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2010年4月8日木曜日

人間市場 相方市


この頃のテレビを観るとどうしたら人間は阿呆と馬鹿になれるのかの実験を受けている様な気がする。実験体になったつもりでバラエティ番組だけを選んで次々と見ていく。
その間にCMが入る。CMも又ほとんどがバラエティの延長の様なので区切りがつかない。

過日外国人家族と食事をしたら何で日本のCMには同じ人が出るのだと聞かれた。
一人の男がカメラに化粧品に住宅に車に飲料に通信に出るのか。外国人には考えられないという。有名人を使うのがこの国の習性なのだよと言ったらやはりその外国人家族には理解不能の様であった。何のCMだかこの国のCMは全然判らないと言った。私も判らない。

バラエティ番組を考えている人たちの頭の中も又理解不能だ。あるいは特殊な才能の持ち主たちなのだろう。何しろ考えられない事を考え実行するのだから凄い。
出川哲朗なんか心から尊敬している(老舗の海苔屋の息子なんだ)。

みんなで騒げば馬鹿じゃない。みんなで答えれば阿呆じゃない。
とにかくみんなみんなが出て来るのだ。
芸能界にも派閥があるらしくその人が出ると必ずその取り巻きが出る。ある種の救済、相互補助なのだろう。ビートたけし、島田紳助、和田アキ子などが大派閥なのだろうか。
特に島田紳助という人間には少々驚かされる。その頭の回転の速さ、切り返しの上手さ、流れるような口調は第一級に思われる。言葉の豊富さも並ではない。事業も大成功しているという。むべなるかなだ。

ビートきよしさんは過日、我が家のペットが供養されているお寺で箱の上に乗って人とペットの関係について30分程話をしてくれた。その前は確か佐良直美さんだった。

何故かその日の事を鮮明に思い出すのは卒塔婆一本一万円、申し込むとガラガラ回す抽選券を一枚貰える。元来くじ引きで当たった事は殆ど無い。
お線香あげて花とペットフードを取り替え、ビートきよしさんの話を聞いて帰りがけに引換券を渡しグルグルと回すと赤い玉がコトンと落ちた。あっ一等賞ですよと言うではないか。えっ一等賞と言うとオメデトウゴザイマスとオジサンがVネックのセーターをくれた。コレが一等賞と聞くとそうですと言う、他に缶ジュースを一缶。まあいいかと思った。
横山ノックとアウト、西川きよしと横山やすしコロンビアトップとライトそれぞれ相方は不幸福だった気がする。大好きな坂田利夫と前田五郎とは別れてしまった。

傘の上で玉や独楽をごろごろ転がす楽しいコンビの姿が見えない。
相方が亡くなってからすっかり見えなくなってしまった。名コンビだったのに、お正月の風物であったのに。人間利巧を演じるより馬鹿を演じる方が余程難しいと言う。立川流の落語の真打ちになるには古典落語を四百位話せないと駄目だと言う。

昔流しというギターを持った歌手が酒場に現れ人間ジュークボックスの様に頼めば何でも歌ってくれた。一流の流しになるには四百曲位を憶えていないと駄目だと聞いた事がある。漫才も落語も浪曲も手品も色物もコントもみんな血の出る様な努力と創意工夫から生まれて来たのだ。昇っていく者、消えゆく者、破滅する者、人生は正に舞台の上の如しだ。


先日チャンバラトリオのリーダーが亡くなってしまった。少したるんでしまった自分をあのハリセンで思い切りバチンと叩いてもらいたかった。仕方ないから愚妻の小さな扇子でパチンと叩いている。夫婦もコンビと同じ相方とずっと幸福のまま行くとは限らない。一度駄目なら二度、それでも駄目なら三度、もう飽きたと言うまで一緒になればいいのだ。子供にさえ迷惑を掛けなければだが。

それにしても親のわがままの犯罪があまりに多すぎる、残酷だ。

1 件のコメント:

sakon さんのコメント...

外人から見ると、考えられないんでしょうね。時折画面で見るのとは別に、撮っていることを想定しながら見ている時があります。あんなふうに振舞うことがとても難しいと感じることが多いです。生意気ですが。。