鉛色の雨であった。どんよりとして重い。
朝から降り続く雨は、つよくでなくやわらかでなく鬱陶しいものであった。
だがとても親切なタクシーの運転手さんのおかげで気分が晴れた。
南禅寺の側の湯どうふ屋さんに運んでくれた。
京都のおとうふは絹ごしでつやつやしている。私のようながさつな者には似つかわしくない。
ごま豆腐、木の芽田楽、とろろ芋とカボチャの天ぷら、黄色いたくあん二切れと白いご飯で一式であった。
勿論メインは湯どうふであった。
朝から何も食べておらず、午後二時半の湯どうふは冷たい雨に濡れた体を湯たんぽのようにあたためてくれた。
クツクツと湯気を出し煮立った湯どうふは、鉛色とよく合うと思った。
無彩色の持つ特別な色気だ。これが真っ青な天気だとしたら、きっと味気ないものであったはずだ。
浅葉克己先生の「血肉化」展は圧倒的であった。
中でも作家中島敦の「文字禍」を活字で組んでいたのが圧巻であった。
白い紙に活字の黒インクが絶妙であり、中島敦の名文がえもいわれない風格を出していた。
浅葉克己先生の文字へのこだわりと探究心に心から敬意を表す。
文字を生み出すということは命がけの探検なのだ。
ツメのアカを煎じて飲みたいので、近々お邪魔してツメを切らせてもらうことにする。
雅な京都もいいがモノクロームの京都も又風情があった。
聖護院で美容室を営んでいるご夫婦に会うことが出来た。
oluhaオルハのシャンプーはとても評判がいいと聞いて嬉しかった。
雨が心の泥を洗い流してくれた。