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2012年4月24日火曜日

「詩人と死人」


東京拘置所


その男の体は不自由だが言葉は自由だ。

両方の足を引きずりヨタヨタとトボトボと歩く。
黒い羽毛服、黒いタートルネック、黒いジーンズそして黒い目出し帽、男の名は芥川賞作家辺見庸という。

この世には大別すると明るく楽しい陽気な分かり易い言葉の人間と、暗く重く陰気で難しい言葉の人間だ。辺見庸は後者だ。作家であり詩人でもある。

かつては記者であった。
目にするもの、耳にするもの、手にするもの、口にするもの、皮膚が記憶しているもの、脳の中に入り込み沈殿したもの又は脳の中は居心地が悪いと出ていった記憶を文字もしくは言葉という操り人形を使って表現する。

辺見庸はいまある死刑囚の俳句を一冊の本にして出版すべき事を行っている。
死刑囚の名は三菱重工爆破事件の大道寺将司だ。あの事件から40年が経っている。

あの日私は三菱重工広報室に打合せに行く予定になっていた。
爆破音は銀座の仕事場にも聞こえた。27歳の時であった。
三菱重工の知人たちが何人か大怪我をした。
大道寺将司の俳句を全て一冊の本にして出版すべく辺見庸は足を引きずり東京拘置所に通っている。

辺見庸は石巻で生まれ育った。
そこは辺見庸の記憶の風景を全て津波が持ち去っていた。
地震、津波、放射能、一切の言葉を受け付けない被災地の現状、辺見庸はそこに生と死を一日の内に必ず見る死刑囚を見たのだろうか。

五七五わずか17文字の中に人間という生き物が背負った業苦が見えるのだ。
亡き母に獄中から送った大道寺の手紙は一万通を超えるという。

「コーマン帝国」

 


420日(金)何が何でも行かねばならない処に行った。
この日は6年間我が社の経理を勤めてくれていた女性が退社する日。夜630分より送別会がある。
長い間本当にお世話になった人がいなくなるのはヒジョーに淋しいもんだ。

暗い気分を晴らすためによし行くぞ「コーマン帝国」へという訳で新宿武蔵野館へアメリカB級いやC級いやD級の映画の大巨匠ロジャーコーマン監督のドキュメント映画「コーマン帝国」を観に行ったのだ。
超低予算の映画をなんと400本以上製作、86歳となっても意気盛ん、元気モリモリやる気バンバンのウルトラスーパー監督。無名だったジャックニコルソンを使い続けた。

そのジャックニコルソンがそのどうしようもない映画作りを愛を込めて語りそして泣く、マーティンスコセッシが、ロンハワードがクエンティンタランティーノが阿呆でバカでもクールなオッサンを語り、リスペクトする。
およそこれ程くだらない映画はないのだがハリウッドはこのオッサンにアカデミー特別功労賞を贈る。
その会場は万来の拍手だ。ブラボー、ブラボー、OHブラボーなのだ。

人間馬鹿程強い者、凄い者はいないのだ。
たった2日で一本の映画を作るのだから撮影現場はもうハッチャメチャなのだ。
この頃すっかり映画馬鹿がいなくなってしまった。大体映画一本1800円は高すぎると思うのだ。

初めて彼女とデートをする若者と彼女で3600円、コカコーラ二つで600円、ポップコーン大盛りで600円で合計4800円。
奮発して酢昆布一個280円、杏一個280円で5360円、今日は20000円しか持っていない。
もし映画の帰りに食事して約4000円(パスタ+ピザ+飲み物あたり)その後、もしやかねてからの目的を達成目指せば残金は10000円とほんの少しだ。
泊まりorショートタイム?若者は映画を観ながらも頭の中は家計簿の如く算盤を弾いているのだ。

武蔵野館は座席数は84席、そこに若者のカップルが3組いた。 
1230分「コーマン帝国」がババァ〜ンと始まる。前の数分間そんな事を思った。
大ヒットした映画「ジョーズ」に多大な影響を与えたロジャーコーマンのジョーズ風映画は頭部だけ安価に作った恐竜が若い女優の足や体を思い切り囓っていた。ロジャーコーマンの影響をうけなかった監督はハリウッドには一人もいないのだ?

興奮した頭を冷やすために新宿駅から四谷駅までフラフラと歩いた。
前日食べた銀座名物天龍の巨大餃子8個(半ライスを半分残した)がお腹の中にずっしりと沈殿していたのだが映画のせいか歩いたせいか少し腹が減った。丸亀うどんというのがあったのでそこに入った。

それにしてもハリウッドはやっぱりヒーローを大切にする処だなと思った。
でっぷり太ったジャックニコルソンがソファーに座りながら泣いていた姿が良かった。
アカデミー受賞式で大拍手を送るジャックニコルソンが良かった。映画馬鹿はニッポン国にもワンサカいるぞと思い冷やしうどんをすすった。思いの外うどんは太く長く腰があり、弾力もありそばの様に飲み込めず手こずってしまった。丸亀うどんはどんどんとすすれないのを知った。

2012年4月20日金曜日

「親のスネ」




大学は何をしに行くのか。
1,勉強をするため。
1,友達をつくるため。
1,4年間又は2年間遊ぶため。
1,スポーツをするため。
1,学食を利用するため。
1,ナンパをするため。
1,親から仕送りさせ親を困らせるため。
1,奨学金をもらうため。
1,学歴をつくり就活に役立たせるため。
 等々学生の数だけその思いや企みやしたたかな計算やよこしまな考えがある。

現在この日本国には4年制と短大を合わせると約1000校の大学がある。
一人頭月々平均10万近くの仕送りを受けているという。
自分の家から通っている者は仕送りを受けないが家に寄生寄宿しているのだ。

夜渋谷の街を歩いていると夥しい数の学生たちが酒に酔い、叫び、喚き、泣き、吐き、倒れ、道路に寝ている。
入学したばかりの者、学業に絶望したもの、恋愛関係がこじれた者、就活に失敗した者、学生の数だけ人生の入口がある。私は思う、学生よそれでいいのだと。
スネをかじるスネがあれば精一杯かじらせてもらえ。これから人生という果てしなき暗路が待っている。

その路を歩くために遊べ、飲め、怒れ、泣け、そして自力を養え。飲み代がなければ私を訪ねよ?。
ホッピーで酒を割り、ハッピーになろうではないか。学生の最大の学びは勝利ではなく敗北なのだ。
人生は短いようで長い。何しろ死ぬまでは生きていなければならないのだから。

政府は大学数を減らす方針を出すそうだ。お前達政治家を先ず減らす方が先だといいたい。
若者は4年間位タップリ遊ばせるのがいいのだ。どうしても学問をしたい、そういう若者には国がお金を出してあげて海外にどんどん行かせる事だ。明治維新は海外で学んだ人間たちによって成ったのだ。島国根性からは人物は出ない。

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、あなたたちの子が孫がきっとこの国を治してくれる。そのために今しばらくご援助をお願いしたい。

2012年4月19日木曜日

「カキゾエー!」

 


その日、その時力士「垣添」は幕下22枚目であった。
幕下は15日間で7番しか取らない。元小結垣添(33)7敗目を喫した。○勝7敗である。

中学、高校、大学とアマチュアのタイトルを取りまくり武蔵川部屋に入門した。
体は小さいが突貫小僧の様に大きな力士にぶつかっていった。白鵬にも泥をつけた事もある人気力士だった。

妻は女子相撲の力士であった。幕下の収入は2ヶ月で15万だけだ。
十両は給与月100万、正に番付けが一枚違えば天と地だ。幕下の稽古まわしは黒、雪駄は履けない。
食事は関取の食べた後、何から何まで天と地だ。取組中に半月板を損傷、腰も痛めてしまった。

立つ事さえままならない、気が付けば小結→前頭→十両→幕下となっていた。膝にたまる水を抜いて頑張った。
 大阪場所心に引退を覚悟して土俵に上がった。
 垣添!垣添!57歳位の男の子と妻と女の子が大声で応援した。7敗目を喫した垣添に男の子はいった。
よくやったよ、よくやったよ、カキゾエ〜と。

私たちはこれ程過酷な戦いをしているだろうか。
どんな大切なプレゼンテーションに負けても仕方ないよな、あいつと、あいつと、あいつが悪いんだ、だいたいウチの会社に力がないんだよ、なんて人のせいにする。
勿論番付は下がらない。雪駄も履ける。但し負けが続くとプレゼンテーションというお座敷に声が掛からなくなる。
何!またあいつにやらせるってか、駄目だよあいつじゃ絶対勝てないから、もっと若くてイキのいいのを全面に立てろと言われてしまうのは確実だ。

垣添は引退せずきっと来場所も土俵に上がるはずだ。一度だけ勝つ姿を妻や子に見せたいから、きっとそう思っている筈だ。もし来場所垣添が土俵に上がるなら応援に行くと心に誓った。カキゾエ〜ガンバレ〜と大声で。

父との思い出が全くない私にとって垣添を応援する子供が羨ましい。
例え黒星ばかりでも。それは美しい黒星なのだ、キラキラ輝く。

「ドボン」




天丼、カツ丼、ウナ丼といえば丼物の三大スターだ。
親子丼、開化丼、カレー丼、穴子丼、鉄火丼もあるがスターにはかなわない。

丼物といえば貧しかった子供の頃はゴージャスな出前であった。
余程の「お客さんでないと出さないぞという厳しい掟があった。というよりお金がなかった様だ。

さて、この度テポドンだかノドンだか頼みもしないのに飛んでくるぞとのオドシがあった。
我が日本国は大騒ぎだ。出るぞ出るぞといって出たお化けはないというが何しろ我が国を防衛すべき大臣はあの田中直紀だ。もしや未だ頭の体操中ではなかろうかと国民は心配しきりだったのだ。

テポドンだかノドンはあっけなく海にドボンとなった様だ。
花園神社の首長男のようにデルゾデルゾと脅かしつつ500円を払うとなぁーんだウソつきといったのと同じ。私の想像だとそもそもハリボテみたいな物でなかったのかである。あるいわ燃料代が不足していたのでは、その昔敗北近しの我が国に石油がなく、木炭とか木の油とか果実の油まで投入して燃料にし飛行機を飛ばした。当然戦闘力はなきに等しいのであった。世界中の人を呼んでわざわざさぁーやるからなと見せていた時は臭い芝居だと思っていたのだが。芝居には第2幕がつきもの、あの国にも志ある者たちが動き始めている、もし発射大失敗がある者たちによる意図的行為だとしたら。独裁は必ず滅びるそれは必ず弱者たち民衆の手によって。シリア、そしてノースコーリア、あーコリャコリャだ。

2012年4月18日水曜日

「ロックよ立ち上がれ」



ピンクフロイドのプロモーションビデオに「ザ・ウォール」という名作がある。
今の様にコンピューターグラフィック(CG)が発達していない時代に一糸乱れぬ圧倒的な金槌の行進シーンがある。
線画のアニメーションである。

北朝鮮の軍事式典を見てピンクフロイドを思い出した。
クローン人間の様な同じ軍人、行軍、群衆、同じ拍手、同じ敬礼、何もかもCGで合成増殖させた様にピタッと同じだ。
 何かどこかで見た光景ではないか、そうあのナチスドイツ、そして旧日本帝国だ。

28歳にして権力を継承された金正恩の声は震え身振りはドギマギし、落ち着きがなかった。
やがて来る自らの運命は未だ分からないであろう。

ピンクフロイドの「ザ・ウォール」はベルリンの壁崩壊を予言していた。
この頃メッセージ性の強いミュージシャンが出て来ない。ロックンロールは反体制のものであってほしい。
アイルランドのU2、ビートルズのジョンレノン、レッドツェッペリン、イーグルス。
日本のロックンロールは息をしていない。ラブソングばかりだ。どうしたミュージシャンたちよ。

2012年4月17日火曜日

「桜と血」

細川ガラシャ

血は水より濃いとか、血は争えないという。

桜の花が咲く頃になると何故かこの血について心が騒ぐのです。
桜に血の臭いを感じるのです。それは滅びの血とでもいうのでしょうか。
富士山、桜、軍歌、戦争、戦死、日本的一次方程式。そして敗北です。桜は左翼的でなく右翼的花だからでしょう。
桜には思想的背景があり国家に利用されてしまった悲哀の歴史があるのです。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の花も花なれ 人も人なれ」これは有名な細川ガラシャの辞世の句です。
人間の引き際の美学として語り継がれているのです。
「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生さ」なんて達観した人生の達人もいました。

ちなみに細川ガラシャ、本名「珠」の父は明智光秀、その盟友だったのが細川藤孝(後の幽斎)その息子がガラシャの夫、細川忠興であった。性格は粘着性を極めたと伝えられる。
異常に嫉妬深く、絶世の美女といわれたガラシャは人に見せなかったという。
敵に攻められた時ガラシャを奪われるのを嫌い家来の手によって殺させた。ガラシャは洗礼を受けており自害できなかった。細川家の血は裏切り、日和見、権謀術数の歴史であった。

野田首相の親分は細川護煕である。国民を裏切るのは間違いない。桜前線は北へ向かっている。

2012年4月16日月曜日

「トホホな奴」




江戸を火の海にしやしたかねえ、徳川家を滅ぼすわけにやいけねえと勝海舟は西郷隆盛と差しで交渉したと伝えられている。
結果江戸城は無血開城となり江戸は火の海とならなかった。

晩年勝海舟は外交とは交渉とは「術」だよといった。揉め事の交渉とは正に術が必要なのだ。
お互い右手と右手で握手しても後に隠した左手には拳銃を持っている。
 顔はナイスミーチューとかニーハオとか笑っていてもそれは仮面、その下はこのヤローナメやがってとかフザケやがってとかの顔をしているのだ。

核保有国の米・中・露・仏・印・パキスタン・イスラエルたちがテメエーら北朝鮮イランが核を持つなんて十年早い。
シバルぞ、シメルぞなんて脅かしてもそれは無理だ。話がまとまる筈はない日本なんて米国のパシリだから聞く耳なんか持つ訳はない。それじゃどうするのという事になるのだがそこからが「術」なのだ。

まず空き腹にたらふくご飯を入れてあげる。
核保有国からバンバン食料を送る、もう食べれませんゴチソウさまでしたといってくるまで。
更に仏からはワイン、日本からは吟醸酒なかなんかがいいと思う。

人間空腹になるとイライラする、アルコールが切れると更にイライラするのだ。
まず相手のお腹を満たしてあげてから初めて「ちょいと話があるんだが」と切り出すべきなのだ。
日本なんてホルムズ海峡を封鎖されたらオシャカになる。
北朝鮮のアナウンサーなんか腹が満たされていないのでテンションが上がって声がブルブル震えている。
 日本は取り敢えず満腹過ぎて脳内停止状態だ。
 不景気なのに増税だ、電気代値上げだ、ガソリン代が値上がりだ原発再稼働といっても羊のようなこの国の民は黙って堪え忍ぶ。

私のむかしの後輩が右翼を名乗っているので一人二人テロって男を挙げてみろって冗談をいったら、な・なんと家のローンが残っているとか、子供がお受験なんていっている。
お前何やってんだといえば、もうすぐメーデーだから狭い部屋で日の丸にアイロンをかけているんだとかトホホな奴だ。
近々北朝鮮には大量の血が流れるだろう、腹を空かした国民はやがて狼になるのだ。

2012年4月13日金曜日

「オンリーユー」


ジャミンゼブ


ライヴはやっぱりいい。 
250席あるというレストラン&ライヴは満員であった。

410日(火)東京六本木交差点にある「アマンド」横芋洗坂を少し下ると右側にSTB139スイートベイジルがある。
元ホリプロの役員であった知人真下武雄氏が今力を入れている慶應大学出身の男性4人組ジャミンゼブという若者達だ。
スタンダードジャズがメイン。

まずは「A列車で行こう」から始まった。
ボサノバ、ビーバップ、ラテンのベッサムーチョなどバラエティに富んでいた。
一時間のステージ後少し休んで後半の一時間、男は私と知人と後二人、その他は3050代位の女性でビッシリ。
ピザとパスタを食べ、チーズ盛り合わせを食べ赤ワインを二杯口にした。

会場は手拍子、スタンディングの連続。女性達はステキな若者(28歳位)に大満足。
スタンダードジャズ他全て英語で歌う。ラストに森山直太朗の「さくら」そしてアンコールは3曲、ステージにはピアノ、ベース、ドラム、パーカッション。きっとこれから声に磨きがかかり艶が出てきて「ダークダックス」や「デュークエイセス」や「ボニージャックス」みたいになるだろう。

とても楽しみな4人組だった。デスクの女性もとても気に入ったみたいであった。
ミュージシャンは本当に羨ましいと思った。せめて一つ位楽器が弾けたら、せめて一曲くらい歌えたら人生はどれ程楽しかっただろうか。

家に帰り1歳になった孫に買った小さなおもちゃのピアノのボタンを押したら「猫ふんじゃった」のリズムが流れた。
まあこんなもんだと諦めた。私が大好きだった4人組「プラターズ」が初来日したときに聴いた「煙が目にしみる」「オンリーユー」は今でも心にしみている。

ライヴ会場の出口ではCDがバンバン売れていた。こんな風景いつかあったな。
そうだ西武新宿西口の「歌声喫茶」だ、あの頃確か杉田二郎が「戦争を知らない子供達」を歌っていた。

2012年4月12日木曜日

「親切過ぎ」




豪華な造りの扉を開けると、ニターというリズムで扉が開く、そしてニューと上蓋が開く、全く頼みもしていないのに。

ある有名店のトイレの事だ。
用を足しに入るとその瞬間全てがニューっと開くのだ、更に用を足して腰を浮かすと一気にジャーと流れる。
未だ一度目の紙であるのに、次に二度目の紙を流そうとすると水が溜まっていないのか水が流れず紙は吸い込まれない。
仕方なく水が溜まるのをじっと待つ。

便利な様で便利でない。
 そうかだから用便かなんてつまんない事を考える。

少し春らしくなり体がホテホテしたので久し振りに大好きなメロンソーダを飲んだせいかお腹がゴロゴロする。
軟便はなんべんでも出るとかいって又、豪華な扉を開けると、ニターっというリズムで扉が開いた。
よし今度はしくじる事なく用を足すぞ。腰を浮かせずにウォシュレットを使い紙拭きは1回だけにするのだ。そうすれば一気に流してくれるはずだ。

小さな親切は大きな迷惑ともいう。イケネェーおしりでなくビデを押してしまった。