ページ

2016年5月13日金曜日

「巨星墜つ」




昨夜コンビニで冷えたウーロン茶を買い、それを飲みながら家に向かった。
夜空を見上げると星がいつもより数多く輝いていた。

演劇界の巨匠、蜷川幸雄さんがご逝去されたことを聞いていた。
そのせいか家の前の公園でしばし星を見続けた。
蜷川幸雄さんに二度仕事をお願いしたことがある。
一度は航空会社のPR誌での対談を、一度は東急文化村の広告出演で。

蜷川幸雄さんは灰皿をブン投げる、役者さんをコテンパンにやっつけるまで稽古をすることで有名であった。蜷川幸雄さんは大巨匠なのにワンパクな大人であった。
実に気さくで茶目っ気があり、黒い服がよく似合うお洒落な人だった。
五十代と六十代、独特のオーラがこれ以上なく出ていた。

今日も灰皿をブン投げたんですかと聞くと、そんなことはないない、ボクはやさしいもんですよ、今日◯△君をぺっしゃんこにして来たけど、十日間ミッチリやっつけてやったら今日は実によかった。
ぺしゃんこになったあとの芝居がやっとこさ求めたものになったの、やっぱり十日はかかるな、でも◯△君はいいよ、サイコーだよ、で、何、あっそう、いいよ、芝居観てね。
恐いけどヒトに愛される訳が分かった。

東急文化村といえば東急エージェンシー出身の社長、田中珍彦(ウズヒコ)さんを書かねばならない。私の中学の大先輩、野球部の大先輩であった。
今でもこの先輩の前では私は最敬礼となる。
この先輩を書き出すと相当数の原稿用紙が必要となる。近々自伝のようなものが出版されるはずだ。快男児の物語はきっと読む人の心を踊らすだろう。

モシモシ田中だ、蜷川さんのOK取ったから◯月△日◯時△分◯△へ来い。
ヘイ、分かりやした。
芝居の稽古中だからサッと終わらせろや。
ヘイ、分かりやした。
東急文化村でコクーン歌舞伎というのを、故中村勘三郎と生んだのは大先輩。
蜷川幸雄さん、串田和美さんを演出家に起用したのも大先輩だ。
今日六時から久々にお会いする予定なのだが、後日となるやもしれない。

この大先輩と蜷川幸雄さんとでギリシャ悲劇をアテネのヘロデス・アティコス劇場でやった。快挙であった。主役は野村萬斎さんだったと思う。
オイ、遂にやったぜと胸を張った。勿論劇場は超満員であった。
つくづく思うのだが、東急グループの総帥だった五島昇さんはもの凄い人物だ、もし渋谷のあの場所に東急文化村をつくっていなかったら、渋谷は若者とヤクザ者とラブホテルに通うピンクな人たちの街になっていたはずだ、何しろ渋谷宇田川町は諸悪のメッカだったから。都会に村をつくるという発想がすばらしい。
そして歴史に名を遺す人びとを育てて行った。

娘の実花さんが、坂田栄一郎大先生の後を引き継いで雑誌AERAの表紙撮影の写真家となり、これから世界中の時の人を撮影する。
あの世からチンタラしている者たちにバンバン灰皿をブン投げてください
田中珍彦大先輩を見守って下さい。百歳まで生きてもらいたいので。
ひと際美しい夜空の日に巨星墜つ。(合掌)

0 件のコメント: