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2016年9月15日木曜日

「怒りとは」

※映画.comより



人間は神が造った悪魔でもある。
その仕業が世田谷一家殺害事件。
外国人英語教師リンゼイさんを殺して逃亡した市橋達也の事件。
残酷な未解決事件と、顔を整形し続け無人島に隠れていた事件。
やはり殺人を犯したあと整形をしながら逃亡し、時効寸前で逮捕された福田和子の事件。
市橋達也は現在刑務所であり、福田和子は数年前獄死(病死)した。

作家吉田修一はこれらの事件をモチーフにして(と思う)「怒り」という小説を書いた。それを映画化した作品が十七日土曜日に封切りされる。
大ヒットした「悪人」のスタッフが李相日監督のもとに集結した。

父と娘の愛、男と男の愛、女と男の愛。
運命的出会い、行きずりの出会い、禁断の出会い。
人間の殺意は何時どこで生まれるのか、絶望的な愛に潜む心とは、怒りとは何か。

吉田修一原作を李相日監督はどんな感性の刃で切り取り、突き刺し、血を流すのか。
渡辺謙、妻夫木聡、綾野剛、宮崎あおい、松山ケンイチ、森山未來、池脇千鶴たちがその役に挑む。音楽は坂本龍一、世界的チェリストが主題曲を流す。
私はこういうダークな文学的映画が好みである。

ある年、江戸の儒学者佐藤一斎の「言志四録」からの言葉を大先輩から送られたことがある。突然襲われた極度の不眠、鬱々とした日々、体に鉛がどん詰まっているようなダル重さ。頭の中には暗雲たちこめている。
一センチ動くのも辛いのだが、プロとして受けた仕事はやらねばならない。

そんな日々を送っていた時、我が家のポストに一枚の葉書があった。
特大の太い緑色の文字で「暗夜を憂うことなかれ、ただ一灯を頼め」(言志四録)と葉書いっぱいに書いてあった。その言葉は今も私の宝であり続けている。
「ただ一灯」が何かは奥深く、未だ分からない。

「怒り」という映画にただ一灯はあるのだろうか。
人間の心という暗闇に一条の光は差し込むのであろうか。

姉が弟をバラバラに、アパートで一家三人が惨殺、事実は小説より奇なりの事件が連日起きている。テレビのニュースを見ながら身内同士のすごい事件が起きているなと言ったら「積もり積もったことがあったのよ」とポツンと目の前の人間が言った。
ドキッとした。

十七日(日)午後一時から築地本願寺の劇場で友人が新作を上演する。
それを見終わったら「怒り」を観たいと思っている。(文中敬称略)

2016年9月14日水曜日

「君の名は、小かき揚げ丼」




私の最大の弱点(ゴマンとあるが)は、マンガ、劇画、アニメの世界に弱い。
メカにもウルトラ弱いのでその世界の情報は、赤銅鈴之助とかゴルゴ13、柔道一直線、無用ノ介、あしたのジョー位しかない。

昨夜親愛なる兄弟分が「君の名は。」を観ろよと言った。
前夜「シン・ゴジラ」をみんなが観て面白いというので、日劇の最終回で観たのでその感想を話していた。

“君の名はとたずねし人あり、その人の名は”の名セリフの映画「君の名は」の名が出た。
リバイバルかと聞いたら、アニメ映画で大ヒット中という。
へぇ〜そうなのか、映画題名には著作権はないはずだから同名OKなのだ。
確か歌の題名に映画の題名を使ってもOKだった。
“忘却とは忘れる事なり、忘却を知る心のさびしさよ”岸恵子がマチコ、佐田啓二がハルキであった。

で、兄弟分によく知ってるな、そんなアニメを見てるのかよと言った。
彼には恋する年代の愛娘がいるからきっとその影響のはずだ。
そうでないとキモチワルイおじさんになる。
ダメだな〜アニメを見なきゃと言われたもんだ。

今日エグザイルだか三代目だかのグループのコンサートチケットを私の娘から何とか手に入れてとせがまれていたのだが、即時ソウルドアウトでファンクラブに入っていても手に入らない。会社の凄腕女史をもってしてもダメであった。
こんな時は兄弟分だ、何とかならないかと二ヶ月位前からお願いをしていた。
ダメだよ、無理、その手の相談は断ってんのと言われたが、そこを何とかと食い下がった。

モシモシ、オレ◯△□、入ったよ二枚九月十四日のがと連絡が入ったので思い切りアリガトサン。何とか面目が保てた(?)ごていねいに今日午後五時東京ドーム会場入口関係者席までチケットを持って来てくれる。
娘にどこかの組の組長みたいだから直ぐ分かるよと電話した。
えー恐い人って言うから、日本で一番大きな広告代理店でキャスティングのボスをしていたから見た目は恐いけど優しいよ、それに中学時代の同級生だからと言った。
コンサートのチケットは今回きりと約束をした。

「シン・ゴジラ」は、政治風刺劇の大作であり、自衛隊PRの大作でもあった(全面協力)。災害大国日本への警告、北朝鮮のノドンやテポドンなどによる攻撃への備え方教室でもあった。ラドンが出ないのが残念であった。

私が大尊敬する監督からこれと匹敵するシナリオを受け取っているのだが、映画会社の人間に見せたら数十億の製作費がかかると言われた。
病と格闘している監督に空母や巡洋艦や戦車など、鉄という鉄を腹を減らした人間たちが食べまくっていく大スペクタクルを作らせてあげたいと思った。

ポンと50億円出す太っ腹の人いないかと日劇をあとにしながら思い、有楽町ガード下「天米」で小かき揚げ丼を食べて帰った。

2016年9月13日火曜日

「踏み倒し」


私の両親は岡山県出身である。
一般距離だと東京から岡山ICまで637キロのところにある。

この岡山にタクシーに乗って料金を支払わなかった男がいた。
高いのかはたまた意外と安いのかその額217410円、運賃と高速道路の通行料金の合計で。男は所持金300円であった。

自称無職49才の男は10日午前540分頃、東京都大田区内の路上でタクシーに乗った。
岡山県赤磐市まで帰省するのでと言って乗ったのだ。
料金は友人が払ってくれるのでと言って乗り込んだ。
タクシーの運転手さんにとってロングのお客は待ってましただが、これほどの超ロングとなるといかなる心境だったのだろうか。
二人は637キロの間にどんな会話をしていたのだろうか。

12時間後位に目的地に着いたが友人宅は目的地になかった。
運転手さんが交番に行き友人宅を訪ねたのだが不審に思い警察署員が友人を探し連絡したのだが、その男とは高校卒業以来音信不通と返答した。
で、無賃乗車と判断午後11時過ぎ詐欺容疑で逮捕となった。
以上日刊スポーツ紙の記事から抜粋して書いた(9/12売)。

いわゆる踏み倒しという運転手さんにとってはとんでもない乗客であった。
これは想像だが途中のサービスエリアで、天ぷらそばとかチャーシューメンや、カツカレーとかフランクフルトソーセージなんかを人の好い運転手さんは奢ってあげたかもしれない。男がトイレなんかに入ったらきっと見張っていたのだろう。
タクシーが個人だったとか、タクシー会社のであったかは書いていなかった。
運転手さんが激怒したのか、どっと疲れてへなへなとなったかも書いていなかった。

この様なケースの場合運転手さんの売り上げはどうなるのだろうか。
もし運転手さんの自己負担だとしたら、どんなお人好しの運転手さんでも怒髪天を突くだろう。東京まで空車で帰る637キロは運転手さんにとって1000キロ以上の長さに感じたことだろう。
男が岡山県人のようなので私としては心より申し訳なく思うのだ。
運転手さんが分かったら今度倉敷まで乗ってあげようかなどとは…。

近々広島にロケに行くのだが広島までならどれ位かかるのだろうか。
ずーっとむかし高校生の娘たちが東京から広島までタクシーに乗って踏み倒した事件を思い出した。確かその時運転手のおじさんにタコ焼きも奢ってもらったとか言っていた。
記憶は定かではない。ちなみに柔道や相撲の技や決まり手に踏み倒しはない。

2016年9月9日金曜日

「結婚考その二」




電気スタンドというのは実に気分を演出してくれる。
一ヶ月ほど前に届いた1200円ほどの電気スタンドを使いうつ伏せになって文字を書いていると、何やら物書き的になる。
小さな灯りが原稿用紙だけを照らしてくれるからだ。
実は腰が酷く痛いのでうつ伏せが楽なのだ。

前回に続き「結婚考」について。
少子高齢化社会を救うには若い人たちが結婚してたくさん子どもを作ってもらうしかない。結婚大歓迎なのだ。

政府は結婚援助金とか新婚支援金、新家庭住宅補助金とかを考えていかねばならないのに何もしない。
新生児おめでとう御祝支援、第二児誕生よく生んだ支援、第三児えらいぞ支援、第四児、第五児、そして第六児になると生活費50OFFのようにしなければ子は増えない。
戦費ばかりが増えて五年連続五兆円超えだ。少し減らせば子づくりに使えるのだ。
政治家は本来ボランティアの仕事、給与を減らして選挙活動にお金がかからないシステムにする。
今よりずーっと貧しかったこの国には、十一人家族、十人九人家族、五・六人家族は当たり前だった。ちなみに私は六人家族の六番目。
♪〜僕の髪が 肩まで伸びて 君と同じになったら 約束どおり 町の教会で 結婚しようよ…なんて吉田拓郎の名曲があったが、少し髪が伸びた位で結婚しようよだ。

新婚家庭の電気スタンドの灯りは少々妖しい雰囲気を演出する。
旅館やホテルの電気スタンドの灯りもまた胸震わすものとなる。
なすべきか、なさざるべきか、それが疑問だ。なんて気分だ。
何やってんのよここまで来て意気地なし、帰るわなんて言われて心は乱れ、頭の中では結婚資金や自らの生活能力を計算するのだ。
あー駄目だ×万円足らない、なんて事になるのも多いはずだ。やっぱり帰ろうなんて。
今頃の若い人は家計簿感覚が優れているのだ。

結婚は最大の節約術だよ、何しろみんなシェアできるのだから。
一人じゃ食えんが二人なら食えるというのは江戸のむかしから伝わる教えなのだ。
若い男はもっと本能的に行動せよ、ひるむな、逃げるな、女体の魅力に溺れよだ。

オイ、部屋の電気を消すぞ、早くこっちへ来いよ、なんて電気スタンドのこぼれ灯の中で意を決してほしいのだ。ハイ、ワタシアナタニズットツイテイキマス、ドウニデモシテクダサイ、なんてことになるやもしれない。
イイワネ、イイトコマデイッタラゼッタイケッコンシテヨ、年老いたオトーサン、オカーサンの面倒は嫌よ、早く部屋の電気消してスタンドだけにして。
なんてことにもなる。がんばれ若者よ。

「結婚考」




大橋巨泉は大嫌いだったが、永六輔さんは大好きだった。
巨泉は確かに“話術の天才”であり、企画力もあり、博識多芸であった。
そして一言居士でもあったが、詩才なく一文が書けなかった、それ故これといった名言(名文)はない。

永六輔さんは言葉の天才、話術の天才であった。その詩才は日本史に残る。
それ故数多くの名言、名曲、名書、言行録がある。
例えば“愛”について
「愛することの反対は、憎みあうことではありません。無関心になることです。」
「小異を捨てて大同につく。よく使う言葉ですが、結婚するってそういうことなんだ。」
「青二才でも結婚すると男らしくなり、出産すると娘は女らしくなるもんです。」
「いいですか、夫婦ったってアカの他人ですよ、アカの他人同士が起こす奇跡、それが結婚というものです。」
最後にこんなのを「十代の夫婦はセックス夫婦、二十代の夫婦は愛で結ばれる夫婦、三十代の夫婦は努力して夫婦、四十代の夫婦は我慢の夫婦、五十代の夫婦はあきらめの夫婦、六十代の夫婦は感謝しあう夫婦。」
七十代は忘れ合う夫婦、八十代は記憶すらない夫婦だろうか。

ことのついでに結婚についての江戸小咄を一つ紹介する。
婚礼が終わって半年、亭主が語り、女房が聞く。
婚礼が終わって三年、女房が語り、亭主が聞く。
婚礼が終わって十年、亭主が怒鳴り、女房がわめく。
それを隣の人が聞く。
結婚へは歩け、離婚へは走れという言葉がある、決して焦るな、決してズルズルするなということだろう。

結婚とは雪景色のようなものである、はじめはキレイだがやがて雪解けしてぬかるみができる。
そもそも偶然出会った一組の男女が何十年もずっと一緒にという方が変だと言えば変なのだ。
ある格言だが「ずっと長い間結婚生活(同居生活かも)をするなら、会話を多くしないことだ。」

夜帰宅すると一本の電話が入っていた、夜遅かったが電話をした。
相変わらず小鳥のような笑い声が出た。
その内容が♪〜別れても好きな人みたいな話だったので、結婚について記すことにした。これからの人生に相方幸多かれと願うのだ。

♪〜粋な別れをしようぜという歌もある。
これから結婚する人たちには心から祝福をする。
9月19日、親愛なる友人が女学館出身の美人、才女とウラヤマシイような結婚パーティーをする。スピーチの一番バッターを頼まれている。
さて何を語るかと考えている。(文中敬称略)