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2010年8月4日水曜日

人間市場 公園市

結婚式の豪華さと幸福さは比例するか、ウエディングケーキの大きさと結婚後の未来の大きさは比例するか、答えはNOである。

例えば
貴乃花と河野景子/ニューオータニ 四億円
古田敦也と中井美穂/オークラ 二億円
小室哲哉とKEIKO/新高輪プリンス 五億円
谷佳和と田村亮子/新高輪プリンス 三億円
陣内知則と藤原紀香/オークラ神戸 五億円
西村拓郎と神田うの/ニューオータニ 六億円

数字は推定である。ちなみに貴乃花夫妻は母親と兄と断絶、古田夫妻は離婚危機、小室夫婦は破産(KEIKOの内助の功あり)、谷夫婦は妻が参議院議員へ、陣内夫婦は離婚した。


貴乃花は風水しか信じず、古田はデータしか信じず、小室は金しか信じず、谷は勝負しか信じず、陣内は暴力しか信じなかった。紀香は全て風水に従った。
西村、神田は見栄と虚飾しか信じず夫婦とは形ばかりであったと友人の芸能記者はいった。

市川海老蔵と小林麻央がザ・プリンスター東京で超豪華披露宴を行った。
出席者千人とか、この手の結婚式のご祝儀は最低で十万、後は二十万、三十万、五十万。多い人は百万を包むと聞く。十万の人とは付き合いを止め、二十万、三十万とはまあ、ありがとう位の付き合いとなる。一門の若い衆が一斉に祝儀袋を開ける。

どの夫婦も結婚式では永遠の愛を誓い合いそしていつか破る。
野次馬的大衆はこの破るを期待する。特に週刊誌やテレビのワイドショーは人の不幸や破綻が何よりの好物である。特に離婚は一番売れる。


隣近所の目も同じである。実にオバサン達の目はアチコチに向かっている。
あの家のご主人の会社潰れたらしいわよ、とか、あのご主人リストラされたらしいわとか、ほらあそこの家の嫁さん子供連れで出戻ったらしいわ、DVだったんだって。あの家の息子さんかなりの「うつ」で引きこもっているらしいわよ。あの奥さん若い愛人がいるらいしいわ、見かけによらないわね、おー恐いなんてベチャクチャ喋り合っている。

私の家の前は公園である、その側に大京のマンション。昼頃、夕方になると必ずオバサンの固まりがある。私を見かけるとどうもなんて愛想笑いをしているが、頭の中は何だろうあの人、朝はタクシーで出掛け、夜は遅くタクシーで帰って来る。黒いスーツにアロハ、ジーンズにアロハ、やたら人の出入りが多い。やたらに宅急便が来る、きっとヤクザ系よ、何かいかがわしい事をやっているに違いないわ。なんて噂のタネにされている。それ故愚妻はタクシーを余程でないと利用しない、バス専用である。

私はタクシー、愚妻はバスで同じ目的地に向かうのである。
ババア達うるせえぞ、一時間も二時間も公園でグダグダつまんねえ噂話をしてんじゃない、ここは公園、子供達が遊べないじゃないか、ドケドケと言った事が何度もある。
ババア達は何度言っても集まって来て私を見るとシラーとコ・ン・ニ・チ・ワ、オホホと来たもんである。

あのババア最近見かけないね、離婚したらしいわぁ。
あの派手な人も見かけないね、ご主人が病気で入院したらしい。あの陽に灼けたのは引っ越ししたのよ、会社が駄目になったんだって。詳しいね、何でも知っているじゃないと言っている相手はアジアン雑貨店を経営している女主人だ。この人に聞くとおおよその近辺情報が判る。別に知りたくもないがよく家にお茶しに来るので色々耳に入る。まあ、家の数だけドラマがあるものだ。人の口には戸は立てたれない。

私の家は塾のような家と言われる。この地区で唯一駐車場がなく、車がないからだ。
その代わり自転車が六台置いてある。大人用四台、子供用二台、だから塾の様なのである。
色んな種類の人間が出入りする。そんな中に超豪華な結婚披露宴をあげたが性格の不一致、性の不一致、育ちの不一致、何もかも不一致、もう顔も見るのも嫌なんですと離婚の相談に来る男・女も多い。

何しろ何でも相談室なんです、私の処は。
何!魚の食べ方があんまりにもヒドイんです耐えられないんです!そんな事位で離婚するか、あんなにお金を掛けた結婚式を挙げてまだ四ヶ月だぞ、我慢しろよと言ったのだが。

2010年8月3日火曜日

人間市場 嘘でも市


嘘でも信じたい、嘘でも美しくなりたい、嘘でも若返りたい、嘘でも痩せたい、嘘でも死にたくない等人は男女変わりなく願う生き物である。

私の仕事場の直ぐ近くに変身専門ショップがある。
入り口に一枚のポスターが貼ってある。女性のシワシワの顔がツルツルになった使用前、使用後の写真である。何でも顔のシワを取る専門ショップとの事。好奇心が強い私はあんまり嘘まみれのポスターなので一度中に入った。

女性が一人居た、当たらない手相占いみたいな中年女性だった。
何ですかと聞かれたのであのポスターあまりにも嘘過ぎない?あんなにシワ取れる訳ないでしょうと言うと、あっあれは印刷で修正したのよと来たもんだ。そっ、そうだろうどうりでと次の言葉が出なかった。

私達のビジネスは嘘で夢を叶えてあげるのよ、一時でもシワシワの顔がツルツルになればと思う希望を満たしてあげればいいの。本人だってマサカ本当にツルツルになるなんて思っていないんだから。占いと同じ当たるはずがないと判っていても行動するでしょ、あれと同じ。化粧品やビタミン剤と同じと来たもんだ。
その開き直りにすっかり感心してしまった。

ビタミン剤といえば新潟大学教授、岡田正彦氏が「ほどほど健康術」という一文を書いていた。何でもビタミンには元気の素というイメージがあるが、ビタミンは体内で潤滑油の様な動きをしていてこれなしでは生きていけないが、エネルギー源ではないため元気が出る事はないという。

ビタミンは13種類あるが健康な人が日常的に補給し病気を予防で出来る訳ではない。
大規模調査のデータを見る限り目が良くなったり、毛が生えたり、神経痛が治ったり、肌がすべすべになったり、風邪に罹りにくくなったり、心臓病の予防になったりという効能は認められない結果が出たという。

ビタミンは数ヶ月分の必要量が体内に備蓄されているらしい。取りすぎたビタミンは体外に排泄されるか、体内に蓄積されて副作用を起こすかのどっちかしかないのだ。
人間の体は余計な事をしなくとも生きていけるよう、上手くできているのだ。
高いお金を出してビタミンABCを買って毎日飲むのは、高いおしっこを出すための手段でしかないのだ。

ただ外国のある調査によると八万人の医師の内三割もの医師が習慣的にビタミン補給をしているらしい。シミが取れる、若返れる、ツルツルになる、シワがなくなる、エネルギーが沸く等につられて買い求める、ちなみに私は一切飲まない。

近所のクリエイトという大きなドラッグストアに行くとカゴに何種類ものビタミン剤を買っている男女が多い。それを止めるだけでかなり家計は楽になる。
回転寿司2回分、焼肉2回分、ファミレス2回分、ディズニーランド1.5回分位は浮くと思う。


あっ、あの変身ショップに女性が入って行くではないか。
一人、又一人。狭い中に何万も何十万円もかかるのに、絶対シワシワは直らないのに、ツルツルにはなれないのに、そもそも土台が良くないのだからと声を掛けたいが夢を見たいと思っている人たちなんだからいいんじゃないのと一枚のポスターを見直した。

昔を思い出した。一日にユンケル黄帝液を二本も三本も飲んだ日々があった。
何か元気が出る気がした。徹夜続きの中でのデートの前などは奮発してゴールドを飲んだものだ。あんまり役に立った記憶はない。ずっとユンケルを飲んでない。何故だろうかその答えが分かっているだけに哀しい。

シルバー世代の友人と飲むとかなり切ない話となる。
盛り上がってシュンとなる。たちあがれ日本ていう政党名哀しいねと相槌を打つ。そして必ず回春剤やビタミン剤の話になる。幸い私は友人達に勝っていると思う。

ただし少しだけかもしれない。ずっと現役の恋愛をしていればきっと嘘でもたちあがるのだ。人が人を愛せなくなった時人生は終わる。

2010年8月2日月曜日

人間市場 つけ麺市

過日恵比寿で初めて「つけ麺」というものを食べた、パリパリ餃子と一緒に。

「つけ麺」ファンには申し訳ないが私には何とも言えず不可解極まる食べ物であった。
人間でいうと半竹な奴(半端な事)であった。鴨せいろでもなく肉せいろでもない。麺はヌルヌルと生温かく、つけ汁も生温かい。

まず見た目が美しくない。ラーメンの上にある決まりの品々、チャーシュウ、メンマ、ナルト、モヤシ等は見えない。勿論煮玉子はない。チャーシュウ、メンマやネギは小さく刻まれてつけ麺の中に沈んでいる。何か全てが中途半端で納得がいかない。

連れの人間と入った時、外とは違い冷房が効いていたので普通のラーメンにしようか迷いに迷ったが、よし食べてみるかと二人で挑戦した。
連れは経験者らしくごく自然に「つけ麺」を受け入れている。私はかなり戸惑い心が乱れている。失敗したなと思ったのだ。

太目の麺を箸で掴みつけ汁に入れてすすった。
何だいこの食感は、ギモヂワルイよと言った。生温い食感がどうにも馴染まない。

オイ!「つけ麺」お前は中華系なのか和食系なのかハッキリしろ!お前の親分はラーメンなのか鴨せいろなのかハッキリしろと思った。つけた麺にチャーシュウとメンマとネギがくっついてくる。麺なら麺、チャーシュウならチャーシュウ、メンマはメンマとラーメンならそれぞれ主張しているが全然自己主張してないでゴッタ汁じゃないか。
こんな事していると鴨せいろから怒られるぞ、正直そう思いながら泣き泣きすすって半分で止めた。本当のラーメンを食べている人がえらく美味しそうだった。

「つけ麺」みたいにどっちつかずの人間がこの世にはびこっている。
例えば居酒屋「和民」の会長、渡邉美樹氏。居酒屋のくせして政府の委員になったり相撲協会の独立委員になったり介護の会社を経営したりする、一体本業は何かと訪ねたいのだ。いずれ馬脚を現すだろう出たがりで屋である。

勝間和代なる蛇顔の経営コンサルタントがいる。この女性も自らは結婚に失敗しているのにもかかわらず人生相談なんかを受ける。目と目は離ればなれとなっていてどう見ても幸福にしてくれそうもない舌足らずな話し方が耳障りだ。

大学教授とか客員教授は余程暇なのかテレビに出まくっている人が多い。
又、弁護士、元地検検事も多い。しっかり仕事をしてんのかと言いたい。名前を売らないと仕事が来ないのだろう。みんなタレント事務所に所属していてテレビ出演最優先の人種たちだ。当然国会議員も選挙に勝つためにテレビから声が掛かれば例え足がつっていようと身内に不幸があろうとテレビ局に向かうのである。テレビ局のプロデューサーやディレクターから「アレ」呼ばわりされているのだ。

オイ、アレとアレとアレ、いつもの幕の内弁当で揃えとけよなんて言われているのだ。
この国には何とかの第一人者というのが山ほどいる。
野菜選びの第一人者、化粧品選びの第一人者、経済学の第一人者、選挙戦の第一人者、シルバー世代の性生活の第一人者、引きこもりの第一人者、ブランド品の第一人者、ラーメンの第一人者、つけ麺の第一人者、もう石を投げれば第一人者に当たるのがこの国なのだ。

気を付けよう昼の雷と第一人者。一歩使い方を間違うと詐欺師と云われる行為をしている。私の知り合いはこんな第一人者にヒドイ目にあった。
知り合いの息子は医大志望、しかし学力不足で一浪そして二浪、母親は焦った。そこにある人が現れ医大入学の第一人者を紹介すると言われた、早い話裏口入学の第一人者という事であった。一千万で入学出来るならと思い父親に内緒で渡してしまった。

一ヶ月後夕刊を見てビックリギョーテン、新聞の見出しに「医大入学詐欺師集団検挙」
と大きく出ていた。被害者の数、数百人、被害総額数十億円と。
母親と父親はガックリしながら二人で「つけ麺」をすすったとか。
確か池袋警察署の側であった。「鴨せいろ」だったかもしれない、いやもり蕎麦だったかもしれない。

「つけ麺」を食べた後、車の中でそんな話を思い出した。
二度と「つけ麺」を食べる事はない。

2010年7月30日金曜日

人間市場 金々節市


大正末期。
第一次世界大戦のバブル景気で成金が出現し、貧富の差が拡大した。

丁度かつての日本が今の中国である。
その頃、今でいうなら超人気の路上シンガーソングライターがいた。庶民の声を代弁し、権力や権威、特権階級を風刺し続けた。

「金々節」というのがある。
「金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ 金だ金だよ 誰が何と言おうと
金だ金だよ 黄金万能 金だ力だ 力だ金だ その金欲しや 欲しや欲しやの
顔色目色 見やれ血眼 くまたか眼」
そして「学者、議員も政治も金だ」 「神も仏も坊主も金だ」 「金だ教育 学校も金だ」と二十一番まで続く。

当時演歌とは演説歌の略の事、シンガーソングライターの添田唖蝉坊という。
神奈川県大磯生まれ本名は「平吉」、中農の生まれであった。豊かな長髪を肩まで垂らし、細く透き通るような美声で歌ったという。
唖蝉坊をずっと尾行していた刑事がその演歌に共感して定年になった時に弟子入りを申し込んだという逸話があると朝日新聞、加藤明氏のコラムで知った。

今の日本や中国、いや世界60億近い地球の民の頭の中は見事に金、金、金、金の拝金主義だ。唖蝉坊は大正末期とまるで同じ人間の姿に「呆然ボー」となるだろう。

尾崎紅葉の小説に「金色夜叉」というのがある。私は始めてその字を見た時「コンジキヨルマタ」と読んだ。死んだ母親が正月にみんなで集まると一杯気分で「貫一とお宮」の有名な熱海の海岸のシーンを演じた。

熱海の海岸散歩する貫一、お宮の二人連れ、共に歩むも今日限り、共に語るも今日限り、お宮さんあなたはダイヤモンドに目が眩んだのかと問い詰める。今月今夜この月を決して忘れないと、足許にすがるお宮を下駄で足蹴りにする。
やがて貫一は学校を出て金貸しになる。一方お宮が結婚した相手は事業に失敗し、一文無しになるという様な復讐の話だ。今も熱海の海岸のお宮の松は観光名所である。


母がなんでこの物語が好きであったかは判らない。清く貧しく美しくという言葉が死語になってしまった。汚く金追い醜くくだ。こんな時代の風潮を子供達や孫達の世代に遺したくない。


妻に先立たれた後、唖蝉坊は関東大震災で被災するまでの十三年間、息子と下町の四畳半一間きりの長屋に住んだという。「ノンキ節」というのにこんな一節がある。

貧乏でこそあれ日本人はエライ それに第一辛抱強い 天井知らずに物価は上がっても 湯なり粥なりすすって生きている あ、ノンキだね。

まるで地球をイジメた人間に復讐する様に、地球上で天変地異が起きている。もの凄い暑さと集中豪雨だ。

金正日がプッツン起こして核を飛ばすやもしれない。
追いつめられると何をするか判らない。この国はテロリストの女性にノンキに料理を作らしたり遊覧飛行をさせたりする。どこがいけないの、二度と来れないのだから東京やそこいらを見せてあげたかったんだ、と中井恰(ハマグリと言われている)大臣は眉をつり上げて言った。

拉致家族は日本の特権階級である全ての言動が優先される。別にどこの味方でもないが、日本が中国人や韓国人、朝鮮人、台湾人に行って来た悪夢の数々は途方もない神をも恐れぬ行為であった。

外交とは相方win,winにならないと話は進まない。
夏の夜の悪夢が起きない事を祈るのみだ。かなりきな臭いテロリストの来日である。米国、韓国、中国、ロシアがその裏側を知らない訳がない。
日本の政治やマスコミはノンキにアーデモないコーデモないといつものコップの中の嵐だ。

私の心境は「呆然坊」だ。役者がいない。夏の役者「蝉」が一度も鳴かない。

人間市場 アサリ市


法は破る為にある、ルールは犯すためにある。
約束はあくまで約束である。


そんな光景を映像を見た、所は静岡県浜名湖である。
うるせーんだよ、捨てりゃいいんだろ捨てれば、バカヤローと言いながら網の中の沢山のアサリを湖に投げたオバサンとオジサン。

アサリの密漁である。
浜名湖は日本でも有数なアサリの産地なのだ。で、密漁者達が続々と出る。
密漁を取り締まる湖上パトロール船と追い駆けっこをする。年間一億円以上の被害が出るというではないか。アサリは誰の物かについては色々法的解釈があるらしい。密漁するのは実は漁師が殆どだという。あの手、この手で密漁しアサリを隠す。

大概釣り道具を船に積んでいて、あなたなにやってんの駄目だよなんて言われると、うっせえな釣りだよ釣りなんてバックレる。船底を見せてもらうよなんて言われて船底を見られるとしっかり網の中にアサリが入っているてフックで繋がっている。

やっちゃいけない事は犯罪だよ、ドロボーだよと言われると俺たちの浜名湖だ、誰に権利あんだよなんて開き直る始末だ。


私はふとある高名な民族学者の一説を思い出した。ある人国記である。
そこに静岡県についてこの様に書いてあった。静岡県、この地に悪人はいない。気候温暖にして富士の名峰を日々仰ぎ、いい茶、いい魚、いい果実に恵まれている。

人間に欲がない、しかるに清水次郎長以外に歴史上の大人物は排出していない、とまあこんな風に書いてあった。それはかなり当たっていて私が知っている静岡人は実に温厚にして欲がなく奉仕型の人ばかりである。

あの清水の次郎長は晩年は日本で初めての英語学校を創ったりした。山岡鉄舟に会い、心を改め堅気になり明治新政府に尽くした。だから何で静岡人が浜名湖で密漁をと思ったのである。


私の生まれた国、岡山などはその学者によると魚にすればサヨリの如し、外見はキラキラ美しいが捌けば腹の中は真っ黒であるという。いやつくづく当たっている。岡山人が密漁するなら判らないでもないがと思った。


アサリといえば大劇団の浅利○×の話の事を思い出した。
友人の画家の娘さんがやっとこさの思いで大劇団に入り夢と希望に燃えて毎日激しい稽古をしていた。だがしかし、浅利○×は密漁者であったらしい。
劇団員の中の気に入った女の子を手当たり次第に漁るという。その娘さんもその魔の手に遭いそうになりご両親に相談して退団した。

この手の話はよくあるが、確かな証拠がないので何とも言えない。
劇団なのでちょっとした作り話と思いたいのだが。肉体言語(ボディランゲージ)という言葉もある。新興宗教の教祖がよく使う手だ。肉体を通して教えをするという何とも都合のいい教えだ。

いいセリフを、大好きな役を、この役は君にそういいながら肉体を言語化する。古典的手法で毒牙にかけて行く。一度でも拒んだら永遠に日の目は見れない。


○○団、○×劇団、□△教と名が付くと多いらしい。
マルチ商法も同じである。一度入ったら蟻地獄の様に出る事は出来ない。上にのし上がって行くには自己犠牲を払うしかないのである。

ファッションや絵画、芸術の世界で名を上げるには、本場フランス人の密漁の餌食になるしかない。同性愛以外の日本人が名を上げた例はほとんど皆無である。イボ痔、切れ痔がその代償となる。芸術家に痔主が多いのはその為である。

フランスの男女程、後が好きな国民はいない。
それ故決してフランス人に後を見せてはいけない。ボンジュールなんて言って近づいて来たら両手で×(バツ)を示した方がいい。

私の後輩が20年前からフランスで絵画を学んでいる。最近個展の知らせが来た。
数々の賞を受賞し始めた。と同時に絵の世界が怪しくなってきた。
描く対象が若い男の裸体ばっかりだ。今度ボラギノールを送ってやろうと思っている。
密漁されているのだきっと。

2010年7月28日水曜日

人間市場 さくらと一郎市

猫の額ほどの小さな庭に偉そうに小さな瓢箪池がある。

子供の頃育った家に池があったのでどうしても池を作りたかった。
亡くなった庭師夫婦が丹精込めて一畳半の茶室と坪庭と池を作ってくれた。ずっと枯れ池にしておいたのだが久々に水を張りたくなって水を入れる事にした。
愚妻は池に水を入れていた時、私が病気になったので縁起が悪いと反対であったが、今更命に未練はないので池に水を入れる事にした。



ある日新しい庭師の人が三匹のでっかい鯉をビニール袋に入れて持って来てくれた。
何でもサッポロビールの創業者の人の家に大きな池があり、数十匹の鯉がいたという。庭を直すに当たり庭を枯れ山水にしたい、それ故鯉たちを鎌倉の遊行寺などの池に放つという、それを聞いたので貰って来てくれたのだ。

残念ながら一番大きな鯉は直ぐ死んでしまった。場所を移され過度のストレスのせいだという。大きな屋敷の家から小さな池に移されたからだ。

庭の片隅に埋めて赤レンガで墓を作ってあげお線香をあげた。
愚妻はだから言ったじゃない、あなたは生き物を飼ってそれが死ぬと酷く落ち込むからと言った。確かに人が死んでも滅多に人前で涙は流さないが、愛犬が死んだり金魚が死んだりするとガックリし涙を流す。

相手が口を効けないものの死には責任を感じるのだ。

赤い模様の鯉にはさくら、黒い模様の鯉には一郎と名を付けた。
あのヒット曲、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」からだ。
ポールとポーラとか、ヒデとロザンナとか、ケンとメリーとか候補にしたが、やはり私は昭和生まれなので「さくらと一郎」にした。「貧しさに負けた、いいえ世間に負けた」というフレーズが好きだった。

さくらと一郎は酷く警戒心が強く、窓をちょっと開けた音で大きく反応した。
鯉のエサを買って来てあげても全然食べない。庭師に電話すると環境が変わって警戒しているという。公園の鯉なんか何でもぱくぱく食べるじゃないかと思ったが、ブルジョワの大きな池から突然小さな池に移り、きっとプライドが傷ついたのだろう。

あまりエサを食べないので心配して庭師に電話し、引地川にでも放してやってくれと言った。判りました時間が出来たら取りに行きますと言った。
それから目隠しの竹蓙を買い、ホースで水を引き一日中チョロチョロと水を出した。夏の暑さで水が蒸発してしまうのである。鯉たちはそのチョロチョロ水が出る所に来て息を吸う、きっと気持ちいいのだろう。

生き物たちは愛情を注げばちゃんとそれに反応してくれる。
始めは決して食べなかった粒々の鯉のエサも今ではホラッと投げて池に入れるとサッと来て美味しそうに食べる。蓮の花も育ちいい塩梅になってきた。

世間に流れさて来たさくらと一郎の安らぎの場になってくれたら嬉しい。
さくらと一郎が何で今日現在私の家に居るのかは科学的に証明出来ない。人間の夫婦も同じ様に偶然の産物でしかない。恋と鯉は同じといえる、ある日突然出会い生まれる。そしていつか別れが来る。生き別れ、死に別れ、又は一緒に。鯉にはいい褒美を上げねばならない。人間も同じ、いつも何かに恋をしていい酸素を吸い込まないといけない。

さくらと一郎はこの頃仲がいい、鯉が恋したのかもしれない。
二匹仲良く狭い池の中を気持ちよさそうに泳いでいる。夜中帰って懐中電灯で照らす、水面に顔を出す。恋は丹精を込めないと育たない。

私の人生で映画は一番の恋人である。日々形にならないシナリオを書き続ける。
頭の中では名作が何本も出来上がっているのだが。

近々渋谷、宮益坂にあるスペインレストラン「ラ・プラーヤ」でランチ&シネマを実現する。
マスターは凄くユニークな文化人、シネマラ・プラーヤ&東本と名付け美味しいラ・プラーヤのランチ1600円位+私の作品や若手の短編映画を定期的に上映する。
合計2800円で十一時半から一時半まで至福の時間を過ごしてもらう。
客席は約四十名、お楽しみに。

2010年7月27日火曜日

人間市場 受賞市

過日下半期の芥川賞と直木賞が発表された。

芥川賞は赤染晶子さん(35)新潮社「乙女の密告」、直木賞は中島京子さん(46)文芸春秋社「小さいおうち」だ。


毎回築地の料亭、新喜楽で選考される。
確か一階が芥川賞、二階が直木賞の筈。選考委員は芥川賞五人、直木賞は八人(昔十人)だと思う。選考委員一人の予算は五万円位と聞いた。
候補になった人は携帯(昔は電話)での知らせをひたすら待つ。

もしもし、日本文学振興会ですがと言って来たら受賞で万歳。もしもし○×出版ですがと言って来たらアウト、ガックリらしい。

だがこの頃は芥川、直木賞といっても売れる訳ではない。
どっさり本屋に平積みされている。そもそも芥川賞、直木賞は景気対策であった。
文藝春秋の創立者、菊池寛が二・八(にっぱち)対策として何か話題づくりをと考えて創設したものだ。芥川賞は純文学から、直木賞は娯楽小説からと決めた。

オイ、どっかに若手のいい奴はいないのかと号令をかけ、編集者があちこちの文藝雑誌に書かせその中から選んだのだ。それ故受賞作の約七割近くは文芸春秋からと決まっている。
文學界とか群像とかが芥川賞のメインである。

直木賞は直木三十五(さんじゅうご)は歳と共に数字が変わって来た直木二十九とか直木三十一とか超ユニークな作家である。
こちらは世の中に出ている本の中から選ぶ中・長篇作品である。
もちろん文藝春秋社が仕切る。まあ一種の談合によって決まっていくらしい。

かつては芥川賞作家といえば大変な権威であった。太宰治がどうしても欲しいからお願いしますと手紙を大先生に書き送った。しかし取れずであった。
井伏先生は悪い人だなんて恩人にもブータレたものだ。芥川賞作家になればヒモみたいな生活から脱出できたのだ。

本当の意味での新人作家は「限りなく透明に近いブルー」の村上龍までだろうか。ちなみに同じ村上でも村上春樹は両賞とも受賞していない。今は受賞するものでなく出版社が受賞させたい賞になってしまった。

かつては敏腕編集者がいて人材を発見、発掘し、叱咤激励し、又は脅し、スカシ、おだてて書かせた。若手作家が編集者のところに原稿を持って行くとその原稿は朱で染まった。本人が書いた作品は跡形もなくなっていたという。悔し悲しく涙を流す。

しかし受賞し大先生となり銀座のクラブで飲み始めると、すっかり悔し涙は忘れてしまい夜な夜な銀座の女を食べまくる。

日本中にコツコツ書いている作家がいて芥川・直木賞作家よりはるかに良い作品を物にしているが、この頃の出版不況で編集者も金詰まりで身動き出来ない。タクシー券もお偉い人以外は使えない状態だ。勿論銀座のクラブ活動もままならない。新人発掘も手頃な情報を元にして候補作を決めて行く。

今回受賞した人は関係はないと思う(読んでないので)
出版社は全国で約四千社近くあるというが黒字の出版社は十社から二十社と云われている。今はネット社会、映画も本も見た人、読んだ人がつまんないとか下手くそなんて書き込まれるとまるで客は入らず本は売れない。

死んでもベストセラーなんていう作家は池波正太郎とか夏目漱石だ。むしろ芥川・直木賞を受賞していない人の方が多い。私が一番上手いと思う山本周五郎なんて直木賞受賞をそんなもんいらないと断った位だ。

出版不況脱出は編集者にしこたま金を渡し、好きなだけ遊ばせないと行けない。
銀座でバンバン飲ませ情報を集めさせ地方出張もケチケチしないでドンドン行かせる。そして良い人材を発掘させるしかない。そして面白い本、いい本を出す。それが売れる事で更にいい人材を発掘できるこのスパイラルしかない。上げ底作家の本なんて最初の一行から二十行読めば判る。こりゃアカンばかりである。

ちなみに現在判っているだけで日本中に三百もの文学賞がある。判っていないのを入れると千位あるという説もある。


2010年7月26日月曜日

人間市場 鱧市


「鱧(ハモ)」 ウナギ目・ハモ科に分類される魚の一種。

沿岸部に生息する大型用食魚である。
全長1メートル、最大で2.2メートルに達する大物もあるという。鱧という魚はよく噛み付く事から「食(は)む」が変化したらしい。一見ウナギの親方の様で蛇の様でもある。

鱧は京都の夏料理の代表である。
鱧の湯引き、鱧鍋、鱧の照焼き、鱧の茶碗蒸し、鱧のお吸い物、鱧入りおこわご飯と鱧づくしを年に一・二回食べる。
鱧もそうだが虎魚、メゴチ、真ゴチ、海豚、鮟鱇等見た目は悪い魚ほど味は繊細にして奥深くギラギラ脂ぎっていない。

達観というか自省しているのである。
自分達は見たところ酷い面構えです。しかし決して悪物ではありません、一度食してみてくださいきっとその味にご満足いただけると思います。

私なども見た目は与太者そのものいい歳をしてジーパンにアロハシャツなどを着てヒンシュクを買っている。私にとって黒いスーツにアロハは制服と同じである。
「人間見た目が全て」というような本がベストセラーとなったが本当にそうだろうか。


ある友人が凄い美人と結婚した。
誰もが認めるその美しい女性は不感症であった。
新婚旅行で初めての夜、旅館でいよいよとなった。友人は胸をときめかせた。お見合い結婚であった。その時一生懸命頑張る友人を見るでもなく壁に掛かった絵は誰それの絵とか掛け軸の文字についてブツブツ講釈を言い続ける。友人はすっかりシラケてしまい以来不信に陥ってしまったらしい。その後どうなったかは想像にお任せする。

ある時こんな事が話題となった。
何故外人の連れている女性に美人はいないのか、どちらかというと鱧とか虎魚とか真ゴチとか平目系が多い。そうだよな、まず美男美女は見たことないよなと全員言った。
一度日本人女性と結婚した外人に聞いてみようという事になった。

で、ある夫婦とランチ、ワインを飲みながら一気に本音に迫った。何でやねん、何でだったの、どうしてと聞いた。と外人さんは長い間愛し合うにはSEXの相性が一番大切だんねん、上と下は違いますねん。

上とは顔及び見た目の事、上がナンボ良くても電気消せば見えやせんやんけ、大切なんは下や、ここや(下は性格を含む、こことはハートでんねん)ココがスカスカパカパカではいけませんねん、絶対長く続きまへんのや。
日本人の人、外見を重んじるけどわてら外人は中身が大切でんねん。
スカパーとは絶対ウエディングせんのや、と明快に応えてくれました。骨董の世界で名器いうやろ、アレと同じや、名器でんねん私の嫁ハンはと言いました。

変な関西弁であったが説得力十分であった。
その名器の女性というか嫁ハンは薄っぺらい平目顔であったが黙々とパエリアを食べていた。


成田離婚というのがあるが、あれは新婚旅行でどっちかに問題があったか、両方に問題があったかである。童貞と処女等が結婚しようとしていたら是非反対して下さい。何事も試運転が大切です。リコールされますから。


 





ちなみに神田明神下に左々舎という鱧料理の上手い所があります。
友人の食通加藤雄一氏の一押しのいい店です。

2010年7月23日金曜日

人間市場 パソコン中毒市


記録によれば坂本龍馬は二十八歳で土佐を脱藩して三十三歳で暗殺されるまでの五年間でなんと地球一周分、41,000㎞を歩いたとある。

見たいと思った処には直ぐに行き、会いたい人がいれば直ぐに会いに行く、学びたいものがあれば直ぐに行って学んだ。一瞬たりとも静止していなかった。正に実学の徒であった。

この頃はどうであろう、一日中パソコンと睨めっこし、インターネットで2ちゃんねるやアングラ情報を漁り、異常な映像を追いかける自分自体が変わっていっている事に気付かない、人相風体まで変わってしまう。
異常が気配となって体からにじみ出てしまう。

万巻の書を読んでもそれはただ知識を頭に入れただけでかえって体の動きを悪くする(頭でっかちという)。評論にたけても実学を踏んでないので何の役にも立たない。

頭で学んだ者と体で学んだ者、足で学んだ者との違いである。
頭で学んだ者は実戦になるとたった一個の石ころが当たっただけで逃げてしまう。
鼻血の一滴も出れば気を失う。気宇壮大なホラがつけない。大構想力が出ない。
知識の固まりである事が大いに邪魔となる。
知識があるが故に応用力、臨機応変、豹変が出来ない。学識が結果を決めてしまうからだ。

この手の評論人は自らを反省する事は決してなく、言い訳が支配する。
何故なら自分は正しい知識を持っているからと思いこんでいるからだ。机上の理論ほど始末の悪いものはない。気が付けば評論人の側から人が離れて行く、一人又一人と。

世に偏屈で部屋に閉じこもり自説を曲げず生きている評論人は多い。空気も読めず、場面も読めず、実学が見えない。不行動人間が多い。

この頃高学歴で破廉恥な犯罪を犯す者が多いがその人間達は皆パソコンインターネットマニアである。実生活で人間にモテないからパソコン上で女性やロリータやホモ達と情報で交わるのである。つくづくパソコンは恐いと思う。異常になっている自分に気付いた時は手遅れである。(秋葉原事件)

パソコン中毒はアルコール中毒、シャブ中毒と同じ病気である。
知らなくてもいい事を知りたがり情報を追いまくり、グーグル等で追跡に成功すると大いに達成感を感じ悦に入る。自分だけが知っているという快感だ。

昔はこういう人間を変態と云った。
今や世の中変態だらけだ、話している最中、食事中、一杯飲んでいる時も、電車の中、旅の最中も片時もアイフォンとかアイパッドを離さない。携帯も勿論離さない。
ネット情報の奴隷になってしまっているのだ。何とかならないのだろうかと思うが文明が滅びるまで進化していくのだろう。使わないアンタの方が余程異常だと言われてしまうが。パソコン中毒者は皆帝国興信所の社員みたいになり探偵と化して人のプライバシーを探り出す。

「誰も守ってくれない」という映画は異常ネット情報社会、パソコン中毒者から身を守れない恐さを描いていた。

実学をしていない人間には体温のぬくもりがない、愛情がないのである。
気が付くと家族から冷たい人、無関心の人、自分本位の人と言われる。重大事が起きた時何故だと聞くと、だってパソコンばかりいじっていたじゃないと言われ呆然とする。

パソコンと離れ外に出よ、歩け歩けだ。
画面で見ないで実物を見ろ、画面で見た風景の中に身を置いて見よと言いたい。

坂本龍馬はわずか五年間でこの国の歴史を変える力となった、パソコンも携帯がなくても。確かにパソコンは今や必要な社会であるのと思うのだが。

但し中毒者になってはいけない。いつかきっと身を滅ぼす事になる。
知らなくていいものは知らなくていいのだ。変態になってはいけない。
鏡に自分を映して見ると人相が変わっている、そう思ったらしばしパソコン探偵団を止める事だ。

その内にパソコン中毒専門病院が出来るかもしれない。
いや、きっと出来ると思う。悲しく切ない病だ。

2010年7月22日木曜日

人間市場 重病市

一度ある事は二度ある。二度ある事は何度もある。
三つ子の魂百まで、生まれついての性分は直る事はない。盗み、万引き、嘘つき、酒好き、女好きは先ず直らない。安全地帯という歩く危険地帯の様な男、玉置浩二をテレビで見ているとつくづく可哀相な重病人だと思う。


私は何かを書いたり考えたり企てたりする時は一日中テレビを付けっ放しにしている。
見るというより聞いている。この頃中・高年の鬱でなく「躁」病が多くなっているという。

五十歳位でハイな状態になってしまう。誇大妄想になったりする。とんでもない投資をしたり、バカ高い買い物をしたり、信じられない行動を起こす。

私は五十歳を過ぎて六度結婚と離婚を繰り返した人を知っている。
とにかく好みの女性を見たら必ずアプローチをするのだ。相手は若い女性だったり、未亡人だったり、離婚をした女性だったり、自分より随分と年上だったり様々である。傷つき弱った女性を見ると無性に優しくしてあげたくなるらしい。
で、一緒になると幸福そうな顔になる、そうなるともう嫌になってしまうのだ。

不幸でないと幸福じゃないというややこしい人なのだ。
他にも五十歳を過ぎて躁状態になり性悪女につぎ込んで家庭崩壊とか、フィリピンの孤島にいる人もいる。奥さんは茫然自失である、信じられない、考えられないを連発する。信じる者は救われるなんて協会に通い始めたと聞く。

歩くモーテルといわれた男がいた。見た目は菅原洋一であり体は麻原彰晃の様である。
この男が実にモテルから歩くモーテル、優しい声で相手に忍び寄る。
アマゾンの蛇の様に静かにそっと。すこぶる声がいい、声優であり性優でもある。一度病気で入院した、見舞いに行くと一人の素敵な女性が付きっきり(奥さんも時々来る)その他にも次々と女性が見舞いに来る。女優、タレント、ヘアメーク、バーのママ。スタイリスト、役者の卵など多種多彩である。実にモテルのである。

様々な才能を持っている男であるが、様々な薬を持っている。自分で病気だから、だって女性に声を掛けてあげないって失礼だからと言う。薬の副作用なのか体がどんどん膨らんできている。朝・昼・晩違う女性と交わる事が可能な才能と体力があるのだ。

大きな体に大きな花束を持ち、50ccのバイクで池袋に向かう。何処へ行くのと聞くと池袋に馴染みのソープランドの女性がいて、今日はその子の誕生日だから御祝いにと応えた。へぇーと感心したものだ。

女性は嫌だ嫌いだと思ってもとにかくマメマメしい男に結局弱いと言った。逆に別れる時はマメマメしさを通り越してトコトンしつこくするのだと言う。もういい加減にしてよ、会社に電話なんてして来ないでよ、嫌!もう別れてと言わせる為に、相手から別れてと言わせれば一切お金がかかんないからねとも言った。

今度女性との「お金のかからない別れ方」っていう本出さない?絶対売れますよと言った。

君は犯罪者だよと言ったら、何で?だって男と女はそんなもんですよと言った。
いつかブスッと刺されるぞと言ったら、大丈夫絶対そんなヘマはしませんから。

今六十歳、やはり素敵な二十代の女性と私の会社近所の長寿庵で名代鴨せいろをすすっていたと聞いた。カサノバの様な男である。

そう言えば私の先輩が怪我をして入院していると聞いた。何でも銀座のママの部屋にいたらモンモンを入れた恐いダンナが予定を変更して帰って来たらしい。自慢のアルマーニのスーツを手に部屋伝いに逃げて飛び降りて骨を折ったらしい。

命懸けなのである。この人は酒は一滴も飲まないが銀座の上玉を漁っている。
ただ当分は足腰もアソコも立たない。ザマーミロなのである。