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2016年5月23日月曜日

「美しい十代のその後」



人生は乳幼児期、保育園や幼稚園、そして小学校、中学校の義務教育へと進む。
十代、二十代、三十代と十年毎に世代は表される。
「美しい十代」という三田明のヒット曲があるが、美しい二十代とか美しい三十代というのはない。


♪〜白い野ばらを 捧げる僕に 君の瞳があかるく笑う…(美しい十代より)。
こんなヤクザな老人となった私にも十代はあった。
小学校で初恋を知り、中学、高校2年で中退するまで胸をときめかす恋心を持った。

♪〜星はなんでも知っている 夕べあの娘が泣いたのも…平尾昌晃が唄った「星はなんでも知っている」を夜空に向かって唄ったのを憶えている。
♪〜悲しい恋の なきがらは そっと流そう 泣かないで かわいあの娘よ さようなら たそがれ迫る 湖の…松島アキラの唄った「湖愁」をみんなで唄った。
この頃は私も美しい十代の一員であった。

♪〜夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく なにをいまさら つらくはないが 旅の灯りが 遠く遠くうるむよ…(小林旭のさすらい)。
この曲を唄った頃はすでに酒を飲み始めていた。
その頃、悲しき十六歳とか悲しき雨音、悲しき街角とか悲しき少年兵など、やたらと「悲しき」という題名の曲が流行った。

昨日孫たちの体育祭の応援に行った(愚妻は船橋の孫の運動会へ)。
一生懸命走り、友だちと協力し合い、一生懸命踊る姿を見て、美しい十代の未来に幸あれと思った。
ラストのメインイベント学年別選抜800mリレーは四人が一周200mを走る。
2の孫(男の子)は第二走者であった。
第一走者のリードを守り第三走者へ、アンカーもリードを守り切り、ヤッタァ―!一位であった。

ラストの直線に向かうコーナーで私は見ていたのだが、そこに歯を食いしばり必死に走る孫の姿を見て泣けるほど感動した、と同時に遠い昔の自分を思い出していた。
勉強はビリケツでも走るのだけはいつも一番であった。
私にも必死に走った時代があったのだ。
1の孫(女の子)は全員リレーをなんと二度も走った。欠員が出たかららしいのだが、100mを全力で二度走ってヘトヘトになっていた。

その夜一枚のファックスが家に入った。
そこには高校一年の時のクラスメイトがお金を賭けないマージャン大会をやったと報告が書いてあった。10人近い人間が集まり二卓を囲んだ。
その後二次会に行ったらしい。
とても熱心な永久幹事役がいる。飛び切り善人なのだ。

ボケ防止の健康マージャンが流行っているらしい。
美しい十代だった少年少女に今や黒い髪はない。

その仲間と一緒だった十代の時、恋をした女性はやがて今で言う筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病で亡くなった(五十代で発病し、六十代になった時に)。
字も書けず最後の電話は言葉がよく聞き取れなかった。
お医者さんの娘だったのに。美しい十代であった。
もう一度かえりたいな、あの頃にと思った。謝りたい人間が山ほどいる。

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