ページ

2016年2月9日火曜日

「私は誰?」




私が大尊敬する韓国映画界の巨匠、キム・ギドク。
その最新作を昨晩午後八時四十五分〜十時四十五分に観た。
この日、この時間しか私の予定上観れない。

ヒューマントラストシネマ有楽町での上映はもうすぐ終わる。
何しろこの監督の映画は凄すぎてお客さんはキム・ギドク崇拝者以外あまり入らない。
韓国の映画界でも同じだ。だが世界の映画界での評価はこれ以上なく高い。
ベルリン映画祭監督賞、ヴェネツィア映画祭金獅子賞・監督賞、カンヌ国際映画祭ある視点賞受賞等、海外に出品すれば世界の映画人から最大級の賞賛を受ける。
だが韓国では徹底的に嫌われる。ネット上でこれでもかと叩かれる。
お客さんを呼ぶために映画は作らない、自分の意思を絶対に変えないからだ。

ヒューマントラストシネマ有楽町の観客は20人程であった。
映画の題名は「殺されたミンジュ」韓国での題名は「イルテル(一対一)」であった。
ミンジュとは“民主”との意味。「殺された民主主義」という題名だ。

キム・ギドクは低予算でつくるため、この映画は撮影も自分でしている。
カメラマンとの打合せをする時間ももったいないという。
主役のキム・ヨンミンは何と一人8役だ。
何故一人8役か、それは一人の人間の中に何人もの人間が存在するからだ。
少女を殺したのは誰か?事件後一年経った時、少女殺しの実行犯は一人一人と拉致され、ある時は軍服で、ある時は秘密警察で、ある時は暴力団で、ある時は…と次々と変わる。キム・ヨンミンも被害者であったり、加害者となる。

拷問の方法も変わる。残忍を極める。
拷問にあった者は上の命令だから、その上の命令だから、そのまた上の命令だからと口を割る。つまり国家機密の命令はどこから出ているのか分からないのだ(上司の命令は絶対なのだ)。

海軍にいた男が自分の娘を殺される。
その復讐のためにネット上で集めた(と思わせるセリフがある)人間を使う。
映画の主題は“私は誰か?”なのだ。私たちには父と母がいた。
その父と母にも、父と母がいた。
その父と母にもと辿って行くと途方もない遺伝子の歴史がある。

私は誰か?とは、人間とは何か?であり、原題の一対一は国家と国民とは何か?に行き着くのだ。現代社会において人の不幸はその人のせいであり、その家のせいであり、自分の不幸は人のせい、他人のせい、世の中のせいなのである。
人は明日被害者になっているかもしれず、明日加害者かもしれない。

映画の中で権力の中枢にいる男が拷問を受けながらこう言う、「上からの命令だ、水槽の中にどじょうを一匹入れておとくと動かずに死んでしまう。だがそこにライギョを入れる、どじょうは食べられたくないと動きまわり長生きするんだ」と、つまり国家はライギョであり、国民はどじょうという事だ。
日本の最高権力者もアメリカの最高権力者も、英・仏・露・中どの大国の権力者の上にも命令を下す者がいる。
それが誰か?は権力者たちも分からない(それは神かもしれない)。
権力者も実はどじょうなのだ。こんなメッセージをキム・ギドクは低予算で作り上げた。

キム・ギドクはかつて軍人であった。やがて画家となり、独学で映画を学ぶ。
“私は誰か?”一度考えてみると何もかもが分からないはずだ。
何千年、何億年前の遺伝子を引き継いだ自分がそこにいるのだから。
鏡の中の自分を見ていたら、気持ちが悪くなってしまった。

キム・ギドク最高!

2016年2月5日金曜日

「親友は」



水に落ちた者はとことん叩くのがマスコミだ。
元プロ野球選手、清原和博の覚せい剤使用を追って刑事たちが、ゴミの中からその成分のある物を見つけたと報道されている。

これを知って土佐出身の刑事の話を思い出した(飲み仲間であった)。
この刑事は強力班(ごうりきはん)であった。殺人、強盗、強姦、強奪などを担当する。警察の中でも花形である。彼等は事件が起きると徹底的に“地取り捜査”をする。
いわゆる聞き込みである。
最近あの家では寿司とかうなぎなどをよく出前させてないか、車を買い換えたりしてないか。あの家の夫婦はよく喧嘩してないか、ご主人は外泊をしてないか。
タクシーをよく利用するようになっていないか。
奥さんの服装が派手になっていないか、派手な下着類を無造作に干してないか。
店屋物の入れ物はちゃんと洗って出しているか、それとも食べたまま出しているか。
あの家の息子は、娘は、子どもは…。
おじいちゃん、おばあちゃんはなど少しの変化も見落とさない。

クリーニング屋さんに行って何か変なシミはついてなかったか、床屋さんや美容室に行って変なキズがなかったか、また薬局へ行って消毒薬やガーゼなどを買わなかったか。
当然病院へも行く、こういう捜査を二人一組×何組とで延々と続ける。
凄腕の猟師と猟犬が追うのだからまず逃げ切れない。
だが未解決殺人事件の犯人は200人以上も世の中で息を潜めている。

何故清原和博を2年以上も追ったか、大物や有名人を挙げれば大金星だからだ。
その影でお目こぼしになる者たちが多数出る。“一罰百戒”大物は見せしめとなる。
清原和博は初犯だから、執行猶予となるだろう(他に何かやってなければ)。
大きな事件を解決したり大物や有名人を起訴にすると、乾杯!宴会となる。

私の推論だが清原和博逮捕でいちばんホッとしているのは、離婚した妻だろう。
あーこれで廃人にならないで済むはずだ。
これで危ない世界の人たちは、あの人から手を引くだろう。
覚醒剤で捕まって刑務所まで行った江夏豊さんも今では名球会に復活した。
栄光と伝説は生き続けている。野球界はきっとやり直しを見守ってくれるだろう。
子どもたちは傷つくが、父清原和博を許す日が来てくれるだろう。

シャブ漬けから守ってくれるのは、今は警察しかない。
後は自分の強い意志だ。
プロ野球の元旦ともいう二月一日のキャンプインに合わせて清原和博逮捕の裏に、警察のこんなメッセージがあるのではないだろうか。
これ以上シャブをやったりしたら許さないぞ、清原和博だってパクるのだから。
しっかりキャンプに励め、プロ野球を潰さないために。野球を愛する私もそう思う。

孤独に耐えられない人間はシャブに頼る。
周囲が孤独にさせないようにしなければならない。
家族や栄光、地位や全てを失っていても。決して友情は失ってはいけない。
本当の友情はスッテンテンになった時に分かる。
人生の内で一人でも親友ができたら最良の人生だと言う。
それほど親友と友情はつくるのが難しいのだが。清原和博の親友はさて、誰かだ。
(文中敬称略)

2016年2月4日木曜日

「もしかして?」

ウ、ウ、ウェッ、ウ、ウ、ウェッ。
男は頭を前後左右に動かす。
隣のオジサンにもたれかかる。オジサンはせっかく座ったグリーン車の席を立ってしまう。
つっかえ棒のなくなった男空いた席にズ、ズ、ズーと倒れ込む。

靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、白いワイシャツを脱ぐ。
目はずっと閉じたままだ。
肌色のVネックの半袖シャツになった。

東海道線小田原行きに新橋から乗車した。二階建てグリーン車はほぼ満席、私は下の方に空席を見つけてそこに座った。

後ろから四席目、通路側、窓際にエビスの缶ビールを飲む初老の紳士、通路の向こう隣にスマホを見ている34・5歳の女性、私の前席の窓際に何を飲んだのか、35・6歳のスポーツやってた風のガッツリした男。この男がグデングデン、グニョングニョン、ウ、ウェーギモヂワルイなのだ。

品川、川崎間で隣のオジサンはぶっかけられたらたまらんと立った。
その横の通路に立っていた男は、シメタ座れると思ったが、グデングデンの男が空いた席を上半身で塞いでいる。

斜めになった体、裸足の両足、すっかりワイシャツは脱いでしまっている。スマホを見る女性がその男をチラチラと見る。
最低にして最悪という顔をしている。

ウ、ウ、ウーと言っている内に横浜に着いた。と、その時男はどどっと席から滑り落ちた。降りる人がアホ、バカみたいに見下ろす。
列車が走り出す。スマホを見ていた女性は他の空いた席に移動した。

そこに何も知らない27・8歳の女性が座った。
この女性もすぐにスマホを見ている。
アー、ウェーと男がスキマから体を起こして、女性のところにぶっ倒れた。キャー、ギャー、ヤメテェー、イヤーと大声を出して立ち上がった。

誰が告げたのか、列車が戸塚駅に着くと、駅員二人、乗務員一人が来て男をズルズルと引きずってホームに出した。
上着やら靴やら靴下、ワイシャツ、茶色の鞄を乗務員が持っていった。男はホームにコの字のようになっていた。
ずっと目は覚ましていない。もしかしたらあのまま死んだのかもしれない。

男がいた席から酒の臭いが立ち込めていた。
10年振り位に出会ったシーンだった。何があって、何かを飲み過ぎたのだろう。きっとシラフの時はやさしくて、控え目で、きっといい男なのだろう。
友だちになりたいなと思った。

〝飲んだら乗るな〟そんな交通標語を思い出した。
時計を見ると夜十時半を少し過ぎていた。クリスタルカイザーのペットボトルが転がっていた。

2016年2月3日水曜日

「話題沸騰!」



「ポレポレ東中野」といえば、ドキュメンタリー映画の聖地だ。
本橋成一さんという世界にその名を知らしめているドキュメンタリー映画の大作家がオーナーだ(だと思う)。

一階にカフェレストランがある。
ビルの最上階に本橋成一さんのオフィスがあり、地下一階が映画館だ。
座席数は150席位である。
本橋成一さんとポレポレ東中野についてはネットで検索してほしい。

ここで書くのは先週友人三人で見た「ヤクザと憲法」という日本映画史上初のドキュメンタリー映画のことだ。またまた東海テレビの制作である。
公開以来ずっと満員状態、それ故ロングランにつぐロングランである(2/26まで)。
大阪西成地区を縄張りとする、指定暴力団二代目東組系二代目清勇会の事務所にキャメラは入った。東組の構成員は約250名、清勇会は27名であった。
「わしら人権ないんとちゃう?」がチラシのキャッチフレーズ、暴力団対策法から20年「社会」の淵が見えてきた。
「ヤクザと人権をめぐる、東海テレビドキュメンタリー劇場第8弾」がサブコピーであった。

東京に本社を構える民放各社はお手軽なバラエティに視聴率を求めて、ドキュメンタリー番組を殆ど自社制作しない。
日本テレビの日曜深夜とフジテレビの日曜午後にあるのだけが続いている。

二代目清勇会の会長が15年の実刑を受けた殺人事件が暴対法のきっかけだと言われている。組員の生い立ちとシノギ、部屋住みを始めた青年を実の子のように可愛がるオジキ。組員の逮捕、家宅捜索、キャメラはヤクザ者の日常をずっと追う。
バクチといえば野球賭博を電話で受けてるシーンだけ。
殴り合いのケンカもハジキでドンパチもない。
若頭主催の幹部会は8人、その日の議題を出し静かに会はすすみ、そして終わる。銀行口座はつくれない。子どもの給食費が引き落とせない。
ヤクザ者に人権はなく、反社会勢力といわれ追い詰められている。
事務所内にある“任侠道”の大看板を背負って二代目清勇会は、やさしく、仲良く、時々怖く一日を送る。

ディレクターとおぼしき若い男の声で、マシンガンやハジキはないのかなどといろいろ質問をするが、テレビの見過ぎとちゃうかと笑う。
出てくるヤクザ者たちはみんなどこにでもいる人間と変わらない。
ヤクザ者の子がヤクザで生まれてくるはずはない。
親をヤクザに持った、政治家も、経済人も、教育者も、芸能人も、スポーツ選手もたくさんいる。出てくるヤクザ者とフツーの人間との違いといえば、目が決して笑っていないことだ。ファッションと歩き方がちょいと違う。

話題沸騰につき、上映延長決定!!と大きく書いてある。
ちなみに観客の中にヤクザ者はいないようだった。私たちがそれに間違われるほどだ(?)。実録じゃなくて「これは本物のヤクザの世界でキャメラが回る」チラシのもう一本のキャッチフレーズ通りなのだ。

このブログを書いていたら、元プロ野球選手のスーパースター清原和博が覚せい剤所持で逮捕されたことをニュースで告げていた。
甲子園球児の憧れだった清原和博は、ヤクザ者よりヤクザになってしまった。

二代目清勇会会長はボディーガードなし、一人で小さな食堂に入る。
そこのおばさんは言う。警察はいざという時何もしてくれないんや、この人たちがキチンと守ってくれるんや。

2016年2月2日火曜日

「違いが分かる人のネスカフェ」



ネスレ日本が2015年の新入社員の採用活動からエントリーシートをやめ、代わりに年齢、学歴、国籍を問わないインターネットを通じたテストに切り替えたという記事を読んだ。
「徳川家康が残した“最も多くの人間を喜ばせた者が最も栄える”という言葉の背景を説明せよ」こんなひねったお題を8日連続で提示して答えてもらうという。
その狙いは定期採用を通年採用にし、選考もインターンシップやディスカッションを重視するためだ。

門戸は広げるが、採用試験は易しくない。
官僚タイプの社員は不要、本当に入社したい社員を採るための手段だ。
官僚タイプとは前例踏襲型でチャレンジ性がなく、権力志向、出世肩書志向が多いという事だろう。
テレビ東京の名物番組「なんでも鑑定団」の制作責任者が、石坂浩二さんをジクジク追い込んで番組から降板させるのはその典型だ。
自分に逆らったり、文句言ったり、意見を出したりする人間を徹底的にスポイルする
学歴と肩書をひけらかし人を見下ろす。
日本経済の最大のネックはホワイトカラーの生産性のなさと、ブルーカラーの給料が上がらないことにある。日本ネスレの社長はそんなことを言っていたが、全く同感である。
つまり能書きは一人前、仕事は半人前の自称エリートたちだ。

同じ時期に、同じ服を着て、とりあえず内定をとるために、10社、20社、30社と面接をする。私はそんな学生さんたちに同情する。内定がもらえない学生さんは、せっかく個性があるのに見抜いてもらえなく、自信を失い、疲労感たっぷりとなる。


社会全体が知恵を出し合う時期に来ているのだ。
若者たちに夢も希望もない社会にしてはならない。
一年中いつでもいい人を求める、そんな社会でないと、あっとオドロクような人材は出て来ない。今、時代を動かしている人間は、規格外の人間たちばかりだ。
ところでネスレ日本は、私が応募しても受け付けてくれるのだろうか。最
もインターネットが使えない、現代社会において私は箸にも棒にもかからない使えない人間だ。

アメリカの大統領選の第一ラウンドがアイオワ州で始まる。
ホワイトハウスのトップに就職できるのは誰だろうか。
ヒラリー・クリントンは疲れ切っている。トランプはとち狂っている。
バーニー・サンダースは年をとっている。
だが「政治的革命」を起こそうというフレーズは若者たちを動かすだろう。
アメリカも人材不足なのだ。

日本は史上初のマイナス金利時代へ。
銀行にもっと金を貸せというが、かえって銀行は貸し出さないだろう。
何しろ自分たちの銀行(信用金庫とか信用組合も)の収益が悪くなるのだから。
日銀もまた人材不足なのだ。黒田東彦総裁は後世にその悪名を残すだろう。
マイナス、マイナスと言われると、気分がマイナスになってくる。
これから悪質な詐欺商法が出て来る。
詐欺師たちが、手を変え品を変え現れる。この世界は人材が豊富なのだ。
ウマイ話には裏がある。
※ネスレ日本の記事を詳しく読みたい人は、二月一日(月)日経新聞朝刊、9面「経営の視点」をぜひ。

2016年2月1日月曜日

「二月一日、月曜の朝」




その花に名はない。無名の花である。
しいて言えば雑草の花である。
物差しで測ってみると3ミリであった。
その黄色い花は満開であった。

十年ほど前に植木職人のご夫婦がどんぶり位の大きさの植木鉢を持って来てくれた。
小指ほどの太さの一直線の木が一本植えられていた。
櫨(はぜ)の木だと教えてくれた。40センチ位であった。
秋になると美しい紅葉となり、床に落葉した。
指で土の部分を触って固くなりそうだったら、水を少しあげるようにと教わった。
面倒な事はしない私だが、その木に水をあげ続けた。

数年前に植木屋さんが亡くなったが、その木は生き続けた。
私はその木を小林さんと名付けた。植木屋さんの名字である。
昨年その木は枯れて折れた。植木鉢の中に折れた残りがあったのできっと根があるのだと思い、捨てずに水をあげていた。小林さんと別れるのがつらかったからだ。

その鉢に雑草の葉が出てくるようになった。
手で触るとザラザラとした葉であった。
ガラス戸の近く陽の当たる場所に置いて水をあげた。
それを怠けると葉はぺしゃんこになり、水をあげると葉は広がった。

昨日の朝、水をあげようとすると、ポツンと黄色い花が咲いているのを見つけた。
ルーペで見ると野菊のような花弁であった。健気で美しいではないか。
こんな時、接写レンズをつけられるカメラを持っていたらと思ったが、使い捨てカメラしか持っていないので仕方なしであった。

一個100円のリンゴを五個買ってきて、一日一個を四分割にして小さな庭に置いておくと、野鳥やら小鳥やらが来てキョロキョロし、ツンツンと口ばしでリンゴを刺しては果肉をほじくっている。チュン、チュン、キュン、キュン鳴いて仲間を呼ぶ。
ここにリンゴがあるぞと。
図太くてずる賢いカラスと違って、小鳥たちはとにかく用心深くキョロキョロする。
少し突っついては飛び立ち、そしてまた来る。
小さな池の中の金魚たちは寒いのが嫌いで殆ど動かかない。
大・中・小、十二匹がじっとしている。一月は日曜で終わった。

今日から二月、月曜の朝が来た。
午前十時三十分、神奈川県大和市にある大和斎場で大変恩義のある会社(株)ザンターの会長の告別式があった。
日本初の南極観測隊やマナスル登山隊に羽毛服や羽毛シュラフ(寝袋)などを提供した会社だ。東洋羽毛工業(株)とは親戚関係である。

東京銀座一丁目oluha(オルハ)ショップの中にもザンターブランドの商品がある。
羽毛寝具も羽毛服も人間の命を守ってくれる暖かさがある。
ネットでザンターを検索してぜひお買い求めください。
東洋羽毛工業(株)は、羽毛製品のパイオニアなのです。

二月一日、恩人に心よりの感謝と御礼を込めてお別れの合掌をする。
3ミリの黄色い花はしぼんでいた。四分割のリンゴはきれいになくなっていた。
そこに小さな鳥の羽根があった。
鹿児島県出水市で鶴たちが北帰行をしたと朝のニュースで知った。
恩人の命も飛び立った。