ゴミ山の中から4320万円が出て来た。それを昨夜のニュースで知った。
ゴミは宝の山だったのだ。
私の知人が解体業をやっている。
この頃はどうか知らないが何度か酒を飲んで話をした時こう言った。
“解体は三日やったらやめられない”と。なぜかと言えば余禄がワンサカあるという。
酒が入ったのでかなり話は盛られていたと思うが、家、屋敷をユンボかなんかでガッタンガタン、ボッコンボコン、バリンバリンにぶっ壊す。建築の真逆の行為だ。
ストレスの解消もしつつ、おっ壁の中から茶封筒が、開けてみるとヘソクリが、あるいわ隠し金が。人間は忘れる生き物である。
バキッバキと壊した地下から壺に入ったビニール袋、その中から宝石やら現金が、安物の下手な絵などが壁にへばりついている。その絵の下にべったりとガムテープで貼られたヘソクリ(?)が。人間は何度もいうが忘れる生き物である。
正直に申告するか、バックレて何日か様子を見て何も言って来なかったら余録にする。
他にも株券とか、公社債券とか、借用証書とかエロ写真とかもあるという。
人間は隠したがる生き物で、何故か地下、壁、天井裏を選ぶ習性がある。
更にこんなの一文にもならないと捨てていった物の中に“なんでも鑑定団”に出品したら、えーっとビックリするような“物”もあるらしい。
たかがたん壺だと思っていたのが、中国の有名な景徳鎮の壺だったり、なんだこりゃ木の破片みたいな物に仏様みたいなのが彫ってあるぜと思ったら、実は円空作だったり(円空は鉛筆位の大きさの木片にも彫った)。
農家とかもとは庄屋さんの家なんかの解体は余禄が多いとか。
戦後は食糧不足の超インフレ。
買い出しと言ってお米二十キロ、イモ二袋とダイヤモンドの指輪を交換していた。
空腹を満たすために都会人はリュックサックを背負って農家を訪ねた。
多分いまでも日本中の農家の納屋や蔵には国宝みたいなものがあるはずだ。
もう一度言うが人間は忘れる生き物だ。自分のした事を忘れないでチョーダイ。
解体は一見ただぶっ壊しているようだが、イロイロと難問もあるらしい。
知人は息子さんに後を継がしてすでにこの世を去った。
どこまでホントかどうかは分からない。ダンプの荷台にユンボを乗せて、チワースと手を振る息子と一度話をしてみよう。なんかオモシロイ余禄話はないかと。
何しろ日本には数百兆のタンス預金がある。
4320万は持ち主が三ヶ月中に出てこないと回収業者の入金(?)あるいは売り上げ(?)に計上される。いや落とし物扱いかもしれない。
4320万円あれば映画が作れるんだがと思った。
昨日は椿山荘で将棋の名人戦前夜祭パーティーがあり、友人の写真家から誘われていたが残念ながら間に合わなかった。佐藤天彦名人、人はその姿から“貴族”と言う。