち主たちなのだろう。何しろ考えられない事を考え実行するのだから凄い。
出川哲朗なんか心から尊敬している(老舗の海苔屋の息子なんだ)。

みんなで騒げば馬鹿じゃない。みんなで答えれば阿呆じゃない。
とにかくみんなみんなが出て来るのだ。
芸能界にも派閥があるらしくその人が出ると必ずその取り巻きが出る。ある種の救済、相互補助なのだろう。ビートたけし、島田紳助、和田アキ子などが大派閥なのだろうか。
特に島田紳助という人間には少々驚かされる。その頭の回転の速さ、切り返しの上手さ、流れるような口調は第一級に思われる。言葉の豊富さも並ではない。事業も大成功しているという。むべなるかなだ。

ビートきよしさんは過日、我が家のペットが供養されているお寺で箱の上に乗って人とペットの関係について30分程話をしてくれた。その前は確か佐良直美さんだった。

何故かその日の事を鮮明に思い出すのは卒塔婆一本一万円、申し込むとガラガラ回す抽選券を一枚貰える。元来くじ引きで当たった事は殆ど無い。
お線香あげて花とペットフードを取り替え、ビートきよしさんの話を聞いて帰りがけに引換券を渡しグルグルと回すと赤い玉がコトンと落ちた。あっ一等賞ですよと言うではないか。えっ一等賞と言うとオメデトウゴザイマスとオジサンがVネックのセーターをくれた。コレが一等賞と聞くとそうですと言う、他に缶ジュースを一缶。まあいいかと思った。
横山ノックとアウト、西川きよしと横山やすしコロンビアトップとライトそれぞれ相方は不幸福だった気がする。大好きな坂田利夫と前田五郎とは別れてしまった。

傘の上で玉や独楽をごろごろ転がす楽しいコンビの姿が見えない。
相方が亡くなってからすっかり見えなくなってしまった。名コンビだったのに、お正月の風物であったのに。人間利巧を演じるより馬鹿を演じる方が余程難しいと言う。立川流の落語の真打ちになるには古典落語を四百位話せないと駄目だと言う。

昔流しというギターを持った歌手が酒場に現れ人間ジュークボックスの様に頼めば何でも歌ってくれた。一流の流しになるには四百曲位を憶えていないと駄目だと聞いた事がある。漫才も落語も浪曲も手品も色物もコントもみんな血の出る様な努力と創意工夫から生まれて来たのだ。昇っていく者、消えゆく者、破滅する者、人生は正に舞台の上の如しだ。


先日チャンバラトリオのリーダーが亡くなってしまった。少したるんでしまった自分をあのハリセンで思い切りバチンと叩いてもらいたかった。仕方ないから愚妻の小さな扇子でパチンと叩いている。夫婦もコンビと同じ相方とずっと幸福のまま行くとは限らない。一度駄目なら二度、それでも駄目なら三度、もう飽きたと言うまで一緒になればいいのだ。子供にさえ迷惑を掛けなければだが。

それにしても親のわがままの犯罪があまりに多すぎる、残酷だ。

2010年4月7日水曜日

人間市場 紙くず市

このところ三人の友人を失った。
一人は病で失った、本当に男らしくいつも少年の様ないい奴だった。
一人は友人として認めることが出来ず失った。もう一人はこれ以上仕事上で付き合うとお互いに心身に支障をきたすと判断したからだ。

人生の四コーナーを回った時に共に戦った戦友を失うのは辛いがそれも又人生だろう。人の心の中がギザギザになり始めて長い。いよいよその傷口は深く広くなってしまっている。夢を持って入ったある大会社の若い社員が会社に行くのが毎朝辛いという。

言汗のごとし」というが一度口から出た言葉は二度と自分の口の中には戻らない。言葉程恐いものはないとつくづく考える。今頃になって何だと思うが自分が放ったひと言、人が放ったひと言がその言葉を受けた者に積年の憎悪となって心の中に染み込まれるまで刺青の様に消す事が出来なく刺し込まれているのだ。

今からでも謝る事が許されるなら日本中を回ってでもお詫びしたいと思う。
若気の至りと言えばそれまでだが「天上天下唯我独尊」だなんてうそぶいて生きていた自分を恥じるばかりだ。それ故この残り人生の前に受けた言葉の許されざる者は許す事はできないのだ。

今は別離した戦友の幸せを祈るしかない。又、私自身もその責務を背負って生きて行かねばならない。プロの仕事をするという事は正に「強者どもが夢の跡」となる。何百枚の企画の案もあらゆる案もただゴミ箱に入る紙くずと化すのだから。
売れない案はただの代物がプロの企画の世界なのだ。

何年もかけて描いた日展への出品作が「ハイ次!」のひと言でただの絵の具の壁となり、何年もかけ千枚も二千枚もかけて書いた力作の小説も編集者の「ボツ」のひと言で紙くずとなる。陶芸然り、塗然り、織物然り、努力の結果が作品の評価となり得ない。それ故私は世に潜む無名の作家たちを求めて歩く。
その中に本物の作家がいるのだ。高名な審査員に付け届けもしない、編集者や画商に接待もしない、身も心も売らない、新聞社や専門誌の批評家、評論家に接待もしない。自分の先生の作品づくりの手伝いをしない(代書き)それ故可愛くない奴だという事になる。
力があればある程潰す必要があるのだ。

フランス等では芸術とは「ゲイ術」とも言われる。ゲイは身を助けるのである。
駄文の本を書き、絵本をつくり、短編の自主映画をつくる。友人から誰々に幾ら払えばチョーチン記事を書いてくれますよとか、あの新聞社の文化部の誰を「ゲイ」に連れて行けば直ぐチョーチン記事を書きますよとか。ちょっと広告出せばいい書評を書きますよとか色々言って来る。

評論家を招いてパーティをすればどうですか、みんなやっていますからと言ってくる。小田原提灯じゃあるまいしそんな事できるかと思う。見る人が観て一人でもいいと行ってくれたらそれでいい。一人でもいい本だったですよと言ってくれたらそれでいいのだ。商業製作でなく自主製作なのだから。
「ボロは着てても心は錦」みたいな作品を作って行きたいと思う。近々新作、新本の試写会と発表会を行う予定である。

「敵を恨む事なかれ、自分もきっと敵に似ているから」誰だか忘れたがある哲人が言っていた様な気がする。