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2019年6月26日水曜日

「笑いたい、でも……」

「最後は笑うしかない」。確かシェイクスピアの生んだセリフだと思う。あらゆる悲劇にあった末に何ができるか、その答えである。その笑いが正常の状態か、気が狂ったうえでの笑いかは分からない。シェイクスピアの「リア王」をモデルにしたと言われている映画「乱」を黒澤明監督が手がけた。主演は仲代達矢であった。信じていた者たちに徹底的に裏切られて最後は炎上する城を出て、荒地をさまよう、まるで泣いているような、笑っているような姿で。乱れきった着衣をはだけながら。たぶん若手は信頼はしても、信用はしていないと言ったと記憶している。これはある野球の監督の言葉。投げさせても、投げさせても、コテンパンに打たれる。それでもこの監督は若い投手を重要な場面で起用し続けた。その年、名門のチームは歴史的敗北を重ね最下位となった(野球通だと、きっとその監督の名は分かるはず)。スポーツマスコミは、これでもか言うほど叩きまくった。しかしその若い投手はエースピッチャーとして成長した。打たれても、打たれても、ベンチの中で怒ることなく監督は笑っていた(そう見えた)。人に迷惑ばかりかけまくって来たが、一昨日笑ってられない言葉を知った(「現代用語の基礎知識」には2008年に載ったらしいが)。「ググれカス」という言葉だ。ガラケーを使い、自分で検索(ググる)ことをせず、人にアレを調べて、コレを調べてと頼んで手間をかけさせる。そんな現代社会では使えない者を「ググれカス」というのだと日経新聞に書いてあった。私は完全な「ググれカス」である。笑ってられない。一人では何もできない。自分が心底情けない。打たれ続けた若い投手には時間という財産と潜在的才能があったが、私にはその両方がない。いずれ荒野を一人さまようだろう。ある大学の医学部の調査によると、笑わない人の死亡率は2倍高くなると、2万人の検診データを収集し分析したことを発表していた。この頃、腹の底から笑った記憶はない。私の住む広告界という世界はインターネット広告が全盛となり、大変革の時代になっている。やがて人工知能AIが広告づくりをするだろう。それでも私は若いクリエイターが育って行けば、きっと人がヒトに伝えるいい広告が生まれると確信している。人工知能AI同士は恋愛もできず新しい生命をつくる行為もできないだろう。ザマーミロなのである。若い投手を育てた監督の笑顔を、故大宅壮一大先生は、日本人の中で笑顔がいい3人のうちの1人に挙げていた。あなたは今年になって何回腹の底から笑いましたか(?) 世界中「乱」である。(文中敬称略)


2019年6月24日月曜日

「青空と、鉛色」

これほど対照的な映画を2本続けて見たのは久々であった。週末TSUTAYAでレンタルして5本持ち帰った。1本はクリント・イーストウッド監督・主演の「運び屋」である。私が少年の頃テレビの人気ウエスタン「ローハイド」に出ていた若いカウボーイがクリント・イーストウッドだった。すでに89歳となっているが、その制作意欲はおとろえを知らない。世界の映画人が認める生けるレジェンドである。アメリカのテネシー州、広大に広がる青空、ある物を運ぶことになった。老運送屋業者はカーラジオから流れるカントリーウエスタンを口ずさむ。物語は書けないが、妻と離婚して、子どもたちとも気まずい関係になっている、男は丸くなった背中をアロハシャツでかくして、ヨレたブルージーンズでヨタヨタの足をかくす。運び屋業で稼いだ金は、朝鮮戦争の退役軍人会などに寄付をする。「100歳まで生きたいなんて、99歳の奴が言うもんさ」と言う。明日のことは明日にならなきゃ誰もわからない。ある賢人の言葉を思い出す。クリント・イーストウッド自身、何度か離婚をし、若い女性と再婚したりしてひたすら映画制作に執念を燃やす。気分は今でも、ローレン、ローレン、ローハイド! イエーイなのだ。カントリーソングはテネシーのロングハイウェイで聞くとたまらなく気分がいい。私は、ジョニー・キャッシュの大ファンだ。ロードサイドの小さなライブハウスでビーフサンドとかビーフジャーキー、スペアリブかなんかを手をベタベタさせながら食べて、冷えたビールが最高だ。バイオリン、アコーディオン、バンジョー、薄暗い中で何度か聞いたことがある。映画の結末は(?)クリント・イーストウッドに心から拍手だ。好きな映画だ。次に見たのはイギリスのとある田舎だ。正岡子規は、たしか秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如しと書いたと記憶しているが、まさにイギリスの空は鉛色だ。映画のカテゴリーはラブ・ストーリーだが、この映画のラブは山の中で牛を養い、羊を養い、年老いて半身不自由な父と、その母を養う一人の若い息子だ。毎日の生活は空の色のように重く、暗い。小さな町にあるBar以外若い女性はいない。牧草と堆肥とクソまみれの牛たち、羊たちと暮らす。イギリスの料理は世界的にマズイというか、種類はないのが有名だ。若い息子の趣味といえば、気に入った男とのセックスだ。男と男のセックスをこれほどリアルに描いた作品は少ない。暗い毎日にやり切れない男たちが、トイレで、トレーラーハウスで、山小屋の中で、動物のように交尾したり、セックスに慣れた女性からされるように“愛”を重ねる。1週間の約束で手伝いに雇った男もまた、これしかやることことがないように全裸のようになり、求め合う。見終わった後、映画を見たというより、イギリスの本を読んだ気分になった。この映画に似合う曲は何だろうか。題名は「ゴッズ・オウン・カントリー」である。決して変態的でなく極めて秀作であり評価を得た。シネマートの上映企画で5回限定の上映が行なわれ、すべて満席に立ち見が出て全国上映にいたった。監督の力量は並外れている。アメリカの西部の牧童たちも同様な“愛”が多いと言う。美しい絵画のような「ブロークバック・マウンテン」などは多くの賞を得た。長い時期、牛を追って男同士が長いテント生活を一緒にするからだ。6月23日、日経新聞にTHE STYLE/Fashionという特集ページがあった。今年5月世界的デザイナー、ジョルジオ・アルマーニ(84)が、12年ぶりに来日したときの記事があった。アルマーニは医学部で人体構造を学んでファッションに転じ、それまでの概念を革命的に変えた。その経験を活かして、インテリア、ホテル、レストラン、化粧品などトータルライフブランドを築きあげた。大事業家でもある。41歳でアルマーニ社を起こす。彼を支えたのが公私ともにパートナーだったセルジオ・ガレオッティ氏だった。11歳年下の彼を失ったショックは大きく、一時姿を現さなかったが、アルマーニは復活して今日まで世界に君臨している。「一つだけ願いがかなうなら不死身になりたい」と語った。メンズにしてもレディースにしても、ファッション界のパートナーは同性が多い。クリエイティブを生む“種”があるのだろう。私にはまったくソノ気がないので分からない。で、ソノ人たちに聞くと、異性は疲れを感じさせるだけで、癒してはくれないのだと。クリエイティブを追求する人間に、定年はない。孤独との旅を続けるのと同じである。(文中敬称略)



2019年6月21日金曜日

「日本と香港」

中国ではかつて宮中に男の使用人は入れなかった。そこで「宦官政治」なるものが、中国の政治史の中で重要な役割りを果たした。宦官とは男性器を取った者たちが行う政治である。手術は通常12、3歳の頃に行われる。命がけの手術である。志願者は数日前から水分を控える。同時に利尿剤を飲まされて、できるだけ排泄をすませておく。手術のときは寝台に四肢を縛りつけられ、除去される部分を紐で縛って天井に吊った滑車で引っ張って置く。痛み止めの麻薬薬を局所に塗り、下から上へ一気に切除する。鮮血がほとばしり気絶する。4、5日して栓を外したときにチョロリとでも小便があれば手術成功となり、執刀者を招いて祝宴を張る。オシッコが出なければアウト、ジ・エンドとなる。なぜこんなことをするのかといえば、卑賤な身分から出て宮中に入ることができ、あこがれの皇帝の身近で生活ができ、その力量によっては、書物も読まないで、高い地位に出世でき、高貴も得られる。宦官たちは王子のお守り役だった。それぞれいろいろのケースがあるが、この宦官が宮中を仕切り、莫大な財を生んだ。それは国を動かすほどの力を持つことになる。宮中に出入りする者は、すべての宦官の許しが必要であった。この力を元にときには政治に介入した。家の床が抜けるほどの金銀財宝を賭路で手にした。徳川幕府の頃、大奥が絶大な力を持ったが、例えていうなら宦官政治は、女性器をなくした大奥政治であり、絶大な力を持った。今、日本の政治は宦官政治そのものである。「A」という皇帝に「B」という影の皇帝がいる。そのお側役として宦官たちが、やりたい放題をする。もちろん莫大な心づけが入る。調子にのって忖度しすぎる者もいるが、やがては非情なこととなる。「C」という自称皇帝以上だと思っている者が、「みっともないことの見本市」みたいなことを日々放言してヒンシュクを買っているが、歴史の終わりの悪アガキと言える。皇帝の周辺は宦官だらけである。妖怪「D」はあらゆる術にたけ、宦官をときに叱り、ときにヨイショして自在に操っている。が、年齢というどうにもならない壁が立ちはだかる。日本国は現在4000年ほど前の中国である。昨日、知人と銀座で待ち合わせていた。少し早く着いたので博品館から4丁目まで歩いたが、ほとんどの人は中国人観光客であった。アメリカがいくら中国に挑んでも勝ち目はない。日本経済も日中貿易なくしてはジ・エンドである。人海戦術はあらゆる兵器より強い。わずか建国200年ほどのアメリカには、日本の10分の1しか歴史がない。いつまでも第7騎兵隊の気分では、4000年、5000年とも言われる宦官政治には勝てない。いつでもズルイロシアが漁夫の利を得て暗躍する。トランプはロシアのプーチンの手の上にいる。ギュッと握られたら、ブッチュッとなってしまう。政治オンチの結果はきっとつまんないギャグで終わるだろう。日本はその観客になるのだろうか(?)。後継者を自分の後にさせたいと思うのは、親の希望であるのは言うまでもない。現在はそれをすんなり許すほどあまくない。ニュースや新聞記事を見れば、それが失敗の歴史であることであることを知らせる。単なる権力の移行から、しっかり未来を見た経営手腕の歴史になっている。年功序列などと呑気に言ってはいられない。優秀な人材はすぐ他に行ってしまう。この男だけは、という人を大切に守らねばならない。昨夜会った人は、「この男だけは」になる人だと思った。実に冷静にして沈着であった。週末この国の未来を考えてみよう。香港の若者たちのエネルギーを考えてみよう。そこに希望が見える。有名な「西太后」のお気に入りの宦官「李蓮英」は、巨万の富を得て絶大な権力をもったという。日本国はこの国とどうつき合って行けばいいのだろうか。答えは香港にある。列車を待つベンチで資料の本をパラパラめくっていたら、隣の席の若い女性が、巨大なコロッケパンをガバッと食べた。コロッケの欠片がバラバラと私のズボンにかかった。本人は何も気づかず、口紅の代わりがブルドックソース(?)色になっていた。
※参考文献 文春文庫「私は見た」



2019年6月20日木曜日

「鮎と次郎長」

鮎のおいしい季節となってきた。川魚の女王とも言われる。6月解禁されると、釣り人がここぞとばかりに川に入る。時に腰まで入り、急流となると命がけである。鮎は稚魚のころは雑食だが、大きくなると岩肌についたコケを主食にするベジタリオンとなる。キュウリやスイカのような香りがするので「香魚」と言われる。養殖ものはゴツイ顔をしており歯も鋭い。天然ものはすっきりとしていて顔もやさしい。はらわたを抜かず、口の中から尾の部分まで竹の串を通し、たっぷりと岩塩などをかけて焼く。美食家で有名な北大路魯山人などは、釣った鮎をすぐに届けさせてそのままがぶりとやったとか。やけどするほど熱いものに、蓼酢(たです)絞ってかけ、串を左右に持って横腹にかぶりつく。鮎といえば浪曲で有名な「広沢虎造」の「森の石松」を思い出す。“流れも清き大田川 若鮎おどるころとなる……”。こんな一節がある。で、森の石松となればやはり「清水次郎長」だ。この次郎長と清水港であったのが、「杉野はいずこ」で有名な広瀬武夫だ。軍神にまつりあげられたこの広瀬から次郎長にまだ会ってないのか、バカ者すぐに会えと言ったとか。その人は後の子爵、海軍中将「小笠原長生(ながなり)」であった。次郎長はかの山岡鉄舟先生(後の明治天皇の先生)もゾッコンに惚れ込んだ男だ。そして小笠原が会った清水次郎長は容貌魁偉な大親分だった。ドスンドスンとやって来て、「やあ、おいでなさい」と言って現れた。そのとき、次郎長は71歳であった。田舎めいた着物に三尺帯を締めていた。賭場では何が起きるかわからないので、いつも短刀を懐に入れておいたので、腹にたくさんの刺し傷があった。私は善人と戦ったことはない。相手がヤクザ者でなければ逃げたもんだよと言った。だから今でも目覚めの悪いことはないんだと言った。小笠原先生と人物語りとなり次郎長は誰がいちばんの男だと聞くと、そりゃ「新門辰五郎」さと言った。あれほどの男はいない。江戸の町火消し親分である。それといちばん偉いと思った人は、山岡鉄舟先生だ(無刀流の達人)。「勝海舟」「高橋泥舟」「山岡鉄舟」、この3人を維新の三舟と言う。江戸無血開城のために命をかけた。俺は鉄舟先生から「度胸免状」をもらっているんだと、あざやかな筆使いで書かれた「精神満腹」と書かれた額を外して持って来た。次郎長親分は外に出るときは、財布の中にいろいろな金を入れ、道で会った困った人たちに配って回ったという。こんなヤクザ者でないようになってしまった親分を、でやんでえ、オラッチたちはどこまで行っても渡世人、賭場こそ命だ。堅気ぶって行く次郎長をよく思わない子分がいた。「小政」である。この小政を作家「諸田玲子」が「空っ風」という本に書いてある。この本は滅法おもしろいので、おススメしたい。かつては人物と人物が会って、お互いの値打ちを確かめあった。また評判の人物がいれば会いに行ったものだ。昨日の党首会談を見て、この国はもう駄目だと思った。人物がいないのだ。若い人がもっともっと出てこれる環境をつくらねばならない。日本国政党史上、もっとも人物のいない内閣ではないだろうか。麻生太郎という人間の辞書には、「恥」という言葉がないのだろうか。親分がその失敗をみんな子分に背をわせるのが、麻生太郎である。チンピラといわれるゆえんである。「時の氏神」という言葉がある。喧嘩の仲裁をかって出た男である。ある人がイランに仲裁人として行って、まるで相手にされなかった。侠の世界では氏神になれなかったときに、その責任をとって指を詰めて、相手の顔を立てた。さすがに堅気の世界ではこんなことはしないだろうが、仲裁人というのは実に重い役目なのだ。週末、鮎を食しに行こうと思っている。ここ一両日はどういうわけか立っているのもつらい日であった。期待の新人が立派な会社に就職が決まった。大きく育ってくれたら、この上なくうれしい。ガンバレ! 会社は人を育てるためにある。若鮎が川に放たれる。いざ、泳げよ。上流を目指して。(文中敬称略)




2019年6月19日水曜日

現在、取材中および友人と会談があるため休筆します。すみません。


2019年6月17日月曜日

「暴言と、暴行」

人間はたった一言、一つの誤解で仲違い(なかたがい)をする。モンゴルのことわざにこんな言葉がある。「逃げた馬は捕まえられるが、口から発せられた言葉は捕まえられない」。ガキの頃、“バーカ、バーカ、チンドン屋、オマエのカーサン、デベソ”などと言っては殴り、殴られをした。人間は一家一族の悪口や、人種的差別用語や、身体的なことに対して、侮辱的な言葉を言われたら、ヘラヘラと笑ってはいられない。私はどれだけ暴言、放言、失言、苦言を言ってきたか分からない。きっといずれ落ちる地獄のエンマ大王に舌を切り落とされるだろう。たった一言で長い友情は断ち切られ、親子の関係も断ち切られ、祖父や祖母と孫の関係も断ち切られる。しまいには流血、殺人となる。いわんや親類縁者、会社の上司や同僚、金の貸し借りをした先輩、後輩も、たったその一言で絶縁したり、絶交をする。聖書にあるはじめに「言葉あった」というのは、人間同士が言葉によって支配され、言葉によって救われるということかも知れない。週末5本の映画を見た。奥歯がズキンズキンしていたが、ロキソニンをボリボリかじって水で流し込んだ。「判決・ふたつの希望」。レバノン映画であった。とてもいい映画で主演の役者は、2017年のベネチア国際映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、男優賞を獲得した。アメリカ映画「華氏119」、ルーマニア映画「特捜部Qカルテ番号64」、スウェーデン映画「ドラゴン・タトゥーの女 第3作目」、韓国映画の「代立軍」である。この中でレバノン映画の「判決・ふたつの希望」が実に良かった。レバノンの住宅街、安いアパートメントの2階に住む46歳のレバノン人の男と、身重の妻、1階で自動車の整備工場を営んでいる。そこにそのアパートメントが違法建築なので、修繕しにパレスチナ人の現場監督が何人か連れて来る。そのときレバノン人はベランダにある植物にホースで水をまいていた。その水が下で働くパレスチナ人にかかってしまう。そのとき老パレスチナ人現場監督が一言、暴言を発する。ドリルでガリガリと壁に穴を開け始め、そこに排水管を入れていると、レバノン人の男が、ハンマーでその排水管を壊してしまう。そして一言、暴言を発する。老パレスチナ人はその言葉に怒り、レバノン人の肋骨を2本折ってしまう。もともとの原因は、水がかかったときに老パレスチナ人が発した言葉に対して、レバノン人が謝罪しろと言ったのに、謝罪をしなかったことが原因であった。レバノン人は老パレスチナ人を訴え裁判となる。このことがネット上で拡散して、大きな問題となる。そこにはレバノンに移民して来たパレスチナ難民たちとの根深い民族問題があったからだ。事は重大関心毎となり、民族の争いとなる。シナリオが抜群によくできていて、レバノン映画恐るべしと感じた。「ただ謝罪をしてくれればよかったんだ」という男と、その一言は暴行せずにはいられなかったという男の内面を静かに描く。3人の裁判官、主判事は女性。「暴言」と「暴行」は、いかなる判決になるか。それが女性判事によって実にすばらしい裁きとなる。過日、ある記事を読んでいたら、定年後ずっと家にいる夫と、ずっとその夫を見ている妻との、言葉の言い争いのはじまりの一言が書かれていた。(1)脱いだ靴を揃えてよ。(1)トイレットペーパーの紙を取り変えろよ。(1)お風呂を使ったあとが汚いぞ。(1)枕が臭い。布団が臭い。なんだか臭い。そして決定的な一言が、「オマエ、ババアになったな」「アナタ、スッカリジジイになったわね」。こうなるともう“綾小路きみまろ”みたいな話だが、案外数多く起きている殺人事件の原因は、たった一言にあるのかも知れない。私の家はほぼ会話をしないので、喧嘩にならない。要件があればメモパッドに書いて置いておけば通じる。何人かの人と言葉一つのやりとりで、別れ別れになってしまったが、これも人生だ。レバノン映画に改めて言葉の恐さを知った。「この頃は、皆怒りっぽくなっているからな」。仲裁に入った請負会社の社長の言葉が、現代社会を現わしていた。世界中がカルシウム不足なのだろう。昨夜はヒジキ、コウナゴ、シラスおろし、カツオ節など鉄分とカルシウムを多く食した。新サンマは細々として脂気がまったくなく、マイワシをショーガで煮て食した。これは旨かった。夫婦喧嘩をしないコツは会話をしないこと。古人の教えである。売り言葉は、買い言葉になるからだろう。




2019年6月14日金曜日

「夢の中で」

夢を見た。その内容をクッキリとおぼえている。私の睡眠はは、眠るというより無理矢理眠らせるものだ。睡眠導入剤「レンドルミン」2錠か1.5錠。睡眠剤サイレース1錠、リフレックス(安定剤薬)と多少の酒を水がわりにしていざ「スイミン」となる。まったく夢を見ない日が多いが、時としてその本人が枕元に座って、私に話しかけるようなリアルな夢を見る。それが悪夢だろうと。私は夢は好きである。昨日3時頃型通りの方式で眠りにつくようにした。電気スタンドの灯りを消して、いつものグラスに入れておいた酒をグッグッと飲んだ。6時10分12秒。目覚まし時計はその数字を指していた。目が覚めたのだ。チクショウ、もうあと2時間は眠りたかったなと思ったが、ひとまず起きた。さて夢の内容だが、かつて私のところに20年ぐらい在職した、中央大学文学部出身のコピーライターであった。私の大好きな飲み相手であった。無類の読書家であると同時に、無類のお酒好き。そして女性好きであった。入社時は近藤正臣みたいであり、きっと今はリリー・フランキーみたいではと思う。吉田鋼太郎似でもある。その男が私に延々と説教をした。ああしろ、こうしろ、あれは、これは、そして今後は、と次々に言う。これがいちいち的を得ている。私が悩み苦しみを抱えていること。この世、この国の政治が抱えている悩み苦しみのこと。ワープロが生まれ、パソコンが進化し、スマホ、そしてゲーム中毒(依存症)。人はパソコンとニラメッコ、一日中椅子に座っている。歩きながら走りながら、トイレに座りながら、笑い、怒り、歌を聴く人。人と人とは目を合わさない。列車中では皆スマホをいじり高速で指を動かす人々。元全共闘であった夢の男は、冷静にその状況を分析して、その先の結果を話した。オイ! 〇〇とその男の名を呼んで起きた。ああしろ、こうしろ、こうなりますよという内容が、今私が考えている通りであった。オイ! 〇〇、今夜も出ろよ、待っているから、おマエの好きな酒と女も用意しておくぞと言った。明るく元気でかわいい会社の女性と結婚した。一人娘はもう20歳を超えているだろう。青白い顔をした文学青年であったが、私と同じアナーキーなところがあった。もう20数年会っていない。だが夢で会えることを知った。辻邦生の本を読むべしと言われ、とんでもなく厚い本を何年もかけて読んだ。織田作之助の大ファンであった。オイ! 〇〇待っているぞ、俺は今、シェイクスピアじゃないが、「それを成すべきか成さざるべきか、それは疑問」だ。その中にいるんだ。オマエが何故プチブルに転向したのか、それを話したい。出ろよ必ず(本人は生きていることは分かっている)。眠らないで待っている。否、夢は眠らないと見れない。


2019年6月12日水曜日

「カラシの思い出」

大学時代に哲学を学んでいたが、哲学じゃ食べていけないので、コンピュータのプログラマーになった男がいる。「何か人生の教えになる言葉をいくつか教えてよ」と一杯飲みながら頼んだ。「う〜ん、もう憶えていないがこの言葉は好きだった。『太陽は日々新しい』。これは古代ギリシャの哲学者(ヘラクレイトス)の言葉だ」と言った。一度や二度の失敗でクヨクヨすることはない。「失敗しない人は、常に何ごともなし得ない」これは(エドワード・ジョン・フェルプス)の言葉。「間違いと失敗は、我々が前進するための訓練である」。これは(ウィリアム・チャニング)の言葉だと。みんな知らないけどいいことを学んだじゃん、じゃ、何で哲学で食べていけなかったの?と聞けば、「ほとんど無理」と言って、おでんにたっぷりとカラシを付けすぎて目から涙を流した。昔、銀座に屋台のおでん屋があってよく立ち寄った。4丁目の側であり、かなり遠くから屋台を引いて来ていた。そのオヤジが「ヒマなおでん屋のカラシは、強烈ですよ」と言った。お客が来ないあいだカラシを割り箸でかき混ぜるほど、カラシは強さを増すのだと。一度、その屋台で試してグルグルかき回して、連れのヒトに渡したら、それをコンニャクに付けてモロに鼻にツーンと来て、涙を流した。着物を着た女性であった。屋台で泣く銀座の女性は絵になった。深夜1時半頃だった。男が私に「何か教訓みたいなこと、支えにしている言葉はあるんですか?」と言った。学のない私には学びがないが、記憶は定かでないが、「失敗には達人というものがない。人は誰でも失敗の前では凡人だ」。私はずっと失敗に挑戦して、誰もやらない方向へ向かったと。もう一つ、これは勝海舟の言葉だが、「人の人生には何をやってもうまくいかないことがある。そんなときは何もやらないのが一番いい。ところが小心者に限って何かをやらかして失敗する」。我々の世界は絶えず競合プレゼンをして勝たねば食べていけない。一つの仕事をとるために精鋭を揃えて何社もが頭をヒネリ、あらゆる手段を使う。丁度動物のトラやライオンが獲物を襲うように鋭く全力で、プレゼンをとりに来る。そんなとき、私はいつも「これはきっと大失敗を超えれば大成功するな」と、自分の五感を信じて失敗に向かった。相手がいろんな手を使ってくるから、勝海舟の言う小心者になって何もやらないということを、誰もやらないに置き換えて、無学を武器にした。学のある人は学を信じることで固まっているからだ。家に帰るとおでんであった。カラシがチューブに入っていた。仕方ねえ、おでんの気分にならないが、ブチューと出して白滝(シラタキ)に、それを注入した。チューブのカラシは、白滝の一本一本のあいだにへばり付いた。それをトコロテンかソーメンのようにすすると、鼻にツーンと強烈に来た。目から涙が出て、泣きが入った。前にもこんな大失敗をした。妙にヒマな屋台のおでん屋がなつかしくなった。人生とはおでんとカラシみたいなもんだ。ずっと昔、青山学院大学のハシッコに深夜までやっているおでんの屋台があり、何故かお客さんの名刺がビッシリと貼ってあった。青学会館への入り口のところ、青山通りで人気があった。すっかり屋台がなくなった。風情もなくなり、はじめて出会った人たちとの会話もなくなった。つまんない街に東京はなって来た。チャイナ&アジアンタウンだ。おいしさが目にツーン。こんな気分を屋台で味わいたい。


2019年6月11日火曜日

「奇跡を生む江戸川病院」

昨日午後6時、外は雨がザーザー降り、横風強し、銀座アスター本店で、高校1年のときの同級生2人と、フィジーで語学学校など他方面で活動中の奇跡の人、タニグチ・ヒロシ氏と会う。同級生の一人は元日本テレビのプロデューサー、現在全国の銭湯を巡ったり、落語会を運営したり、各種ボランティア活動、包丁研ぎなど、イロイロなことをしている。野球部出身の硬骨漢の代表、正義感の塊の男。一人はずーっと官邸専属の写真を撮るカメラマン。国会内や官邸内のニュースを記録する。正義感の塊の男。昨日の会食の目的は、顔合わせ。現在、癌を克服中の人、フィジーを代表する日本人の誇り(今はフィジー国籍)すでに2万人を卒業させている。1972年福井県生、2015年にステージⅣの末期癌(B細胞型、濃濾胞性リンパ腫)と言われながら、奇跡的な治療を受けて元気満タン。私の目の前でビールをジョッキ3杯、スブタ、ジャージャーメン、五目ヤキソバなど4人でシェアしたものを、「おいしい、おいしい」とペロリと食べた。慶応病院から江戸川病院に転院、現在水泳の池江選手の治療もしている。名は明星智洋先生と言った。その天才医師のおかげで命を失わずにすんだ。強烈な抗癌剤の副作用で、スキンヘッドになったが、昨日は髪の毛フサフサ。体もガッチリとしていた。やはり1ヶ所だけの病院だけで重病は判断しないほうがいい。江戸川病院の天才医師は、白血病分野の治療では、世界的に有名だと言った。きっと池江選手も治るだろう。ガンバレだ。留学生を増やしてフィジーを語学の島にして成田空港や羽田の人手不足を補う。すでに日本を代表する大企業数社とつき合いをはじめている。フィジーで上場も果たした。凄い精神力に敬意を表した。「とにかく副作用が酷かった」と言った。しかし夢は壮大であった。一度死を覚悟した人間は、強くてやさしい。そして広大な青空のような夢を追っている。ジーンズに和柄のアロハ(今年気に入ったのを2着見つけた。アロハはなかなかいいのがない)友人から「きっとチョイ悪に見えるよ」と言われていたのだろう。会って第一声は「見た目極悪ですね」と言って笑った。話は楽しく弾んで7月中旬まで日本にいるというので、ぜひまた会いましょうとなった。9時のラストオーダーまで、政治、経済、語学、映画、水やカレー、留学生の話などとても有意義であった。フィジーはイギリスの支配下にあったので、正統イングリッシュ、興味があったのは、ミネラルウォーターの質が世界で1位2位を争うほど良質で美肌によく、病気にいいということだった。それとインド人が多く、カレーの味は抜群であるということであった。タニグチ・ヒロシ氏はまだ40歳代と若い。成功のために私にできることは何でもするよと握手して別れた。フィジーで上場を果たしているから、日本でもきっと上場させるだろう。強い癌は強い人を育てた。五体満足で検査結果の数値ばかり気にしながら生きている人間とはモノが違った。「天国に一番近い島」フィジーは、人口約85万人、四国ほどの共和国。軍政だが、軍用ヘリコプターは1機しかないのだと。久々にいい男だった。日本での成功を祈る。「癌はもう大丈夫です」と言った。「フィジーのミネラルウォーターのおかげ」と笑った。7人制ラグビーで確か世界一になった国。ゴルフのビジェイ・シン選手は有名だ。



2019年6月10日月曜日

「尊・徳」

「N国」という政党が先の選挙で区議とか市議選で26議席(記憶では)近く議席をとった。第15回開高健ノンフィクション賞を受賞している、フリーランスライター「畠山理仁(みちよし)」さんが、私の愛読紙に連載をしているコラムがある。その9回目、急拡大/知ったらビビる/NHKから国民を守る党の内幕。「N国」のことがある。「NHKをぶっ壊す」と渋谷区議選が行われていた今年4月19日。渋谷のNHKセンター前で、立花孝志代表(51)はこう叫んだ。「中でね普通にセックスしています。いっぱいベッドがあるんですよ。NHKの職員は局内で派遣会社の女の子とか、アルバイトの女の子と、チューしたり、セックスしたりするのが日常茶飯事とは言いませんが、そんなことをしている人、局には何人もいるんですよ」。白昼堂々セックスを連呼してNHKを批判。立花氏は右手にマイクを持ち、左手のスマホで撮影を続けながら、自身がNHK時代に関わった不正経理の手法も解説した。いま「N国」はいろいろと提訴中だが、ほとんどはNHK側が勝訴している。当然、現在のNHKは国の管理下にあるのと同じだ。「N国」は次の国政選挙にも候補者を立てるだろう。「ドキュメント72時間」と「アイプラネットシリーズ」とか、「NHK特集」、「SONGS」はほとんど見るか、録画してもらったのを月に何回かモニター会社から買ってもいる。が、政治がらみの報道番組、ニュース番組は、ただその日の出来事を知るために見るだけで、それ以上は期待しない。わりとおサルさん顔の岩田明子さんという、官邸のお気に入りの女性が出ると、まったくもって走狗的発言で解説する。「N国」はいずれ何かを発信するだろう。官庁のエリートたちが省内でシャブを打っているのが何件か発表された。これは氷山の一角であろう。国会審議が開催中は、議員が質問に応じるための資料づくりを、毎晩徹夜みたいな状態でやると、ある官僚出身者から聞いた。きっと相当数のシャブが打たれていると予想されているが、密告がありブツが押さえられない限り、“インペイ”される。この頃の若い人は(20〜30歳)典型的な自己利益追求型で。人を損か得でしか見ない。ウソ、ズル、インペイ、シカト、受けた恩などはまったく感じない。自分にとってシャブ的効果があったかどうかでしかない。生徒と教え子なんていう人間関係も、利用価値があるかないかでしか判断しない。私には理解できない当世の若者気質だ。とてもNHK的ともいえる。セックスも損か得かでしかない。「ちょいの間」の売り込みでしかない。「N国」が今後どんな動きをするか、きっと憲法改正反対のために全力をあげるだろう(?)。官僚の中には警察関係が入っていることはいうまでもない。昨日深夜「台北ストーリー」という、ずっと昔の映画のリマスター作品を見た。台北の若者たちと現在の我が国の若者たちが、重なった。生きる目標を失った無気力の生き物である。この映画の中に石原裕次郎さんの歌が流れていた。もうすぐ「太陽の季節」だ。その時代の頃の作品であった。若くて志のある人間たちの本をプロデュースしたのが出来上がった。すべての政党の人のためにとつくった。何はともあれ時代を動かすのは、若者の熱気なのだから。フリーのライター須田諭一さんに大変お世話になった。花伝社の若い編集者に教えられること大であった。近頃珍しい損得を考えない正しい若者であった。各政党もつくることをすすめたい。その一石となればと思った。議員の劣化が酷いからだ。「若い頃の苦労は、買ってでもしろ」という昔の人の教えもあるのだが。ちなみに新作映画「二宮金次郎」(後の二宮尊徳)絶賛上映中。