北野里沙さんのブログより |
ビーナスがマイクを持って新宿三丁目のライヴ会場に現れるとどうなるか。
それはそこに居た人間にしかわからない。
東京音大声楽科卒26歳、身長は173㎝位、聞いてはいたがとにかく美しい姿から美しい声が聴く人の心の琴線を揺り動かす。ライヴ会場は50人位でギッシリだ。丸椅子が20程あっただろうか、座れない人は当然立って聞く、小さなカウンターがありドリンクを出していた。
その日は5人と一組がステージに立った。
お目当ての北野里沙さんは3番目、ライヴ会場の側で待機していたら所属事務所の社長と共に挨拶に来てくれた。
リハーサルが終わったからと。知人の広告代理店の社長に挨拶が終わると店を後にした。
元巨人軍投手、現役のボクシングチャンピオン、和歌山出身のエクボのかわゆい女性(23歳)と代理店関係の社長それと私。
所属事務所の社長は“とんぼ”で大ヒットを出した頃の長渕剛を手塩にかけていたとか、現在は大物シンガーの仕事をしているという。
6時に集合した我々は6時半頃から一杯飲み始めた。
ステージは7時50分からだと聞いた。
お刺身、焼き鳥一本、玉子焼、ポテトフライ、温野菜などガッツリと食べた。
クラシカルポップスというニューカテゴリーを聴く身にしては極めて不謹慎な事であったが、とても空腹であったのだ。
許したまえミロのビーナスと心の中でいっては食べた。
クラシックを地下のライヴで聴くなんて生まれて初めてであった。ライヴは何より歌手を育てる場所だ。
東急文化村オーチャードホール、サントリーホール、NHKホールなんかよりぐいぐいにいいのだ。
一曲、二曲、三曲歌い終わる度にライヴ会場独特の乾いて不調和な拍手が起きる。
三畳位のステージにはドラムとキーボードと電子ピアノだけ。薄暗い中に赤褐色のライトがデカダンな感じでぼんやり光っている。会場の人間の顔は暗くて誰が誰だか顔面不明だ。そんな中にビーナスの声は染みわたる。
ピアニストは多分音大あたりを優秀な成績で出た一流アーティストだろう、上品で上質だ。例えは悪いが上野の森にたむろしているホームレスの群れの中にビーナスが現れて歌っている、そんな感じだ。
北野里沙をネットで調べて下さい、きっと近々日本を代表する歌い手になるはずです。
最後に歌った曲は仙台の八軒中学校の合唱部が歌った“あすという日が”であった。
ライヴは生き残りをかけた戦場への第一歩、ビートルズが育ったのはリバプールの小さなライブからであった。
ボブディランはベトナム戦争の戦場であった、正に命を掛けたライヴであった。きっとベトコンたちも聴いていたのだろう。“いくつ鉋弾を撃ったら戦いは終わるの?”そして友よ答えは風の中に吹かれているんだと。
北野里沙さんを聴いていてボブディランのパートナーだったジョーンバエズの戦う心と気高さを感じた。
全身がノコギリの様にギザギザしてしまっているこの国、長引く経済戦争でヘトヘトになってしまっているこの国の民を救ってもらいたいと思った。そうだ早速作詞してみよう。
この国を救うのは決して経済ではない、それは言葉だ。クラシカルポップスの反戦歌だ。
もうお金を追うのはやめよう、愛こそ求めようと、人の心はお金では買えない。
答えは財布の中にはない。(でもやっぱり欲しいのだが?)