私が大好きな作家に若くして亡くなった「中島敦」がいる。
その中でも名作「山月記」は最高作といえる。
その中でも名作「山月記」は最高作といえる。
話を思い切り要約すると二人の優秀な若者がいた。
共に日本でいえば司法試験か国家公務員第一種(中国では科挙)に受かった人間である。しかし二人の人生は大きく変わり一人は挫折し姿を消す。
何年か経った後、エリートとなった一人が部下を連れ山の中に入る。そこには凶暴な虎が出ると言われ山の中には入るなと言われる。しかし男は山の中に分け入って行く。
共に日本でいえば司法試験か国家公務員第一種(中国では科挙)に受かった人間である。しかし二人の人生は大きく変わり一人は挫折し姿を消す。
何年か経った後、エリートとなった一人が部下を連れ山の中に入る。そこには凶暴な虎が出ると言われ山の中には入るなと言われる。しかし男は山の中に分け入って行く。
と、竹林の中に虎の気配がする。それを感じ男は虎に向かい君は○▲君ではないかと尋ねる。
虎は悲しい声で「そうだ僕だ、変わり果てた僕だ」と言う。ライバルとの競争に負けた事を恥じ虎になり夜な夜な吠吠するのだという。二度と会わない事を約束し虎は竹林の中に消える。
虎は悲しい声で「そうだ僕だ、変わり果てた僕だ」と言う。ライバルとの競争に負けた事を恥じ虎になり夜な夜な吠吠するのだという。二度と会わない事を約束し虎は竹林の中に消える。
同じような話で藤沢周平の名作「三屋清左衛門残日録」というい役職を離れた一人の武士の日記の様な物語がある。その中にとてもいい一話がある、「零落」という。
ある日雨が降る。清左衛門は雨宿りのつもりである長屋の一つに雨を凌いでいると、中から雨で大変でしょう中に入って雨を凌いでいってはと声を掛けてくる。
その武士はかつて清左衛門と甲乙付けがたいと言われた人物であった。
しかし、今はすっかり老人の様に落泊していた。お互いについた家老が主流と反主流に別れた結果だ。武士は二度と会うまいと言って別れる(かなり雑な要約である)一方は老後をのんびり豊に過ごし、一方は傘張り老人の様になり心はすさんでいる。
その武士はかつて清左衛門と甲乙付けがたいと言われた人物であった。
しかし、今はすっかり老人の様に落泊していた。お互いについた家老が主流と反主流に別れた結果だ。武士は二度と会うまいと言って別れる(かなり雑な要約である)一方は老後をのんびり豊に過ごし、一方は傘張り老人の様になり心はすさんでいる。
何故こんな事を書いたかといえば3月3日朝日新聞の夕刊に3月は不眠からくる鬱病、そして自殺が一番多いと書いてあった。その中にサラリーマンの自殺動向について左遷、リストラ、格下げが三大要因と書いてあったからだ。
人生は終わってみないと本当の勝負は分からない。
肩書きがなんだ、ポストがなんだ、肩たたきが何だといいたい。そんな事で時速200㎞の電車に飛び込んでバラバラになるといいたい。悔しいけど参ったと言わない限り勝負には負けてない、虎になる事もない、二度と来てくれるなと雨戸を閉める事もない。
肩書きがなんだ、ポストがなんだ、肩たたきが何だといいたい。そんな事で時速200㎞の電車に飛び込んでバラバラになるといいたい。悔しいけど参ったと言わない限り勝負には負けてない、虎になる事もない、二度と来てくれるなと雨戸を閉める事もない。
何もかも愛せば必ずいい芽が出る事がある。
肩書きなんてつまらないプライドの象徴にすぎない。時が来れば必ずよくなる。
サラリーマン諸君よもっと図々しく会社を利用すべきだ。
山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」を読むといい。
サラリーマン諸君よもっと図々しく会社を利用すべきだ。
山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」を読むといい。
たかだか社長だ、専務だ、常務だ、部長だ、課長だなんて命懸けのもんじゃない。
会社の命令が嫌ならケツまくって一人で社長になればいいだけだ。
「鶏口牛後」というではないか。牛の後にノコノコついていくニワトリにならなきゃいいんだ。
「志」をたてて。
会社の命令が嫌ならケツまくって一人で社長になればいいだけだ。
「鶏口牛後」というではないか。牛の後にノコノコついていくニワトリにならなきゃいいんだ。
「志」をたてて。
アホに負けてたまるかとね・・・。
人間やれば必ず出来る。
肩書きなんて名刺屋さんに行けばいくらでも付けてくれる「代表取締役社長兼専務取締役統轄本部長兼人事部長」とかいくらでも。