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2017年3月16日木曜日

「『ひろしま さとやま未来博』始まる」




本日丸ビル1Fイベントスペースにて「ひろしま さとやま未来博」のキックオフイベントが始まった。

昼一時頃には一袋五個入り(だと思う)の“ひろしまレモン”が1000袋(だと思う)全てプレゼント完了となっていた。残り一袋が三、四歳の子どもに渡された。
午後五時頃までに完了すればと思っていたが、まさか一時に完了するとはと、はるばる広島から来たボランティアスタッフの人たち十数人がステージでよろこびのあいさつをした。

書道家坂口赤道氏と、アーティスト石原悠一氏のパフォーマンスには沢山の人。
丁度昼休み時なのでギャラリーの数がビックリするほど多かった。

十一時三十分からの一日限りのイベントは盛りだくさんのメニュー。
夜七時~七時四十五分までプレミアムトークやセッションのゲストとして、廃校リノベーションを手掛けた建築家隈研吾氏と東京カメラガールズの田中海月(みづき)氏が登場する。
ナビゲーターはソトコト編集長指出一正氏、総合プロデューサーはソトコトのボス小黒一三氏である。あらためてその人脈の広さを知る。

昨年から少しばかりお手伝いをさせてもらっている。
「これからのニッポンの見本になる」をスローガンコピーにして、いよいよ三月二十五日から十一月二十六日まで「ひろしま さとやま未来博」は始まる。
広島に興味のある人にはぜひ友人、知人と共に行って見て体験をしてほしいと願う。
また、さまざまな企画イベントもあるので楽しんでいただきたい。
詳しくはインターネットにて。
さとやまには“なつかしい未来”がある。

2017年3月15日水曜日

「先週末のこと」




我思う、故に我あり。我思うヤキが回ったか。
俺はそんな事言わないよ、ハッキリ自分でやると言ったんですよ。
俺はやる覚悟を決めたと言ったんだ。違います変節したんです。
稲田朋美弁護士兼防衛大臣が虚偽をへらへらと言ったが、私も似たような者であった(大反省)。

家に帰り日記をめくると、変節はしてないが変説をしていた。
余程アタマに来ることがあって冷静さを失って口走ったか、興奮して後先を考えなかったか、アタマがロートル化したのだ。が、やるべき事はキッチリとやる。
自分への落とし前は自分でつける。
アタマをクリアにするには映画に限るのだが、海外ドラマ通の友人から絶対オススメだよというのを一気に見た。
アイスランドを舞台にした連続ドラマ①~⑧全約800分、ついでに借りて来たドイツのドラマ①~④全約400分。

前者の題名は「トラップ」、後者は「スニッファー 嗅覚捜査官」、
ついでに「ベストセラー」という映画と「ティエリー・トグルドーの憂鬱」「超高速参勤交代(リターンズ)」そして「女が眠る時」映画の総計約440分。
腰はパンパンになり、粗大ゴミに近い丈の椅子に座布団を置いたが、おけつはズッキズキ、約1640分。
先週末の土日で約27時間一気、二気、三気と見続けた。

ドラマは映画と違ってあるテーマを描くことより、次々と事件を起こして次も見たくなるように終わる。トラップはアイスランドの雪深い特徴がたっぷり味わえる。
BBCも製作参加しているので重厚である。
結局男は女性の欲望に勝てないことを知らされる。

NHKの深夜の再放送で、特別嗅覚の効いた阿部寛と香川照之であらゆる事件を解決していく。人間捜査犬だ。
NHKやるじゃんオモシロイと思っていたが、NHKがリメイク権を得たとジャケットに書いてあった。なんだ、NHKにしてはグッドアイデア物だと思っていたのだが。
嗅覚捜査官に出てくる女優がいい。おっぱいバレー(胸の谷間が満点)。
嗅覚捜査官はクンクン嗅ぎ回る。いかなる物も科学的に分析する。
でもアレルギー性鼻炎だった。

E・ヘミングウェイや、スコット・F・ジェラルドなどを見出した名編集者、新人作家の話はややフラットで残念だった。参勤交代は全作はグッドアイデアで面白かったが柳の下にドジョウはいなかった。100点満点で18点位だった。

ビートたけしが不気味な男を演じる。
いつも連れている若い女性の眠っている姿だけを十年間撮り続けている。それをのぞき見したインポ気味の新鋭小説家は、想像力をかき立てられ久々に編集者の妻と激しくSEXをする。川端康成の「眠れる美女」のようであった。
下腹がずい分突き出たビートたけしがよかった。民宿(?)のオヤジ、リリー・フランキーが抜群だった。
制作に友人のPARCO金子学氏のクレジットがありうれしかった。

2日掛かりで27時間を見た。やる時はやる約1640分だった。
私は職を失い、やっとスーパーの万引きを見つける仕事に就いた中年男の静かな姿が身につまされる。「ティエリー・トグルドーの憂鬱が」が好きであった。
インポ気味のヒトには「女が眠る時」をススメる。

「蟻の一穴」




世界でいちばん難しいと言われるのが、日本の司法試験と言われる。
司法試験に受かると、司法修習を経て、判事、検事、弁護士の道を選ぶ。
司法試験に受かったからといってその資格者が全て善人であるということはない。
彼らもまた人間であるから、悪徳であったり、銭ゲバであったり、変態だったりする。

それぞれイロイロだ、が共通している特性がある。
それは等しく記憶力が並外れていることだ。
大六法、小六法は勿論過去の判例、裁判記録の殆どを記憶もしくはインプットしている。刑法、民法、商法。米粒のような文字、漢字とカタカナの難解な法律用語を記憶する。

10年位前とても失礼なことをされたのでそれ以来付き合っていないという相手を覚えていて、10年位前その相手の弁護を引き受け(受任という)、それを忘れていたというのは法律家失格というか、大臣失格である。
何故ならここ数日国会においてずっとシラを切っていたからだ。
もしこんないい加減で詭弁を繰り返す大臣が居座るなら、国会は不要となる。
福井県選出の稲田朋美防衛大臣のことだ。


福井県には友人もいる、また仕事仲間もいる。みんな正直で誠実である。
度の入っていない眼鏡をかけることによりすでにフェイクしている。
ウソをウソと思い、日々反省している私から見ると、ウソをウソと思わない法律家の存在がこの国の防衛大臣であることは考えられない。まして夫婦共に法律家である。

このところ国民をナメ切っていることが露出している。
いかなる強権を持つ者も獅子身中の虫がその強権を壊しはじめる。
安倍晋三総理・総裁においては、妻安倍昭恵であり、寵愛する稲田朋美である。
他にリークの王様世耕弘成がいる(妻は民進党)。

強壁も蟻の一穴から崩れるという。
「民衆とはいつも観衆である」と中国のある思想家は言ったが、民衆をバカにし、観衆をナメた権力者は断罪を受けて来たのが歴史である。
記憶力を失った法律家はその資格を返上するべきである。
一強独裁に穴が空いたことを影の総理大臣といわれる菅義偉官房長官はすでに読み切っている。

これ以上やってられないと思うことが続々と出て来ることを。
結集した民衆がいちばん強いことを。機を見て敏な公明党はすでに自民党と小池百合子の両面(リャンメン)待ちに展じた。潮目が大きく変わって来た。(文中敬称略)

2017年3月13日月曜日

「串カツ一本でも」




現在地球上の大陸には約70億人の人類がいる。
全員を巨大な秤に載せたとしたら、その総重量はおよそ3億トンになるという。
もし乳牛や豚、羊、ニワトリなど、人類が飼育している家畜をさらに巨大な秤に載せたら、その総重量は約7億トン。
ヤマアラシやペンギンからゾウや鯨まで残存する大型の野生動物の総重量は、1億トンに満たない。

約15億頭の畜牛がいるのに対し、キリンは約8万頭ほど、約4億頭の飼い犬に対しオオカミは約20万頭、チンパンジーは約25万頭位という。
これらはやがて絶滅する。人類がいつまで生きながらえるかは分からない。
ゴキブリとネズミが生き続けるらしい。

人類はやがて化学によって作られた食物ばかりを食わねばならない。
遺伝子組み換え食品を食べる。食品表示の部分をよく見れば判別できる。
食物は減るが世界の人口は増加する。が、日本は人口が減少し続ける。
腹は減っては戦はできないと、食物を奪い合う戦が起きる。

かつては石炭や石油資源の奪い合いであった。
インドや中国、パキスタンの人口で世界人口の約50%近くになって行くだろう。
すでに中東からユーラシアそしてアジアは飢餓人口に満ちあふれている。
空腹は人類最大の敵だ。

あるドキュメンタリーフィルムを見た。佐賀県名護屋は近海捕鯨が盛んであった。
巨大な鯨に対し裸にふんどしの漁師たちはたくさんの小船に乗って鯨を追った。
手には数キロの鉄のモリ、10数メートルから20メートル近い鯨に漁師たちはモリを投げて刺す。何本も体にモリが刺さり、やがて鯨は弱ってくる。
そこに羽刺という飛び切り凄い漁師が巨大なクジラの上に飛び乗りへばりつきトドメを刺す。彼らの技術は四国、中国地方の捕鯨に伝承されて行ったという。
鯨一頭で村だか町が、100日は空腹でなく満腹だったのだ。
鯨は捨てるところがない。100日天下と言われた。

人類は食うためならどんなことでもする。そしてどんな物でも食べる。
キミが食べたステーキはかわいい子牛だった。
あなたが食べたトンカツはかわいい子豚だった。
ヤキトリはついさっきまでコケコッコーと鳴いていた。
子熊を守る親熊も、子を生み川に帰った鮭もソックリ食べる。
人間ならやがて子となる。
イクラも鮭がいくらなんでも子どもまではと頼んでも、イクラ丼にしてしまう。
人類は他の生き物に一切の同情をしない。飢餓となれば絶対全て食べる。
いい人ぶって、かわいいなどと言った豚を豚鼻、豚足、豚耳まで全部食べてしまうのだ。

活魚という言葉は私はあまり好きではない、ついさっきまで活きていたということだから。ピクピク動く活き海老もそうだ、白魚のおどりなんて生きているのを飲み込むのだから。
かわいい子羊がチューチュー母羊のお乳を飲んでいる。
人類はその両方をおいしいと言って食べまくる。
子羊のローストステーキだとか言って。

夜食に残り物のおでんのチクワブばかり食べていたらやけに頭の中が、白いメリケン粉のようになってしまった。チクワブは生き物でないから罪悪感がない
何だか胸騒ぎがする。人類が恐竜やマンモスになる日は近いのかもしれない。
生き物を食べた物は一度必ず地獄に行かねばならぬと、僧源信の「往生要集」にある。
ヤキトリ一本、串カツ一本でもだ。

2017年3月10日金曜日

「銀座四丁目」

なんかこのところ笑ってないな。
何か面白いヒトはいないかなと思い銀座四丁目交差点のところに立っていた。
午後二時八分和光の大時計を見上げた。ビル風がやや冷たく吹いていた。
「銀座あけぼの」は相変わらず混んでいる。その隣りのワッフルの店からはいい香りがしていた。
四丁目の交番には何か事件でも起きないかな(?)とヒマそうなお巡りさんに道を訪ねるヒトが二人。その前のオープンカフェには外国人がチラホラと。
四丁目の交差点を正方形のようにひと回りした。「木村屋のあんぱん」店内はぱんぱんにお客さん。
風が止むと三月の日差しは強い。

なんかつまんないヒトが多いなと思いながら和光から教文館書店に向って歩いた。と、その時白いママチャリに乗ったアフリカ人風の女性が山野楽器店前に止まった。
サーモンピンクのジャージの上下、サーモンピンクのショートブーツ、口には煙草ひと吸いして二つの鼻の穴から二本の白い煙が出ていた。
ヘアースタイルが凄かった。まるでグルグル巻いた縄の輪をボコッとのせたようであった。
やけにおなかが大きいなと思って見ていたら、胸の前に赤ちゃんがちょこんと顔を出していた。まるでカンガルーの親子のようであった。
ママチャリの前の籠の中に、セロリの緑の葉と赤いトマト、黄色いパプリカなどが入っていた。
銀座の風景の中で色彩やかなシーンであった。
一服しおわったサーモンピンクの女性は中央通りを京橋に向って走って行った。

今日は雲水さんが立っていなかった。行き交う日本人の顔を見ているとみんなつまんない顔だった。
松屋にあるFENDIのウィンドウを見ていたら、変な顔が写っていた。自分自身だあわてて目をそらして歩き出した。
週末は喜劇の映画でも見ようと思った。

3.11まであと一日。


2017年3月9日木曜日

「ヤッパ(刃物)とサバの塩焼き」




エリア・カザン監督の名作映画に「欲望という名の電車」というのがある。
今この国に起きているさまざまな出来事を見ていると、この国は「絶望という名の電車」に乗っているのではと思ってしまう。

深夜、布団の上に座り沈思黙考。
その日の自分の有り様を振り返ると強烈な疲労感と恥ずかしき思いが全身を襲う。
総理大臣夫婦が私人と公人の違いを分からず、教育者もどきはもどきすらでないエセ右翼、役人は役を放棄し権力の下でペロッと舌を出す。
野党などという存在はスピッツ犬の様に吠えるだけで、猟犬のように獲物を仕留められない。

愛するもの、恩義ある人々に少しでも役に立ち、常日頃の反省を込めて一途に生きて希望への電車に乗りたいと思っているのだが、欲望という名の電車に乗っている人間の、人とも思えない所業に顔色を失うしかないと悶々とする。
パンドラの箱の中にあったのは、たしか希望の二文字だったはずだ。
腹の底から笑うこともなく、心の底からの歓喜もない。
法の正義などという言葉は、粗大ゴミのように黒いビニール袋に入れて捨てられる。
反骨、反発などという言葉は薄ら笑いをしている。

チクショウ負けてたまるかと思うが、泉谷しげるの春夏秋冬の一説を口ずさんでいる。
♪~またひとつずるくなった 当分てれ笑いが続く 今日ですべてが終るさ 今日ですべてが始まるさ。
♪~明日という字は明るい日と書くのね、なんて唄った歌手を思い出す。

人に物事を相談する人にはストレスはない。
一升瓶に二升は入らない。背伸びは滅びる。
人のリスクを背負った人が報われるケースはこの世にない。

ある年私のところに借金に来た人間は、なんとタクシーで帰り、私が人の借金を背負っている時こんな電話をして来た。
ヒトゴトであまり無理しないでくださいよ、体を壊しますから。
録音スタジオで箱弁をスタッフと食べていたら、六本木の高級寿司屋からどーんと出前が届いた。何だこれは頼んでないと言えば、電話の主からだった。
バカヤローシメるぞと本当に怒ったのを思い出す。

スタッフは夜も寝ずにがんばっている。休日返上でがんばっている。
私もがんばろうと思っているが、実は大迷惑をかけているのではと、布団の上で黙考している。

売り上げという数字はこの世の数字の中でいちばんのヤッパ(刃物)だ。
午前一時過ぎ遅い夕食を食べ始めた、こんな気分の時はサバの塩焼きと、浅利の味噌汁に限るのだ。

2017年3月8日水曜日

「元老院」



「ビックリしたなぁ、もう」てんぷくトリオのリーダー、故三波伸介の決め言葉だった。三越伊勢丹の大西洋社長が任期途中3月末をもって退任するという報に接して私が発した言葉は「やられたなぁ、もう」であった。
現在の流通業界において卓越した営業センスと経営手腕を持っている人と思っていたからだ。

新宿伊勢丹の売り場はすばらしい。接客もすばらしい。
流通業界に入った者は伊勢丹を見に行くのがイロハのイであった。
特にメンズ館は他の追従を許さない。食品売場の美しさは目を見張る。
歩いているだけでも気持ちが豊かになる。

大西洋社長は業績悪化、業績低迷の責任を負わされたと昨日の毎日新聞にあった。
デパートという業態が終わっているようだ。

これは私見である。
伊勢丹が“三越伊勢丹”になった時に、伊勢丹内部はガタガタとなった。
三越のDNAと伊勢丹のDNAは全く違う。血液型不適合だ。
日本橋と新橋、オジサン、オバサンとシティボーイ、シティガールの違いとでもいうのだろうか。
着物を来た女性とブルージーンズに白いTシャツ、コットンのジャケットの男が手をつないでデートしているとでもいうのだろうか。

三越と合併(あるいは吸収)大反対と、イヤイヤでも賛成と絶対反対とに分かれたのだろう。
ある経済専門雑誌には三越の人間を伊勢丹の人間は番号で読んでいるとか、昇給にも出世にも大差があると書かれた。
この記事は数ヶ月前位だったから大西洋社長はすでに元老院から不本意な扱いを受けはじめていたのではと思う。

三越と合併させたのは元老院であり、いち早く大失敗だったと思ったのも元老院のはずだ。大西洋社長は三越の人間を番号で呼ぶような人でないことは、業界の人間なら誰でも知っている。
この一年間盛んにテレビ出演したり、本を出版したりしていたのは元老院への抵抗でもあり、世間を味方にするためだったのかもしれない。

私は若かりし頃、売れない百貨店の宣伝部にいた。
そこで見た百貨店は出入り業者にあれ買え、これ買え、あれも買えと勝手に売り上げをつくる。業者の取引額によって割り当てが決まるのだ。
ダイヤモンドからたくあん業者までその対象となる。
大西洋社長は苦悩したに違いない、古い百貨店体質に。

百貨店の外商部というのは外からは見えないが売り上げの相当部分を持ついわば影の軍団だ。レディースやメンズが花形なら、外商はヤクザ者だ。
私は在職中そう思っていた。絵画、陶器、宝飾品、高級呉服、高級時計、高級家具。
あなたの目の前で、ハイこれくださいというのを見たことがありますか?
中国人爆買い以外余り見たことはないはずだ。でもちゃんと売り上げているのだ。

私がいた百貨店は大手百貨店に吸収された。
主任、係長、課長補佐、課長、次長、部長代理、部長、販売促進本部長代理、販売促進本部長、店長代理そして店長。あっという間にどこかへ消えました。
一人だけ特別な奴がいました。ヨイショとゴマスリとセクハラの達人だった。
私は大西洋社長のファンだった。ローマ帝国の時代から元老院は恐ろしいのです。
伊勢丹の創業家とは。

2017年3月7日火曜日

「コンニャク」




金融機関→地面師→不動産業者→役所の窓口→係員→主任→係長→課長補佐→課長→次長→部長補佐→部長→その上司→その上の上司とぞくぞく役所ルート。
一方では町の有力者→町会議員→市会議員→県会議員→元国会議員のルートが。
その一方で元請けの建設会社→解体業者→産廃業者→下請けの業者→孫請けの業者、裏社会などのルートがあるらしい。伝聞である。

世のため人のため、自分たちの老後のためにと、先祖伝来の土地を売ってある施設を建てた。
私の知人は言われるままにあっちこっちに金を渡した。その額は途方もなく、ん億円を超えたという。
ゴルフにカラオケ、そしてお決まりのコース。
おおむね三つのコースを経て許認可事業の施設はやっとこさ建つ。

大化の昔以来日本国はこうした構図によって成り立って来た。いちばん笑うのは金貸しと金融業者であることは言うまでもない。いちばん怖ろしいのは地面師たちであることも言うまでもない。

「悪い奴ほどよく眠る」「生きる」で黒澤明監督はこの仕組みを描いた。
あれから何十年経っただろうか、この国の在り様は何も変わっていない。
永遠にアナログなのだ。

コンニャク→200万、ういろう→500万、レンガ一ケ1000万。
いずれもピン札の場合でこう表現されているらしい。裏社会は実にネーミングが上手い。
ロッキードの時はピーナッツであった。

今、肩で風を切っている東京都知事は、いずれは何かでやられるだろう。
山吹色の誘惑に勝つほどの良識は持っていない。
役人という組織は食えないコンニャク、食えないういろうなのだ。

それにしてもこの頃、権力に挑む山崎富子のような社会派の骨太の映画が一本もない。
無礼者!オレは不動産屋じゃねえ、とっとと持ち帰れ!と勇ましく芝居がかったことをしていた国会議員のオッサンがいたが、太陽が西から上ってもそんなことは絶対しない。
コンニャクはおでんの代表だが、国民の代表のオッサンは煮ても焼いても食えないのだ。

2017年3月6日月曜日

「熱いシャワー」




私は悶々としている。書きたくても書けないことが多いからだ。
義理と人情を秤にかければ当然義理の方が重い。
更に積年の恩義があれば無言を貫くしかない。

佐賀に生まれた武士道「葉隠」は、死ぬことと見つけたりと言った。
伝聞によると西南戦争に敗れた西郷隆盛の愛する部下、陸軍少将桐野利秋は戦に敗れ首を落とされたがその首あとからオーデコロンの香りがしたという。
日々死を覚悟していた。

武士たるものに二言は許されない。
武士たるものは朝が来たらその日死ぬことのために身を清め、新しいふんどしをつけた。
私はうつ状態でヘロヘロになっていた間も、必ず朝シャワーを浴びた。
風呂場で立っているのもつらいのだが、なんとかシャワーを浴びた。そしてヒゲを剃った。
微香性のオーデコロンを細渕晋子さんという女性から頂いていたのでそれを吹きつけた。
細渕さんは私の体をメンテナンスしてくれた治療院のやさしいスタッフだった。

まい日洗いたての下着をつけた。
うつが酷い時ははいつくばり、手すりにしがみついた。
チクショウ、気合だ、気合だ、とくもりガラスに指で字を書いた。
その頃の日記を見ると、やはりチクショウ、気合だばかり書いてある。
私はボーっとしながらも仕事場に向かい(列車で)その日の仕事をこなした。
つらい時は床に横になって打合せをした。親は子のためなら命を捨てられる。
恩義ある人のためなら命はいらない。世話になっている会社のためなら死んでもいい。
私はそれが男だと思って必死に生きてきた。

何がいいたいかと言うと、一国の大将たる者は女房一人に引きずり回されて恥をさらすな。
私の不徳ですのひと言で終了、例え子のためとはいえ、逆にその子の足を引っ張るのはいけない。
全ては私の責任、他人には一切関係ありません。あとはいかようにもと言えばコトはすむ。
歴史に名を残した人は、歴史に残るひと言ですべて解決ができる。
それが誰かは推測に任せるが、私は一度は天下を取ってもらいたい人を思う。
今はガマン、機は来ると。

沈黙は金、沈黙は冗舌ともいう。
あとはみんながついている。お酒を飲み続けベロンベロンになり起きることも叶わず、夜を過ごす胸中とは。
天下人の妻は悶々としているとか。私人か公人か。
一人の悩める女性は、ご主人の愛を求めているのかもしれない。ボクにはキミが必要なんだの一言が。
小さな幸せに勝つ、大きな幸せはこの世にはない。愛より強い権力はない。

2017年3月3日金曜日

「ネバーギブアップ」





長い病と闘っている方々に勇気が出ればと、昨日のことを書く。
午後二時半青山葬儀所で、美術監督の名匠池谷(いけや)さんのお別れの会に行く。

その後浦安に向かう。
巨匠原田徹監督から絵が仕上がったからとの連絡がありお宅に伺った。
戦艦大和攻撃されるのシーンを切り絵で描いていた。
平家物語の最終シーンは油絵であった。

こう書くとああそうですかとなるのだが、原田監督は一日60錠以上のクスリを服用している。六十歳の頃からいろんな病に襲われる。
パーキンソン病になり、心臓にペースメーカーも入れる。
足の裏は活花に使う剣山の上に乗るような激痛があるとか、次々と病が生じている。

闘病10余年、現在七十五歳となった。
先日はボーコーに内視鏡を入れられて、その痛さにマイッタとか、何かのことで舌を噛んで二針縫った。腰痛も酷い。でも決して屈することはない。
読書をし、映画も見る。相変わらずのジョークも小さい声ながら出る。

芸術家としての執念が病と闘っている。
フツーの人ならば一日60錠以上のクスリをずーっと、ずーっと服用すれば、肝臓はギブアップし、胃袋は食欲を失う。だがしかし原田監督の食欲はおとろえを知らない。
奥さまは焼肉を食べたい、なんて言うんですよと笑う。

立派なヒゲを生やした原田監督は仙人のようであった。
私は大賛成だがご家族にはヒゲ反対論もあるとか、キレイに剃っても40日もすれば立派なヒゲになるというから、自らの表情の変化を楽しむのもいいかなと思う。
病気を抱えている方々、決して諦めないで下さい。

一日か二日だけでも絵の個展をやりましょうと言って原田監督宅を後にした。
三匹の猫がまた来てねと私に言っているようであった。人生ネバーギブアップ。