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2016年5月17日火曜日

「羊たちの沈黙より恐いもの」




なんとなく人を殺したかった。人を殺して人間の中を見たかった。
大人をボコボコにしたかった。もっと大きなものを盗んでみたかった。
放火をしたかった。

自分で自分が制御できない、突然キレると手に負えない。
この頃少年少女のおぞましい事件が起きている。
まさかウチの子が、まさかあんな裕福な家の子が、社会全体の想像を超える猟奇的事件や残虐な事件が起きている。

十歳から十五歳位の犯罪の原因は何か、世界中の精神科医たちは人の心に潜む闇を探し続けていた。
少年少女の犯罪の裏に親自身のトラウマがあることを見つけだした。
かつて“父原病”とか“母原病”と呼ばれた。
子どもへの過重な期待、自らが手に出来なかったことを子に求める過度の愛情、強い叱責、しつけという名のネグレスト。また貧困が生むこの物欲しさ。

その夜見たドキュメント番組は初めて医療少年院にカメラを入れて本人に取材した。
またその子の親自身の抱えて来たトラウマを導き出すことを試みた。
私の自論である非行は突然始まらない、非行の裏にきっと顔や教師や大人たちの無神経な行為や無関心がある。小さな憎悪は少しずつ沈殿しやがて一気に暴発する。
そして大人たちは子どもを頭がオカシイ子にしてしまう。
協調性がないとか、不器用とか、認知力に欠けるとか、勉強ができないとかを全て子どものせいにしてしまう。

世界の精神医学界は「自閉症スペクトラム」という病名に統一して、子どもたちに手を差し伸べ始めた。まだ初めの一歩である。親のカウンセリングを始めた。
異常に潔癖な親、異常に叱責する親、異常に暴力を振るう親、異常に愛情を持つ親。
子どもの異常の隠に親のトラウマがあることにやっと気付いたのだ。
親が治らなければ子は治せない。勿論教師をはじめ他の大人たちのトラウマもある。
その上ネット上では異常な映像が何でも見ることができる。

子は悩んでいるのではなく、「自閉症スペクトラム」という病気に苦しんでいるのだ。
マザコン、ファザコン、ロリコン、異常な動物愛。これらは大人も子どもも病気なのだ。
現在35人学級で約3人位はこの「自閉症スペクトラム」の子どもがいると推察されている。ということは親も同数いることとなる。

そのドキュメント番組は、あの「羊たちの沈黙」という映画より恐いものであった。
子は親を選べない。子を叱責する前に親がまず自分を知ることが大切なのだ。
私にも年頃の孫がいる。深く深く考えさせられた。

2016年5月16日月曜日

「黒いバインダー」



小結といえば大相撲の三役の呼び名だ。

さておむすびの子といえば、そう「小むすび」なのだ。

黒々と上質の海苔でくるまれた小むすびは、3.5センチ位の三角形の大きさであった。
美しい女性のやわらかな手で丹念に丹念にむすばれた品だ。
一人前八個で700円、それにたくあんがついていた。

十三日の金曜日、大先輩に指定された店は「しみず」という店だった。
さすがにセンスのいい大先輩が指定してくれた店だけあって、すこぶるいいセンスといい味と、いい酒の店であった。
京風のおばんざいだが味は関東風のやや濃い味。
野菜煮、サンマのみりん焼き、鮭のハラス、ハムカツなどを三人で食した。

三十年以上赤坂で営んでいるというのに、しょっちゅうそのビルの前を通っているのに全く不勉強で知らなかった。
一階に懐かしいマックス・ローチというドラマーのポスターとディジー・ガレスピーのポスター。二人共モダンジャズの巨匠、地下一階はジャズのライブハウスであった。
「しみず」は二階にあった。馴染みの客以外まず分からない。

店は六時を過ぎるとすぐに満員になり、私たちが帰る頃は二回転目であった。
私たちは三時間半近く話の花を咲かせた。
店内の飾り付けも良く、花の生け方もいい、日本酒の銘酒が酒屋さんのように並んでいた。
三十人位入るはずだ。客筋は見た目で分かる、私以外はすこぶる上質のお客さんたちだった。

私は連休あたりからセキが止まらず強い薬を飲んでいたので、実は料理の味も酒の味も残念んあがらとぼしかった。だがいい料理は目で分かる。
ハムカツなどは見ているだけでゾクッとするほど旨そうであった。
「しみず」は通信簿でいえば間違いなくすべて5であった。
セキが治ったら必ず行こうと思っている。

というよりも行かねばならない。何故ならばお店のお品書き、つまり黒いバインダー二つ折りのメニューをカバンに入れて持ち帰ってしまった(黒いバインダーは私自身いつも持っているので)。

十二時二十分家に着いてそれに気付いて直ぐに電話をした。
ママさんというか美人女将さんが未だ店にいたので、メニューを持って帰ってしまった、スミマセンと言うと、今度ぜひまた来てください、その時まで大切に持っていて下さいな、なんて言われたからだ

「しみず」は一人で行って、いい酒二合ほど飲んでおつまみ二品位を食べて、最後に小むすび一人前とお味噌汁で三千円位だ。
でも「しみず」は人に教えたくない店でもある。


2016年5月13日金曜日

「巨星墜つ」




昨夜コンビニで冷えたウーロン茶を買い、それを飲みながら家に向かった。
夜空を見上げると星がいつもより数多く輝いていた。

演劇界の巨匠、蜷川幸雄さんがご逝去されたことを聞いていた。
そのせいか家の前の公園でしばし星を見続けた。
蜷川幸雄さんに二度仕事をお願いしたことがある。
一度は航空会社のPR誌での対談を、一度は東急文化村の広告出演で。

蜷川幸雄さんは灰皿をブン投げる、役者さんをコテンパンにやっつけるまで稽古をすることで有名であった。蜷川幸雄さんは大巨匠なのにワンパクな大人であった。
実に気さくで茶目っ気があり、黒い服がよく似合うお洒落な人だった。
五十代と六十代、独特のオーラがこれ以上なく出ていた。

今日も灰皿をブン投げたんですかと聞くと、そんなことはないない、ボクはやさしいもんですよ、今日◯△君をぺっしゃんこにして来たけど、十日間ミッチリやっつけてやったら今日は実によかった。
ぺしゃんこになったあとの芝居がやっとこさ求めたものになったの、やっぱり十日はかかるな、でも◯△君はいいよ、サイコーだよ、で、何、あっそう、いいよ、芝居観てね。
恐いけどヒトに愛される訳が分かった。

東急文化村といえば東急エージェンシー出身の社長、田中珍彦(ウズヒコ)さんを書かねばならない。私の中学の大先輩、野球部の大先輩であった。
今でもこの先輩の前では私は最敬礼となる。
この先輩を書き出すと相当数の原稿用紙が必要となる。近々自伝のようなものが出版されるはずだ。快男児の物語はきっと読む人の心を踊らすだろう。

モシモシ田中だ、蜷川さんのOK取ったから◯月△日◯時△分◯△へ来い。
ヘイ、分かりやした。
芝居の稽古中だからサッと終わらせろや。
ヘイ、分かりやした。
東急文化村でコクーン歌舞伎というのを、故中村勘三郎と生んだのは大先輩。
蜷川幸雄さん、串田和美さんを演出家に起用したのも大先輩だ。
今日六時から久々にお会いする予定なのだが、後日となるやもしれない。

この大先輩と蜷川幸雄さんとでギリシャ悲劇をアテネのヘロデス・アティコス劇場でやった。快挙であった。主役は野村萬斎さんだったと思う。
オイ、遂にやったぜと胸を張った。勿論劇場は超満員であった。
つくづく思うのだが、東急グループの総帥だった五島昇さんはもの凄い人物だ、もし渋谷のあの場所に東急文化村をつくっていなかったら、渋谷は若者とヤクザ者とラブホテルに通うピンクな人たちの街になっていたはずだ、何しろ渋谷宇田川町は諸悪のメッカだったから。都会に村をつくるという発想がすばらしい。
そして歴史に名を遺す人びとを育てて行った。

娘の実花さんが、坂田栄一郎大先生の後を引き継いで雑誌AERAの表紙撮影の写真家となり、これから世界中の時の人を撮影する。
あの世からチンタラしている者たちにバンバン灰皿をブン投げてください
田中珍彦大先輩を見守って下さい。百歳まで生きてもらいたいので。
ひと際美しい夜空の日に巨星墜つ。(合掌)

2016年5月12日木曜日

「ナルトにナルヒト」


世の中にはこれが入ってなければ重い刑を処さねばならない、そんな貴重品がある。
私の場合は「ナルト」だ。

ラーメンにナルトが入っていないのはラーメン風とかラーメン的なだけだ。
時々ナルトが二つ入っているがこれは駄目、一つがよろしい。
次にメンマだ、その次がモヤシを少々、これにチャーシュー二枚が理想のラーメンだ。
ホーレン草とかワカメとかはご勘弁願いたい。

ところでナルトはラーメン以外に何に使われているかと思ったが思い浮かばない。
まて、確かおでんの中に入っていたのを思い出した。
ナルトの人生(?)とは実に幅狭いものなのだ。
静岡県焼津港あたりが主な産地らしい。

作り方は金太郎飴に近い。
赤い練り物を白い練り物にグルグル巻いて作る。
ナルトだけがオイラが今夜の主役だという料理はない。
見事なウズウズの脇役でラーメンに入ってなくてはならいのだ。

脇役で思い出したが、名脇役の代表に殿山泰司さんという人がいた。
新藤兼人の「裸の島」で乙羽信子さんと黙々と畑仕事をした人だ。
この映画はセリフがなし、だが世界的評価を受けNo.1となった。

ナルトとおでんと殿山泰司さんが一本の線でつながった。ヤッホーである。
銀座お多幸はなんと殿山泰司さんの実家だったのだ、知らなかった。
ずーっとむかしから通っていたのに、商売やるなら役者を商売にするといっておでんの家を出た。大監督、名監督、若手監督からエロ映画まで数えきれない位の名作に出ている。
大島渚の問題作「愛のコリーダ」では全部出してしまって世界を騒がした。
殿山泰司さんは全身がナルトみたいにナルトシストなのだ。

すでに故人となった紀伊國屋書店の田辺茂一さん、小沢昭一さん、田中小実昌さん、田辺聖子さんたちが新宿ゴールデン街(前田とか)で、楽しい激論をしていた。
表でこのヤローなんて言って立ち回っていたのが、野坂昭如さん、大島渚さん、中上健次さん。なんかゴツかった。

ナルトを大切にラーメンを作って下さい。トルナナルトをだ。
西麻布、白金とか代官山あたりで懐石ラーメンみたいなバカヤローなラーメンを作っているのは、すぐに消えてしまう。トリュフにフォアグラとか、キャビアとか伊勢海老をのせるバカモンラーメンだから。お多幸のおでんを食べに行きたくなった。

2016年5月11日水曜日

「コカンノヤド」




高峰三枝子の大ヒット曲「湖畔の宿」を知っている人は、もうかなりあの世に近づいているはずです。
♪〜山の淋しい湖に ひとり来たのも悲しい心…

さて東京都知事の舛添氏の「股間の宿」を聞いていると、とてもさびしい。
何しろセコイ、股関節の手術をしてその治療のために公用車で別荘へ通った。
ゆっくり眠りたいからファーストクラスに乗った。
ちょいと調子に乗って家族旅行に税金を使った。
テレビに出て来てシドロモドロを見ているとみっともないことこの上なしだ。

パナマ諸島に隠されている税金逃れの金を日本円にすると、約3000兆円近いとか、アメリカと日本のGDPを足した分より多い。
マイナンバーで徹底的に国民から税金を取るというのに呆然とする。

事務方が事務方がと人のせいにするのは舛添知事のお得意のやり方。
節税対策にダミーを使っている超一流会社の経営者たちの顔を見ると、誰も文化事業に資金を出す顔をしていない。
いいシナリオがあるから一本位映画を製作させてよと言いたくなる。

舛添知事は自他共に認める精力絶倫の男、伝聞によると東大時代(?)ミス東大の片山さつきと結婚した時に片山さつきがこわれてしまうと言って別れたとか、股間の間はすこぶる元気なのだ。
いうち週刊文春なんかに股間の宿で行っていたと思われることが世に出ると思う。
その時は、アウト。ジ・エンドです。

アヤがつき放しの東京オリンピック、ひょっとすると知事選がまた行われるだろう。
養殖の魚に餌をやると、ドバッと魚が群がる。今のオリンピックはそんな状態だ。

2016年5月10日火曜日

「ザ・ウォール」




何かの映画で見た記憶がある。
それは大自然に生きる動物たちや昆虫たちや草花の群衆である。
森羅万象の中で生きるものは驚異的な映像を生み出す。
人間という生き物もその映像の一部であるのは言うまでもない。

人間同士が戦う時、特に驚異的群衆の映像となる。
およそ軍隊というものは生きるか死ぬかであるから、チンタラ、チンタラは許されない。命令一下、一糸乱れぬ行動をとらねばならない。
一人ひとり死への恐怖と生への希望を持って。

ピンクフロイドの名作「ザ・ウォール」のように行進する。
人間は動く壁となる。
精神医学的にいうと人間は同じことを毎日ゝ復唱させられていると、それがどんな残酷無比な命令でもそれが正しく思え、やがてそれを信じ、やがてそれに逆らう者は敵になってしまうという。

五味川純平の大ベストセラー「人間の条件」は戦争という極限の中で、人間という生き物がいかに人間でなくなっていくかを書いた。
否、そもそも人間の条件とは何かを探し求めた。
主人公「梶」にその人間の条件を託したのだろうか「梶」は正義の存在を信じ、それを求め続ける。下町の気のいい靴屋のおじさんや金物屋さん、畳屋さんみたいな本当は善良なはずの人々が軍隊ではそこまでやるかの鬼のようになってしまう。
洗脳された結果だ。

38年振りという北朝鮮の党大会の光景を見て、オーストラリアかボルネオのジャングルに群集していた蝶の群れを思い出した。
無数の蝶が羽をバタバタさせる映像と、黒い背広の群衆が手をバタバタする映像はまるでコンピューターグラフィックのようであり、飛び切りのシューリアリズムであった。
まるで戦前の日本国のようでもあった。

かつてアメリカに石油資源を止められ石油を求めて戦争に突き進んだ日本に、アメリカのシェールガスが遂に輸入されるという。
どこまでも日本国はアメリカの手のひらの上で踊らされる。
再びこの国が蝶々の群れのようにならないことを願わずにはいられない。
アメリカにNO!といえる国にしよう、そんな勇気のあるメッセージを送った政治家がいた。そんな日本人のDNAが今こそ求められる。

連休が明けた五月九日夜、酒を飲みながら人間の条件って何だと考えさせられた。
読み慣れない本など読んだせいかもしれない。
かつて若者にその質問をした時、こう答えられた。
それは勿論、食欲と性欲ですよと。外は涙雨が降っている。