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2017年8月21日月曜日

「正々堂々と…」

北海道には知人がいて農業をしている。
青森には知人がいて陶芸家をしている。
岩手には友人がいてBarのママをしている。
秋田には親戚がいて医院をしている。
山形には友人がいて画家をしている。
福島には知人がいて住職をしている。
宮城には知人がいて出版社をしている。
新潟には友人がいて農業をしている。
群馬には知人がいて格闘家をしている。
栃木には知人がいて陶芸家をしている。
山梨には友人がいて文筆業をしている。
千葉には娘家族がいる。神奈川には私が住んでいる。
長野には仕事仲間がいる(佐久平から通っている)
富山には知人がいて政治家をしている。
岐阜には友人がいて広告制作をしている。
静岡には友人がいて建設業をしている。
愛知には友人がいて写真家をしている。
福井には友人がいて眼鏡の製造をしている。
滋賀には知人がいて郷土史家をしている。
京都は私の兄弟分の出身地。
宮崎には友人がいて酪農家をしている。
大阪には後輩がいてタクシーの運転手をしている。
兵庫には知人がいて漁師をやっている。
和歌山には知人がいて弁護士をしている。
鳥取には友人がいて写真家をやっている。
島根には友人がいて政治家をしている。
山口には友人がいて病気によるリハビリをしている。
徳島には友人がいて観光業をやっている。
愛媛には後輩がいてデザイナーをしている。
香川には知人がいてコマーシャルをつくっている。
高知には友人がいて刑事をしている。
岡山は私の出身地。福岡には後輩がいて広告をつくっている。
大分には友人がいて旅行のガイドをしている。
佐賀は私の体のメンテナンスしてくれる先生の出身地。
長崎には後輩がいて職業不詳。熊本には知人がいて雑誌記者(?)
鹿児島には知人がいてゴルフをしている。
沖縄には友人がいてホテル経営。

時間が許す限り、甲子園大会を見る。
北から南さぁどこを応援するかと迷う。
それぞれの県にそれぞれ思い出深い人、お世話になった人。
郷土愛強き友人、後輩たちの顔が目に浮かぶ。

ここに書かなかった4つの県がベスト4となった。

“宣誓”幼い頃からまっ白なユニフォームが真っ黒になるまで練習し、まっ白なボールを真っ暗になるまで追いかけた。
確かこんなステキな宣誓だった。
そして正々堂々と全力でプレーすることを誓います。

私たち大人社会はもはや正々堂々なんて四文字は死語になってしまった。
野球少年たちを胸を張って迎えいれることはできない。

野球をしている中(三)の孫が行きたいというので息子の運転で13日夜九時半茅ヶ崎発次の日の早朝五時ごろ甲子園着で行って来た。(六時入場開始)
太陽をまともに浴びながら第四試合の三回まで合計30イニングを見て甲子園を後にした。
外野席レフトポール際。
運転で疲れても野球好きの息子と孫三人。
少年野球好きだが、私にとっては熱中症になる人体実験みたいであった。
何しろ完徹であった。
次の日の四試合も見たいと言ったので、私は死ぬよと言った。
幸い(?)というか次の日は雨で中止となった。

その後少年たちは数々の一投一打の伝説を生んで行った。
最後に笑うのはただ一校しかない。

私たち大人は真っ黒な心で、世の中を真っ暗にしてないだろうか。正々堂々と考えて見よう。
一つの仕事に体を張って取り組んでいるだろうか。
新しい作品を創造することに、プロとして死ぬほど取り組んでいるだろうか。

2017年8月18日金曜日

「号砲まで」

400字のリングのゴングを鳴らしました。
気の早い話ですが、今年も残り4カ月と14日です。
ついこの間箱根駅伝をガンバレ、ガンバレと応援していた気がします。が、この間にいろんな事がありました。

八月十五日終戦記念日(敗戦だな)作家・作詞家「なかにし礼」氏が新聞に寄稿していたのを読んで、さもありなんと思った。
敗戦間近満州にいた「なかにし礼」氏は六歳であった。
ソ連が参戦し満州から本国に逃げかえる満員の船で見たこと。
船に乗ろうと必死にしがみつく人、人、人。その指を切るぞ、手を離せと叫んで日本刀を手にするのは軍人たちであったという。
勿論高級将校たちも我先にと逃亡をした。
船が動き出す。
しがみつく人間はバラバラと海に落ちて行ったのだろう。

NHKが世界中を驚かせた真実のフィルムスペシャルとして放送した。
石井四郎陸軍軍医大佐が中国で行った人体実験のおぞましい数々を。
いわゆる陸軍731部隊の秘密である。
人体実験を行ったのは、東大、京大などの教授たちである。
この人非人たちは戦後なに食わぬ顔をして出世を遂げた。
ある者は学長となり、教授となり、ある者は人体実験で得たもので財を成した。
悪いことをした人間は大きな屋敷に住んで暮らし、軍の命令だと人間の所業と思えない生体実験をさせられた人たちは、今もなお苦しんでいる。
そして言う。
「戦争は絶対にしてはいけない」と。

この当たり前のことを金もうけにしようとしている者がいる。

日本人は八月に戦争を語るが、殆どの人が九月になると忘れてしまう。

不景気対策の第一は戦争という公共事業だと真顔でいうのが霞ヶ関の官僚たちだ。
そしてそのおこぼれに群がるのは。
気をつけるべし悪魔はやさしい笑顔でやって来るという。

あと四ヶ月と十六日目に箱根駅伝の号砲が鳴る。

2017年8月4日金曜日

「燃える築地」

火は何を語るか。それは激怒だろう。

昨日銀座の仕事場で仕事をしていると、空にバタバタヘリコプター、仲間が何か事件かもと言った。
テレビをつけると築地市場が赤々と燃えているではないか。
場外の店は殆ど知っている。中でも人気ラーメン店「井上」は長い付き合いだ。
その井上が煙の中にあった。
元東急文化村の社長が来て、出版社の編集者が来た。
お世話になっている代理店の社長が来て、何やら怒っていた。
(とっても人にやさしいので)本を10冊買ってくれた。

六時までに企画書をつくらねばならない。
バンバン書きながら有能なスタッフにバンバン企画書化してもらう。
本を送る人に、パッキングする。
まず98人分。来週から順次約100人、プラス大学や高校の音楽の関係者に100人、その次に約50人送る。
頭の中で企画しつつ、内職みたいな作業もする。
敬愛する大先輩のために労は苦でない。

友人と新富町の「寿し辰」で会うために六時ちょい過ぎに企画書を送信し、OKがでたので仕事場を出た。外は薄暗い、空には黒いトンボのように七、八機のヘリコプターが飛んでいる。
火事が生んだ白い煙がコゲクサイ臭いと共に仕事場近くまで流れて来ていた。

この日第三次改造内閣が誕生したが、激怒する火はこの内閣の先を暗示しているかのようにメラメラと燃えていた。
七十三歳で初入閣した議員を派閥の仲間が、バンザーイ、バンザーイと、出征兵士を送り出すようにしているニュースをみて、この国は大丈夫かと思った。
小池都知事は再利用内閣みたいと言ったが、この都知事の行く先も暗示している築地市場に大火災であった。

友人と会ったが中瓶のビールだけにした。
家に帰ってやらねばならない仕事がある。酒が入ると書くのがツライ。
帰途につく中、激怒の火はきっと私に対しても燃えていると思った。
アレコレ、ソレコレやりながら仲間に迷惑ばかりかけている自分が見えた。現在総括中なのだが、いろんな相談を受けている内に、頭の中がウニみたいになっていた。

不眠症が22年となり「睡眠負債」が返済不能になっている。現在午前一時二十七分四十二秒NHKテレビでは新大臣の記者会見の放送をしている。
その前に土の中に埋められた(?)赤ちゃんが泣く声で助けられたとのニュースがあり、バンジージャンプのロープがブチ切れてケガ人を出したオソロシイ遊園地の検分のニュースもあった。
お土産に買って帰った折り詰めのすしを持って愚妻は二階へ。

でっかいスイカ二つが箱の中に、青森の陶芸家「一戸広臣」さんが作ってくれた夏の王様だ。大好物をありがとうといいながらスイカをナデナデした。

そんなこんなをしていたら、一本の電話が入った。
九月第一週に提出するプレゼンテーションの話であった。
私に夏休みはないかも知れない。
だがしかし、しばし私は私に、私のことを相談する。

ビートルズは何故八年で解散したのか、その中に何かヒントがある。
友よ答えは風の中を舞っている。
ボブ・ディランの風の中にもあるはずだ。

みなさん海でクラゲに刺されたり、陸でヒアリに刺されないように気をつけつつ、いい夏の思い出をつくって下さい。私には働くことしか能がない。

400字のリングは八月十八日まで休みます。

午前三時四十分六秒、目覚し時計をみつつ、いつものグラスにマッカランを注ぎ入れた。

2017年8月3日木曜日

「納豆とソーメン」

ワシパクられるんやろうか(?)お父さん体力やでちょっとまってやと台所へ行って納豆を持って来た。
ゴメンネこれしかなくてとご飯に納豆、箸でセッセと納豆をかきまぜるお父さん。
その斜め前にいる息子は携帯で電話中、三人が見つめるテレビの画面、籠池理事長宅にガサ入れを報じている。
丸い竹籠にソーメンがてんこ盛り、お父さん肩が凝るからとでっかい膏薬を貼る。
地検からの呼び出しに向う前、コーヒーカップを握りながらソーメンをゴソッとすする。
コーヒーカップの中には珈琲ではなく、ソーメンのつゆが入っている。
美味しいと言うお父さん。
玄関で空を見上げ一句詠む。
数時間後に帰宅。
たくさんの記者たちに、まぁ~なんというか黙秘やなと笑う。
映画のシナリオのト書き風に書くと籠池夫婦はこんなシーンであった。

納豆とソーメン(冷麦かも)が深く印象に残った。
今お父さんは拘留中、納豆とソーメンは食べれない。
こういう夫婦はやはり大阪弁が似合う。
松竹新喜劇の舞台か、花月の漫才みたいである。
犯罪者に変わりがないが、二人して正座して必死に手を合わせ、何かのお経を唱えている姿は妙に哀しみを感じてしまう。
ステテコにチヂミのシャツのせいだろうか。

いかなるキャスティングの達人も、籠池夫婦はつくれない。

いつ出て来てこれるかわからない。10日、20日と拘留され起訴されるかで決まる。
謎の死なんていうこともある。

気いつけやお父さん、いつか納豆とソーメン(冷麦かも)を食べれる日が来ると思うよ。
ウソとズルを正直に歌ってしまう(しゃべること)ことだ。
かくして夏の日は過ぎて行く。

取り調べる地検の担当部長は女性だとか。

2017年8月2日水曜日

「明石家“秋刀魚”の日」

生きてるだけで丸もうけ。と言ったのは確かあ明石家さんまさんだ。

昨日どしゃ降りの雨に打たれた。
東海道線はどっかにカミナリが落ちたとかで大幅にダイヤが乱れていた。
新橋から乗車したが超満員であった。

やっとこさ辻堂駅に着いたが激しく雨が降っていた。
バスもタクシーも行列。
よく利用するタクシー会社さんに電話をして迎えに来てもらった。

早く家に帰って複雑な原稿を書かねばならない。
二日間がかりだ。
今日の午後四時からそれをもとに打ち合わせをすることになっている。

家に着き午後八時過ぎテレビをつけると、明石家さんまさんが盛んに引き笑いをしている。
息を飲み込むように笑う。
ずーっとむかしこの人と仕事をした時、ある会社の大社長を2時間待たせて、えらいすんまへん、ほな撮影しましょと言って真剣になった。
花束を持った社長さんたちはキョトンとした。どうかよろしゅうお願いしますとスタートした。

隅田川の花火大会は終ったが、北朝鮮もでっかい打ち上げ花火ICBMが日本列島に落ちようがさんまさんはきっと平然として引き笑いをして転げ回っているだろう。
この人に勝てる人は大竹しのぶさんしかいない。

タモリさんはすっかりブラタモリ三昧。
ビートたけしさんはアウトレイジでやりたい放題。
お笑い芸人としての本業を一気通貫しているのは明石家さんまさん。
ゲストの岩城滉一さんも、哀川翔さんも明石家さんまさんの前では借りて来た猫同然で大人しいフツーのおじさんだ。

午後九時から一時半まで原稿を書き続けた。
やっとCSチャンネルで放送していたのをモニター会社にダビングしてもらっていたジョージ・オーウェルの1984年の字幕入り映画を見ることができる。
天才監督からいただいた格別のソーメンをすすりながら(信じられないほど美味しい)全体主義の恐怖をスタートした。

昨日夜のおかずは初物の秋刀魚であった。
口ばしが黄色で腹がふっくらしているからいけると思った、予想以上に脂がのって旨かった。何があっても明日は過ぎて行く。
「過去を制する者は、未来を制す。未来を制する者は、過去を制す」映画1984はこの言葉から始まった。

ソーメンは美味しい。
映画はオドロシイ。外はへなへなの雨が降っている。

天才監督に会いたくなった。
日本の美をとことん追い求めた作品をみせてもらいたい。
敬愛する浦安の大監督の絵が描き上がっているというので見に行く。
二人の監督との出会いは人生の宝物なのだ。

ところでみなさん田中珍彦著、木楽舎刊「珍しい日記」を広めてください、よろしくお願いします。

ソーメンが少なかったので追加した。
氷も追加した。

うわぁ~なんたる映画だ。
私は映画を見ながらいろんなことを思考するクセがあるのです。

2017年8月1日火曜日

「サヨナラ勝ちと、コールド敗け」

七月三十日(日)午後二時三十八分、ゲームセット野球場の時計はデジタルで秒針がない。

淵野辺といえば大変お世話になっている東洋羽毛工業(株)の本社と工場があるところだ。だがこの日私は淵野辺公園側、弥栄町にある相模原野球場に朝からいた。


中(三)の孫の野球の応援に家族総出で。
前週の日曜日横須賀スタジアムで公式戦第一回戦があった。

負ければ引退となり受験勉強に入る。

試合は11対10で7回裏サヨナラ勝ちであった。
三番サードの孫は反撃の口火を切るレフトオーバーの二塁打を打った。
あとはショートライナー、左中間をライナーで抜けたと思ったがファインプレイでアウト。
打たれて、打ってを繰り返した。
最後に二年生のキャッチャーが満塁から弾丸ライナーでレフトオーバーを打ちサヨナラとなった。

船橋から娘家族とチワワ一匹も応援に来た。
愚妻は大声でガンバレー、負けるなぁーと普段と別人となった。
そしてみんなヤッタ、ヤッタと泣いていた。

サヨナラ安打を打ったキャッチャーのお父さんは、奥さんと離婚して男手一つで二人の子を育てて来たとか。
度の強いメガネの奥に涙がたまっていた。
みんなから祝福されていた。


で、相模原野球場は11時試合開始予定、私はずっと起きていて、六時から時事放談を見て、七時から朝刊を読んでいたら八時になりサンデーモーニングを見始めたら、そろそろみんなが迎えに来るというので、すぐにシャワーを浴びた。
そしてレッツゴー、お嫁さんは当番なのでもっと早く球場に行っていた。
淵野辺はその日の朝から激しい雨、でも私が着いた十時半頃は小降りとなっていた。

公式戦を三試合組んでいるので流せない。グランドのスタッフ六人と各チームがビニールシートを外し砂を入れ、トンボという道具で整える。
熱心さに頭が下がる。
一時間ほどかけて整え終り、そこに白い線が入る。
ホームから外野へ、バッターボックス左右二ヵ所が出来、キャッチャーボックス、ホーム全体を半円で囲む。私の少年の頃と同じやり方だ。
文明が発達しても白い線をカタコトとやる方法は変わらない。

試合開始は大幅に遅れて第一試合が十一時三十九分プレーボール。
そして我々は一時四十分に試合開始、いきなりボカスカ打たれた。
五回までに七点差がついたらコールド負け。
孫は第一打席初球をライナーでレフト前ヒットを打った。
その後相手の「藤沢シニア」に打たれまっくて五回で終り、0対8であった。
ただ一死満塁の時に打者のボールがサード深くレフト近くのファールゾーンにフライが上がった。
孫はそれを必死に追い斜め逆シングルで捕った。
深いので相手のランナーはタッチアップでホームへ。
孫はすぐ振り返り早いワンバウンドをキャッチャーへ。
見事アウトにした、ダブルプレイになった。
両軍から拍手が起きた。
同じようなファインプレイもした。
私は最高のプレイが見れて本当に嬉しかった。

帰りのバスの中で一気に眠りに入った。

2017年7月31日月曜日

「背中に消しゴム」

「男は父の背中を見て育つ」というが父の背中を見ない、見たくない、見せるな、と育った男がいる。

その男の父は長袖のシャツを着てプールに入った。
Why何故か、それは背中一面に“鯉の滝登り”の立派な刺青が入っていたからだ。
私の友人の父親である。

友人は夏になると嫌でしょうがなかったという。
父親とその子分たちと阿佐ヶ谷にあった50メートルプールに連れて行かれるのだ。
プールの入り口には刺青の方はプールに入れませんと貼り紙がしてあった。
小学生だった友人を連れてプールに行くのだが長袖のシャツは脱がなかった。
お風呂の中でよく見ていたので友人は、鯉の滝登りの絵(?)が好きだったが、中学生に入ってからは見たくもなかった。
あんまりにも暑い夏、父はシャツのままプールに入った。
シャツは水をたっぷりと含み背中の刺青がうつし出された。
背中の鯉は久々に本物の水を得てイキイキとした(?)。
友人は恥ずかしかった。同じ学校の女子生徒たちも来ていた。
子分たちもTシャツのままプールに飛び込んだ。みんな刺青が大なり小なり入っていた。
友人はプールから出て先に家に帰った。
あとから帰って来た父親は刺青が入っていることを友人に謝った。
お前はお父さんみたいなヤクザ者になるなよと言った。

友人は成績優秀で中高一貫校からそのまま大学へ進んだ。
“陸の王者”が応援歌の大学である。友人は応援団に入り、やがて団長にまでなった。

卒業して外資系の大手広告代理店に入った。
その会社のロビーで何年か振りで会った時、父親の刺青の話になった。
その時すでに亡くなっていた。
オヤジの背中見るのが嫌だったよ。
阿佐ヶ谷のプールに行った時、大好きだった女の子がプールサイドにいたんだよ、恥ずかしかった。
そんな話をしたことを思い出した。

幼い頃友人は消しゴムで父親の背中をこすったと言って笑った。

昨日家の近くの海へ向う親子がいた。
タンクトップから出ている太い腕に刺青があり、その右腕の中に小さな白い犬がいた。
犬がどう育つかは分からない。
左手に三才位の男の子がつながっていた。

空はどんよりとして霧雨が降っていた。

2017年7月28日金曜日

「ありがとう」

本日、七月二十八日夜、八年間プロフェッショナルの仕事とはを共に追い求めて来た、私の右腕の送別会である。

教えきれないストレスに猛烈に応えてくれた。

今後のために私は自分自身を総括しなければならない。
広告制作、出版、イベントプロモーション、映画制作、ボランティア活動、各種販促、ブランド出店、チャリティ活動、いわば私の“狂人日記”をプロデューサー&デスクとして支えてくれた。
今は「ありがとう」この一秒の言葉以上の言葉が見つからない。
今夜は「しあわせに」この一秒の言葉を心を込めておくりたい。


笑顔がとても似合う有能な女史を知っているみなさんに、この場をかりてご報告をする。

すてきなご主人がいて、映画が大好き、ワイン通で食通、特にタンタン麺、インドカレーが大好きです。そしてどこよりも香港が大好きです。
プロ意識の高いもの凄い女史です。今後共ヨロシクお付き合いをしてあげてください!

2017年7月27日木曜日

「砂の女」

女性は怖ろしいと思った映画がある。
日本映画史上に残る名作である。
勅使河原宏監督の「砂の女」だ。

学校教師の男が昆虫採集で、ある村を訪れる。
家族と死に別れた女のところに宿泊する。
女は家の周りの砂をかき集め、村人が砂を引き上げる。
家は砂の壁に囲まれた谷底にあるため縄はしごがないと外に出れない。
朝、男は出ていこうとするが縄はしごはない。
男は女にとらわれたと気づく。
男は女に逆らいながらも砂かきを手伝う。
ロープを使って外に出るが、村人によって連れ戻される。帰りたいけど帰れない。
女は黙々と働き、男は逃げたがる。
男は罠にはまったことを感じる。
人が砂に支配されている。女の家がつぶれれば隣りの家も埋もれる。
だから砂をかき出す。
アリ地獄の中に落ちた生き物が決してそこから出れず、アリに食われるように、男は女の餌食となる。
男は女の肉体に犯され続ける。
やがてアリ地獄を脱出に成功する。
そこで砂に埋めた樽に水が湧くことに気づく。
桶水の実験をしだした男は、もう逃げ出すことを忘れる。
自由を奪われて新たな研究に没頭する。女の肉体はアリ地獄のように男を逃がさない。

安部公房原作は不条理の世界へ観るものを誘う。
音も映像も素晴らしい。さて、「砂の女」に何を学ぶかだ。
私たちは人生というアリ地獄の中にいるのかも知れない。
何もかも逆転してみると分かる。幸は不幸へ向い、不幸は幸に向う。悪は善であり、善は悪となる。希望の愛は絶望となり、絶望の愛は希望となる。
「砂の女」の男はアリ地獄の中に生き甲斐を見つける。
だから私たちも…(?)何!ヒアリが恐いからアリ地獄に落ちたくないだと。
いつものグラスにジンを入れると砂の女がグラスの底に見えて来た。

2017年7月26日水曜日

「小津安二郎的」

昨日家に早く帰る必要があり新橋発平塚行に乗車した。
午後五時二十分を二分遅れで入線して来た。列車はすでに満員状態であった。
ムシ暑くベタベタする日だった。

ほほえましい光景を見た。

八十代と思われる老夫婦が私と同時にグリーン車に乗った。
空いている席は前から二列目の二つだけであった。
買い物をした私は大きな袋を持っていた。
暑い中銀座二丁目から新橋まで歩いたので汗びしょであった。

君が座りなさい。いいえ貴方が座りなさいよと、老夫婦は1つの席をゆずり合った。
小津安二郎の映画のシーンのようであった。

私は窓側の一つに座っていた。列車が遅れたので混む。
特別にグリーン車代を980円払っているので席をどうぞと言う人はいない。
私もその一人であった。
ご主人と思われる品のいい人はパナマ帽をかぶり杖を持っていた。
濃い青色のツーピースのご夫人は、私はいいわよと言いながらも座った。

私の心の中はどこか窮屈になっていた。

席を立ってゆずるべきだったかと、列車が品川駅に着き停車した時、杖を持ったご主人の体がガックンと動いて座席の背の部分をつかんだ。
大丈夫とご主人は言った。
隣りの二人掛けにはバタバタと新聞をめくる四十代の男と、二十代の終り近い女性がスマホをしきりに使っていた。
車内放送では、宇都宮駅で安全確認をしていたので二分遅れたことを何度も謝っていた。
私は立っているご主人が気になって仕方なかった。
列車が動き出した時、あなたパンフレットを見せてと言った。
カーキ色の半袖シャツにエビ茶の蝶ネクタイのご主人はショルダーバックから七月大歌舞伎と書かれたものを渡した。きっと歌舞伎を観に行って来たのだ。
表紙に白い髪も鮮やかな市川海老蔵の獅子がいた。
私が持っていた夕刊紙にでっかい文字で海老蔵に再婚話という大見出しがあった。

まい日夏休みとなり孫の世話をしている愚妻を歌舞伎に連れて行ってやろうと思った。
海老蔵のファンである。

スマホをいじっていた女性が気がつくとキリン氷結ロング缶を飲み始めていた。
いい舞台だったねとご主人は上から言い、そう、とても良かったと下からご夫人は言った。

本当に小津安二郎的になっていた。
こんなシーンは大好きなのであった。

スマホの女性は画面を見てクスクス笑っていた。

信号が停止信号を出しましたのでしばらくお待ち下さいと車内放送が始まった。