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2016年3月28日月曜日

「雨と肉マン」



私の家の近所にサークルKサンクスが二店ある。
一店は歩いて二分位、もう一店は松下政経塾正門斜め前なので歩いて十分程かかる。先日そのサークルKサンクスのスタッフが入れ替わってしまった。

why、何故(?)近い所に遠い所のオーナー(オジサン)が来た。
聞けば10年毎に契約が見直されるのだとか。
やる気あんのとか、成績ダメじゃんとかをチェックされるらしい(詳細に)。
で、近所の方はすっかり疲れ切って、もうヤーメタとなった。
遠い方が本部からの打診で移れやとなった。やる気を出せばその方がいいからよと。
そんじゃそうすっかとなった。

遠い方はどうする閉めるかとなったが、オイラがやるというオーナーが現れたらしい。
そこで近い所にいたオバサン、オジサン、バイトのお兄さん、お姉さんをソックリ移してもらって経営をスタートした。外は同じで中の人だけ総入れ替えをしたのだ。

私は実にやりにくいのだ。
以前であればツーカーの仲だったから、アレよろしくねといえばソレをとっておいてくれたし、アレとソレとコレとポーズをつけて言えば、葉書と切手と日刊ゲンダイと理解してくれたもんだ。

サークルKサンクスの調理された食べ物は全部ダメで買ったことはない、しかし肉マンだけは時々買った。横浜中華街の肉マンや、神楽坂五十番の肉マンや、神戸の豚マンと比べたら天と地だ。中に入っている具材がスッカスカなのだが、そのダメさ加減が妙に切なくていいのだ。運に見放された演歌に出てくる女性のように。


♪〜京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの 神戸じゃ 渚と 名乗ったの 横浜の酒場に 戻ったその日から あなたがさがして くれるの待つわ 昔の名前 出ています…。
小林旭の大ヒット曲「昔の名前で出ています」だ。

昨日の夜近所のサークルKサンクスに白い肉マンが二個売れ残っていた。
まるで男に捨てられた白い乳房のようであった。京都に行って来たせいか、セロテープとウーロン茶を買って帰りながら、京都にいるときゃ〜と口ずさんでいた。

雨がザアザアと強くなった。
雨の中一人の男と一人の女、傘をさす男の左手に白い肉マン、冷えた両の手を温めるように白い肉マンを持つ女の十本の指、血のような色をした赤いマニキュア、そこに車が通り水しぶきをあげた。泥水がハネて二人の白い肉マンを黒くした。
こんな映像シーンを頭に浮かべながら、雨の中を歩いた。

2016年3月25日金曜日

「許せシマウマよ」



人間は無能で頼りなく、臆病で残酷だ。
水曜日ゴルフ場に一頭のシマウマが乗馬クラブから逃げ出して来た。
シマウマは、フェアウェイやバンカー、グリーン場やクラブハウス側の道やらを走り回った。あるいは逃げまわった。
それを追う人間は10人、20人、30人と増えていった。
ある者は投げ網を投げ、ある者はそっとなだめに近づいた。

シマウマはそんな者共を後足で蹴った、馬鹿野郎と。
知恵のない者たちはただオロオロしまくった。その姿は頼りなくて情けない。
そしてシマウマはゴルフ場内の池に入った。
人間は吹き矢に麻酔薬を忍ばせシマウマの体に刺した。
やがてシマウマは力なくとなり、かわいそうに溺れ死んだ。
ゆっくり時間をかければきっと疲れ切るのに、それを待たずにこれ以上ゴルフ場を荒らされてはヤバイと思って殺したのだ。

今日私は尊敬する大先輩、麻生哲郎さんの個展を見るために京都にいる。
最終日になんとか間に合った。
時間があれば東山動物園へ行って、シマウマを見ようかと思ったりしている。
シマウマよ許せ愚かな人間を。


2016年3月24日木曜日

「タスカルブレッドは、助かるぞ」




本日はご報告。防災×国際協力=「タスカルブレッド」がついにリリースされました(3/23)。
首都圏限定/災害から社員を守り、国際協力もできるタスカルブレッド推進プロジェクト!おいしい非常食でCSRをしませんか?

東京都では、平成二十五年四月に東京都帰宅困難者対象条例を施行し、以下の二つのことを企業に対して義務付けています。
・大規模災害発生時には、むやみに移動を開始せず職場や外出先等に待機すること。
・事業者は従業員向けの3日分の水と食料の備蓄をすること。

私は認定NPO法人ホープワールドワイド・ジャパンの代表理事、加藤敦さんから商品のネーミングとラベルデザインを頼まれた。
アートディレクターの三宅宇太郎君と共にさまざまな方向からデザインを検討した。
三宅君には、プロがデザインをしたがプロっぽくない、がよく見ているとプロの仕事、そんなデザインを頼んだ。ペヤングソース焼きそばのようなシンプルで飽きの来ないものをであった。
結果いいデザインを生んでくれた。

「タスカルブレッド」は缶詰パン、乾パンでなくウエットでとても美味しい。
味はプレーン、メイプル、チョコレートの三種。製造は(株)ボローニャ本社。
タスカルブレッドは、世界の飢餓救済活動にも活かされる。
また障がいのある方の就労の雇用にもつながっていく。
一缶498円(税抜き)“タスカルは助かる”から生んだ。
タスカル非常食は、この他にも順次生まれる。

人に迷惑ばかりかけている、私の罪滅ぼしのボランティア活動のひとつなのです。
詳しくは認定NPO法人ホープワールドワイド・ジャパンを。
または、タスカルブレッドで検索を。
ずい分と時間がかかったがとにかくカタチになって良かった。



2016年3月23日水曜日

「個室の思い出」



三十代の頃の事で年月日は正確に覚えていないがその時の切迫したやりとりは忘れられない。目白駅のトイレの中での事だ。

朝八時半頃私は小用をするためそこに行った。
トイレの中は混んでいて小用をするにかなり並んだ。
右に小用があり左に大用が四つ五つであったと記憶する。
ある高名な漫画家さんの仕事場が目白駅側にあり原稿を受け取りに行った。

で、トイレの大用には三人並んでいた。
その中に五十代中頃の紳士風然とした人がいた。
三番目に並んでいたその人は随分とアブナイ状態だったのだろう。
自分の前の二人がすんなり出て来た人と入れ替わった。
が、その後大用の扉はなかなか開かない。

こりゃ何やってんだ早くしろと大声で叫んで扉に思い切り蹴りを入れた。
ガーン、ガーン、人の事を考えろ、いつまで入ってんだ、バーン、バーンと空手チョップを入れた。着ていたスプリングコートの裾が大きく揺れた。
多くのギャラリーが用をしながら、あるいわ並びながらそれを見ていた。
紳士(?)の声が震えていた。

そしてまた、早くしろ!と怒鳴った時、中から若い男の声で、いま出ますからそこを離れてください、とやはり震える声で言った。
何言ってんだ、離れられるかと怒鳴った。

私たちギャラリーはもうこの人はアブナイ出てしまう、つまりもらしてしまうと覚悟した。と、その時前に入った人が気を利かせたのか、アッサリと出すものは出したのか扉を開けて出て来た。紳士(?)はおっ、天の味方とばかりに一気に大用の中に入った。
若い声の主がそっと扉を開けて出て来た。
トイレの中はホッとした空気が流れ固唾を呑んでたギャラリーはそれぞれ次の行動に移った。短い様であり、長い時間でもあった。


昨夜家に帰り東京新聞の夕刊を読んだ、そこに、トイレ習慣に変化/「座り男子」外でも急増/の大見出し、中日本高速道路、SAPAの個室増設と横見出しがあった。
半面近い大きな記事だった。座り派が多くなった。個室の中でスマホをいじるからだ。
勿論「尿が飛び散らない」というキレイを求める人が多い。

ある調査によると洋式に座って小用を済ますが33.4%とか。
年々トイレが近くなるのは私だけではあるまい。トイレに座り込んでiPadで本を読んだり、スマホでラブコールなどはやめていただきたい。

もし私が目白の紳士(?)のようなケースになったらそれは想像におまかせする。
記事を読んで思い出したトイレの落書がある。
ナンベンワナンベンモデル。

2016年3月22日火曜日

「頂上の先」



倉敷から帰った日曜の夜、人生の流転を見た。
NHKのニュース番組のスポーツコーナーで清原和博と甲子園で伝説をつくった桑田真澄が、相変わらず暗い声で解説をしていた。
桑田は投げる不動産屋と呼ばれ、株で失敗の江川卓と借金王を争っていたという。
それ故二人を監督やコーチに起用するチームはない。

フジテレビを見ると、松戸の総合病院に入院隔離されている清原和博がカーテンの合間から無精ヒゲをはやし不安げな顔を出していた。
甲子園では選抜高校野球が始まっていた。

溜まった新聞を読みながらクサイ言葉を聞いた。
ショーンKが涙声で四分間お詫びと称するコメントであった。
スミマセン、ゴメンナサイ、許して下さい。バカな私はその四分間を全部聞いてしまった。あの和製ベートーヴェンの時程のインパクトはない。
佐村河内守は今何をしているかだが、ゴーストライターであった作曲家新垣隆は売れっ子となっている。



ゴルフシーズンが幕を開けた。
かつてはAO時代といわれた、Aの青木功はOの尾崎将司(高校時代は野球のエースであった)に勝利数では及ばない。Oは我が世の春を謳歌し、ホワイトハウスといわれる程の豪邸を建て、長い間自分以外はプロゴルファーにあらずの振る舞いであった。
Aはよき再婚相手を得て主戦場を米国にした。結果Oは借金地獄に落ちた。
昨年度賞金獲得はほぼゼロに近い。
トボトボとクラブを杖に変えてゴルフ場にいる姿は哀れを極める。
一方中卒の青木功は米国で成功しゴルフの殿堂入り、今年度から日本ゴルフ協会の会長となった。白いスラックスに赤いシャツ、短髪でシャンメェ、シャンメェと言っていた男が一人の女生との出会いで劇的に変わった。

学歴とは何か、学歴コンプレックスとは何か、私にはよく分からない。
勉強が好きで仕方ない人は天下国家、人民のために学歴を積んでほしい。
学びの歴史をだ。入学しただけでは学歴ではない。
何を誰にどう学んだかの歴史が学歴という。中退だっていい。
密度濃く学び、もうこれ以上学ぶこたあないと思えば中退すればいい。

人間は一人ひとり個性があるんだからそれを生かすことが正しい。
織物の職人、鉄工所の職人、旋盤の職人、大工職人、刀鍛冶、和紙職人、畳職人、植木職人、左官職人、漆塗りの職人、およそ職人の達人、名人たちに学歴コンプレックスなどは無い。日本は職人の国である。
私が最も尊敬する人々は職人さんたち、漁師さん、お百姓さんたちだ。
生きた知恵とアイデアを持っている。

人生は流転する。“頂点とは転がり落ち始める場所”というのが自論だ。
さて、だれが転がり落ちるか、今頂点にいる人々を観察する。
企業もブランドも同じ、ソニー、シャープ、パナソニック、東芝、日本を代表する企業が中国や台湾などに買収されるなんて誰も考えていなかったはずだ。
今の世の中学歴でメシが食えるほど甘くはない。
むかしの名前で生き残れるブランドはない。