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2020年1月17日金曜日

第6話「私は度胸」

私は「度胸」である。実体はない人の中にある。私はあいつは度胸があるとか、度胸がないというように使われる。この世を動かし制する者、又、いざという時守るべきものを守れるのは、度胸のある人間だ。もし強さだけで世を動かせるなら、怪物のようなプロレスラーとか、格闘家、武道家、ヘビー級のボクサーが制すだろう。冒険家、探検家、登山家、マタギの名人、屈強な軍人たち、凄い人間は山ほどいる。が体力的に強い者がリーダーになれる訳ではない。体は小さくて、戦闘能力もない。吹けば飛ぶような人間が、実は最高実力者になり、歴史を動かして来た。何があったか、それは知恵と度胸、そして愛嬌だ。あとピストルの引き金を引く指の力さえあればいい。但しその度胸は並外れていないと命を落とす。人の心を掴む度胸、全財産をバラマク度胸、虎穴に入って行く度胸だ。人生とは度胸試しと言ってもいい。修羅場を乗り切るには度胸なのだ。金を貯め込んでいる人間は、実のところ金が減るのが恐くて仕方なく、いつも用心深くブルっている。でも、人に好かれたいと思って動くが、相手はただ金に付いているだけだ。本物の人間は嫌われる度胸がある。逃げなければならない時は、逃げ出す度胸がある。愛する者を守る時、引き金を引く度胸がある。(日本ではピストルは持てない)正月休みメキシコの麻薬王「エル・チャポ」を描いたドラマシリーズを見た。シーズン(1)、シーズン(2)、シーズン(3)、合計1200分位以上ある。チャポとは、小さいとか、チビの愛称である。この小さな(165センチ位)男が、一年間で5000人位殺されるという、メキシコの麻薬戦争を制す。(二度脱獄して現在投獄中)残酷な男たちのボスになる。何故かと言えば度胸がある。約束を守る。引き金を引く度胸がある。チビだからかわいい。そして、大統領をはじめ政財界から、税関、軍隊、警察、検察すべてに金をバラマキ思いのまま操る知恵がある。ナポレオンやチャーチル、鄧小平も、ガンジーやマンデラも体は小さい、が、度胸があったのだ。私は度胸であって、私から人は選べない。できることあれば、100人の敵を前にしても、ニコッと笑っていられる人の中に入りたい。でも、バァーンと人が銃を撃つ時は、胸を狙うから痛いのは嫌だ。日本国の野党のリーダーには度胸があるのがいない。小異を捨て大同につく度胸がないのだ。肩書きや政党助成金を取られたくないからだ。選挙に落ちるのが恐くて仕方ないのだ。島根出身の小さい体の元総理大臣は、目配り、気配り、金配りをモットーにして、大親分田中角栄を追い込んで、派閥を乗っ取った。ここ一番の時に金をバラマク度胸があったからだと言う人は多い。人間は現ナマを前にすると、99.5%の人間は取り込まれる(?) エル・チャポはそれを知り尽くしていた。

エル・チャポ

2020年1月16日木曜日

第5話「私は鞭」

私は「ムチ」である。決して「無知」ではない。漢字で書くと、「鞭」と書く。私の仕事といえば主に競走馬のおシリを叩くことである。仲間にはSMショーとか、拷問とかに使われているものもいる。競走馬にはエリートたちが走るJRA中央競馬。地方競馬なら大井競馬、神奈川の川崎競馬などがある。福島や札幌、中京とか小倉競馬もエリートだ。京都は東京に匹敵する。千葉の中山は有馬記念で有名だ。有馬記念の生みの親の有馬頼寧さんが「中山は狭い、もっと広くしよう」と客席を増やした。その功績から名づけられたらしい。ちなみに勝新太郎のヒット作兵隊やくざの原作は、頼寧さんの息子の有馬頼義さん。無知な私、じゃない、鞭の私は北海道の「ばんえい競馬」で活躍させてもらっている。雪ゾリのような重い物を引く馬のオシリをバシン、バシン叩く。馬は思うようには走れない、と言うより引きづれない。オリャー、オリャーとオシリを叩く。かわいそうであるが、私は勝たねばならない。故寺山修司は競馬はロマンだ、なんて言ったけど、私には重労働、博打でしかない。だが名馬と出会った。鞭を打ち続けた結果、地方・中央を通じて、はじめて30連勝をやってのけた。一月六日北海道帯広市、第11レース。ホクショウマサル・牡九歳であった。私を使う騎手は、阿部武臣さんだ。厩舎は坂本東一さん。30連勝は19年ぶりだと、あとで知った。宇都宮競馬でドージマファイターが29連勝を達成していた。競馬と言えば走るのだが、ばんえいは違う。もう嫌だ、重い、つらい、シンドイ、坂がキツイ、雪が深い。まるで人生と同じ、そう思っているであろう馬を、私はバチン、バチンと叩きつづけるのだ。馬の鼻からはズボ、ズボと鼻いきが出る。馬の口からは白い息がゴッソリと出る。ウメキ声が出る。100円、200円、500円、1000円、中には10万20万と賭けた男たちが、絶叫する。行け~、行け~と大声を出す。私はつらい、私は馬が好きだから、オシリを叩きたくない。負けても私を使うやさしい騎手と馬主の人が、よくやったぞとナデナデする。私は近々、馬の鞭から離れようと思っている。これからは、叩くよりも、叩かれる身になろうと思う。一度新宿歌舞伎町のSMクラブに友達の鞭と行った時、女王様のような方から、オイ、ヘンタイ、ヨツンバイになれと命令された。私には手足はないからただの鞭だ。黒い鞭でバン、バン、バンと叩かれたら、悲鳴を上げてた自分が、いつしかすっかり気持ちよくなっていた。たくさんの人がそれを見ていた。とっても恥ずかしかった。私は叩いてる方が向いていると思った。新宿から東京駅に行き新幹線で北海道に向かった。アチコチ痛かった。
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2020年1月15日水曜日

第4話「私は箱」

私は「箱」である。通常は大きな楽器類が入る。手品師の引田天功氏とかも似たような箱を使い、女性を中に入れて、サアー、イラハイ、イラハイとお客さんを景気つけて、大きな刀でブスッと突き刺す。仕掛けがなければ殺人行為なのだが、警察沙汰になることはない。女性はうしろの方とか、下の方とかに隠れている。昨年末12月31日除夜の鐘が、ゴーン、ゴーンと鳴っている頃、カルロス・ゴーンというという悪党が、私の友人の箱にもぐり込んで、故国レバノンに出国した。私が仲間の箱たちから聞いた話では、日本の出入国管理はとにかくロトイ(トロイ)。特に外国人には、小学校の放課後を知らせる音楽、トロイメライのようにトロイ。国境線のない島国なので、船で入りやすく、飛行機で逃亡しやすい。「ガタガタ言ってないで、さっさとしやがれ! こちとらは急いでいるんだ」なんて言葉を、英語やイタリア語や、ロシア語やフランス語でまくし立てられると、OK、OK、「OK牧場の決闘」みたいにやられてしまう。何しろ外国人に弱い国なのだ。私なんか海外に行ったら、全部日本語、誰か日本語が分かるのを呼べと言えば、OK、OKと言って探して来てくれる。ハ~イボスなんて言って現れたら10ドルをチップに渡せば、もっとOKとなる。箱には箱のプライドがある。ゴーンが何を言っても、逃亡者である事実は変わらない。デビット・ジャンセンの逃亡者とは違う。ゴーンの妻も手配されたから ボニーとクライドに近いが、それほどスタイリッシュじゃない。世界の重要な逃亡者はバチカンが仕切ると言う。あのチェ・ゲバラもバチカンがボリビアに逃したという。逃亡や亡命はビッグビジネスなのだ。アイヒマンもそう言われている。逃亡者は金を持っている間は、命は保証されるだろうが、金が細くなって来たら、ただのジャマ者に過ぎない。匿っていては面倒なことになる。で、密告となるか、仕末するのが過去の例だ。カルロス・ゴーンが次に入る箱は、きっと私よりずっと細長いものになるのではと思う。私の古い友人である、棺桶という箱だ。生きて逃げ続けたかったら、引田天功先生に全財産を渡すしかないのだ。私はただの箱だから話の中身はスカスカでしかないことを断っておく。ちなみに裏社会では、交番のことを「箱」と言う。箱に自首してくれば、刑は少し軽くなる。金を追う人間は、金に追われるのがこの世の掟である。金がなくなればそれで終り。金に執着するのを、あいつは貯金箱だという。巨人軍V9の名捕手、森昌彦氏の仇名は貯金箱と言われていたらしい。ゴーンは今、 いい湯だな、いい湯だなの気分。あ~あレバノンノンだ。

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2020年1月14日火曜日

第3話「コオロギ」

私の名は「コオロギ」です。昆虫と言われています。正月明けなのに何故にコオロギか、実は私自身も不思議で仕方ないのですが、何でも食べられる今の世に、私たち昆虫食がブームとなっていると、悪食に詳しい人が教えてくれたのです。TBSテレビの深夜番組で「クレイジージャーニー」という、変食マニアに人気の番組がありました。が、ヤラセがあったと分かりいつの間にか消失しました。知人がある記事を私に見せてくれました。一月十日のことです。そこには、私コオロギのゴーフレットが、バカ売れと書いてあったのです。3枚入りで650円、8枚入りで1520円、私は栄養があり、ミネラルも豊富なので、変なもの好きのヒトとか、健康オタクとかに食べられているのです。たんぱく質がたっぷりなのも好まれているようです。変でしょ、コオロギをパリパリ食べている人って、友達になりたくないでしょ、一緒に飲んだり食べたりする仲になりたくないでしょ。私はとっつかまえられて虫かごに入れられたり、ブチュとふんずけられたり、バリバリむしられたりしていたんです。日本国はどうなったのでしょうか。新橋にある佃煮の老舗店「玉木屋」で、イナゴなんかが高い値で売られているのは知っていたけど、私コオロギは出ているのでしょうか(?) 玉木屋の中を見たいけど、見たくないのです。「バッタ」という奴もいるかも知れません。私コオロギはこの国がいよいよ終末期になっているのではと心配するのです。私はタイで食用として養殖されました。やがて来る世界人口の増加、日本人は低下、食糧危機にと育てられたのです。「蜂の子」はなんとなく分かる気がするんですが。旧日本軍の兵隊がジャングルの中で空腹と戦った。動く物なら何でも食べたと、書き残している。2020年現在私コオロギで作られたお菓子を日々食べている人を疑う。あなたはちょっと変ですね、何を考えているのと。JR高崎駅構内の土産ショップ「群馬いろは」でこの年末年始、私は飛ぶように売れたようだ。私コオロギは今、生きた心地がしないのだ。
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2020年1月10日金曜日

第2話「カレンダー」

私はカレンダーである。ある生命保険会社が制作した。数字だけのものである。紙型はA2型だ。カレンダー界では、数字のことを「玉」(タマ)というらしい。私には絵もなく写真もなく、気の利いた言葉もない。「玉」だけである。カレンダーは次の年のスターであり、その年末にはくずとなる。「玉」だけのカレンダーは実用的である。美術的ではないので、しゃれたキッチンとかしなびた台所の目立たない壁に、強力なマグネットやテープで貼られたりプッシュピンで刺される。上部にそのための穴があけてあるから、その時は痛くはない。ほとんどのヒトはクルクルと、丸くなっている私を広げて伸ばす。次に表紙の部分を左から右へ、バリバリと剥がす。人によってマチマチだがゴミ箱に捨てるヒトや、ていねいにたたんでたまった新聞紙を入れるところに入れてくれる。表紙の処分の仕方でそのヒトの性格が分かる。血液型も分かる。性格的趣向も分かる。子どもへの教育も分かる。私はカレンダーの分際をかえりみず、結婚前のヒトビトに、包み紙の捨て方や新聞回収日の出し方などで、そのヒトが分かるから、しっかり観察をと言っている。成田離婚の原因の主なるものに、強烈な歯ぎしり、強烈なイビキ(無呼吸症候群)すごく臭いオナラ、食べ物を何度もつっつき回し、クチヤクチヤ食べる音、買い物をしてきた包装紙の捨て方、ナイフとフォークの使い方、決定的なのは下手なSEX。これらは男女相方に言える。結婚前付き合っている時は、それらはあまり気にならないものだ。12月31日、私は12月分をバリバリと剥がされた。家主は59才の男で新しい年に停年となる。路線バスの運転手地方公務員である。血液型はA型、妻はB型、統計上一番離婚率が高いらしい。男は新しい年を迎えるのが嫌で、妻に頼んだ。27年前新婚旅行である地に行った時、お土産を買って来て旅館に戻った。その時、包み紙をバリバリ破って、コネコネ丸めて部屋の隅っこにあった、丸い筒型のゴミ箱に押し込んだ。グシャグシャになったのを次々に押し込んだ。丸い穴から包装紙がハミ出ていた。その時は見た目と違って、ずい分と男みたいだと思った。知り合って八ヶ月で結婚したのだが、その間ホテルに泊った時、こぎれいに処分していた。一度SEXした後、体のアソコをふいたティッシュを丸める、入るかしらとデスクの側にあったゴミ箱に放り投げた。丸めたティッシュは入らなかった。その時はとてもかわいいなと思った。しかし月日は経ち男A型、女B型の相性の悪さは、かなり正しかった。バリバリと音をたてて剥がされた12月分の私は、立てに、横にと破られて、コマ切れみたいにされて、籘でできたゴミ箱にバラバラと捨てられた。来年二月で停年だからスケジュールを書くこともないわね。だからこれにするわと、私のライバルである大きな写真入りのカレンダーにされた。「玉」だけの私のプライドが傷ついた。あなたは全然美的センスがないわよね、この数字だけのダッサイカレンダーみたい。もう見たくないわ辛気臭いから、と言われた。新しいカレンダーには三毛猫の親子が写っていた。次の日私は粗大ゴミとして公園の側に置かれた。アスファルトの冷たい感触がした。二人の間には一度子ができたが残念ながら流産した。その月、私は赤いマジックで大きく×点を書かれた。私の主人である公務員はひそかに離婚を考えている。心の中のカレンダーにその予定日が書き込まれているようだ。来年のカレンダーは猫か、かわいいな、なんてつくり言葉と、つくり笑いをしている。流産以来SEX恐怖症的になった妻とは、すでに赤の他人である。「玉」だけのカレンダーである私は、使用されずとなり、ビニール袋に丸めて入れられ、どうやら新年早々、粗大ゴミに出されるようだ。バリバリと破られたのでヒリヒリと痛い。
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2020年1月9日木曜日

第1話「くしゃみ」

私の主(以下あるじ)は、くしゃみが多い。人一倍鼻が効くというか敏感なのだ。あるじの家は代々由緒あるこの神社の神主である。本来はあるじの夫であるものが、あるじでなければならないのだが、過日アルバイトの巫女さんと深い関係となり、正月を前に姿を消してしまった。私のあるじは、あるじの代理である。あるじは時や場所を選ばず、ファファファックションと大きなくしゃみをする。のんびり寝ていた猫はビックリして飛び上がり、その横でみかんを食べていた老母は、みかんを飲み込んでしまい、お茶の入った湯呑みは引っくり返る。あるじは鼻をティッシュでふきながら、どうせ正月三が日おさい銭ががっぽり入ったのだろうと、誰も彼もが噂をしているのだろう。ファファファックション、バカ言ってんじゃないわよ、バブルの頃は一万円札、五千円札が乱れ飛んでいたけれども、今頃はほとんどが100円玉ばかり、たまには500円玉、50円玉、5円玉も多い。中には1円玉でたくさん願っていくヒトも多い。聞けば2020年にちなんで、2020円をセロテープで固めて投げ入れたヒトがいたとか。白くて大きなビニールの中にはヒトビトの願いがある。逃げた夫が若い巫女さんとつながってしまったのには、思いあたることがある。ある夜夫とSEXをしていた時、やたらに鼻がムズムズして来た。夫の胸毛が鼻に触れた時、ファファファックションと、でっかくくしゃみをした。夫はビックリしてベットから落ちそうになった。私の中に入っていた夫のモノが、スポッと妙な音を立ててスッポ抜けた。養子だった夫は、もう嫌だ嫌だと言ってパンツをはいた。これで何度目か分かってんのかと怒った。ベッドの下にいた猫も怒っていた。それ以来夫婦生活はなくなった。バイトの巫女さんを面接する時の夫は、ゾッとするほどイヤラシイ顔をして、自分好みの女学生を選んだ。一月四日夜みんなでおさい銭を集めて数える。以前はお札を教える機械が活躍したが、今は使うほどお札はない。500円玉の大きさ、100円、50円、10円、1円玉の大きさの穴が作られている平板に、ジャラジャラと入れて分けて行く。独特のほこりが舞う。あるじの鼻はマスクでガードしているが、鼻の中に入って来る。白い手袋にもほこりがたくさん付く。ファファファックションとあるじは繰り返す。目はしょぼしょぼとしている。あるじは突然あ~もう駄目と言って、おさい銭をバッグの中にジャランジャラン入れて立ち上がり、ファックションをしながら奥の部屋に消えた。ほどなくして地元のタクシーが一台来た。あるじはカジュアルな格好をして町に向った。とあるスナックに入ると、たくさんの常連たちが、キタ、キタ、キタゾーと拍手で迎え入れた。身長157cm体重53kバスト82のあるじは、胸の谷間が見える服を着ていた。あるじは由美かおるによく似ているので、常連からかおるちゃんと言われている。ヨオ~ヨオ~かおるちゃん、おさい銭がっぽり、マスター数えて数えてとなり大盛り上がり。おさい銭はカラオケ合戦の賞金となるのだ。あるじは冷えたシャンパンを一杯ゴクッと飲むと、ファファファックションと一発やった。ビックリしたカウンターのお客さんがビールをこぼした。あるじは、それでは、それではと言って、カラオケの番号を言った。マイクが渡された。お客さんは男七人に女性四人、カウンター内にマスターが一人、女の子が一人のスナックだ。音がかなり割れた曲が流れ始めた。中島みゆきの「糸」という歌だった。♪ ~縦の糸はあなた 横の糸は私……あまり上手ではないが、あるじは思いを込めて歌っていた。その時、カウンターにいた一人の中年男性が、いきなりファックションと大きなくしゃみをした。つま味のピーナツの食べかすが舞い上がった。あるじはすっかり歌の世界に入り込んでいた。何故か歌っている時は、くしゃみは出ない。マスターはまだおさい銭を数えていた。オーイかおるちゃん、結構あるぜとかん高い声で叫んで、手を大きく叩いた。(文中敬称略)



「年のはじめに」

2020年1月9日、400字のリングのゴングが鳴った。今年一年、何が起きるかは“神”も“仏”もわからない。皆々様に幸多からんことを願う。400字のリングを書きはじめ、400字詰原稿用紙で、推定8000枚になる。今年は一話ごとに、ある品や、ある物や、ある現象を「主人公」にして、一話読み切りの一作を書く。出来不出来はお赦しを願う。不快なものあれば、さらにお赦しを。森羅万象、草川一木、万物一物、そしてヒトの中に潜む。“心”の明暗を書く。

2019年12月20日金曜日

「佳いお年を……」

本年最後の400字のリングです。アリスの名曲「チャンピオン」にこんなフレーズがあります。♪~ 立たないで もうそれで充分だ おお神よ 彼を救いたまえ ~♪ 一年間リング上でファイティングポーズらしきものはとってきました。来年のことを言うと鬼が笑うというから、口を閉ざします。皆々様、佳きお年を迎えてください。新しき年、400字のリングは少し工夫をしたいと思っております。私は白い灰になるまで、リング上で戦い続けます。 

2019年12月19日木曜日

「一握の砂」

昨日午後、新装になった日比谷東京會舘で行われる、パーティへのポスターパネルを届けた後、数寄屋橋から銀座四丁目へ向かって、テクテク、トボトボ、キョロキョロしながら歩いた。キョロキョロしたのは数寄屋橋公園であった。年末恒例の10億円が当たる、宝くじの行列の長さにであった。TVCMで鶴瓶師匠が、買わないという選択肢はないやろ! と言う。その影響が大きかったのか、それとも宝くじマニアか、一度当たるまで買い続けるイズムの人々か、そこに行列があるから並んでみっか的な人か、年末恒例の行事を大切にしている人々派であったのだろう。長い長い行列であった。人々は静かに列を作る。日本人はルールを守る。会話などを交わす人はいない。この列は何かに近いと思った。キリストを題材にした映画の中で見るシーンだ。信じるものは救われる、そう教える主キリストの後に生み出された人々の行列である。あるいは聖パウロの後に続く行列。誰か知っている人がいるかもと、キョロキョロとしたが、いたからといって、なんと声をかけるのか、と思いキョロキョロをやめて、歩く速度を速めた。主よ行列の中から10億円を与え給えと念じた。昨日寒風なく、冷気もなく、冬でもない、オーバーコートは着ていない。変てこな12月の陽気だ。の世は、変てこだらけでこの先を知ろうとすれば、キョロキョロと鋭くなければならないのだが、どうもそうはいかない。52歳で現旭化成の社長となり、会長となり、82歳でこの世を去るまで30年間経営をして、中興の祖となった宮崎輝が、夢を持たない会社はイケマセン、進歩も成長もない。庭の盆栽みたいになって枯れてしまう。こんな言葉を何かで読んだ記憶がある(確かでない)。ダボハゼ経営という、変てこな方法論であった。韓国の現代自動車が遂に世界ラリー選手権でトヨタを負かした。日本人学生の読解力は中国にまったく及ばない。女性の進出率は世界で121位という、まるで封建時代以下。国の借金は第二次世界大戦時を凌ぐ数字だ。みんな懸命に働いているのに、「わが暮らし楽にならざり、じっと手を見る」。日々貧しく借金魔といわれた石川啄木と同じ状態が、国全体となっている。それなのに大企業は税金を払わず、4百50兆円以上貯め込んでいる。日本をアメリカ的にするんだと、竹中平蔵という学者の教えに従い、完全に変てこになってしまった。日本人にビジネスライクは合わない。アメリカンドリームは移民の国であったからだ。単一民族国家でずっと来た島国日本には、ささやかな夢を一つひとつ、みんなで叶えるのが向いている。みんなで、私はこの単純な四文字がこれからのキーワードになると思う。石川啄木は亡き父の座右の書であった。アホな私も詩集「一握の砂」は大切にしている。
                               (文中敬称略) 


2019年12月17日火曜日

「ナポリの隣人」

昨日深夜見た映画は、貧しさに負けた悲しき物語だった。♪ 雨降りしきる夜 空っぽの手が あなたを探す でも どこを探せばいいのか わからない かつて あなたは愛してくれた 今はただ雨が降る かつて あなたは話してくれた 今は沈黙があるだけ 声は凍てつき 泣くすべもなく あなたが去ってから 胸裂く思いが数知れず 灯る …… やがて朝が訪れ それも去ってゆく …… イタリア人女性歌手が、切なく、悲しげに歌う。ジャンニ・アメリオ監督の「ナポリの隣人」という映画は、イントロの歌でもう十分に泣ける私好みの映画だ。愛の歌はフランス語、イタリア語、そして韓国語がいい。ナポリという街の名を知ったのは、十代の頃であった。オールナ ルナ ナッポリ ターナで始まる月影のナポリという歌であった。その頃の洋楽は日本語に訳され、ジャズやシャンソン歌手、ポップスシンガーが、日本語と外国語とビビンバ(混ぜこぜ)にして歌っていた。私が一番好きだったのは、「刑事」という映画の主題歌であった。♪ アモーレ アモーレ アモレミィーオ。主人公の老刑事が名優ピエトロ・ジェルミ、犯人の恋人役がクラウディア・カルディナーレであった。この映画を観終わったときから、私は映画中毒者に完全になった。「ナポリの隣人」の主人公は、街になじまない無器用な34歳の男と貧しき親子、そして老弁護士であった。汝 隣人を愛せを守っている。初めてナポリに行ったとき、レストランで、スパゲッティナポリタンをオーダーしたら、チンとプンとカンがセットになった顔をされた。同行していたコーディネーターが、そんなのはアリマセーン! パスタ・トマトソースとオーダーねと言われた。それ以来私はパスタと言えば、ほぼメイドインジャパンのスパゲッティナポリタンになった。短編で映画も作った。イタリア映画はマフィアを題材にしたのがいいが、断然いいのが貧しい市井の民を題材にした作品だ。「自転車泥棒」を見たときは、ボロボロ泣いた。荻窪の小さな映画館だった。工事現場で働く、真面目で無器用な「ナポリの隣人」は、貧乏な父が、息子のために中古のおもちゃの消防車を、買ってあげようと思う。売っている男は200ユーロだと言う。しかし金がない。でも買ってやりたい。男は自分を追い込んでいく。老弁護士は貧しきナポリ隣人のために苦悩する。幸せは行く先ではなく、帰るところだと終わる。老弁護士の隣に引っ越してきた若い夫婦と二人のかわいい子は、無理心中をしてあの世へと帰る。7、8歳の男の子と女の子が、父親に梨のジュースが飲みたいと、せがむシーンが切ない。若い妻は美しい、いつかきっと誰かにとられてしまうのでは(?) と男は悩み苦しんだのだろう。の幸せ(?) を守りたい。四人がいた。