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2010年4月5日月曜日

人間市場 思案市


大長考と言えば将棋や囲碁の世界。

かつては現在の様に持ち時間制でなく打ち手が決まるまでずっと、考える。
一日に一手しか打たない日もあった。対局の相手は庭で体操をしたり、自室に戻り一休みしたりして頭を休めたり、次はどんな手を打って来るかを考える。
何しろ相手が打たない限り自分の手は打てない。体力と気力の勝負となる。高度な駆け引きもあった。

ある二十代の若者と同様な経験をした。
一つの仕事を決める事についてとにかく決断しないのである。
うーん、うーと腕を組み大長考する。一日、二日、三日、四日、五日、六日、七日と考えてはこんな事もありますよねとか、こんな事を思いついたんですがとか、凄い良い考えがついに思いついたんですと言う。

周りはいよいよ先に進めるのかと期待を込めて考えを聞くとやはりう〜ん駄目かなとなる。思うに勉強が出来過ぎ、育ちが良過ぎ、人が優し過ぎ、一人で部屋にこもり過ぎ、一人で遊び過ぎなのだろう。ある人にそんな話しをするとそれこそが草食系の典型なんだよという。
人を傷つけたくない、自己主張を押しつけたくない、友人や妻や彼女を巻き込みたくない、出世欲はない、でも自分のやりたい事は頑固なまでにやり遂げたい。
大きな喜びよりちょっとした喜びを楽しみたい。ゲームで相手に勝ったとかボーリングで最後のピンがフラフラしながら倒れてストライクになったとか、昼休み神社でおみくじを買ったら大吉だったとか、自分で作ったパスタが思いの外旨かったとか、メダカが沢山子供を生んだとか等であるらしい。

何より人を傷つけるのを嫌うのだ。逆にたった一言で深く傷ついてしまうのだ。柔軟性がなく、展開力がなく、大胆に捨てる勇気がない。僕はこれがいいと決めるともうそこから思考回路がテコでも動かない。そして又、一日、二日、三日、四日と日が経って行く。その事による膨大な時間とコストの無駄に気が付かない。絶えず相手に責任を転嫁する。ちゃんと考えてくれていますかと言われた相手はぞぉーっとしてエーとなり、何だ何だとなって答えのない宿題に苦悩する。世に言う人のいい人程、世の中のためにはならない、という事であろうか。

あの田中角栄は決断と実行といい、出来る男は走りながら考えると言った。田中角栄論はともかく決断と実行力、他人依存性を持つ若者が増えている事は確かである。
パソコンやゲーム、携帯のせいもあると思う。自分の文章力、発進力、思考力が無いのだ。

だから元気な若い女性から見ると全然物足りない、頼りにならない、結婚したくないとなっている。思うに、初めのデートでホテルに行き、お互いにベットの上までは行った、その後うーん、うーんと腕を組んで行動しない(その先の出来事を考えている)。
女性は何してんのよ風邪引くじゃない、いい加減にしてよ。私帰りますサイテーなんて事になる。その後も何故帰ってしまったかうーんと考え続ける。ハックション!となりやっと事態に気が付き慌てて電話をする、しかし着信拒否となる。ちょっと例えは悪いがこんな二十代が多くなっている。成功もしたくないが失敗したくはない。

間違っても坂本龍馬の様に天下国家の為に国中を走り回る人間は出ない。土方歳三の様なロマンチストは出ない。それ故この日本国の明日は終わっても電気の付かない映画館であり続け、次のシーンが始まらない。人に思い切り嫌われる覚悟があると言う事は自分の行動に責任を持つという事である。

過日ある若い右翼の部屋に行った。立派な筆文字で「必死三昧」と壁に書いてあった。思想はまるで違うがその二十代の若者がいつ死んでもいいと思っています、という言葉に説得力があった。久々にリリシズムを感じた。今、二十代で国の為に必死を覚悟している者がどれ程いるだろうか。

婚活が流行るとか、携帯メールで相手を探すとか、いかに男が女性にモテなくなった証明である。

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