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2010年8月2日月曜日

人間市場 つけ麺市

過日恵比寿で初めて「つけ麺」というものを食べた、パリパリ餃子と一緒に。

「つけ麺」ファンには申し訳ないが私には何とも言えず不可解極まる食べ物であった。
人間でいうと半竹な奴(半端な事)であった。鴨せいろでもなく肉せいろでもない。麺はヌルヌルと生温かく、つけ汁も生温かい。

まず見た目が美しくない。ラーメンの上にある決まりの品々、チャーシュウ、メンマ、ナルト、モヤシ等は見えない。勿論煮玉子はない。チャーシュウ、メンマやネギは小さく刻まれてつけ麺の中に沈んでいる。何か全てが中途半端で納得がいかない。

連れの人間と入った時、外とは違い冷房が効いていたので普通のラーメンにしようか迷いに迷ったが、よし食べてみるかと二人で挑戦した。
連れは経験者らしくごく自然に「つけ麺」を受け入れている。私はかなり戸惑い心が乱れている。失敗したなと思ったのだ。

太目の麺を箸で掴みつけ汁に入れてすすった。
何だいこの食感は、ギモヂワルイよと言った。生温い食感がどうにも馴染まない。

オイ!「つけ麺」お前は中華系なのか和食系なのかハッキリしろ!お前の親分はラーメンなのか鴨せいろなのかハッキリしろと思った。つけた麺にチャーシュウとメンマとネギがくっついてくる。麺なら麺、チャーシュウならチャーシュウ、メンマはメンマとラーメンならそれぞれ主張しているが全然自己主張してないでゴッタ汁じゃないか。
こんな事していると鴨せいろから怒られるぞ、正直そう思いながら泣き泣きすすって半分で止めた。本当のラーメンを食べている人がえらく美味しそうだった。

「つけ麺」みたいにどっちつかずの人間がこの世にはびこっている。
例えば居酒屋「和民」の会長、渡邉美樹氏。居酒屋のくせして政府の委員になったり相撲協会の独立委員になったり介護の会社を経営したりする、一体本業は何かと訪ねたいのだ。いずれ馬脚を現すだろう出たがりで屋である。

勝間和代なる蛇顔の経営コンサルタントがいる。この女性も自らは結婚に失敗しているのにもかかわらず人生相談なんかを受ける。目と目は離ればなれとなっていてどう見ても幸福にしてくれそうもない舌足らずな話し方が耳障りだ。

大学教授とか客員教授は余程暇なのかテレビに出まくっている人が多い。
又、弁護士、元地検検事も多い。しっかり仕事をしてんのかと言いたい。名前を売らないと仕事が来ないのだろう。みんなタレント事務所に所属していてテレビ出演最優先の人種たちだ。当然国会議員も選挙に勝つためにテレビから声が掛かれば例え足がつっていようと身内に不幸があろうとテレビ局に向かうのである。テレビ局のプロデューサーやディレクターから「アレ」呼ばわりされているのだ。

オイ、アレとアレとアレ、いつもの幕の内弁当で揃えとけよなんて言われているのだ。
この国には何とかの第一人者というのが山ほどいる。
野菜選びの第一人者、化粧品選びの第一人者、経済学の第一人者、選挙戦の第一人者、シルバー世代の性生活の第一人者、引きこもりの第一人者、ブランド品の第一人者、ラーメンの第一人者、つけ麺の第一人者、もう石を投げれば第一人者に当たるのがこの国なのだ。

気を付けよう昼の雷と第一人者。一歩使い方を間違うと詐欺師と云われる行為をしている。私の知り合いはこんな第一人者にヒドイ目にあった。
知り合いの息子は医大志望、しかし学力不足で一浪そして二浪、母親は焦った。そこにある人が現れ医大入学の第一人者を紹介すると言われた、早い話裏口入学の第一人者という事であった。一千万で入学出来るならと思い父親に内緒で渡してしまった。

一ヶ月後夕刊を見てビックリギョーテン、新聞の見出しに「医大入学詐欺師集団検挙」
と大きく出ていた。被害者の数、数百人、被害総額数十億円と。
母親と父親はガックリしながら二人で「つけ麺」をすすったとか。
確か池袋警察署の側であった。「鴨せいろ」だったかもしれない、いやもり蕎麦だったかもしれない。

「つけ麺」を食べた後、車の中でそんな話を思い出した。
二度と「つけ麺」を食べる事はない。

2010年7月30日金曜日

人間市場 金々節市


大正末期。
第一次世界大戦のバブル景気で成金が出現し、貧富の差が拡大した。

丁度かつての日本が今の中国である。
その頃、今でいうなら超人気の路上シンガーソングライターがいた。庶民の声を代弁し、権力や権威、特権階級を風刺し続けた。

「金々節」というのがある。
「金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ 金だ金だよ 誰が何と言おうと
金だ金だよ 黄金万能 金だ力だ 力だ金だ その金欲しや 欲しや欲しやの
顔色目色 見やれ血眼 くまたか眼」
そして「学者、議員も政治も金だ」 「神も仏も坊主も金だ」 「金だ教育 学校も金だ」と二十一番まで続く。

当時演歌とは演説歌の略の事、シンガーソングライターの添田唖蝉坊という。
神奈川県大磯生まれ本名は「平吉」、中農の生まれであった。豊かな長髪を肩まで垂らし、細く透き通るような美声で歌ったという。
唖蝉坊をずっと尾行していた刑事がその演歌に共感して定年になった時に弟子入りを申し込んだという逸話があると朝日新聞、加藤明氏のコラムで知った。

今の日本や中国、いや世界60億近い地球の民の頭の中は見事に金、金、金、金の拝金主義だ。唖蝉坊は大正末期とまるで同じ人間の姿に「呆然ボー」となるだろう。

尾崎紅葉の小説に「金色夜叉」というのがある。私は始めてその字を見た時「コンジキヨルマタ」と読んだ。死んだ母親が正月にみんなで集まると一杯気分で「貫一とお宮」の有名な熱海の海岸のシーンを演じた。

熱海の海岸散歩する貫一、お宮の二人連れ、共に歩むも今日限り、共に語るも今日限り、お宮さんあなたはダイヤモンドに目が眩んだのかと問い詰める。今月今夜この月を決して忘れないと、足許にすがるお宮を下駄で足蹴りにする。
やがて貫一は学校を出て金貸しになる。一方お宮が結婚した相手は事業に失敗し、一文無しになるという様な復讐の話だ。今も熱海の海岸のお宮の松は観光名所である。


母がなんでこの物語が好きであったかは判らない。清く貧しく美しくという言葉が死語になってしまった。汚く金追い醜くくだ。こんな時代の風潮を子供達や孫達の世代に遺したくない。


妻に先立たれた後、唖蝉坊は関東大震災で被災するまでの十三年間、息子と下町の四畳半一間きりの長屋に住んだという。「ノンキ節」というのにこんな一節がある。

貧乏でこそあれ日本人はエライ それに第一辛抱強い 天井知らずに物価は上がっても 湯なり粥なりすすって生きている あ、ノンキだね。

まるで地球をイジメた人間に復讐する様に、地球上で天変地異が起きている。もの凄い暑さと集中豪雨だ。

金正日がプッツン起こして核を飛ばすやもしれない。
追いつめられると何をするか判らない。この国はテロリストの女性にノンキに料理を作らしたり遊覧飛行をさせたりする。どこがいけないの、二度と来れないのだから東京やそこいらを見せてあげたかったんだ、と中井恰(ハマグリと言われている)大臣は眉をつり上げて言った。

拉致家族は日本の特権階級である全ての言動が優先される。別にどこの味方でもないが、日本が中国人や韓国人、朝鮮人、台湾人に行って来た悪夢の数々は途方もない神をも恐れぬ行為であった。

外交とは相方win,winにならないと話は進まない。
夏の夜の悪夢が起きない事を祈るのみだ。かなりきな臭いテロリストの来日である。米国、韓国、中国、ロシアがその裏側を知らない訳がない。
日本の政治やマスコミはノンキにアーデモないコーデモないといつものコップの中の嵐だ。

私の心境は「呆然坊」だ。役者がいない。夏の役者「蝉」が一度も鳴かない。

人間市場 アサリ市


法は破る為にある、ルールは犯すためにある。
約束はあくまで約束である。


そんな光景を映像を見た、所は静岡県浜名湖である。
うるせーんだよ、捨てりゃいいんだろ捨てれば、バカヤローと言いながら網の中の沢山のアサリを湖に投げたオバサンとオジサン。

アサリの密漁である。
浜名湖は日本でも有数なアサリの産地なのだ。で、密漁者達が続々と出る。
密漁を取り締まる湖上パトロール船と追い駆けっこをする。年間一億円以上の被害が出るというではないか。アサリは誰の物かについては色々法的解釈があるらしい。密漁するのは実は漁師が殆どだという。あの手、この手で密漁しアサリを隠す。

大概釣り道具を船に積んでいて、あなたなにやってんの駄目だよなんて言われると、うっせえな釣りだよ釣りなんてバックレる。船底を見せてもらうよなんて言われて船底を見られるとしっかり網の中にアサリが入っているてフックで繋がっている。

やっちゃいけない事は犯罪だよ、ドロボーだよと言われると俺たちの浜名湖だ、誰に権利あんだよなんて開き直る始末だ。


私はふとある高名な民族学者の一説を思い出した。ある人国記である。
そこに静岡県についてこの様に書いてあった。静岡県、この地に悪人はいない。気候温暖にして富士の名峰を日々仰ぎ、いい茶、いい魚、いい果実に恵まれている。

人間に欲がない、しかるに清水次郎長以外に歴史上の大人物は排出していない、とまあこんな風に書いてあった。それはかなり当たっていて私が知っている静岡人は実に温厚にして欲がなく奉仕型の人ばかりである。

あの清水の次郎長は晩年は日本で初めての英語学校を創ったりした。山岡鉄舟に会い、心を改め堅気になり明治新政府に尽くした。だから何で静岡人が浜名湖で密漁をと思ったのである。


私の生まれた国、岡山などはその学者によると魚にすればサヨリの如し、外見はキラキラ美しいが捌けば腹の中は真っ黒であるという。いやつくづく当たっている。岡山人が密漁するなら判らないでもないがと思った。


アサリといえば大劇団の浅利○×の話の事を思い出した。
友人の画家の娘さんがやっとこさの思いで大劇団に入り夢と希望に燃えて毎日激しい稽古をしていた。だがしかし、浅利○×は密漁者であったらしい。
劇団員の中の気に入った女の子を手当たり次第に漁るという。その娘さんもその魔の手に遭いそうになりご両親に相談して退団した。

この手の話はよくあるが、確かな証拠がないので何とも言えない。
劇団なのでちょっとした作り話と思いたいのだが。肉体言語(ボディランゲージ)という言葉もある。新興宗教の教祖がよく使う手だ。肉体を通して教えをするという何とも都合のいい教えだ。

いいセリフを、大好きな役を、この役は君にそういいながら肉体を言語化する。古典的手法で毒牙にかけて行く。一度でも拒んだら永遠に日の目は見れない。


○○団、○×劇団、□△教と名が付くと多いらしい。
マルチ商法も同じである。一度入ったら蟻地獄の様に出る事は出来ない。上にのし上がって行くには自己犠牲を払うしかないのである。

ファッションや絵画、芸術の世界で名を上げるには、本場フランス人の密漁の餌食になるしかない。同性愛以外の日本人が名を上げた例はほとんど皆無である。イボ痔、切れ痔がその代償となる。芸術家に痔主が多いのはその為である。

フランスの男女程、後が好きな国民はいない。
それ故決してフランス人に後を見せてはいけない。ボンジュールなんて言って近づいて来たら両手で×(バツ)を示した方がいい。

私の後輩が20年前からフランスで絵画を学んでいる。最近個展の知らせが来た。
数々の賞を受賞し始めた。と同時に絵の世界が怪しくなってきた。
描く対象が若い男の裸体ばっかりだ。今度ボラギノールを送ってやろうと思っている。
密漁されているのだきっと。

2010年7月28日水曜日

人間市場 さくらと一郎市

猫の額ほどの小さな庭に偉そうに小さな瓢箪池がある。

子供の頃育った家に池があったのでどうしても池を作りたかった。
亡くなった庭師夫婦が丹精込めて一畳半の茶室と坪庭と池を作ってくれた。ずっと枯れ池にしておいたのだが久々に水を張りたくなって水を入れる事にした。
愚妻は池に水を入れていた時、私が病気になったので縁起が悪いと反対であったが、今更命に未練はないので池に水を入れる事にした。



ある日新しい庭師の人が三匹のでっかい鯉をビニール袋に入れて持って来てくれた。
何でもサッポロビールの創業者の人の家に大きな池があり、数十匹の鯉がいたという。庭を直すに当たり庭を枯れ山水にしたい、それ故鯉たちを鎌倉の遊行寺などの池に放つという、それを聞いたので貰って来てくれたのだ。

残念ながら一番大きな鯉は直ぐ死んでしまった。場所を移され過度のストレスのせいだという。大きな屋敷の家から小さな池に移されたからだ。

庭の片隅に埋めて赤レンガで墓を作ってあげお線香をあげた。
愚妻はだから言ったじゃない、あなたは生き物を飼ってそれが死ぬと酷く落ち込むからと言った。確かに人が死んでも滅多に人前で涙は流さないが、愛犬が死んだり金魚が死んだりするとガックリし涙を流す。

相手が口を効けないものの死には責任を感じるのだ。

赤い模様の鯉にはさくら、黒い模様の鯉には一郎と名を付けた。
あのヒット曲、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」からだ。
ポールとポーラとか、ヒデとロザンナとか、ケンとメリーとか候補にしたが、やはり私は昭和生まれなので「さくらと一郎」にした。「貧しさに負けた、いいえ世間に負けた」というフレーズが好きだった。

さくらと一郎は酷く警戒心が強く、窓をちょっと開けた音で大きく反応した。
鯉のエサを買って来てあげても全然食べない。庭師に電話すると環境が変わって警戒しているという。公園の鯉なんか何でもぱくぱく食べるじゃないかと思ったが、ブルジョワの大きな池から突然小さな池に移り、きっとプライドが傷ついたのだろう。

あまりエサを食べないので心配して庭師に電話し、引地川にでも放してやってくれと言った。判りました時間が出来たら取りに行きますと言った。
それから目隠しの竹蓙を買い、ホースで水を引き一日中チョロチョロと水を出した。夏の暑さで水が蒸発してしまうのである。鯉たちはそのチョロチョロ水が出る所に来て息を吸う、きっと気持ちいいのだろう。

生き物たちは愛情を注げばちゃんとそれに反応してくれる。
始めは決して食べなかった粒々の鯉のエサも今ではホラッと投げて池に入れるとサッと来て美味しそうに食べる。蓮の花も育ちいい塩梅になってきた。

世間に流れさて来たさくらと一郎の安らぎの場になってくれたら嬉しい。
さくらと一郎が何で今日現在私の家に居るのかは科学的に証明出来ない。人間の夫婦も同じ様に偶然の産物でしかない。恋と鯉は同じといえる、ある日突然出会い生まれる。そしていつか別れが来る。生き別れ、死に別れ、又は一緒に。鯉にはいい褒美を上げねばならない。人間も同じ、いつも何かに恋をしていい酸素を吸い込まないといけない。

さくらと一郎はこの頃仲がいい、鯉が恋したのかもしれない。
二匹仲良く狭い池の中を気持ちよさそうに泳いでいる。夜中帰って懐中電灯で照らす、水面に顔を出す。恋は丹精を込めないと育たない。

私の人生で映画は一番の恋人である。日々形にならないシナリオを書き続ける。
頭の中では名作が何本も出来上がっているのだが。

近々渋谷、宮益坂にあるスペインレストラン「ラ・プラーヤ」でランチ&シネマを実現する。
マスターは凄くユニークな文化人、シネマラ・プラーヤ&東本と名付け美味しいラ・プラーヤのランチ1600円位+私の作品や若手の短編映画を定期的に上映する。
合計2800円で十一時半から一時半まで至福の時間を過ごしてもらう。
客席は約四十名、お楽しみに。

2010年7月27日火曜日

人間市場 受賞市

過日下半期の芥川賞と直木賞が発表された。

芥川賞は赤染晶子さん(35)新潮社「乙女の密告」、直木賞は中島京子さん(46)文芸春秋社「小さいおうち」だ。


毎回築地の料亭、新喜楽で選考される。
確か一階が芥川賞、二階が直木賞の筈。選考委員は芥川賞五人、直木賞は八人(昔十人)だと思う。選考委員一人の予算は五万円位と聞いた。
候補になった人は携帯(昔は電話)での知らせをひたすら待つ。

もしもし、日本文学振興会ですがと言って来たら受賞で万歳。もしもし○×出版ですがと言って来たらアウト、ガックリらしい。

だがこの頃は芥川、直木賞といっても売れる訳ではない。
どっさり本屋に平積みされている。そもそも芥川賞、直木賞は景気対策であった。
文藝春秋の創立者、菊池寛が二・八(にっぱち)対策として何か話題づくりをと考えて創設したものだ。芥川賞は純文学から、直木賞は娯楽小説からと決めた。

オイ、どっかに若手のいい奴はいないのかと号令をかけ、編集者があちこちの文藝雑誌に書かせその中から選んだのだ。それ故受賞作の約七割近くは文芸春秋からと決まっている。
文學界とか群像とかが芥川賞のメインである。

直木賞は直木三十五(さんじゅうご)は歳と共に数字が変わって来た直木二十九とか直木三十一とか超ユニークな作家である。
こちらは世の中に出ている本の中から選ぶ中・長篇作品である。
もちろん文藝春秋社が仕切る。まあ一種の談合によって決まっていくらしい。

かつては芥川賞作家といえば大変な権威であった。太宰治がどうしても欲しいからお願いしますと手紙を大先生に書き送った。しかし取れずであった。
井伏先生は悪い人だなんて恩人にもブータレたものだ。芥川賞作家になればヒモみたいな生活から脱出できたのだ。

本当の意味での新人作家は「限りなく透明に近いブルー」の村上龍までだろうか。ちなみに同じ村上でも村上春樹は両賞とも受賞していない。今は受賞するものでなく出版社が受賞させたい賞になってしまった。

かつては敏腕編集者がいて人材を発見、発掘し、叱咤激励し、又は脅し、スカシ、おだてて書かせた。若手作家が編集者のところに原稿を持って行くとその原稿は朱で染まった。本人が書いた作品は跡形もなくなっていたという。悔し悲しく涙を流す。

しかし受賞し大先生となり銀座のクラブで飲み始めると、すっかり悔し涙は忘れてしまい夜な夜な銀座の女を食べまくる。

日本中にコツコツ書いている作家がいて芥川・直木賞作家よりはるかに良い作品を物にしているが、この頃の出版不況で編集者も金詰まりで身動き出来ない。タクシー券もお偉い人以外は使えない状態だ。勿論銀座のクラブ活動もままならない。新人発掘も手頃な情報を元にして候補作を決めて行く。

今回受賞した人は関係はないと思う(読んでないので)
出版社は全国で約四千社近くあるというが黒字の出版社は十社から二十社と云われている。今はネット社会、映画も本も見た人、読んだ人がつまんないとか下手くそなんて書き込まれるとまるで客は入らず本は売れない。

死んでもベストセラーなんていう作家は池波正太郎とか夏目漱石だ。むしろ芥川・直木賞を受賞していない人の方が多い。私が一番上手いと思う山本周五郎なんて直木賞受賞をそんなもんいらないと断った位だ。

出版不況脱出は編集者にしこたま金を渡し、好きなだけ遊ばせないと行けない。
銀座でバンバン飲ませ情報を集めさせ地方出張もケチケチしないでドンドン行かせる。そして良い人材を発掘させるしかない。そして面白い本、いい本を出す。それが売れる事で更にいい人材を発掘できるこのスパイラルしかない。上げ底作家の本なんて最初の一行から二十行読めば判る。こりゃアカンばかりである。

ちなみに現在判っているだけで日本中に三百もの文学賞がある。判っていないのを入れると千位あるという説もある。


2010年7月26日月曜日

人間市場 鱧市


「鱧(ハモ)」 ウナギ目・ハモ科に分類される魚の一種。

沿岸部に生息する大型用食魚である。
全長1メートル、最大で2.2メートルに達する大物もあるという。鱧という魚はよく噛み付く事から「食(は)む」が変化したらしい。一見ウナギの親方の様で蛇の様でもある。

鱧は京都の夏料理の代表である。
鱧の湯引き、鱧鍋、鱧の照焼き、鱧の茶碗蒸し、鱧のお吸い物、鱧入りおこわご飯と鱧づくしを年に一・二回食べる。
鱧もそうだが虎魚、メゴチ、真ゴチ、海豚、鮟鱇等見た目は悪い魚ほど味は繊細にして奥深くギラギラ脂ぎっていない。

達観というか自省しているのである。
自分達は見たところ酷い面構えです。しかし決して悪物ではありません、一度食してみてくださいきっとその味にご満足いただけると思います。

私なども見た目は与太者そのものいい歳をしてジーパンにアロハシャツなどを着てヒンシュクを買っている。私にとって黒いスーツにアロハは制服と同じである。
「人間見た目が全て」というような本がベストセラーとなったが本当にそうだろうか。


ある友人が凄い美人と結婚した。
誰もが認めるその美しい女性は不感症であった。
新婚旅行で初めての夜、旅館でいよいよとなった。友人は胸をときめかせた。お見合い結婚であった。その時一生懸命頑張る友人を見るでもなく壁に掛かった絵は誰それの絵とか掛け軸の文字についてブツブツ講釈を言い続ける。友人はすっかりシラケてしまい以来不信に陥ってしまったらしい。その後どうなったかは想像にお任せする。

ある時こんな事が話題となった。
何故外人の連れている女性に美人はいないのか、どちらかというと鱧とか虎魚とか真ゴチとか平目系が多い。そうだよな、まず美男美女は見たことないよなと全員言った。
一度日本人女性と結婚した外人に聞いてみようという事になった。

で、ある夫婦とランチ、ワインを飲みながら一気に本音に迫った。何でやねん、何でだったの、どうしてと聞いた。と外人さんは長い間愛し合うにはSEXの相性が一番大切だんねん、上と下は違いますねん。

上とは顔及び見た目の事、上がナンボ良くても電気消せば見えやせんやんけ、大切なんは下や、ここや(下は性格を含む、こことはハートでんねん)ココがスカスカパカパカではいけませんねん、絶対長く続きまへんのや。
日本人の人、外見を重んじるけどわてら外人は中身が大切でんねん。
スカパーとは絶対ウエディングせんのや、と明快に応えてくれました。骨董の世界で名器いうやろ、アレと同じや、名器でんねん私の嫁ハンはと言いました。

変な関西弁であったが説得力十分であった。
その名器の女性というか嫁ハンは薄っぺらい平目顔であったが黙々とパエリアを食べていた。


成田離婚というのがあるが、あれは新婚旅行でどっちかに問題があったか、両方に問題があったかである。童貞と処女等が結婚しようとしていたら是非反対して下さい。何事も試運転が大切です。リコールされますから。


 





ちなみに神田明神下に左々舎という鱧料理の上手い所があります。
友人の食通加藤雄一氏の一押しのいい店です。

2010年7月23日金曜日

人間市場 パソコン中毒市


記録によれば坂本龍馬は二十八歳で土佐を脱藩して三十三歳で暗殺されるまでの五年間でなんと地球一周分、41,000㎞を歩いたとある。

見たいと思った処には直ぐに行き、会いたい人がいれば直ぐに会いに行く、学びたいものがあれば直ぐに行って学んだ。一瞬たりとも静止していなかった。正に実学の徒であった。

この頃はどうであろう、一日中パソコンと睨めっこし、インターネットで2ちゃんねるやアングラ情報を漁り、異常な映像を追いかける自分自体が変わっていっている事に気付かない、人相風体まで変わってしまう。
異常が気配となって体からにじみ出てしまう。

万巻の書を読んでもそれはただ知識を頭に入れただけでかえって体の動きを悪くする(頭でっかちという)。評論にたけても実学を踏んでないので何の役にも立たない。

頭で学んだ者と体で学んだ者、足で学んだ者との違いである。
頭で学んだ者は実戦になるとたった一個の石ころが当たっただけで逃げてしまう。
鼻血の一滴も出れば気を失う。気宇壮大なホラがつけない。大構想力が出ない。
知識の固まりである事が大いに邪魔となる。
知識があるが故に応用力、臨機応変、豹変が出来ない。学識が結果を決めてしまうからだ。

この手の評論人は自らを反省する事は決してなく、言い訳が支配する。
何故なら自分は正しい知識を持っているからと思いこんでいるからだ。机上の理論ほど始末の悪いものはない。気が付けば評論人の側から人が離れて行く、一人又一人と。

世に偏屈で部屋に閉じこもり自説を曲げず生きている評論人は多い。空気も読めず、場面も読めず、実学が見えない。不行動人間が多い。

この頃高学歴で破廉恥な犯罪を犯す者が多いがその人間達は皆パソコンインターネットマニアである。実生活で人間にモテないからパソコン上で女性やロリータやホモ達と情報で交わるのである。つくづくパソコンは恐いと思う。異常になっている自分に気付いた時は手遅れである。(秋葉原事件)

パソコン中毒はアルコール中毒、シャブ中毒と同じ病気である。
知らなくてもいい事を知りたがり情報を追いまくり、グーグル等で追跡に成功すると大いに達成感を感じ悦に入る。自分だけが知っているという快感だ。

昔はこういう人間を変態と云った。
今や世の中変態だらけだ、話している最中、食事中、一杯飲んでいる時も、電車の中、旅の最中も片時もアイフォンとかアイパッドを離さない。携帯も勿論離さない。
ネット情報の奴隷になってしまっているのだ。何とかならないのだろうかと思うが文明が滅びるまで進化していくのだろう。使わないアンタの方が余程異常だと言われてしまうが。パソコン中毒者は皆帝国興信所の社員みたいになり探偵と化して人のプライバシーを探り出す。

「誰も守ってくれない」という映画は異常ネット情報社会、パソコン中毒者から身を守れない恐さを描いていた。

実学をしていない人間には体温のぬくもりがない、愛情がないのである。
気が付くと家族から冷たい人、無関心の人、自分本位の人と言われる。重大事が起きた時何故だと聞くと、だってパソコンばかりいじっていたじゃないと言われ呆然とする。

パソコンと離れ外に出よ、歩け歩けだ。
画面で見ないで実物を見ろ、画面で見た風景の中に身を置いて見よと言いたい。

坂本龍馬はわずか五年間でこの国の歴史を変える力となった、パソコンも携帯がなくても。確かにパソコンは今や必要な社会であるのと思うのだが。

但し中毒者になってはいけない。いつかきっと身を滅ぼす事になる。
知らなくていいものは知らなくていいのだ。変態になってはいけない。
鏡に自分を映して見ると人相が変わっている、そう思ったらしばしパソコン探偵団を止める事だ。

その内にパソコン中毒専門病院が出来るかもしれない。
いや、きっと出来ると思う。悲しく切ない病だ。

2010年7月22日木曜日

人間市場 重病市

一度ある事は二度ある。二度ある事は何度もある。
三つ子の魂百まで、生まれついての性分は直る事はない。盗み、万引き、嘘つき、酒好き、女好きは先ず直らない。安全地帯という歩く危険地帯の様な男、玉置浩二をテレビで見ているとつくづく可哀相な重病人だと思う。


私は何かを書いたり考えたり企てたりする時は一日中テレビを付けっ放しにしている。
見るというより聞いている。この頃中・高年の鬱でなく「躁」病が多くなっているという。

五十歳位でハイな状態になってしまう。誇大妄想になったりする。とんでもない投資をしたり、バカ高い買い物をしたり、信じられない行動を起こす。

私は五十歳を過ぎて六度結婚と離婚を繰り返した人を知っている。
とにかく好みの女性を見たら必ずアプローチをするのだ。相手は若い女性だったり、未亡人だったり、離婚をした女性だったり、自分より随分と年上だったり様々である。傷つき弱った女性を見ると無性に優しくしてあげたくなるらしい。
で、一緒になると幸福そうな顔になる、そうなるともう嫌になってしまうのだ。

不幸でないと幸福じゃないというややこしい人なのだ。
他にも五十歳を過ぎて躁状態になり性悪女につぎ込んで家庭崩壊とか、フィリピンの孤島にいる人もいる。奥さんは茫然自失である、信じられない、考えられないを連発する。信じる者は救われるなんて協会に通い始めたと聞く。

歩くモーテルといわれた男がいた。見た目は菅原洋一であり体は麻原彰晃の様である。
この男が実にモテルから歩くモーテル、優しい声で相手に忍び寄る。
アマゾンの蛇の様に静かにそっと。すこぶる声がいい、声優であり性優でもある。一度病気で入院した、見舞いに行くと一人の素敵な女性が付きっきり(奥さんも時々来る)その他にも次々と女性が見舞いに来る。女優、タレント、ヘアメーク、バーのママ。スタイリスト、役者の卵など多種多彩である。実にモテルのである。

様々な才能を持っている男であるが、様々な薬を持っている。自分で病気だから、だって女性に声を掛けてあげないって失礼だからと言う。薬の副作用なのか体がどんどん膨らんできている。朝・昼・晩違う女性と交わる事が可能な才能と体力があるのだ。

大きな体に大きな花束を持ち、50ccのバイクで池袋に向かう。何処へ行くのと聞くと池袋に馴染みのソープランドの女性がいて、今日はその子の誕生日だから御祝いにと応えた。へぇーと感心したものだ。

女性は嫌だ嫌いだと思ってもとにかくマメマメしい男に結局弱いと言った。逆に別れる時はマメマメしさを通り越してトコトンしつこくするのだと言う。もういい加減にしてよ、会社に電話なんてして来ないでよ、嫌!もう別れてと言わせる為に、相手から別れてと言わせれば一切お金がかかんないからねとも言った。

今度女性との「お金のかからない別れ方」っていう本出さない?絶対売れますよと言った。

君は犯罪者だよと言ったら、何で?だって男と女はそんなもんですよと言った。
いつかブスッと刺されるぞと言ったら、大丈夫絶対そんなヘマはしませんから。

今六十歳、やはり素敵な二十代の女性と私の会社近所の長寿庵で名代鴨せいろをすすっていたと聞いた。カサノバの様な男である。

そう言えば私の先輩が怪我をして入院していると聞いた。何でも銀座のママの部屋にいたらモンモンを入れた恐いダンナが予定を変更して帰って来たらしい。自慢のアルマーニのスーツを手に部屋伝いに逃げて飛び降りて骨を折ったらしい。

命懸けなのである。この人は酒は一滴も飲まないが銀座の上玉を漁っている。
ただ当分は足腰もアソコも立たない。ザマーミロなのである。



2010年7月21日水曜日

人間市場 一人二役市


私が通勤する駅は東海道線辻堂駅である。

快速は止まらないのでその時は茅ヶ崎駅である。
辻堂駅は海側の南口、山側の北口、西口がある。

南口、駅を降りて左右に小さな商店街があるだけだ、店は極めて少ない。
前に海方向を見て右側の商店街に花屋さん、お客さんが入っているのを見た事がない洋品店、何故か恐いおじさん店主が店の前に立っている。

おじさんが立っていると余計お客さんが入って来ないよと一度言ったらぶ然とした。
その隣に小さな本屋さんと文房具屋さん、その隣にカウンター10人掛け位のお寿司屋さんと二列対面型カウンターだけのやはり10人掛けのラーメン屋さんがある。
このお寿司屋さんとラーメン屋さんは実は兄弟でやっている。
隣同士が裏で行き来出来るのだ。


ある日はお寿司屋さんがラーメン屋店主に、又ある日はラーメン店主がお寿司を握っている。又ある日は一人で両方をやる。
昼はラーメンを作っている人が夜は板前になる。
丁度歌舞伎の早変わりの様に黒いはっぴを着たり脱いだり、白い料理人服に着たり脱いだり変化する。
おやじ赤身と白身と光りものとオーダーに応えながら隣に行きおじさんラーメンとタンメンとサンマーメンなんてオーダーに応える
極めてテキパキと行ったり来たりする。タンメンが旨いので二・三度行った。

お寿司屋の方はある日入ってマグロの赤身を頼んだら鮭のルイベの様な冷凍状態みたいになって出て来た。
何だこれ、まだ解凍出来てないじゃないか、まるでルイベだと怒ったらそんじゃ金はいらないと怒って喧嘩になった。大人気ないので帰ってその日以来行ってない。

ある日ラーメン店に入るとその板前がタンメンを作っていたので知ったのだ。
体がでっかく怒りっぽい。寿司よりタンメンの方が旨いじゃないかと言うと眉間にシワを寄せてブツブツ言ってた。
でも何だか一日中に一人二役出来るなんて楽しそうだなと思った。
一度洋品店のオヤジさんと隣同士になった。なんで店の小さな入り口の前に恐い顔をして立ってんのと聞くと、判んねえ、初めの内はレジの処に座っていたのだがあんまり客が入って来ないのでこれでも店の前に出て愛想笑いでもすれば一人位お客さんが来るんじゃないかと思って気が付くと外に立っていたんだよ。

隣の寿司屋は北口にある和田葬儀社と親戚らしいんだ。
だからお通夜の時の寿司も一手に引き受けているからいつだって繁盛だ。最近は老人がどんどん亡くなるからね。
そして更に老人社会だから。最も最近は予算がどんどん削られているらしい。

それじゃお通夜の席にラーメンとかタンメンなんて時代になるかもねと言うと、まさかそんなと言った。夏物のスリッパ売ってると聞くと有りますよと言った。
その後、店に入って夏物のスリッパを五足買った。店内は暗く、ジジ・ババが着る独特の洋品ばっかりであった。

一人二役といえば、男と女を愛せるバイセクシャルの男がいる。
結婚して二人の娘さんがいる。歳は五十二歳、どこにでもいる平凡な男だが十代の頃から非凡な才能を発揮して来た、仕事でも変な世界でも。
今はある会社の社長(男)が愛人であり、他にも二、三人付き合っている男がいる。又、人妻と未亡人と若い娘とも遊んでいるという。

よく体が持つねと聞いたら全然持ちません、薬頼りですよと言った。
バイアグラかなんかと聞くと、まあそんなもんですが、まあいいじゃないですか病気ですからと悲しい顔になった。


その「男・女」が先日死んだ。HIVであった。別にお焼香に行くほどの関係ではないのでお通夜にも行かなかった。最も今頃の流行の直葬であり家族だけの秘かな通夜、告別式であったという。お寿司もラーメンもタンメンも無用であった。
その土地では名のあるサーファーであった。


2010年7月20日火曜日

人間市場 天才三人市

人を現す言葉に次の様なのがある。
井戸を見つけた人、井戸を掘った人、井戸の水を飲む人。
又、籠に乗る人、作る人、そのまた草履を作る人とか。

先日演出家にして小説家のつかこうへいさんが亡くなった。
在日韓国人であるが故の苦労もその血に対する熱い想いもあったのであろう。その名前は「いつかこうへい」にとの願いから付けたという。人を見つけ育てる天才であった。

広末涼子、風間杜夫、筧利夫、黒木メイサ、平田満、阿部寛たちを始め、沢山の才能がつかこうへいと出会い大きく育っていった。


恐ろしい人であった。
一度仕事を頼みに行った時、とてもこの人には頼めないと想った。
煙草をバカバカ吸いながらバカバカ怒鳴りまくる、コテンパンに言う、しかし稽古が終わった後の優しい事この上ない。熱情と同士愛、劇団員は同胞なのだろう。
一緒に戦う戦友でもあるのだ。天才としか言えない。

恐しい演出家に蜷川幸雄さんがいる。この人は今いる役者に全く新しい生命を与える。
自らも映画俳優であったが俺は役者としては大根さと言った。もの凄い読書家であり、勉強家であり続けている。灰皿をブン投げる事で有名であった。

確かにその稽古は猛烈であった。
私が仕事を頼む為にそっと見に行った時、平幹二郎と栗原小巻で「マクベス」をやっていた。

ある日東急文化村の一階コーヒーショップで打合せをした時、今日はさ、岡本健一の奴電線で縛ってめちゃくちゃ痛めたの、あいつ今日で痛め始めて十日目だけど凄い良くなって来たんだ。いい感じになって来たと嬉しそうな顔をしていた。

何かイタズラおじさんが宝物を見つけた様であった。
今度は唐沢寿明で「シェークスピア」をやる。徹底的にやるからお楽しみにと言ってお帰りになった。天才としか言い様がない。仕事は快く引き受けてくれました。
当時私の中学の先輩が東急文化村の社長田中珍彦大プロデューサーであったからだろう。勿論同席してくれた。

日本の伝統歌舞伎に斬新な解釈を加え中村勘三郎と古田新太や笹野高史、又、市川橋之助などに大胆不敵な様式の中で「コクーン歌舞伎」という新しいジャンルを生んだ演出家が串田和美さんだ。私は大ファンであり、殆ど観に行く。

一度どうしても会いたくて知人の衆議院議員の秘書の方にセッティングをお願いした。串田和美さんと成蹊大学で一緒だと聞いたからだ。超一流の人間に会うと例え一瞬でも強烈な電磁波を受けオーラが私の体の中に侵入してくるからだ。場所は吉祥寺の日本料理屋さん。事前に調べておいた。和食ランチであった。


憧れの串田和美さんはフツーの自転車に乗って現れた。とても気さくな人で緊張していた私はいっぺんに心が解放された。この人があの「コクーン歌舞伎」の人かと逆に気さくさの中に凄味を感じた。自身も役者として出演する。
童顔の天才はさりげなく途方もない夢をさらっと語っていた。

一人の天才は人を見つけ育てる、一人の天才は才能をぶっ壊し新しい才能に育てる、一人の天才は伝統とかルールを全く新しい価値にし、役者の中にあるもうひとりの役者を引っ張り出して育てる。形は違うが三人共劇という戦場で共に戦う役者さんや照明や美術、音声、大道具、小道具、衣裳さん達を戦友として命の様に大切にする。そのために怒りまくる。怒りの後に結果という美味しい果実をみんなで食べる事が出来るからだ。


この頃の社会は人の恩や、人に世話になった事や、人の苦労をトンビが油揚げを取る様にしてしまう者が多い。失敗は人のせい、成功は自分の物という救いがたき者共だ。
今、自分があるのは誰のお陰か、私は日々お世話になった方々やご迷惑をかけた方々の事を考える。歳を取ったせいだろうか。

一人でも多くの才能を発掘し、若者を育てたいものだ。そのためには怒り続けないといけない。三人の天才に学んだもの、それは完璧を求めて自分に怒れ怒れだ。