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2020年5月18日月曜日

第63話「私は残念」

私は「残念」である。私残念はずっと座敷牢生活をしている。4月17日と5月15日だけ東京に出た。ガラガラの列車、ガラガラの街、休業中の店ばかり、デパートもやっていない。こんなの見たこともない、終末的風景が広がっている。おもわず顔を叩いたら痛い、夢ではないのだ。15日夜ついにというか、やっぱりファッションの名門「レナウン」がとても残念になった。既に香港資本の傘下に入っていたが、コロナショックでトドメを刺されたようだ。かつてはNO1ブランドであった。私残念が食を得ている広告界には“レナウン以前。以後”という言葉があった。それは、レナウンの有名なCM「ワンサカ娘」が衝撃的であったことと、当時「太陽がいっぱい」という大ヒット映画の主役「アラン・ドロン」が、日本のCMに登場し、ヘンテコなフランス語(フランス語が分からないので)で「ダーバン」というブランド名を言った。小林亜星大先生の作曲によるCMソング「ワンサカ娘」は、おシャレで、動感があって、チャーミングで、画期的であった。♪〜 ドライブウェイに 春が来りゃ……プールサイドに夏が来りゃ……イェイェイェ イェイ イェイ……。と、みんなが口ずさんだ。’92年当時「日曜洋画劇場」という番組があった。淀川長治さんが番組のシメに「映画っていいですね〜、それじゃ、サイナラ サイナラ サイナラ」で有名であった。広告を目指す者なら、みんなこの番組を提供している四社の仕事したいと夢見た。私残念もその一人であった。「レナウン」「サントリー」「松下電器」(当時)「ネスカフェ」の四社であった。60秒のCMを流し、その作品で優劣を競った。クリエイターの超花形ジョブ(仕事)であった。CMソングの名作は数多いが、「ワンサカ娘」は歴史的名作だったと言える。レナウン以後外人モデル、先鋭的ファッション、超大物外人俳優が日本でも起用できる。その先駆けであった。日曜洋画劇場で他社よりいい作品をつくり広告賞をとらないと、制作者が変えられるという話まであった。四社はエース級のクリエイターたちを起用した。レナウン以前、日本のファッションは、“ネズミ族”と言われるほど地味であった。日本人は灰色のイメージであった。レナウンブランドはデパートに対しても、特別なポジションを得ていた。ファッションが文化となって行く。PARCOがデビューした時、「モデルだって顔だけじゃだめなんだ」とメッセージした。つまり顔やスタイルがよくたって、ファッションセンスがない人はダメよと言うことであった。“ファッションに強い国民になろう”がコンセプトだった。サントリーはスコッチの国イギリスで、“サーの称号”を与えられていた。ジェームズ・ボンド役「ショーン・コネリー」を“日本のウイスキー”のCMに起用するという快挙を成しとげていた。ネスカフェは「違いがわかる男」シリーズで遠藤周作先生を起用、松下電器は日本の電化文化を、三田佳子さんを起用して、軽妙かつコミカルに表現して数々の名作を世に出した。私残念は一張羅に“ダーバン”のスーツを買った。レナウンが再生されることを願う。大変お世話になった「オンワード樫山」さんや「三陽商会」さんも、かなり厳しいようだ。なんとか、がんばってほしいものだ。私残念の業界も先が見えない中にいる。ガランガランの銀座を歩いていると、ファッションのブランドショップも当然クローズしていた。このまま終わってしまわないでと、ショーウインドに声をかける。それにしても、小林亜星大先生は、演歌の「北の国」から、「ワンサカ娘」まで、360度の音楽の世界を持っている。私残念は心から大尊敬をしているのだ。ガンバレ! レナウン。このままサイナラ、サイナラ……にならないでほしいものだ。記憶が正しくないところがあるかも知れない。確かボギーこと、「ハンフリー・ボガート」がレナウンのアクアスキュータムのコートを着ていた。(通称ギャングコート)(文中敬称略)


2020年5月15日金曜日

第62話「私は無視」

私は「無視」である。何を無視するかと言えば、いわゆる「有識者会議」とか「専門家会議」という政府からお声がかかりの会議だ。これらの会議には、一言居士の人とか、石垣直角の正論居士の人とか、ノーベル賞受賞者とかの、最高学者はほぼ出席しない。と言うより政府は呼ばない。お上の言いなりになるいわゆる「御用学者」とか専門家、あるいわしっかりと言いふくめた通りに会議をリードできる人たちを集めるようだ。20人以上集まってやる会議となると、何もしゃべらない人の方が多い。でも日当はもらえるし、専門家会議に呼ばれて、気分は悪いことはない。飲み屋とか銀座のクラブなどに行って、今日は○×○×専門者会議に出てきたんだ。えっへんとなる。まあ〜なんだなあ、××君は×××で頭が固い。(?)(?)君は相変わらず(?)(?)でよく分からん。△△君は古い理論ばかりで勉強が足らん。で、先生はどんなことを言ったの、教えて、教えてと、大きなお乳を寄せられると、水割りなんかをこぼしながら、実は今日はワシが話すことはなかったのだ。会議の前日に政府の仕切り役から電話があって、こうして、あ〜して、こう話を進めますから、大先生はただひたすら、フムフムその通り、それでいいとの態度をとってくれとのことじゃった。キミ水割りがちょっと濃いね、お乳が体に触れすぎだ、キミはいくつ、かわいいね、生まれはどこ、えっ○×県ワシと同じだ、いいね、いいねとなる。付き人は女性が次々と出す名刺を、せっせと集めている。私無視はこんな風景をかつて夜の街で何度か見て来た。テレビのゲストコメンテーターを生業としているような、不届きな連中も多い。政府のスポークスマン「田崎史郎」と言う、恥知らずのジャーナリストとは会ったことはない。いわゆる評論家たちとか、アナリストとか、テレビ弁護士とか、客員教授、特任教授、専任教授とかいう肩書き教授たちだ。私無視は物好きなので、そんな教授とかアナリストたちがいると、ヤァ〜お久しぶりですなんて言っては、ちょいと同席し、まぁ一杯どうです。オ〜イちょっと黒服さんとか、チーママを呼ぶ。えっ、あなた誰(?)みたいにキョトンとされるケースもあるが、私無視は無視をして取材(?)する。みんな遊び慣れていないのが多い。自分のお金では飲める場所ではない。(私無視はずーと行ってない)私無視が無視しないのは、いわゆるゴロ新聞の社長や記者たちだ。発行部数500部位のペラペラ新聞で、途方もない広告料をとる。あるいわ裏情報を高く売る。夜の街は生きた情報の街でもある。怖い筋もいれば、ライトウィング系もいる。有識者とか専門家たちは、夜の街では取るに足らないつまんない存在である。女性にはまずモテない。御用学者はよく見るとわかる。必らず目が泳いでいる。周囲が気になるのだろう。そしてのどがよく乾く。女性の胸の谷間に目が釘付けになる。先生は御用学者ですよね、なんていきなり言うと、実にオドオドとする。中には、その通りだワッハハハと笑う強者もいる。こうした所でいい酒が飲めるからな。政府御用達の学者たちは、東日本大震災の時、次々とテレビに出て、原子力発電所は決してメルトダウンはしないと言い続けた。それ以来私無視は、御用学者は無視している。そんな事より、銀座、赤坂、夜の街が大ピンチだ。これは無視できない。政府の救済の対象外業務だからと言う。あれだけオッパイ触ったり、おしりを触っていたのに、あれは必要ないなんて、あまりじゃないのと、私無視は怒るのだ。職業で人を区別してはイケナイ。乳飲み児を抱えている女性や、女手一つで子育てをしている女性も多いのだ。ぜひ「夜の街救済の有識者・専門会議」を開催してもらいたい。私無視の友人を呼んでいただければ、きっとよろこんで参加する。又、「映画、演劇、音楽業界等救済会議」もすぐに開催してもらいたい。ミュージシャンやアーチスト、文化人たちが息も絶え絶えとなっているので至急を要する。この会議には私無視は参加できない。文化の知識を有していない。が人は紹介できる。(文中敬称略)


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2020年5月14日木曜日

第61話「私は周戦」

私は「周戦」である。終戦とは違う。新型コロナとの戦いに終戦はないことを、今後しっかりと身につけなければならない。グルグルと周回を繰り返す戦いが、このウイルスとの戦争である。時には大きく動き、時には静かに小さく動き回る。私周戦はこんな経験をしたのは、新型コロナウイルスがはじめてである。モノゴコロがついた時から戦さに明け暮れて来た。その場合はちゃんと相手が見えていたので、勝つための戦略とか戦術が成り立った。原始人類から現在の人間まで、歴史は戦いの歴史である。古代エジプト・ギリシャから現在に至るまで、人と人は戦争を周回させて来た。それはまた疫病との戦いでもあった。人間が動物である以上、疫病から逃れられない。人間が英知を集め疫病を克服しても、疫病も進化し人間を克服する。追いかけっこなのだ。“悪女の深情け”とか“情悪男の泣き落とし”と同じで、どこまでもヒタヒタとつきまとう。最後は生きるか、死ぬかになる。疫病を生むウイルスは“ヒトのココロ”を持つがごとく、あざ笑うように拡散する。疫病はほぼ制圧して来たが、その種は生きつづけている。ウイルスは完全にはくたばらない。人間でいえば、ジメジメと嫉妬深く、ヌメヌメと掴みどころがない。嫌な奴なのだ。見えざる手によって首を絞めるがごとく、人間を苦しめる。人間という字は、人と人の間だとしたら、今回の新型コロナウイルスは、人と人との間を2メートルに引き離した。社会と会社、人間と人間、家庭と近所、家族や夫婦、それらの距離が劇的に変化するだろう。この変化に応じる戦略と戦術がないものに明日はない。出口戦略と言うが、出口などはない。新型コロナウイルスはグルグルの同心円状だからだ。拡散するその周囲が大きくなったり、小さくなったりするだけだ。第2波、第3波と回る。人間は人類が進化した“動物”であることを、改めて知らねばならない。(動物界では唯一なんでも飲み食べる)私周戦は想像する。今日14日、解放された人々が、まあ〜長かったな、退屈だったな、もううんざりだよ、さあ、まあ一杯、マスクなんか取れよ、そんな2メートルも離れないでよ、お酒が届かないじゃん。えっ、国からのマスク2枚届いてないの、ウチもそうだよ。あ〜やっぱり外で飲む酒は旨いな、家でさ女房がお酌してくれたんだよ、ニタッと笑ってさ、不気味だったよ、命を大切にしてよだって。テレワークってやだね、このまま会社に来なくていいよ、と言われそうでさ。明日上司に呼ばれてんだよ。私周戦は久々にカミュの「ペスト」を読んだ。何をすべきかと言えば「自分のできることを誠実にする」と言うことであった。それをグルグルと周回させて行くしかない。一人ひとり、そしてみんなで。新型コロナウイルスと「共生」する。孫子曰く「相手を知り、自分も知って戦わないで勝つ」。まずは、堅気の人は手を洗う。ヤクザ者は、足を洗う。そして次へ……。すこぶる誠実に生きて来た、私周戦は明日東海道線でいざ東京へ。
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2020年4月30日木曜日

第60話「私は家賃」

私は「家賃」である。落語の世界では私家賃を取り立てる大家さんが多く出てくる。話の分かる大家さんもいれば、鬼のような大家さんもいる。総じて江戸時代長屋の大家さんは善い人であったようだ。“職人殺すには刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい。”と言われた。職人たちは雨が降ったら仕事ができないからだ。私家賃も職人さんたちと同じで、雨ならぬ電話が三日も鳴らねば仕事にならない。それが一ヶ月、二ヶ月と続くと、大家さんに頼んで私家賃をしばし止めてもらいたいとか、この際少しばかり相談に乗ってもらいたいとなる。私家賃の亡き父は貧乏弁護士であった。専門が「借地借家法」であった。出て行ってくれと言う、大家側の弁護士は成功報酬は高いが、亡き父は出て行かされる方の側なので、全く報酬には結びつかない。故に貧乏であったと亡き母からよく言われた。鬼のような大家は幼い子どもがいる家族でも、強制執行をして家の外に放りだしたと言う。大きな家屋敷に住んでいる人間は、ほぼ悪事に手を染めているか、金の亡者が、代々弱い民からなけなしの金を、搾り取っている人間と思って間違いない。世のために人のために生きていたら、大きな家屋敷に住むことはできない。亡き父はそう語っていたと言う。私家賃は今日参議院の予算委員会を、朝から午後四時頃まで見ていた。今、世の中の仕事は殆ど動いていない。各種企業をはじめ流通や飲食、映画演劇など娯楽施設をはじめ殆どが、自制・自粛している。そしてフリーランス。それぞれみんな私家賃の支払い問題を抱えている。仕事があってこその私家賃だからだ。小は畳一畳から大は大フロアのオフィスまで、お客が入ってこその商業ビル。そこに入っているテナントが全部出てしまったら、ただの箱空間になる。国会風景を見ていると、与党席の何人かが熟睡しているではないか(名は伏す)そんなアホ人間に、今大問題の私家賃を心配する気など毛頭ない。私家賃の住んでいた、杉並区天沼の小さな家には、父亡きあと、大家から追い出された人たちの裁判記録の書類が、山ほどあった。財産らしき物は何もないのに、なんでこんなに書類があるのと、差し押さえに来てアレやコレやに赤紙を貼っていた、役所の人間が言っていた。その頃私家賃は中学生だった。家賃を滞納していたからだと知った。私家賃は金持ちに嫌悪を感じるのは、家中ベタベタの赤紙を見たせいだろうと思う。時代劇の中の大家にはヤクザを使って追い出す悪人が多い。今も続いているか分からないが、かつて毎月15日は競売の日だった。会社が倒産したり、諸事情で破産したり、家賃が払えず強制執行されたりした諸物件が、競売にかけられる。その日、その日の仕切り役が事前の談合で決められていて、アレはアソコ、ココはオレ、アレとアレはこうして、ああしてと次々に競売は進んでいく。伝統ある老舗旅館とか、誰が何をやって建てたのかという大邸宅や、私家賃が住んでいたような家屋まで、二束三文のような値段で取り引され競売成立となる。役人たちは見て見ぬふりでシャンシャンとなる。今話題の地面師たちだったのだろうと思う。少年時代の忘れられない光景だった。国会を見ていて思った。これからは家賃問題に取り組む法律家や、政治家が国民の支持を得るはずだ。給付金は一回か二回こっきりだが、家賃は何年もだからだ。私は亡き父の遺影に向って、日本国中“家賃”の問題になったよと声をかけた。神田の古本屋さんに行くと、亡き父が著した専門書物があると、聞いた記憶がある。私家賃は貧乏人の代弁者であった亡き父を誇りにしている。悪事悪業をしない貧乏は人間の誇りなのだ。五月七日まで休筆をする。いい弁護士を必要としている人には、いい人を紹介する。



2020年4月28日火曜日

第59話「私は電気」

私は「電気」である。私電気には忘れられないことがある。少年の頃、私電気は暗くなると家に帰り、茶扶台の上に乗って電気をつけるのを心掛けた。亡き母が外へ働きに出ていて、私電気たち六人の子を育ててくれていた。父を亡くしてから母は、小・中学校に問題集や文房具の販売をしていた。重い見本を持って歩き回る。絵や書道の道具、裁縫の道具や運動用具なども注文をとっていた。まい日帰りが遅い、幼稚園に迎えに来てくれるのは、いつも暗くなっていて、私電気は一人園長先生と母を待っていた。(天沼幼稚園をよく憶えている)暗い中で手をつないだ母の手はすべすべしてあたたかであった。フツーの子より一年長く幼稚園に通った。小学生になった時から家に帰り、私電気は電気をつけた。兄姉は学校や仕事に行っていて、明るい内には帰って来ないからだ。私電気は伝書鳩を飼っていたので朝と夕方にエサをやり、一日一回は飛ばしてあげないと鳩が運動不足で病気になる。ニワトリが四羽いてエサをあげる。猫と犬が一匹づついてエサをあげ散歩をさせる。母が働きづくめで疲れて帰って来て、暗い家だとかわいそうなので、私電気は電気をつけて、雨戸を閉めた。そして遊びに出た。自転車に乗って友だちがいるところに向った。この習慣は長くつづけた。ある日いつものように家に帰ると、まっ暗い茶の間に長兄が一本のローソクを立てていた。停電かと思ったが、近所の家は明るく電気がついていた。七時半頃母が帰って来て、あらどうしたの、あっ電気料金を払ってなかったから止められたのねと言った。私電気は長兄と自転車に乗って、荻窪の四面道という所にあった、電気会社の営業所に行ってお金を払った。家に帰ると電気がついていて明るかった。私電気はそれ以来電気会社が嫌いになってしまった。後年仕事をさせてもらった時、この時の話をした。今、何故こんな古い思い出話(エッセイ本にも書いた)を書くかと言えば、私電気たちは今新型コロナウイルスの問題でこれ以上なく暗い中にいる。検査数を発表せずに、感染数だけを発表すると言うイカサマ数字で、明日という日が“明るくない日”の思いを強くしている。国を明るくするのが国の役目だが、イカサマが横行している。私電気はずっと東海道線に乗っていないので、私の大好きな変な乗客とか、オモシロイ乗客を見ていない。昨日久々に東京へ向ったが、列車はガラガラであった。ステイホーム週間とか、またまた都知事がカタカナ語を発した。“家にいよう週間”の方が、ご老人や子どもに分かりやすいはずだ。ずっと家に居ると明るい話ばかりではない。この先を考えるとそれぞれ暗い話となる。私電気はきっと電気代も払えない家が出てくるだろうと予測する。466億円の予算をとったアベノマスクの配布はまだ4%、品質不良で検品やり直し。 “にわか業者”に5億2千万円の隋意発注(指名)実際にマスクにかかる費用は、まっ暗闇の中。コロナで座敷牢生活をしている中で、網淵謙錠(故人)の「乱」を読んだ。幕末から明治までの詳細な本である。いかに国を守り、国の将東を考えていたか、諸外国と丁々発止のやりとりができる、人材教育に投資をしていたかが分かる。幕末・江戸末期の徳川家には、有能な人材が実に多くいた。私電気は思う13人に一人が、学費が不足していて退学を考えているという、大学生さんを守るために、予算を使うべしと。国を明るくしてくれる人材を育てなければ、この国の未来はない。マスクは作れるが、有能な人材はすぐにはつくれない。“学力は電力だ”、私電気はそう思うのだ。(文中敬称略) 

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2020年4月27日月曜日

第58話「私は学習」

私は「学習」である。ずーと座敷牢生活を私学習はしている。この二週間近所に住む息子以外誰とも会っていない。(鍼灸の達人には来てもらった)どこにも行ってない。バスもタクシーにも乗っていない。二週間で使ったお金は、達人にお支払いした以外は3000円位である。新聞代が殆ど、禁酒しているので酒代ゼロ。キリンの「生茶」と、「ボルビック」のミネラルウォーター、大好きな「みたらし団子」、「甘栗むいちゃいました」「ノザキのコンビーフ」、「十勝チーズ」、「ところ天」、「豆まんじゅう」、「ノンアルコールビール」、「ジャンボモナカアイス」「むかしながらの酢昆布」など。私学習は3000円あれば二週間現金を使わずにいられることを学んだ。が、J-COMとネットフリックスで、有料映画を30本近く見たから、それは別途料金として、口座から落とされる。毎日下半身に負担のかかるストレッチをしているので、筋肉がパンパンになっている。シャドーボクシングを3R×2分。一日15時間以上テレビとか映画を見たり、古い新聞を読んだり、大長編小説を一日30ページ(2時間かかる)読んだりしていると、粗末な椅子なのでオシリがカチンコチンに固くなってしまう。この度の新型コロナウイルス問題に近い、パンデミックの映画も数本見た。又、世の中でいわゆる知識人、文化人といわれている人たちが、どんなメッセージを語るかとチェックしていた。博士、哲学者、科学者、社会学者、漫画家、コピーライター出身の経営者、小説家、教育者、人類学者、医師、経済人、作家、などなどであった。人生のなんたるかを全く経験していない、社会学者古市憲寿なる若者の、中身のないスカスカの文明論を語る早口に、バーロ10年早いよと思った。もっと人生に鍛えられてから、ノーガキを言えと思った。勉強はできても、アタマが悪い。真実と理論は違う。すっかりテレビタレント気分になっている我が身を、この際学べと私学習は思うのだ。(もっとタレントさんを見習え)NHKのチコちゃん風に言えば、ボーとして生きんじゃネエよみたいで、「その存在のあまりの軽さ」という映画の題名みたいだ。この14日間でオッと気づかしてくれる人が一人いた。その御方は高名な建築家であった。曰く「箱から出よ、自然と共生せよ、みたいなことであった。家という箱の中に住み、通勤列車という箱で運ばれ、会社という箱の中で仕事をする」この定められた日常が、新型コロナウイルスの波紋によって、家から出るな、街へ出るな、観光地には行くな、飲食、レストランに行くな、つまり箱に向うなと言うことだと思った。日本人は箱人間であった。私学習はテレワークとか、全くできないがこれからの時代は、会社という箱社会が急激に変化するだろう。出世とか肩書文化は、いかにつまらないものかを知るだろう。私学習はピラミッド型の社会は終り、個人の個性を生かした、石垣的個ラミッド型の会社が生き残って行くだろう。会社を大きくする時代は終る。第二次世界大戦の大敗北によって、日本は民主主義を学んだ。コロナ戦争に何を学ぶかで、国も社会も、会社も個人も、その価値が判断されるだろう。私学習はチコちゃんに、ボーと生きてんじゃネエよ!と叱られないように、と思っている。これから生きていく時間を、私学習は学習する。つくづく拝金主義社会の無惨を知る。新型コロナウイルスの出現で壊滅となる。箱から出ることを許される日が来たら、箱を見直して行こう。昨夜アカデミー作品賞候補作になった。「マリッジ・ストーリー」を見た。2時間16分、その殆どを夫婦の離婚話に尽いやす。これほど夫婦のセリフの多い映画は、いままでにないだろう。結婚大好き、離婚大好き国家アメリカの、離婚訴訟がよく分かる。コロナ離婚が相当数でると予想されている。箱の中でもう嫌だ、嫌だ、あ~嫌だと思っている人に、ぜひおススメの映画だ。私学習は今日久々に東京へ箱に乗って行く。(文中敬称略)




2020年4月23日木曜日

第57話「私は波紋」

私は「波紋」である。私波紋は一つ何かが起きると、小、中、大と広がって行く。現在午前四時四十九分(テレビ画面のデジタル表示)NHKの「クローズアップ現代」の再放送を見ている。「“イベント中止”文化は生き残れるか」だ。コロナウイルスにより、私波紋が生じあらゆるイベントが中止になっている。劇作家・演出家の「平田オリザ」さんがインタビューに応えている。大手芸能プロダクションの社長やイベントプロデュース会社の社長、音楽プロデューサーの「つんく」さん、又純烈というグループのマネージャー(社長かな[?])新日本フィルハーモニーの代表みたいな人。瀬戸内の美術館の館長、女性の画家とかが、私波紋がありとあらゆる分野の人たちに広がって、これ以上はやって行けないと、口々に言う。カレンダーやスケジュール帳は、中止、中止、中止である。私波紋は歌舞伎、宝塚、オーケストラ、ライブコンサート、演劇、個展、美術展、お笑いの舞台、およそ人が集まるもの全てに広がっている。CDが売れなくなった時代、ミュージシャンはライブが命綱である。この二ヶ月位でライブが8万以上中止になったと言う。現在はもっと、もっと増えている。ライブに欠かせない、音響や美術、照明機材など私波紋はとめどなく広がっている。歌手から“歌”を取ったら、“手”だけになってしまう。その手だけでは食べて行けない。私波紋はところで文化庁の長官は誰(?)と思う。最大級の補正予算を組んだと言うが、“真水”は28兆円位しかないと分かった。(私は38兆円位と思っていた)ここから国民一人ひとりに10万円支給とか、ややこしい条件を満たした四苦八苦のところに、30万円支給とかに分配される。が、どこにも文化を救済、支援する予算はない、いわば“ゼロ”なのだ。イギリス34万、フランス30万、ドイツ24万と申請後すぐにアーチストに支給される。オイオイ何やってんだよ文化庁と言いたくなるではないか。平田オリザさんが言うには、この国は文化への支援が、先進国の中でかなり下位なんだとか。やっぱり石原慎太郎さんクラスの人が、オイ金を出せ! と言わないと文化は衰退して、みんな食べて行けなくなる。気合が入っている文化人が思い当たらない。私波紋はいつまで広がり続けるのか、コロナ次第で視界不良だ。音楽がないのはイロハがないのと同じだ。人の心が不安増大、家の中でストレス満杯になっている今こそ、文化を守るために予算が必要なのだ。肥満膨張の文部科学大臣には、文化の欠片も感じない。映画関係も強烈なダメージを受けている。全国のお祭りやイベントも中止、中止、中止。的屋の親分衆も泣きが入っている。(屋台が出せない)世の中は私波紋でざわざわしているのだ。そうか、とりあえずCDをジャンジャン買ってとお願いする。アマゾンで買えるのだろうか、私波紋には分からない。“ライブはライフ”でもある。テレビに出ていた人たちが、あと二ヶ月今のままが続いたら、みんな失業転職だと言っていた。現在午前五時五十八分天気予報が流れている。眠気はないので私波紋は、アタマをクールダウンさせるために、知人から借りている、「ライ・クーダーのパリ、テキサス」のCDを聴くことにする。モーニングコーヒーを一杯。クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」を久々に見たのだが、すばらしい映画だ。(はじめて見た時よりよかった)ショーン・ペンがアカデミー賞で主演男優賞を受賞した。(最高)人間は過去から逃げることはできない。一度受けたトラウマは消去できない。私波紋は今無性にライブコンサートに行きたい。コロナが生んだ私波紋はいつ消えることができるのだろうか。


2020年4月22日水曜日

第56話「私は数字」

私は「数字」である。私数字は実は数学が大の苦手である。が、数字を理解することはできる。ここに記す数字は、元通産官僚古賀茂明氏が、四月二十二日の日刊ゲンダイに示した数字だ。アベノミクス7年の悲劇/「沈みゆく日本経済と産業」という、新連載シリーズの第一回であった。それを知った感情は省く。私数字が大ファンである、同志社大学「浜矩子教授」がノミクスと言っていた通りの数字だ。史上最低の日銀総裁黒田東彦の罪も大きい。病的嘘つきと、病的ホラ吹きが仕組んだ愚策のツケは大きい。医薬に詳しいある賢人が、我が国のリーダーの病的嘘つきは、現在服用している強力な薬の副作用で、すでに本人は自分が何を言っているのか、何を言ったのか分からない。そして誇大妄想になる。アドルフヒトラーも同じだったと言う。当然内閣の大臣たちはそれを察知しているのだろう。国民はそんな分別もつかないリーダーに支配されている。で、数字だがGDP(国民総生産)で見ると、1990年ごろ日本のGDPは米国の半分以上あったのに、2018年には4分の1に満たなくなった。中国は2010年に日本を追い越し、18年には日本の2.7倍と大人と子どもの差に。一人当たりのGDPの世界順位でも90年代は常に1桁で2000年には2位だったが、安倍政権になってからは、民主党政権の10位台から一気に下降し、18年は26位、アジア・中東でも何と7位。物価上昇分を差し引いた実質的な給料は、ずっとマイナス4%以上減っている。21世紀に入って先進7ヵ国で実質賃金が下がっているのは日本だけ。そして世界一の借金国。支持率を気にするために、日銀にバンバン株を買わせる。日銀はバンバン紙幣を刷る、そして赤字は増える負のスパイラルだ。エラソーに黒田総裁は、トリクルダウンだなんて言ったが、トリプルダウンだ。シャンパングラスを積み上げて、下に落ちて来たのは、マスク2枚だけ。米軍では使えなくなったオンボロ機をジャンジャン買わされる。本当はこの人がやらねばならないはずの、財務大臣麻生太郎は、まったく無視され状態何の影響力もない。ただ持っている莫大な資産に、おこぼれチョーダイと人数が集まった。その数字だけが影響力。私数字はこの政治家を見ていると、この国が悲しくなる。政権中枢にいても座る座布団がない。九州男児としての誇りも、政治家としてのプライドも持てないほどボケている。実に見苦しい存在だ。100年に一度と言われている、コロナウイルス問題を他人事にしか見ていない。私数字は今日本全国の大企業以外の、中小零細企業や飲食店、各種フリーランス、各文化人、映画人、ミュージシャン、劇団関係、演劇人、各種楽器演奏者、各種料理教室、陶芸や絵画教室、ミニシアター経営者、などなど文化の力で人の心を動かしてくれる人々が、このままじゃアウトだと言っているのを聞く。ドイツではまっ先に文化人たちを守る手を打った。それは人々の心を守ってくれるからだ。私数字は思う間違いなく史上最悪最低の七年間の政治だと。私数字はナメたらいかんぜよと言った、夏目雅子さん(故人)の映画を思い出す。~「何から何まで真っ暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿保のからみあい どこに男の夢がある」と歌った、鶴田浩二さんを思い出す。現在午前七時四十二分四十六秒。眠気が来ない。昨夜太宰治原作の「ヴィヨンの妻」を見た後、作ることはできない短編映画のシナリオを書いた。私数字は“√2ヒトヨヒトヨニヒトミゴロの映画を作りたいのだ。そう言えば小泉進次郎という大臣は、とんとお目にかからないが、まだ育休中で、ミルクをあげているのだろうか。私数字が待望するキャリア豊富な人が、きっと世を救ってくれるはずだ。北朝鮮の魔王「金正恩」はオプソ(終り)なのだろうか。(文中敬称略)




2020年4月21日火曜日

第55話「私は程々」

私は「程々」である。カタカナにすると、ホドホドだ。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う教えがある。誠に不謹慎を承知で書く。ある記事によると、今、世界中で避妊具をフル操業をしても製産が間に合わないと言う。今は亡きCM界の天才(映画もよかった)市川準氏が手掛けたヒットCMに、亭主元気で留守がいいと言うのがあった。タンスにゴンと言う商品だったと記憶する。今全国でコロナ連休中の人が多い。亭主元気で家に居るのだ。私程々は月刊文藝春秋五月号/総力特集コロナ戦争の中で読んだものを思い出した。それは国際日本文化研究センター准教授・磯田道史さんの「感染症の日本史~答えは歴史の中にある」その中のものだ。明治四年シベリア海岸で牛疫が流行している。これはヨーロッパで大きな被害をもたらした伝染病で、日本中の家畜の死亡もありうる。駐上海の米国領事が、駐日公使宛に送った手紙だったとある。これを受けて明治政府は、後に「近代的な感染病対策」の先駆けとなるものを布告した。今でいえば「国民への生活面での自粛要請」であった。私程々は実に感心する。「牛疫」はヒトには感染しないものであったが、明治政府の指示は、実に細部に立ち入っていた。中でも、衣服を清潔に保つこと、掃除をすること、窓を開けて換気をすること、さらに房事すなわちセックスは節制すべしと要請した。ずっと家の中に居るとつい致し方ないとなるのは、人類の本能である。今、世界中で元気な亭主が家に居る。そこで大量の避妊具が消費されているのだろう。私程々はそうか、元気な年代がウラヤマシイなと思っている。先日一組の夫婦が酒を飲んでいて(5時間位)妻が夫に、あなたの稼ぎが少ないからと夫にからんだら、夫はふざけんなと妻を数回殴打したら、死んでしまったという事件があった。きっと飲み出した時は仲良しだったのだろう(?) 明治政府が布告したように、セックスは最も濃厚接触であることは言うまでもない。ホドホドにと私程々はアドバイスする。男と女がオスとメスになった時、つまり激情のあとによく事件は起きるのだ。計画的にするべし、又、子どもたちの教育的にも注意すべしだ。お役人が生んだ「濃厚接触」と言う(?)キワドイ言葉は、きっと3密と共に、流行語大賞に選ばれると思うのだが、教育上実によろしくない。私程々は思うのだが、広告界は世の中に何も発信貢献していないなと。あらゆる業界、あらゆる分野の人々が、あらゆるカタチで、家にいよう”“医療従事者の人々に感謝しようとメッセージを発信しているのに。私程々は今何をすべきか早急に考えている。少子高令化は日本を滅ぼすはずだから、子どもづくりは大賛成だ。政府はこの際国策的援助として、濃厚接触激励交付金みたいな予算を組んでほしいと思う。昨夜「よこがお」という映画を見た。一人の主婦がはじめて入った美容院で、一人の若い美容師に出会う。そして……。亭主は元気がいいに決まっているが、女房を不満足のままにしているとオドロシイことになる。「紙の月」という映画も同じであった。私程々はホドホドをススメる。
                     (磯田道史准教授文章より一部抜粋)


2020年4月20日月曜日

第54話「私は電話」

私は「電話」である。私電話は今では携帯が常識である。私電話はガラケーというのを五年程前から使用しているのだが、上手に使いこなせていない。留守電入れておいたけどとか、ショートメールをしておいたけどと言われても、そのやり方がよく分からない。多くの人にご迷惑をかけている。どえらいお叱りも受けた。今日は昨日とうって変わって二月頃の温度で寒い。そして雨がシトシト降っている。懲役刑には労役という労働があるが、禁固刑には労役がない。私電話は今は座敷牢内で禁固刑を務めているような状態だ。労役をすれば一日いくばかの日当がもらえるが、私電話は一日何もしないと、無収入となる。人間働ける内は働いた方がいいというが、今改めて仕事のありがたさ、働くことのありがたさを知る。つれづれなるままにガラケーを手にして、すっかりごぶさたしている人に電話をする。そうすると相手の方が、まるで宝くじで一万円が当たったように喜声を出してくれる。イヤー久しぶりから始まって、コロナ、コロナと話は弾み、互いに分析をした情報を交換し合う。電話で話ができてよかったよ、なんか元気出たよ、毎日家に居て、女房子どもとしか会話をしてなかったからね、やっぱり朝起きてさぁ~、行く場所があって、いろいろ予定があって、働けるというのは、ありがたいことだったんだと思うよ。どんな仕事でも今はやりたいね、と殆どの人は言う。私電話も同じである。この先どうなっちゃうんだろうかと、電話のラストはなるのだが、分からない、とにかく人に迷惑をかけないように、座敷牢で禁固刑を務めることにしよう、じゃ又、コロナに気をつけてで終る。今会話をしたがっている人が実に多いのではと思う。家庭内感染が増加しているようだ。家族同士でも2メートル離れて会話を、なんて言われても狭い家に住んでいる身にそれは無理な話だ。もっとも私電話のところは、ずっと不要不急以外の会話はしないできた。なかよしこよしの家族とか、会話大好きな夫婦や家族の家は、口にマスクして日常会話をしなければならない。家庭が無口になると、ストレスは倍加するらしい。が下手に話をしすぎると、えっ、何その話知らなかったけどとボロが出たりする。十分気をつけねばならない。コロナはこれからが本番らしい。ずっと昔ラジオの人気番組があった、題名は忘れたがそれは、電話による人生相談だった。忘れてないのがパーソナリティの山谷親平さん(故人)が言った、決め言葉「絶望は愚か者の結論なり」だ。人間生きていれば勝負ができる。「人生とはあの世までのひまつぶし」と言った賢人もいる。人間はその人、その人の決められた運命線の上を走って行く。あの人はどうしているのだろうか、あいつは元気だろうか、そう思ったら一日一人か二人に電話をしてみよう。人間は声で会うことができる。明日はいい天気だと、天気予報士が言っている。20世紀最大の文豪と言われる、フランツ・カフカは、絶望の名人とも言われた。カフカは結核で死ぬまで、実直に労働者傷害保険協会に通勤した。そのカフカの言葉にこんなのがある。「すべてのお終いのように見えるときでも、まだまだ新しい力が湧き出てくる。それこそ、お前が生きている証なのだ」夕刊を取りにポストに行くと、「茅ヶ崎市保険年金課保険料担当」から通知が来ていた。バーロ高い税金を取って、スズメの涙だと思いつつ封を切って中を見ると、ややこしい書類を提出してくださいとあった。オッ還付金なのと思い、よく読んだら、3月分1000円の還付だった。今日は寒い。でも明日は暖かい。あなたの電話を待っている人が、きっといる。私電話はそう思う。

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