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2015年8月25日火曜日

「日本人は分かんない」



筋肉がねえ、下を向いてつくようなDNAなんですよ、農耕民族だから田植えをする、畑を耕す。クワやシャベルを使って土を掘る。種をまく、野菜を取ったり、稲や麦を刈り取る。しゃがむ、座る。

縄文弥生時代からずっと日本人の筋肉は下向き作業に向いているように発達した。
だから狩猟民族のように空や木の上を見る、遠くにいる獲物を見つけて走る、飛ぶ、投げる。その筋肉とはまったく違う。
と一人のスポーツインストラクターがいった。

胴長で足が短いのもそのせいらしい。ようするに陸上に向いていないらしい。
マラソンは強いでないかといったら、あれは飛脚のDNAが生きているんですといった(?)



世界陸上を見ていると世界がどんどん遠くなる。予選突破位で大喜びだから。
下ばかり向いて来たから、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」なんて歌が出来た訳だ。無理やり上を向かせていた株価がどっかーんと下がった。私の予想通りだ。

そのかわり(報道ステーションでは)内閣支持率が6ポイント上がった。
な、なんと不支持率は9ポイントも下がった。日本国民とは本当によく分からない。
チーフエコノミストといういかがわしい予想屋が多い。

中でも××総研チーフエコノミストの「××××」なる男はいい加減の極みでまったく当たらない予想屋だ。外れたってシラーとしていて、下がったらちゃんと上がる時が来るんですね、なんてバカヤローだ。
みなさんエコノミストなんていう無責任男にソソノカされて絶対株なんか買わないで下さい。
ハマグリみたいなツルッとした顔、その上に髪の毛をつけて七三に分けて、したり顔で外れ話をするのが東大出の××××です。

そうだ思い出した、日本人の筋肉は畳やマットの上では強い働きをする。
柔道やレスリングみたいな下を向いてやるスポーツにはいいらしい。
特に寝業は得意、何故かは説明しなくても分かるはずです。

どうやら自民党では安倍晋三総理に何もかもやらせてしまって(在案一掃セール)、来年の参議院戦では負ける、それからだと決めたようだ。
あっちこっちの畳の上の寝業でそう決めたのだろう。

オリンピックの競技場やエンブレム問題、大阪寝屋川のむごたらしい事件。
中国での相次ぐ爆発、猛烈な台風、タイの爆弾テロ、日本にある米国基地での爆発。
北朝鮮と韓国の揉め事問題、世界同時株安などが次々に起きた。

“戦争法案”の話題は下火になった。
自民党の高官たちはこれを大いによろこんでいるという。
あわよくばもっと上を狙う寝業が得意らしい。だが世の中は思い通りには行かない。
キリストの七つの大罪の一つに「強欲」というのがあった。

むかしはアメリカがくしゃみをしたら日本が風邪を引くといわれたが、今は中国が風邪を引いたら世界が寝たきりになってしまう。

2015年8月24日月曜日

「許されざる者」

許されざる者


私は現在無宗教である。
信教は自由だから、誰が何を信じていても全てOKで付き合える。
但し“金”を信じている人は苦手だ。

BS日テレに金曜日午後八時から九時まで「ぶらぶら美術・博物館」という番組がある。
二十一日は元サントリーの名物宣伝部長だった若林覚さんが館長をしている練馬区立美術館の「舟越保武彫刻展・まなざしの向こうに」であった。

久々その夜は間に合った。若林覚さんはサントリー美術館の館長もされていた。
博覧強記の人である。実はこの展覧会のご案内をいただき招待券も同封してもらっていた。舟越保武さんのご子息が舟越桂さんというやはり高名な彫刻家である。
岩手県出身であるが練馬に在住していたことがある。
数ある作品が紹介されたがやはり心打たれたのは、かつて長崎で見た〈長崎二十六聖人殉職者記念碑〉である。
確か長崎で見た時にも聞いた話だが改めて聞いた。

解説者が二十六人のキリシタンの中に(11才だか12才だと思う)一人の少年がいた。
改宗するなら命は助けてやるといわれると、少年はこう応えたという。
「つかの間の命より、永遠の命を」と。豊臣秀吉は極めて残虐である。
キリシタンを殺してしまった。二十六人は耳などを切り取られ処刑された。

キリスト教信者とは何をどこまで信じているのだろうかと思う。
信心とはを考えさせられる。少年の言葉がグサリと胸に刺さる。
私たちはあまりに「つかの間」に生きていないだろうか。刹那的でないだろうか。
今さえよければ、明日のことなんかと。自分たちさえよければ人のことなんかと。
天災や人災に遭った人はついてないんだよと。

二十二日(土)TBS夜、世界陸上の続きで十時三十分〜情報7daysブロードキャスターを見た。ビートたけし、齋藤孝(どっかの出たがり大学教授)、毎日新聞の××委員(バカ女)この三人の言葉に耳を疑った。

サディスティックに殺された中学生男女の事件についてこういった。
ビートたけし→むかしいたうるさいオジサンみたいなのがいなくなった。
夜遅くまで遊んでいたらいけないと注意する人がいないから。
齋藤孝→中学一年生が家に帰らずテントで暮らすなんて。もっと監視の仕方を考えねばとか。
解説だか論説委員→この間まで小学生だったんですよね、夜遅くに遊ばすなんて、とかすっかり他人事であった。

つまり三人共殺人を犯した(まだ容疑者だが)であろう人間に対してひと言もコメントしなかった。現代社会における少年少女の行き場のなさを生んでいる社会を語らず、ただ中学生が夜遊びしているから悪いんだよという強い印象を受けた。

実に不快であった。
局側からまだ容疑者だから余計なコメントは避けてといわれていたのだろうがあまりに一方的であった。「つかの間」にばかり生きている社会を考えなおさねばならない。
毒を失ったビートたけしは、すっかり体制的になってしまった。

あなたがもし大事な息子や娘、大切な孫を無残に殺されたらどうしますか。
私なら必ず復讐をします。徹底的にやります。映画「許されざる者」の主人公のように。目には目を、歯には歯を。
キリスト教はイエスではないのでしょうか(?)

舟越保武展は九月六日(日)までです。永遠の命とはを見に行って下さい。
現代社会の許されざる者の第一は私たち大人だ。その犠牲者が幼子や迷える少年少女だ。つかの間でいいからそのことを考えよう。

2015年8月21日金曜日

「ほがらかな日を」




猛暑の野郎いい加減にしろよと思いつつ、必死に耐えた夏が終りに近いことを、コンビニの入り口で風に揺れる旗差し物で知った。
赤ベタに白ヌキでどっか~んと「肉まん10%引きセール」とユラユラしていた。
始まったばかりなのに即10%引きセールに相当のヤル気まんまんを感じた。
前日までその場にあった「涼味抜群!冷し麺」青ベタのに白ヌキの旗差し物は主役の座を追われたかのように片隅に移動されていた。

店内に入ると人気を集めていた花火類がすっかり下火になっていた。
又吉直樹先生の「火花」は売れているが売れ残った花火はどこへ行くのかと思った。
深夜二時近いコンビニの店内はなかなかに映画的である。
レジ前のテーブルの上にある、パックに残ったアジフライ一個はどこの家へ。
パックに入った四個のギョーザは誰の口へ。
その横にあるパックに入った五個のシューマイはいかなる運命に。
アジフライはかなりカチコチになり、ギョーザとシュウマイは変色しながらカリカリになっている。
月刊文藝春秋とウイスキー山崎のポケット瓶を買う。
夏ももう終りだなぁ~と男の店員にいう。えっまだですよと応える。
アジフライにギョーザにシューマイ、こんなになったの誰か買うのと聞いた。
いますよ、ちゃんと売れますよといった。
こんなかんじになった方が好きというお客さんがいるんですよ、へぇ~そうなの一度会ってみたいねそういう人にといった。
あそこの花火なんかごっそりあるけど売れ残ったらどうするのと聞いた。
海岸に持っていって火をつけてバッバッバーン、ドドーンですよ、なんてウソですというではないか。
キミはなかなかいうねといったらバイトですといった。
私はこういう若者がとても好きなのです。
どこの大学だいと聞いたら文教大学ですと応えた。一年留年してましてといって笑った。
キミは社会に出たら使えるよといったら、本当ですか、すいませんアルコールを買っていただいたので、私は20才以上ですの「はい」をタッチして下さいというから「はい」を押した。
変な会話をした後店を出た。
今年の夏はいい夏でしたかと聞かれたら「はい」とはいえない。
何しろテレビも新聞もオリンピックのエンブレムのニュースばかり、おつき合いはないが同じ業界の有能な人材が盗作だ、パクリだと袋叩きになっているのはとても辛い。
「鬱」を経験した私は本人の表情がどんどんシンドクなっているのが心配だ。
仲間たちよ、仲間の心身を守れと思っている。

昨日昼、仲間四人と尊敬する葛西薫さんの紫綬褒章を祝うランチ会をした。
葛西さんもとても心配していた。「ほがらか」でとてもいい男なんですよねといった。

この頃国全体が「ほがらか」というステキな言葉を失っていたことに気づいた。
残暑に向かいほがらかでありたいと思った。
というよりかくあってほしいと願った。
いつものグラスにウイスキー山崎を入れてグビッと飲んだら少しだけ体がほがらかになった。

肉まんを食べる気にはまだなっていない。次はいよいよ「おでん」だろう。

2015年8月10日月曜日

「いい夏休みを」




皆様、暑中御見舞い申し上げます。
「かろうじて」という言葉がありますが、正にかろうじて熱暑の中を歩いております。
重い鞄を持ち銀座松屋の前を歩いていたら老婆に追い越された。
ヤバイ俺は相当にヨタヨタ、トボトボと歩いているのだと思い、老婆を追い越しにかかった。だがしかし、ことの他老婆は速くというか私の足が重く追い越すのにやっとの思いだった。

昼、金沢料理の店の和食弁当を食べるのに箸が重く進まず、お茶碗のごはんを半分かろうじて食べた。少しのおかずで腹一杯。
外に出ると熱風が全身を襲いなんだこりゃあと声を発し遅歩、遅歩(こんな言葉はない)と重ね仕事場に向かった。あっという間に汗びっしょりとなった。

歩道橋を渡る時、大きく息を吸い込みヨシ気合だと階段を登った。
見た目20代の建築職人さんが二人缶コーヒーを飲みながら、階段をひとっ飛びしながら追い越して行った。さすがに職人さんを追い越す気合はなく、かろうじて大股で一段ずつ飛ばして登った。二段に挑戦しようと思ったがやっぱ止めとこと思いマイペースにした。

400字のリングは八月十七日まで休みとします。
十七日はサントリーホールで読響のコンサートを聴いて気合を入れます。
「運命」と「未完成交響曲」です。愚妻と共になのでなんとなく運命を感じ、未完成を感じるのです。皆様どうかいい夏休みをお過ごし下さい。

決してひとっ飛びなどしないで一歩一歩ゆっくりとを心掛けて下さい。
“かろうじて生きる”というのは生き方の極意だとどこぞの高僧がおっしゃってました。
ほどほどがよいということなのでしょう。

湘南の地に来ることがあればお電話下さい。
旨い鳥仁の焼鳥を食べながら冷えたビールでも共にしましょう。

海岸に行くと早トンボちゃんが気持ちよさげに風の中にいます。
夕陽は赤く大きくすでに秋を呼んでいます。小林旭の「赤い夕陽の渡り鳥」など口ずさみながら自転車を走らせています。

八月八日はもう暦の上では「立秋」です。

2015年8月6日木曜日

「一戸広臣さんのスイカ」




暑い、暑い、もの凄く暑いという飛び切りのぜいたくを毎日味わっています。
ガリガリ君をガリガリ一日一本、青いカキ氷を四日に一個、ソフトクリームを週に一本、冷やし中華を月に三回、冷麦、ソーメンをほぼ毎日交互に。

赤いスイカをあるまで少しずつ。
と思っていたら青森の陶芸家、一戸広臣さんからどーんとでっかいスイカが二個送られて来た。津軽亀ヶ岡焼きで有名な陶芸作家さんだ。
これでこの夏はスイカを買い求めないですむ。

一戸広臣さんのお宅の庭には竪穴住居がある。
アトリエ&ギャラリーに来た人をここで歓待してくれるのだ。目の前は広大な畑だ。
その畑で生まれた数あるスイカの中から選ばれた二個が、私の目の前にでーんとある。
何か運命的出会いを感じる。

縄文人はスイカを食べていたのだろうか。
今でも3000坪を100万か200万で買えるのだろうか。
はじめてお宅に行った時、30分以上車で走って一軒の家もなかったと記憶している。
畑買って住みませんかと一戸広臣さんはいった。
巨体から出る言葉はこれ以上なくやさしい。

人間らしい人に会いたいと思ったらぜひ訪ねて下さい。
きっと竪穴住居で鮎やイワナなどを焼きながら旨い酒を自慢の器で出してくれます。
とてもステキなご夫婦です。

「ラ・ベットラの側」




午後四時十分三十六秒、銀座二丁目20番と表示されている電信柱がある。
そこにはスタンド式の灰皿が置いてある。つまり喫煙所なのだがどうにもシマらない。

男三人、女性二人が口から、鼻から煙を出していた。
五人共に汗びっしょり、オバさんは手に買い物袋を持っていた。 
大根とネギと枝豆が入っていた。

若いOL風は左手にスマホを持ち器用に手を動かす。
突然笑い出したので隣にいた中年会社員風の男がビックリする。

ビックリした男の隣にいたのは目の前の機械屋の主人だ。
暑いなあ〜と声をかけると、晴れ晴れするほど暑いな、夏はこうでなきゃといって煙草を旨そうに喫い込み大きく煙を出した。

自転車の前カゴに黒く重そうな鞄を入れた金融関係風の若い男は電信柱に 〉の字になって寄りかかり大きくため息をついて頭を左右前後に振った。
口から出た白い煙も不規則に動いた。みんな揃ってマッタリとしグッタリしていた。

ほんの十秒の間に銀座二丁目20番地の盛夏があった。
夏の煙草はあまり旨そうじゃないなと思った。
直ぐ側にある予約の取れないイタリアンレストラン「ラ・ベットラ」に女性が四人、店の外の木の椅子に座っていた。食べる気満々の感じであった。

2015年8月4日火曜日

「野火を観よ」




動物、植物、魚類、貝類、雑草、樹木、昆虫、鳥類、それに人類など。
大きな本屋の図鑑コーナーに行くと、えっ、こんな図鑑もあるのと驚く。
人間の歴史はこの図鑑に載っている物をすべて食べて来た歴史なのです。
はやい話人間は空腹に耐えられず、飢餓はいかなる人間も克服できなかったのです。

私が生まれた戦後は慢性的な食糧不足であった。
私たちはツバメの子がエサを求めるようにピーピー鳴きながら、親がエサをとって来てくれるのを待った。
都会に住む人々は、買い出しのために窓から身を出し、こぼれ落ちるほどのすし詰め列車に乗り、地方の農家へ向かった。
そして頭を下げて回り、ダイヤモンドと米を交換し、絹織物とジャガイモ、加賀友禅とダイコン、ニンジンなどと交換しては、大きなリュックサックを背負い帰って来た。
宝石類や時計にカメラ。刀剣や鎧兜、書画骨董類も胃袋に入っていったのです。
ハシッコイ者たちは、農家を回り、国宝級の名品を安値で手に入れて莫大な財を築いたのです。
何しろ元手はタダ同然だから。
今でも農家のどこかに名品はガラクタとしてあるはずだ。

鎌倉や銀座、青山の骨董屋に時々ブラリと入る。(買ったことはない)
その店の主人たちに共通している目付きがある。刑事の目である。
店に入ると必ず上から下へ、下から上へと人間をそっと値踏みするのだ。
一度ある店の主人に、骨董商なんて戦後の空腹が生んだんだぜ、ドロボーの上前ハネて生まれたんだぜといったら、こりゃまたダンナずい分とキツイことを、なんてヘラヘラ抜かした。
そこにある50万の壷なんてきっとどこぞの殿様のタン壷だったんだよ。などと悪タレをついてやった。
目付きのいい骨董屋さんに会ったことは殆どない。

今、渋谷ユーロスペースで戦記小説の名作「大岡 昇平の『野火』」を上映している塚本晋也監督・主演だ。
この作品を戦争法案賛成の全員に見せるべきだと思う。(食前でも食後でも)
人間が図鑑と名のつくすべてを食べて生き抜こうとした悲惨と無惨と執念が分かるはずだ。

2015年8月3日月曜日

「白昼夢」



虚無的な中年ヤクザが何年振りかで娑婆に帰って来る。
人を殺して刑務所に入っていたのだ。
駅から出てあふれんばかりの人混みを見て、男はつぶやく。
「こんなにたくさんの人間がいる、その中のどうしようもない人間を一人位殺してもどうってことはねえじゃないかと。」
正確に憶えていないがこんな出だしの映画だった。猛暑の頃になるとこの映画のことを書きたくなる。
原作/石原慎太郎、監督/篠田正浩、主演/池部良/加賀まりこ、であった。
映画の題名は「乾いた花」である。

水分を失ったドライフラワー。生きる目的を失った中年のヤクザはドライフラワーであった。
そこに現れた不思議な若い女、男にとって束の間の水分であった。少しだけでも生きる目的を持った。
篠田正浩の映画ではこれがNO.1だと思っている。

なんで人を殺したんだといわれ、「ただ太陽がまぶしかったから」と応えたのは、
確か小説「異邦人」の主人公の男だった。
映画ではマルチェロ・マストロヤンニがその役を演じたと思う。

猛暑は人間から、理性も知性も蒸発させてしまう。又、汗として体から流れ出す。
そして思考回路は停止してしまう。
熱に刺された人は正気を失い、狂気は玉のような汗をかき続ける。
その存在に生温かい殺気を感じる。何だろうこの人たちの殺気は、だらしなく大きく広げた足。
何かをクチャクチャと噛んでは道路にペッとはきすてる。
何人も道路脇に座り込んでいる。首にタオルを巻いた太った他国の男たち。

太陽がまぶしかった私は、異邦人の主人公のようにピストルを持ってなくてよかったと思った。
私は白昼夢を見ていたのかも知れない。

2015年7月31日金曜日

「アキマ変」




人生とは勝負、勝負の連続作業だ。
もう駄目だと思ったら負の連鎖、負の渦へと巻き込まれる。

勝負には運とツキがどう動くかがポイントとなる。
運とツキは法則化されていないから自分で読むしかない、その他に“ケチ”が付くという厄介な事もある。大金を払っても、いかなる権力や地位を利用しても、決して買い求められない、手に入らないのが“運とツキ”それと“ケチ”だ。

2020年東京オリンピックにケチがいろいろと付き始めた。
プロの博打場ではこんな時は、場がクスブルとか腐るという。
場がブシイ(渋い)ともいう。厄(ヤク)な場ともいう。
厄とは文字通り“イイコトナイ”という事だ。厄払いに行く人も多い。

何もかもやりたい放題であった安倍一強政権が運を使い果たし、ツキに見放され、ケチが付き始めメロメロとなって来た。新国立競技場のザハ案はシナ(ナシ)の話に。
安保法案は“戦争法案”にとネーミングされ、憲法学者の99%に違憲といわれグダグダに。最側近の人間は、法的安定性なんて関係ないなどと口走り(実は本音)運の尽きはいよいよ加速する。仕方ないからわずか15分だけ国会で詫びを入れさせることに。
沖縄の新聞社は潰せとか、マスコミ殺すには広告を止めさせろなどと広言しては、大厄を生む。こういうのを「ヤクな奴」という。

一強だと思っていたのが「早く質問しろよ」のひと言で、一気に場を腐れさせた。
こうなるともうイケマセン街道を全力に走り出す。“アキマ変”となる。
過去に学ばない者は、今が見えない、という。
権力を滅ぼすのは権力者がバカにしていた大衆と、権力者がかわいがっている側近、お友だち、そしてヤクな奴なのだ。

以前にも書いたが、本物の勝負師は運を使いきらず残しておく。これを遠慮という。
何しろ運とツキは気まぐれだから最大限の敬意が必要なのだ。
麻雀をやった人なら分かるはずだ。
ポンだチーだと食いまくりガツガツ勝ちにこだわる人間は、最後の勝負が終わったら“ハコテン”になっている。
ハコテンとはスッカラカンの事(またはハイナシともいう)。

今、運もツキもない、ケチが付いてばかりだと思って悲観している人がいたとしたら、決してメゲず、アキらめずに一生懸命自分を励まして下さい。
きっと運とツキが回って来ます(私もそれを信じているのです)。
人を裏切ることさえしてなければ。それとヤクな奴とは付き合わないように。
“アキマ変”になりますから。

法的安定性のない国を一般常識では“独裁国家”という。
私が知るところでは東大法学部で勉強ばかりしていた人間は、ヤクな奴がとても多いのです。

2015年7月30日木曜日

「誰か物理的に」






昨日午前一時三十分〜二時、NHKで大好きな番組、タイムスクープハンター「戦火の女たち」の再放送を観た。戦国時代の話である。時代考証、キャスティング。
この番組に勝るものはない。

かねがね思っている疑問がある。
どの歴史作家も、歴史家も、学校の社会科の先生も私の問いに応えてくれない。
東京ドーム球場が超満員になっても45,000人位だ。
試合が終わって水道橋の駅まで延々と人、人、人が続く。

新幹線で関ヶ原を通る度に、あの関ヶ原の合戦は話半分、その半分、そのまた半分位ではと思う。東軍10万、西軍10万はあの狭いところに入らない。
鎧兜を身につけた武士、重装備で馬に乗る武士、鉄砲に刀、槍、弓に矢、馬のエサと水は、軍備は多い。

当時の平均身長は155158センチ位。
鍛え抜かれた化け物みたいな武士でも重い長太刀はそうそう振り回せない(まして片手では)。10万人と10万人がおにぎり一個ずつで20万個、たくあん一切れで20万切れ、水一杯ずつで20万杯。鉄砲で撃たれ、刀で斬られ、槍で刺されても即死は少ない。
手を失い、目をつぶされ、足もやられ、傷つき血だらけの武士や雑兵たちはどこへ行ったのか。あっちこっちに逃げ込んだ雑兵たちは何をしたのか。
戦争という狂気の中で何が起こったのか。10万の兵と10万の兵が本当に戦ったのか。
午前中小早川秀秋の裏切りがあり、東軍の勝利でハイ終わり。
後は落武者狩り。私の知る限り、10人と10人が素手で喧嘩しただけでも大変だ。

真説関ヶ原の合戦を“物理的に”考察してほしいと願う。
残念ながら無学の徒である私にはできない。生きている内にぜひ知りたいと思うのだ。
20万人がどう集まり、何を食べ、どう排泄して、どの道具で、どう殺し合い、傷つけ合い、どう逃げ回り、何をしたのかを。

誰か教えて下さい。誰か書いて下さい。誰か話を聞かせて下さい。
刀一本で人間一人斬り殺すのが如何に大変かは刀を持ってみれば分かる。
何しろ重いのだ。馬に乗って刀で斬り合うなんて一分か二分もすれば相方ヘトヘトだ。

私が長い間に観た戦国合戦映画シーンで一番リアリティがあったのは、木下恵介監督の「笛吹川」だ。時代考証も随一であった。
大ファンである黒澤明は「七人の侍」がNo.1だが、野武士たちとの戦いだ。
「乱」も「影武者」も動く絵コンテであった。

私は木下恵介が関ヶ原の合戦を監督したらどうであったかと思いをめぐらす。
撮影は勿論、楠田浩之。皆さん想像して下さい、20万人の人間が移動してどこかに集まり、石ころの投げっこをしたら、チャンバラごっこをしたら、槍の突き合いをしたら(長槍なんかとんでもなく重い)私の疑問は解決しない。
あの頃の鉄砲では急所に当たらない限り何発当たってもすぐには死なない。“講釈師見て来たような嘘をつき”こんな表現もある。歴史小説は嘘をついても許される。
老人、女性、子ども等はあの合戦の日、何をしていたのだろうか。
断末魔と化した武士や雑兵たちを前に。

仕方ないので今年の夏は真説関ヶ原の合戦を追ってみようと思っている。
まずタイムスクープハンターの監督、中尾浩之さんに会いたいと願う。
天才中野裕之監督が確か時代劇を手がけるといっていたのを思い出した。
ぜひ実現してほしい。名作サムライフィクションは斬新であった。(文中敬称略)