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2013年4月17日水曜日

「プロデューサーハルキ」




芥川賞第八十一回候補作の中に、村上春樹の「風の歌を聴け」があった。他に七人の作品。
又、第八十三回に「1973年のピンボール」が候補作としてあった。他に六人であった。

初めて候補作になった時の審査員の論調に“今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあった”といわれた。大江健三郎の否定的な見解を含め、触れずにはおかれないものを村上作品は持っていた。
後になぜ村上春樹に芥川賞は与えられなかったかを論じた本が幻冬舎から出た。

私的に論評すると、村上春樹はライターよりもプロデューサー&アドマンとして極めて有能であるという事だ。
主に若者たち、女性、主婦たちが支持をする、ユーミンの歌のプローモーションや桑田佳祐のそれに似ている。
様々にタイアップを実現する。

主人公が何を食べ、何を聴き、いかなる服とメークをほどこしてどこへ行くか。
ブランドメーカーとタイアップしたかの様に。片岡義男と植草甚一にも近い。

IQ84の女殺し屋の陳腐さには笑った。
ホテルオークラのベッドルームであっさり殺される新興宗教家のガードの甘さやその鈍重さを笑った。女殺し屋のSEXも笑った。
シャルルジョルダンのヒールをはいて高速の非常口から降りる出だしに、ヤバイこれは読んではいけない本を買ってしまったと思った。
仕方なしに上下両方読んで、息子の奥さんにあげてしまった。

さぁ、出すぞ出るぞと広告界でいうティーザー広告を行い期待感を出す。本の中に出てくる音楽はすでにCD化する体制ができている。タイトルの付け方が抜群に上手い。中身は殆ど大衆娯楽ファッションライフ小説だ。

小説は上手い作家が良い作家か、売れる作家が良い作家か。
それは今の出版社にとって当然後者だ。
そもそも芥川賞は文藝春秋社による、文藝春秋社のための文藝春秋社の広告だからだ。あまり露骨になったらマズイじゃんと他の出版社からも出す。
文藝春秋の社員がたくさんの作品の中から、あらかじめ選んだ十作品前後を審査委員たちが読んで、アレ、コレ、ソレ、ソコ、キモチイイ。
ダメ、イカン、スキ、キライ、ヘタ、ウマイを論じ合う。
「え〜、もしもしこちら、日本文学振興会ですが」と電話が入れば、バンザイ受賞となる。

芥川賞の功を認めるが、疑問点、罪も認めざるを得ない。
あまりに書き手のニュース性や話題性に期待する出版社(文藝春秋)の意向を重視するきらいがある。
それ故、才能がありながらも選にもれ、何人もの自死者を生んだ。(太宰治をはじめ)
過日読んだ「芥川賞物語」(川口則弘著)を読むと実にその裏話が面白く、小説家が狭隘の中に住むひとりよがりの生き物である事が分かる。

村上春樹は今回のタイトルも実に上手い。ラストに北欧に行くのもパターンだ。
書店は村上春樹堂となり、本は平積みどころか、積み上がりタワーの如しだ。
何かに似てる。
このプロモーター的やり方、そう、茶道家の千利休だ。

この人も実にプロデュースが上手かったし、金儲けが上手かった。
誰かが何を何時どこで欲しいかを臭いで感じた。
また瓦職人の長次郎に焼き物を作らせ大ヒットさせた。
少しは利を休めから「利休」となったという説もある。

芥川賞はあくまで新人賞、大文学賞ではないという。
この頃は本屋大賞の方が話題を集めている様だ。
村上春樹を読む気は今はない。

2013年4月16日火曜日

「カユイ貝」

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マシンといえば機械の事と相場は決まっている。
ホンダがF1に再び参入する。
バイクオヤジ本田宗一郎もよろこんでいるだろう。あの世のスタンドで。
知人のF1レーサー中野信治さんも。さあ出番だ、と腕をまくっているはずだ。
マシン音痴の私がマシンを知る事になった。
何かといえば“ジンマシン”だ。

その日家族とお寿司を食べに行った。
お寿司は何より大好きで毎日でもOKだ。
コハダ、イカ、マグロの赤身、エビ(ボイルしたもの)、タイ、アナゴ、かんぴょう巻きを各一貫ずつ食べた。
その前に酒のつまみでお刺身の盛り合わせを少々。家に帰ったのが午後八時頃であった。
十一時を過ぎたあたりからやたら体がカユくなった。手、足、胸とカユくなり顔が猛然とカユくなった。酒を飲むと血管を刺激し、ジンマシンは広がると後で聞いた。
かつて経験した事のない状態となったのは午前一時を過ぎた頃だ。いよいよ全身がカユい。
頭が心臓になったかの様にグアングアン、ドッキンバッコン呼吸する。
本当の心臓の方もバッコンバッコンしてきたではないか。
鏡を見るとまっ赤にふくれあがった顔があるではないか。
まるで三升位飲んだ様な顔だ。
こりゃヤバイ。隣の部屋に寝ている愚妻に
「オイ、死ぬかも知れない。これから書くものを明日会社にFAXしてくれ」と言った。
今受けている仕事で支払う先を書いていった。
私にしか分からない事なので、もしもの事があったら仕事を頼んでいる人たちに迷惑をかけてしまうからだ。
一枚の紙にビッシリ書いて、これから市立病院へ行く、と言った。
ネボケた愚妻が「飲み過ぎよ。何!その顔酷いじゃないの」と言った。
元々酷い顔だ、行って来るからな、と呼んだタクシーに乗った。
なじみの運転手さんが「どうしたんですか、まっ赤な顔で」と言った。

市立病院に着いたのが二時頃であった。
日曜日にカユくなり、日付が変わって月曜日となっていた。幸い救急は私一人だった。
おなかの大きい看護士さんが受付の若い男の人と出て来た。
「電話をしてくれないとダメですよ」と言った。
若い男の人が「今日は仕方ありません」と言った。
「おなか大きいけど妊娠中なの?」
とカユいながらもいつもの調子で聞くと、「七ヶ月なのよ」と言った。
「大変だね」と言ったら、「人手不足なの。婦長さんに言って下さいな。こんな体なのに夜間の仕事をさせるな、って」と言った。
三人目なのよ、と言いながら体温計を出した。
ボリボリかいていたら若い先生が診察室の扉を開けて、どうぞと言った。
何を食べました?とか、過去には?とか言いながら体中を見て、聴診器を胸にあてた。点滴をします、と言った。
何ですかね、と聞くと、
「何かのアレルギーでショックを起こしているところです。子どもさんだったら危ないところですよ」と言った。
「特効薬でショックを止めるのに注射を打ってもいいのですが、注射によるショックもあるので点滴にします」と言った。
へえ〜大変なんだ、と看護士さんに言った。

ジンマシンと自分で勝手に思っていた。
アレルギーとジンマシンの区別が分かっていなかった。
ジンマシンはアレルギーの症状なのであった。

ベッドに座らされた。
何故か横にはさせてくれず小さなテーブルを出してくれた。
これにうつ伏せになるといいですよ、と言ってくれた。
左手に針を刺され点滴を二袋仕込んでくれた。
終わりましたよ、と声をかけられて顔をあげた。
すっかり寝てしまった。時計は四時半を少し回っていた。

次の日すっかりジンマシン(?)は消えていた。
頭のグアングアンも。
後日かかりつけのお医者さんに行ってその原因を調べる事となった。
一枚の紙にビッシリとアレルギーになりそうな食べ物の名があった。
血液検査の結果が4月9日に分かった。
原因はホタテ貝であった。

まさかいままでずっと食べていたのに。
そういえば刺身盛り合わせの中にホタテ貝が入っていた。
にっくきはホタテ貝であった。
人間の体は何かの事で体質が変わるらしい。
また、刺身を切っている包丁とかまな板にもその原因があったりするらしい。
そこにアレルギー物質が付いている事があるらしい。
自分の体がこんなにもデリケートであったとは。

「先生、崎陽軒のシュウマイは大好きなのだけど、ホタテが入っているので大丈夫なんですかね」と聞いた。
「うーんマズイんじゃないかな」と言った。
食べてみますよ。生じゃないから大丈夫ですね、と言った。
うーんマズイじゃないかという顔をした。
何かあったらすぐ効く特効薬を出します、と言って処方箋を出してくれた。
そこには頓服薬(いざという時の薬)クラリチンと書いてあった。
赤い字で“蕁麻疹”と。
こんな漢字はじめて見た。ジンマシンと読むのだ。
私を殺すのはすごくカンタンです。
ホタテ貝を食べさせればいいのです。5〜6個で十分なはずです。

2013年4月15日月曜日

「ある家族」


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泣いている、誰かが確かに。
午前三時を少し回った頃、私の耳の中にその泣き声が下から聞こえた。
二階から下りて、じっと耳を澄ますとやはり
“ウィーン、ウーン、ウェーン”と泣いている。
何しろ小さな家の中、その泣き声は直ぐに判明した。
すっかり老人化した冷蔵庫のモーター音だったのだ。
なんだつまんネェ〜の、と椅子に座りいつものグラスに氷の大きいのを入れ、
スミノフを注ぎ、ゴクッと飲んだ。

オイ、冷蔵庫、随分長い間がんばってくれありがとうよ。
開けたり閉めたりをきっと何万回もしてきたからな。
人間の寿命と同じでついにその日が近づいた訳だ。
などと声をかけた。
と、その時冷蔵庫はブルル、ブルルと揺れ始めた。
オレの言葉が通じたのか
冷蔵庫はウィーン、ブルル、ウェーンブルルを繰り返す。
グラスを手にしながら近づいて前に立つと、時刻表やら、分別ゴミの収集日の事やら、4週間目にこんにちはダスキンの事やら、防災マップがマグネットによって貼られている。掲示板にもなってくれていたんだなと思わずナデナデしてやった。
するとウィーン、ブルルが心なしか静かになったではないか。

いろんなものを冷やす冷蔵庫にもきっと温かい血が流れているのだろう。
家電も家族なのだ。