私が生理的に苦手な場所がある。
高いビル、広いオフィス、たくさんの会議室、やたら多い社員、首からぶら下げている社員証。
そこに行き、その一室に入ると精神的に落ち着かない。
酷い時は心臓がバクバクする。
デパートの広い売り場も同じでそこでの買い物は苦手だ。
人混みや混雑した列車も苦手で情緒が不安定となる。
多分社会に出た時はじめて入ったデパートが原因でないかと思う。
狭く雑然とした中に潜むようにいるのが私にとってはベストである。
そもそも小作人であるから、分相応でなければならないと思っている。
広辞苑の新しいのが出て予約開始という広告を見た。
現在までその類いは買った事がない。
中学生用の国語辞典と、コンサイスの英語辞典の二冊のみでやりくりして来た。
ある高名な作家は旅に出る時は聖書一冊だけを持って行くと書いてあった。
読み物としていちばんオモシロイんやと語っていた。
一人の高名な作家がロビンソンクルーソーのように南海の孤島に暮らすことになり、この一冊をといえば、広辞苑か広辞林が一冊あればいいと書いていた。
ある高名な作家が、人間にとってのいちばんの読書空間は、拘置所や刑務所の独居房だなと言った。
思想的弾圧で何年か入った。
それ自体は理不尽であったが読書して勉強をするにはこれ以上なくよかったと語った。
何しろ読書するしかやることがない。
君ねヤクザの親分がトルストイを読んだり、詐欺師がカントやニーチェを読みまくる。
凶悪犯が広辞苑を読破するんだ。
時間があるというのはいいもんだよ、やる事が何もないというのは、いいもんなんだよ。
人間は一度三年間位は読書勾留をするといい。
自分で選んだものを読ませるのさ。
パソコン、スマホは一切なし、分からない事は辞典か辞書で調べるんだ。
月謝もなしだ。
君、人間は母の胎内という狭いところで育ったんだ。
学ぶには三畳位が丁度いいんだ。
でかくて広い、美しい書斎なんかで仕事をしている小説家なんて大したもんじゃない。期待しない方がいい。
その姿はそう言っている。
高名そうなその先生の仕事場兼読書空間は、私が住むところの近所にある、ファミレス“ジョナサン”のカウンターの隅っこだ。
午前十時頃から午後十時頃までほぼ1年中そこにいる。
朝・昼・晩三食+(読売新聞付)そこで食べる。
時々出版社(?)らしき人が来る。
ヒゲモジャモジャでドリンクバーを行ったり、来たりする。
相当な人かただのオジサンかも知れない。
一度その人の側の席で、ビールを飲みマカロニグラタン(かなり旨いのだ)を食べていたら大先生、大研究者的オジサンは鼻歌を唄っていた。
♪~星の流れに 身を占って 何処のねぐらの 今日の宿 荒む心でいるのじゃないが 泣けて涙も 涸れ果てた こんな女に 誰がした。
菊池章子のヒット曲だ。
八十歳を過ぎているのは確かだ。
未だその名は聞いていない。
若い頃長い間思想犯として三畳間に閉じ込められていた相当な大物学者だと誰かが言った。
昨日はあたたかであった。
メロンソーダが大好きな私はそれを飲み、大先生は(?)虫メガネで何かの辞典を読んでいた。
ずーっと前から何回行っても指定席にいいるのだ。
その身の今後を占っているのかも知れない。
人間は考える葦である。
三連休八本の映画をDVDレンタルで見た。
35年前の「ブレートランナー」SFついでに「メッセージ」韓国の実話物「善悪の刀」アンジェイワイダの遺作「残像」溝口健二の「雨月物語」小津安二郎の「麦秋」松本清張物「けもの道」岡本喜八の「独立愚連隊」香港映画の名作「男たちの挽歌」
今夜はファッション界のカリスマ美女と会う。