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2010年7月23日金曜日

人間市場 パソコン中毒市


記録によれば坂本龍馬は二十八歳で土佐を脱藩して三十三歳で暗殺されるまでの五年間でなんと地球一周分、41,000㎞を歩いたとある。

見たいと思った処には直ぐに行き、会いたい人がいれば直ぐに会いに行く、学びたいものがあれば直ぐに行って学んだ。一瞬たりとも静止していなかった。正に実学の徒であった。

この頃はどうであろう、一日中パソコンと睨めっこし、インターネットで2ちゃんねるやアングラ情報を漁り、異常な映像を追いかける自分自体が変わっていっている事に気付かない、人相風体まで変わってしまう。
異常が気配となって体からにじみ出てしまう。

万巻の書を読んでもそれはただ知識を頭に入れただけでかえって体の動きを悪くする(頭でっかちという)。評論にたけても実学を踏んでないので何の役にも立たない。

頭で学んだ者と体で学んだ者、足で学んだ者との違いである。
頭で学んだ者は実戦になるとたった一個の石ころが当たっただけで逃げてしまう。
鼻血の一滴も出れば気を失う。気宇壮大なホラがつけない。大構想力が出ない。
知識の固まりである事が大いに邪魔となる。
知識があるが故に応用力、臨機応変、豹変が出来ない。学識が結果を決めてしまうからだ。

この手の評論人は自らを反省する事は決してなく、言い訳が支配する。
何故なら自分は正しい知識を持っているからと思いこんでいるからだ。机上の理論ほど始末の悪いものはない。気が付けば評論人の側から人が離れて行く、一人又一人と。

世に偏屈で部屋に閉じこもり自説を曲げず生きている評論人は多い。空気も読めず、場面も読めず、実学が見えない。不行動人間が多い。

この頃高学歴で破廉恥な犯罪を犯す者が多いがその人間達は皆パソコンインターネットマニアである。実生活で人間にモテないからパソコン上で女性やロリータやホモ達と情報で交わるのである。つくづくパソコンは恐いと思う。異常になっている自分に気付いた時は手遅れである。(秋葉原事件)

パソコン中毒はアルコール中毒、シャブ中毒と同じ病気である。
知らなくてもいい事を知りたがり情報を追いまくり、グーグル等で追跡に成功すると大いに達成感を感じ悦に入る。自分だけが知っているという快感だ。

昔はこういう人間を変態と云った。
今や世の中変態だらけだ、話している最中、食事中、一杯飲んでいる時も、電車の中、旅の最中も片時もアイフォンとかアイパッドを離さない。携帯も勿論離さない。
ネット情報の奴隷になってしまっているのだ。何とかならないのだろうかと思うが文明が滅びるまで進化していくのだろう。使わないアンタの方が余程異常だと言われてしまうが。パソコン中毒者は皆帝国興信所の社員みたいになり探偵と化して人のプライバシーを探り出す。

「誰も守ってくれない」という映画は異常ネット情報社会、パソコン中毒者から身を守れない恐さを描いていた。

実学をしていない人間には体温のぬくもりがない、愛情がないのである。
気が付くと家族から冷たい人、無関心の人、自分本位の人と言われる。重大事が起きた時何故だと聞くと、だってパソコンばかりいじっていたじゃないと言われ呆然とする。

パソコンと離れ外に出よ、歩け歩けだ。
画面で見ないで実物を見ろ、画面で見た風景の中に身を置いて見よと言いたい。

坂本龍馬はわずか五年間でこの国の歴史を変える力となった、パソコンも携帯がなくても。確かにパソコンは今や必要な社会であるのと思うのだが。

但し中毒者になってはいけない。いつかきっと身を滅ぼす事になる。
知らなくていいものは知らなくていいのだ。変態になってはいけない。
鏡に自分を映して見ると人相が変わっている、そう思ったらしばしパソコン探偵団を止める事だ。

その内にパソコン中毒専門病院が出来るかもしれない。
いや、きっと出来ると思う。悲しく切ない病だ。

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