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2014年1月17日金曜日

「仁義なき戦い」




男の世界(渡世人、筋者、極道、ヤクザ者)では、一度親を裏切った者、仲間を捨てた者、足で砂をかけて出て行った者は二度と男の世界に戻る事は出来ない。
破門、絶縁とされるからだ。

自民党を口汚くなじり、親分、兄弟分を捨てて出て行った舛添要一氏が自民党に日参して反省、謝罪をしつづけている。
皆様におすがりしたいと膝を屈して詫びを入れているその姿は、マンガでしかない。

自民党にしてみれば一度破門、絶縁した男。
本来なら片腕一本か指の二、三本も持って来いの気分だろうが、使い勝手がよくなったのでちゃんという事を聞くんだぞ、二度とその気になって弓を引くんじゃねえぞなのだろう。また二十年前佐川急便から1億を頂いて(借りて?)マンション買ったとか、家を修繕したとか、ムニャムニャ言ってあっさりフケちゃった(逃げちゃった)。

青山の骨董通りを歩いている様なお殿様が細川家七百年の血が騒いだのか、取り巻きにヨイショされてソノ気になったかご出馬となった。
そこへ持って来て未だ一月なのに凶気の桜を満開にしたライオンマンガ雄叫びをあげ、殿を全面的に応援するという図式となった。

絶倫、結婚好き、離婚好き、愛人好き、DV好き、ナイフ大好き、権力大好き「マスゾエ」という政治学者が勝つか、風の流れ雲の動きを見るのが好きという風流人が勝つのか、神奈川県民の私には投票権はないので直接関係はないが、あまりの人材不足にこの国の将来を心配せずにはいられない。

オリンピック利権、新しいエネルギーの利権、カジノ利権、権力への執着と将来への布石、様々な思惑が複雑に入り混じって東京都知事劇場は開幕する。
そこには♪義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界…という高倉健の唐獅子牡丹の主題歌は流れない。あの有名な広島のヤクザ戦争「仁義なき戦い」のメロディの方が合っている。

このブログはゆらゆら揺れる列車の中で書いている。
私の隣のお兄さんが崎陽軒のシュウマイ弁当を食べている。

永田町は「老人の海」となってきた。何かが地下水脈で動き出して来た。
アメリカに嫌われた政権はことごとく短命であった。
青年よ大志を抱け、この国の未来を背負って立ってくれ

2014年1月16日木曜日

「言葉とかつ丼」


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「あの時」と「その時」。
人生を長くやっていると山ほどあの時とその時のシーンを思い出す。

その殆どは、あの時あのひと言がとか、あの迷いがとか、あの後ろめたさがとか、あの見栄がとか、あの金がとか、あの野郎がとかの、あの、あの反省と後悔と復讐心が頭の中を走馬灯の様に走る。

またその時、まさかあいつがとか、その時まさかあの人がとか、その時あの野郎がよくもまあとか、その時、その時に思いもよらぬ約束破りや、裏切りや、寝返りやとんずらやシカトに出会った時の数々を思い出す。

人間という業の深い生き物は、聖書にある「はじめに言葉があった」にある様に言葉を持った時から。言葉は最凶の武器となった。
イエスキリストを裏切った「ユダ」はその象徴とされた。

有史以来全ての歴史は言葉の歴史といってもいいだろう。
密告、甘言、嘘八百、偽善、口説き、暴言、放言、進言、金言、それらを「あの時」「その時」に置いてみると、なんだいちばんいけねえーのは自分じゃないかとなる。
あの時、自分がバチンとしっかりしていれば、ナメられたり、密告(チクリ)されたり、裏切られたりしなかった。
その時バシッと迷わずに断ったり、攻め込んだり、問い正していればよかった。
エエカッコシイが招いた自分の弱さだといい歳になってやっと見えて来る。

この頃ボランティアでという人が増えて来た。知人や友人の紹介のNPOの人々だ。
非営利団体という言葉の範囲がよく分からない。
君たちはタダ働きをしろというのかいと問い正している。
いや、企業やボランティアやチャリティに理解有る人々からの寄附で運営しているという。そんじゃ、ちゃんとお金が入ってんでしょ、そこんとこをちゃんと正しく教えてよというケースが目の前、つまりその時を迎えている。

人に何かを頼む時はタダはダメ、100円でも1000円でも10000円でも、かくかくしかじかでこれしか無いと説明しないとフェアじゃないよと言っている。
いい人と、いい人ぶっている人とはどえらい違いがあるからだ。
NPOとかNGOとかがこの国に正しく理解されるようになってほしいと思う。

私の愛する後輩と水曜日の夜、赤坂のそば屋さんに入った。
夜七時半ちょい過ぎ、空腹であった。先ずは日本酒を二合、それと牛すじ煮込み、ブリのあら煮付を頼んで二人で食べ合った。この後輩はグイグイ伸びているデザイナーだ。
きっと日本を代表する人間になると期待しているのだ。

私ら以外のお客さん、右に居る男は鍋焼きうどんをハフハフすすっている。
外は寒かったからな、いいな鍋焼き。
その斜め前の男はオヨヨ、そば屋さんでカツカレーだ、旨そうだな。
その横の男は、ミニカツ丼とミニかけそばだ。そういえばカツ丼食ってねえなと相当の思いでカツ丼に目が行く。カツ丼とかつ丼とどっちが正確なのだとふと思う。

人間は空腹になると決断力が鈍くなるのだ。
あの時あれを食べておけばと思わない様に、その時バシッと決断した。
日本酒あと二合、その後ミニカツ丼とミニもりそばセットにするぞと。
後輩も僕も同じでと言った。

何故かその店の女性店員はかなり走りこんだランニングシューズを履いていた。
そうだ、もう一人の愛すべき後輩がある賞をついに獲ったらかつ丼とカツ丼をたらふく食べさせてやろう。

2014年1月15日水曜日

「禁断の実(?)」




一九七〇年以降日本のミュージックシーンその全てに影響を与えていた大天才は「大瀧詠一」しかいない。

伝説のグループ「はっぴいえんど」でデビュー、松本隆、細野晴臣、鈴木茂と共に。
アメリカンロックを独自に解釈し編集されたサウンドはその後日本のミュージックに大影響を与えた。
一度聴いた曲は決して忘れないと言われる程の大記憶力の持ち主であったという。

’72ソロデビュー以降「ナイアガラ」レーベルを立ち上げ、アルバム「A LONG VACATION」「BACH TIME」を大ヒットさせた。
ジャズやロックンロール、ドゥーワップ、アメリカンポップス、ビートルズに代表されるリバプールサウンドやクレイジーキャッツや音頭に民謡、何かしら音楽の箱をつつけば大瀧詠一の名に行き当たった。

音楽への卓越した知識とそれを使いこなす知恵とウィットの織りなす知性の魔法は、純粋で胸躍る新鮮さと普遍的な魅力を持った楽曲を生み出したと、あらゆる音楽関係者はその名に最大限のリスペクトの言葉で表す。


その大天才は去年の大晦日の前日に突然死んでしまった。
解離性動脈瘤、家族の前でリンゴを齧った後に。
「はっぴいえんど」はハッピーエンドではなかった。
65歳であった。大天才は常に職人であろうとする姿勢を貫きラジオ以外のメディアに殆ど出なかった。

それが東北人の美学だったのだろう。
オレが、オレがの世界で稀有な格好良い男であった。
小泉今日子(怪盗ルビィ)、薬師丸ひろ子(探偵物語)、松田聖子(風立ちぬ)、太田裕美(さらばシベリア鉄道)、森進一(冬のリヴィエラ)、小林旭(熱き心に)、ラッツ&スター(夢で逢えたら)、山下達郎などなどに溢れる才能を提供した。

空前絶後の存在であった。
ラジオから、テレビから、CDからいい曲だなと思ったらきっと岩手県出身の大天才大瀧詠一が何かしら影響を与えているだろう(サンデー毎日1/26号『恋する音楽』内田正樹氏より参照)。

ステキな楽曲「君は天然色」そして「幸せな結末」だが皮肉にも不幸せな結末となってしまった。今夜はバカラグラスにバカルディラムを入れて大天才をじっくりと悼む。
山下達郎とラッツ&スターを聴く事とする。

一月十四日(火)テレビのニュースにはオレが、オレがの人間がうんざりするほど出ていた。で、十二時三十七分四十一秒音楽スタート。大瀧詠一に合掌する。
リンゴはやはり禁断の実なのだろうか。
ラッツ&スターの♪夢で逢えたらが染みこんで来た。

2014年1月14日火曜日

「ダメな事」




賢人曰く、便利さが新たな努力を麻痺させる。
世界、自然という大きな書物は、人間の心と同様、連続出来ない。
じっくり読み込み、心、技、体を充実させたい。
即効性の対策はすぐに化けの皮が剥がれ、水漏れする(偉い人の話はちと難しい)。

早い話、この世は便利過ぎてしまって、本来すべきコツコツした努力を失ってしまった。新聞を読んで切り抜きをし、ノートに貼ったり、本を読んでいい個所があったらノートに書き写したり、分からない事を百科事典や辞書で調べたり、色んな土地を歩いたりという地味な努力をしなくなってしまった。
機器の進化と共に人間は退化を始めてしまった様だ。

森羅万象の変化に気づかず、大自然と語る事もなく、人間が自然の一部である事を忘れて来たような気がする。何か一大事が起きて慌てて対策を講じても手遅れとなってしまう。
時間を敵にするか、味方にするか、いよいよ来たるべき大事のために備えている。
やる時はやる。何もしないと決めたら何もしない。メリハリをつける。

何かを世に出す時は自然体ではないとほとんど使えないものしか浮かばない。
酒を飲んだらウマイと思い。食した時は何でもオイシイなと思い。
青い空を見たらキレイだなと思い。夜空の星を見たらそれと語らい。
荒ぶる波を見たら静かになってとお願いし。
犬や猫や金魚を見たら元気で長生きせよと声をかける。
美人と出会ったら心を踊らせなければならない。

自然の心を大切にと心を新たにしてコツコツ努力を積み上げる。
決してゴツゴツしない。あくまでもコツコツが基本だ。
大事の前の小事にしっかりと対処する。

そのために知らない事は知る努力をだ、オイ分かっているのかトウモトサブロウと自らに気合を入れる。一月十三日成人の日、二十歳に戻ったつもりで青年の主張を書く。

清く、貧しく、美しく。それと新しくだ。
高校生のサッカーの決勝戦をTVでみていてつくづく思った。
勝負は最後の一秒まで分からない。素晴らしい試合だった。

121万人の成人たちよ、まずは遊べ、飲め、恋愛せよ、夜の世界で鍛えられよ。
人間を知るには酒という学校に入学せよだ。
コツコツ貯金をしますなんて決して思うなよ。若い内の苦労は買ってでもしろ!というからな。
年を食ってからの苦労は結構シンドイ、そのためにも嫌な事、面倒な事を買ってでもするんだ。

祝!成人式、ごっそりリタイヤした大人たちよ、成人式を迎えた時の自分を思い出そう。人生は毎日がスタートラインという。やる事は山ほどある。
こたつに入ってスマホなんてイジっていてはダメ、パソコンと睨めっこばかりしていてはダメ、ダメ、ダメだ。

2014年1月10日金曜日

「もぐろふくぞう」




パジャマから「パ」の字を引くと「ジャマ」になる。
長年身につけていたパジャマのオシリの部分が「パッ」と破れてしまった。
かなり大きい、修繕の価値なしとなってしまった。

つまりただのジャマ物となった。
それじゃ上着だけでも着るかと思っているのだが、不思議なものでパジャマは上下別々の柄だとどうにも決まらない。なんとなく落ち着きがなく、精神は不安定となりスッキリしないのだ。

そうだ、もう一着あったぞと思い探し出したらつんつるてんだった。
パジャマの破れた個所をしみじみ見てつくづくオシリの世話になっていたと感謝した。
左に傾く癖がある様で左の部分がすり減っていた。

毎晩パジャマ姿でシコシコ下手な文章を書いているし、新聞を読んだり、落語を聞いたり、映画を観たり、音楽を聴いたりとパジャマのお世話になっていた。
名残惜しいが近々お別れの儀式を盛大に行う予定とした。

使い古しの品ほど愛着のある物はない。
へたり込んだスリッパ。時々設定時間に鳴らない目覚まし時計。
ダボッ、ダボッとインクが落ちてしまう万年筆。
座り込みすぎて変形してしまった座布団。先っぽがバラバラとなってしまった筆。
変色してしまった小さな文机などなどこういう品々には未練があり、捨てたり直したりしない。

5本の内2本は灯りを失った蛍光灯、残りの1本は時々消えたり灯りがブルブルする。
この中でじっと本など読んでいると風流を感じる。
何しろ活字や写真や絵がブルブル見えるのだから。
狭い、雑然、使い古しの品々が側にあるのが理想なのだ。

ギュウギュウの空間から誰も考えなかった何かをパッと生み出す。
頭を動かす脳ミソがいい汗をかくまで考える。頭の中は使う程元気になる。

三年近く使っているバカラグラスはすっかり右手と馴染んで会話ができる程になって来た。お疲れさんとか、少しクールダウンしろビョーキになるぞとか、結構いい感じだったよとか語りかけてくるのだ。ぐい呑も使い込まないと語りかけてこない。湯呑みも茶碗も箸も同じだ。

さて今夜はずっと昔の作品、昨年末通販で買った「笑うせえるすまん」本編編約1484DVD18枚組を観る事とする(既に5枚見ている)。
ココロのスキマ♡お埋めします。
「喪黒福造(もぐろふくぞう)」が独特の笑い声で人間のココロの中に入り込んでくる。

グラスの中の氷がコロコロと動く。
全部見終わるまでには一ヶ月はかかるだろう。
原作・藤子不二雄A。ドストエフスキーより人間の心の闇を知っていた。

ウワァハハハハハ…。

2014年1月9日木曜日

「役者不足」


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今年第一回目の400字のリングです。
一年間の戦いの始まりです。

いつからこの国は政治、経済、重大事件を押しのけてサッカーがトップニュースの国に成り果てたのでしょうか。

一月八日(水)夜九時四十八分帰宅、土砂降りの雨が乾いたノドチンコにやけに気持ち良かった。愚妻はベトナムに帰る友人を羽田まで送るとかでいない。

半コート、ジャケット、ベスト、Yシャツと玉ねぎの皮をむく様に服を脱ぐ、で、とりあえず報道ステーションでも見るかとテレビをつける。

九時五十五分〇四秒画面に本田圭佑選手が出て英語でインタビューに応えているではないか。都知事選の候補者はどうなった、英国では日本で使っているのと同じ米軍のヘリが墜落、死亡事故が起きた。川崎の地検からいともあっさり逃走した犯人はどうした、7000人も動員して大騒ぎしているのに。

そんな事よりACミランに入ったサッカー選手のインタビューの方が大切なのかと思った(スポーツコーナーでやるのが筋)。
英会話はこんなに上達したという英会話教材の広告じゃあるまいし、本田圭佑選手のインタビューを長々とやっている(それを見ている自分のアホさに気づく)。
でもって他チャンネルにするとやはりトップニュースは本田圭佑選手のインタビューばかりだ。

日本人なら日本語でキチンと喋って通訳させろといたい。
自意識の固まりみたいな選手だからきっとそうするだろうと思っていたのだが、がっかりさせやがる。

がっかりといえば都知事選の本命が舛添要一氏だなんて気持ち悪くなってしまった。何度も離婚をしている男、自民党が野に下がったら自民党の役目は終わったと離党、新党改革なんてちんまい政党を立ち上げてもやっぱり辞めたというご都合主義の見本のような男。
 テレビが回り出すと黒いゴミ袋を出すシーンを撮らせる露骨男。
どこが国際政治学者だっていうのか、その功績は見た事も聞いた事もない。
精力絶倫だと自慢していたようだから都知事になったらきっと横山ノックみたいな事を起こす可能性が大だ。
細川護煕という元総理大臣が色気十分で後出しジャンケンを狙っているという。

友人の年賀状に「トウキョウが心配だ」と書いてあった。
役者不足に同感だ!いっその事、本田圭佑選手がACミランではなく東京都知事選に出て“得意の日本語”で気の利いたフレーズを放って欲しかったと思うのだ。

400字のリング第一回目は軽いジャブからスタートした。
皆様にとって新しい一年が実り多き年であります様に。

2013年12月26日木曜日

「良き年を」




今年最後の400字のリングです。

十二月二十五日列車内は酒の臭いでいっぱいでした。
家に帰りテレビをつけると、四十年の時を経て初共演という「吉田拓郎」と「小田和正」がギターを持って唄い始めました。

午後十一時四十三分十二秒。
吉田拓郎作詞・作曲の名曲「今日までそして明日から」です。
癌と闘いながら唄う吉田拓郎の姿に目頭が熱くなりました。

♪〜わたしは今日まで生きてみました 時にはだれかの力を借りて 時にはだれかにしがみついて わたしは今日まで生きてみました…そして今私は思っています 明日からもこうして生きて行くだろうと。

生と死が行ったり来たりしている、かつての暴れん坊が求道者の様でした。
今日生きていたからといって。明日生きているとは限りません。
吉田拓郎の少しいがらっぽくなった声に達観を感じたのです。

また明日から生きて行こう、そう思いながら眠りにつけばいいんです。
そして朝が来た事を知ったら、ごじゃごじゃ言わず、あれこれ悩まず前に向かって行こう。人生は毎日がスタートラインというではないか。振り返らない後には夢がないから。
皆々様に良き年が来ます様に。

新年九日より発信を再開する予定です。

2013年12月25日水曜日

「嘘と本当」


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二番から
♪あなた残したわるいくせ 夜中に電話かけるくせ 鍵をかけずにねむるくせ ねむるくせ あ〜一緒になる気もないくせに あ〜花嫁衣装はどうするの 僕は着物が好きだよと あついくちづけくれながら 冷たい嘘のつける人…

山口洋子作詞、平尾昌晃作曲「うそ」唄うのは「中条きよし」で大ヒットした。

♪あ〜半年あまりの恋なのに あ〜エプロン姿がよく似合う 爪もそめずにいてくれと 女があとから泣けるよな 哀しい嘘がつける人…
というのが一番の中の歌詞であった(二番が好きなので)。

十二月はホステスさんの稼ぎ時なのだが一年間の嘘の精算をしなければならない過酷な月でもある。絶対来るよと言った客は来ず、絶対支払うと言ったツケは支払ってくれず、絶対別れると言ったのに別れてはくれず、じゃんじゃんメールを入れても無視される。

“あの嘘つき野郎”と地団駄踏んでも今年も残り一週間。
マズイなあの店も、あの店も、あの店も行くからなと言ったきり行ってないもんな、と思うが今は出費を抑えて少予算映画の軍資金を作らねばならない。
それに会いたいなと思うタイプの女性もいない。
お金の有る人はどんどん銀座、赤坂に足を私の分までヨロシク!なのだ。

私が今年選んだ一文字は「嘘」だ。
十二月は反省を山盛り感じるので一年中で一番嫌いだ。
安倍官邸の「嘘」が大手を振ってまかり通り出した。
韓国軍に銃弾一万発、武器輸出三原則をいとも簡単に拡大解釈をした。
手打ちへの「嘘」の伏線だろう。

日本は何もかも「嘘」とは知らずアメリカに思いを寄せる。
沖縄県知事は普天間への移設を容認する。芝居がかった「嘘」がバレるだろう。
日本にとってアメリカほどタチの悪い愛人はいない。
身も心もボロボロになるまで貢がされる。これは「本当」の話だ。

アメリカにNO!と言える男が一人いたんだけど(?)。
ため息から何も生まれないが、つくづくこんな替え歌が浮かんでしまう。

♪〜あなた残したわるいくせ 消費税を上げるくせ 秘密の情報かくすくせ あ〜経済のことなどわからないくせに あ〜自衛隊をどうするの 僕は日本を愛しているといいながら 冷たい嘘のつける人。

孫娘からサンタさんは何処に居るのと聞かれたからフィンランドの森の中にたくさんいて、今夜十二時にきっとソリに乗って来るよと、嘘みたいな本当みたいな事を言った十二月二十四日から二十五日と日付は変わった。サンタさんがきっと来てますように。

2013年12月24日火曜日

「サービスの品」




タン、シロ、カシラ、レバー、カワ、シシトウ、イカダ、ギンナン、アスパラ、シイタケ各一本を食べる、日本酒一合、ハイボール一杯。

辻堂駅と繋がっている湘南テラスモールへ買い物に行った帰りがけである。
海風に乗って“ヤキトリ屋”の香り高く、誇り高い煙が少々空腹となった身に染みこんで来たのだ。先日“ヤキトリ”を食べたばかりなのにその誘惑に引きずられて入った。

十二月二十三日(月)、明日はクリスマス、モールの中は人、人、人。
混雑が大の苦手、人に酔ってしまう症状がイライラと出るのだが、ひとまずジューススタンドでブルーベリージュースのSサイズを飲む。

本屋さんに行き、メモをしておいた本の名を見せて、後でまた寄るからよろしくと言って次に目指す店に行く。
ショッピングはサッと見て、コレダッと思えばパッと決める主義だ。
若い頃勤めていたデパートの社員食堂で休憩に入った女性たちのオドロシイ光景、オドロシイ会話が私のトラウマなのだ。

「あのダッサイお客、何着たって似合わないのにあれも、これもとフィッティング、それから他のところも見てくるから」「ざ、けんじゃないわよね、買い物に時間かけて決めない男はサイテーよね、アッタマキチャウ」などと日々聞いていた。
売り場にいる時と休憩に入った時は、殆ど別人となるのがデパートの女性だ。
極稀に別人にならない女性もいるのだが、たいがい村八分のようにいじめられる。
「ひとりで気取ってんじゃないわよ」なんて言われてだ。

むかしのスチュワーデス、今のキャビンアテンダントなんかもほぼ同じ。
機内と社外では信じられない姿となる。制服という決まりに縛られている女性は、私服になると別人になる度が激しい。

オバちゃんあと二本食べたいんだけどと言った。
トリを焼く煙で黒くなった鼻の穴を少し広げ、脂ぎった顔を少し崩し、ボンジリと言った。で、ボンジリと合鴨を頼んだ。このヤキトリ屋夫婦とは三十五年位の付き合いだ。

ずっと、ずっと、ずーっとヤキトリだけの夫婦に感心する。
この夫婦は店内と店外で別人になる事はないと言われている。

午前十時頃から串刺しを始める、その後はずっと立ちっぱなし、パタパタ、パタパタ打ちっぱなし。店を閉じ洗い事や片付けをしてバタンキュー。
別人になる時間が無いのだと思う。
一週間に一日の休日はひたすら肉の仕込みに費やすのだ。
これサービスと言って出してくれたモロキューに味噌をつけながら、人生は日々同じ事の繰り返し、日々新たなりだと思った。

今年もあと七日だ。ボンジリに山椒を少しまぶして食べたらプリプリとし、ピリリッとうまかった。ボンジリは鳥のオシリの部分だ。
鳥だけは絶対苦手という心優しい知人もいる。
鳥と聞いただけで、トリハダが立つのだと。確かに串刺しにされている変わり果てた姿をじっと見ているのはツライ、もはや朝一番を知らせる、コケコッコーの声は出せない。
人間は何でも食べてしまう野蛮人なのだ。グイッ、冷えたハイボールが喉を通って行く。

2013年12月20日金曜日

「(一)と(九)」






(一)チンケ、(二)ニゾウ、(三)サンズン、(四)ヨツ、(五)ゴケ、(六)ロッポウ、(七)シチケン、(八)オイチョ、(九)カブ。
博打の中の一つ、「花札」では数字の事を符丁でいう。
一番強い数字は(九)カブだ。

十二月となるとやはりベートーヴェンの「第九」が定番といえる。
博打と「第九」の関係は全く無いのだが、悪い習性で「九」の字を見るとつい花札を思い出してしまう。今でこそ大ゲームメーカーとなった任天堂は花札でメシを食べていた。

十九日(木)氷雨、午後七時開演、サントリーホールは満員。
ベートーヴェン交響曲、第九番ニ短調作品125〈合唱付〉。
指揮D.R.デイヴィス、読響に初登場!演奏時間65分。
いや〜きましたね、全身総毛立つ、電気クラゲ100匹位に刺されたように、足のつま先から頭の中心まで痺れまくった。十二月の「第九」はやはり最強だ。

矢沢永吉も凄かったが観客がかなり違った。
何しろ万雷の相手で迎えられたのが、天皇、皇后両陛下だったのだから。
ウームいつの日か宮様たちもロックンロールやR&Bやウエスタンやモダンジャズのコンサートに足を運んでもらいたいものだ。

音楽はどんなジャンルでも素晴らしい。
国境を越え人間と人間、国と国が一つになれるのだから。

「おお 友よ、この調べではない!さらに心地よく 喜びにあふれる歌を ともに歌おう!」とか「そうだ、この地上にひとりでも 魂の友を持つ者も ともに歌おう」とか「抱き合おう!幾百万の人々よ!この接吻(くちづけ)を全世界に!」なんて大合唱をするんだから本当に神とか、創造主にひれ伏さねばならない気になってしまう。

日本で初めて「第九」が流れたのは191861日、徳島県鳴門市にあった坂東虜収容所であったとか。捕虜となっていたドイツ人が歌った。合唱は全員男であった。
サントリーホールの中に国境はない、捕虜もいない、階級もない。
芸術やスポーツの前では人間は一つになれる。

「幾百万よ ひれ伏したか? 人々よ 創造主を感じるか? 星々の天幕に 神を求めよ! 星々の彼方に 神は住み給う!」「第九」は歓喜の中に終わった。
天皇、皇后両陛下はずっとずっと拍手を続けていた。
不思議なオーラを放っていた。

二転、三転、七転八倒、東京都知事猪瀬直樹は未練をたっぷり残し終わった。
自らを政治のアマチュアだったと皮肉を込めて語った。
その姿に拍手を送る者はいない。あるのは罵倒の嵐だった。
親分への恩を仇で返した、花札でいえば(一)チンケなやつだったという事実だ。
(九)カブの様な人間が出てくるのだろうか。