八月二日夜、ある会社の美人社長と、正義と直情の衆議院議員のヒトと、夜食事をした。恵比寿のとある店であった。家族で営んでいるその店には初めて行った。居酒屋さんのようであった。若い人たちが多く来ていたところをみると、適正価格なのだろう。丸い顔をして笑顔がとてもいいご主人、がっしりとした体でテキパキしている女性、長身でメガネをかけてよく働く若い娘さん。いい店は入った瞬間で分かる、というか感じるのだ。何故会ったかというさしたる理由はない。社長さんから◯◯先生と久々に会いませんかという連絡があったので、暑気払いにいいですねとなった。カウンターには数人座れるがすでにいっぱい。小上りの座敷には四人が座れる席が四席ほどあったがすでに若い人たちがいた。奥の席を予約してくれてたのでそこに座った。とめどない話を、とめどなく話をするのは楽しい。お金儲けの話とか、仕事の話とか、政治や経済の話もしない。とめどなく話をしては笑い、そして話は線香花火のように、飛び散る。社長も先生も決して“エラブッタ”ところはない。お刺身とか牛肉のタタキとかおいしい品が出て、三人でそれを食す。この店のメインはうなぎのようだ。汗びっしょりの丸い顔のご主人が焼いている。とにかくこの店の人の笑顔がいい。社長は何度が来ているようだった。いわゆる“ナジミ”の客だ。雑談の会みたいな時間はいいものだ。最後にうなぎを半分ずつに分けて食べて終った。いい店、いい笑顔、いいかんじ、いい時間、ヘバヘバにへバっていた体が陽気になった。連日38度、39度があたり前だのクラッカー状態である。今日八月五日はどこぞで40度を超えたとか。地球が狂って、大自然が狂って、生態系が狂って、人間も狂いに狂っている。かつて“明石家さんま”が、「生きているだけで丸儲け」と言ったが、今は生きてる内にサンマの丸焼きとなっている。こんな狂った暑さの中で、明日夏の甲子園大会が始まる。国連ではジャニーズ事務所の創業者による性加害が数百人になると大問題化している。児童虐待や青少年の虐待は、国際的問題となっている。真夏の甲子園大会も青少年への虐待だと問題化している。朝日新聞とNHKが主催している一大イベントだが、このイベントのために全国でどれほどの野球少年の肩やヒジや腰が、足やヒザが壊れているか数知れない。そして精神まで壊れているのも数知れない。入場式は学徒出陣のようであり、宣誓式は特攻隊のようである。私は大の野球ファンであるから、夏の甲子園大会は予選から見ている。私は提案する、夏にやるのであれば、甲子園球場を屋根付球場にせよと、朝日、NHKは勿論、日本中の大企業が、しこたま儲けた金の中から寄付をせよと。第一回夏の甲子園の頃は30度を超す日などなかった。この国の駄目なところは、寄付文化がないところだ。弱者や体に障害を持っている人々、生まれつきハンディを背負っている人々に対して、大企業は寄付をしない。バカヤローな国なのだ。大谷選手が劇画を超える活動をしているが、私はそれほど興味はない。すばらしい才能を持った者が、人一倍努力してすばらしい記録を生んでいる。そりゃそうだよなスゴイなと思うだけだ。それよりもこの打席で一本のヒットを打たなければプロとして残れない。トライアウトの試合でヒットを打った選手、三振を奪った選手に拍手を送る。スカスカのスタンドで、一本のヒットに、赤子を抱える妻は涙する。運命論者の私には、大谷選手がきっと数奇な運命を遂げるのが見える。“過ぎたるは猶及ばざるが如し”だ。老子曰く“努力より脱力せよ”と。超、超大天才の将棋の藤井聡太七冠、もうすぐ八冠は、恋をせよ、愛に砕けよと言いたい。大谷選手もしかりだ。大リーグの名選手だったジョー・ディマジオは、マリリン・モンローと恋に落ちた。人間サイボーグでなく、人間であるためには、今のままではつまらない。大ファンだったゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズは、セックス依存症と戦って再起し、奇跡的にマスターズで勝った。私は狂喜乱舞した。今は勝つことはできないが、私は今のほうが以前より好きである。腰痛と闘いながら、女体の叫びと闘いながら、フェアウェイをトボトボと歩く姿に感動する。さあ、高校野球好きのみなさん、甲子園球場に屋根を付ける運動へ声を上げよう。経済四団体のオッサンたち、若者たちの肉体と精神を守るために尽くせ。落語の中にこんな噺がある。「酒もやらず、女もやらず、百まで生きたバカがいる」超天才たちにこの落語の言葉を送る。凡才の私は超天才を超えて来たなと自負をする。(文中敬称略)
2023年8月5日土曜日
2023年7月29日土曜日
つれづれ雑草「一休さん」
2023年7月22日土曜日
つれづれ雑草「伝説の金子正次」
2023年7月15日土曜日
つれづれ雑草「コインの裏と表」
2023年7月8日土曜日
つれづれ雑草「一人ひとりの才能」
2023年7月3日月曜日
つれづれ雑草「怪物」
「警視庁物語」全24作を8日間で見た。昭和三十五年頃東映の人気シリーズであった。当時は他の映画との二本立であった。一本長くても90分位であった。「警視庁物語」はほぼ60分である。刑事ものの映画やテレビ番組の原型はこの映画シリーズにあったといってもいい。当時はいまと違って肖像権などはほとんどないから、街の中だろうと、野球場、競艇、競馬場などでも、撮影は撮り放題であったようだ。つまり多くのエキストラを起用する必要がない。むしろ映ってしまった人が、オレ映画に映ってしまったよと、自慢していた。カメラアングルは制限がないのでリアリティが違う。東京の街に高いビルはまだ少ない。タクシーの初乗りが70円であった。ルノーの小型タクシーが数多くあった。昆虫みたいな形のルノーに乗って親友と高校に通っていた。それが見つかって母親が学校から呼び出されて、停学処分になったりしたが、アタマを使って、ルノーで通った。刑事たちは黒塗りトヨタの大型車であった。警視庁物語を見れば今も行なわれている捜査方法が分かる。いわば刑事ドラマのヴァイブル的作品であった。後に高名になる監督が何人も手掛けていて、東映全盛時代の礎となった。今の刑事ものがつまんないのはリアリティがないからだ。デカ(刑事)やブン屋(新聞記者)は、みんなバンバン煙草を喫う。黒いダイヤル電話が、何台もあってジャンジャン鳴る。店屋物を運ぶラーメン屋さんや、日本ソバ屋の店員さんが、ラーメンやもりそば、かつ丼などを何度も運んで来る。これが白黒の画面の中で実にウマソーなのだ。一軒一軒への地取り、聞き込みが基本だ。刑事は現場100回という。何事も解決への元は現場にある。捜査一課の物語だから起きる事件は、“殺人”である。事件の多くは現代社会とそう違いはない。金銭目当てが主であり、そこに愛人がからむ。“事件の影に女あり”と、いまでは差別用語となるが、そのからみが多い。犯人となった人間の原因は貧困、差別、両親の堕落、子どもの頃からの生活環境が生む。不良少年、不良少女。空腹で愛情に飢えた子たちは、悪さを重ね成長しながら立派な悪人になる。そして事件は起きるべくして起きる。格差社会はいつの世も変わらない。落ちるところまで落ちた男と女は、傷をなめ合い、事件を打つしか道がないようになる。警視庁物語の事件と現代の事件との違いがある。今の世は溜ったストレスを目の前の者に発散する。自分が生んだ赤ちゃんを、自分を生んでくれた母親を、老い先短かい老人たち。兄弟姉妹が骨肉の争いの末に殺し合う。しまいには誰れでもいいからとか、死刑になりたいからなどと言って弱い者に刃を向ける。警視庁物語の中には、こんな事件はなかった。貧しさの中でも、ギリギリ人間としてやってはいけない事が少しは分かっていたのだろう。SNS全盛時代の事件は、何が起きるか起きてみないと分からない。「怪物」という映画を観た。是枝裕和監督作品、坂元裕二脚本がカンヌで脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。愚妻と共に観にいったのだが、私よりも愚妻の方がよく映画を理解していた。いつもなら、“マアネエ”とか“ツマンナイ”とか、“キライヨ”などのひと言で表わすのだが、いい映画よ“怪物は大人たち”“学校の先生たち”なのよ。子どもたちは、頼りにする大人がいなくて、などと語っていた。子どもがかわいそうだな、が共通見解だった。かつてはいつか見ていろよ、不良からヤクザになって、きっと立派な親分になるんだとアブナイ夢を語る時代もあった。今では反社会人とされて堅気になりたくてもなれない。ヤクザ者の子どもには何ら悪いところはない。夢も希望もあるはずだ。ある年、高校で一年間一緒だった男が、クラス会があるから一度来いよと言って来たことがある。やだよと言ったが、一度だけでもと言われた。16歳が45歳位になっていた。30人以上が新宿のタカノフルーツパーラーに集まっていた。私は一次会は九時までとあったが、八時半頃に行った。幹事は内緒にしていたようで一斉にオ、オ、オ~となった。私がどうなっていたか、みんなの意見を集約すると、(一)ヤクザになっている。(二)死んでいる。(三)刑務所の中にいるであった。私に退学処分を課した担任も来ていて、ひたすら私にあの時はすまなかった。僕にチカラがなかった。君がしてないことは分かっていたんだ。すまん、すまんと言った。グラスを持つ手がガタガタ震えていた。先生全然気にしなくていいよ、かえってよかったと思っているからと言った。校長とか教頭の立場重視、教師と教師の責任のなすりつけ合い。きっと今でも日本国中の学校で起きているだろう。その後、何度かクラス会の通知が来たが行ってない。ブルブルと震える文字で何度か手紙をくれた担任は亡くなったようだ。みんなと別れ二人きりになった、高校時代の恋人(?)は、医師の娘だったが、確か筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなった。家までクルマで送って行って、元気でな、と別れ際握手をした時、その手が氷のように冷たかった。問題児もいい大人たちと出会えば、何んとか生きていける。私は提案する。厚生労働省に「更生庁」をつくって、堅気になりたい人間とか、足を洗った人間やその家族が生きてゆけるようにすることを。(文中敬称略)
2023年6月24日土曜日
つれづれ雑草「九州出張、その(二)」
2023年6月19日月曜日
つれづれ雑草「九州出張、その(一)」
2023年6月17日土曜日
2023年6月12日月曜日
つれづれ雑草「半分半分」
「ドン」といえばひとは何を連想するか。“学界のドン”“政界のドン”とか、“財界のドン”。今映画でヒットしている“ハマのドン”など、その世界に君臨している人物を称する。“ボス”という言い方もあったが、サントリーの缶コーヒー“BOSS ボス”で市民権を得て、ボスといえば矢沢永吉を連想する。ドンはどんでも「丼」となると、ヒトそれぞれに、オレにとって、アタシにとって、ボクにとって、ワシにとって、オイラにとって、丼は熱愛される。もし丼物が好きでないという人間がいたら、どこまで行っても会ってみたい。丼は食堂界のドンでありボスである。天丼、うな丼、親子丼、海鮮丼、中華丼、カニ玉丼、カレー丼、牛丼、豚丼、かつ丼、海老丼、ウニイクラ丼、鳥そぼろ丼。丼はどんどん食欲を満たしてきた。数をあげたら切りがない。牛丼も食べたいし、となりの人が食べているカレー丼も食べたい。そんな人には相性丼というのがあって、半分牛丼で半分カレー丼というのを、ハイヨッとつくってくれる。食べ物を決める時、人間の性格が分かる。あ~腹減った、私は夢の中にいる。やっと今日はじめてのごはんだと、築地の場外市場を歩いていると、私という天邪鬼で、食いしん坊で何か人と違うものをとの迷惑な性格がでる。築地の場外市場は長いつき合いで、いわば庭みたいであった。大好きだったラーメンの店「井上」は、先年火事で燃えてしまった。海鮮専門の小さな店のとなりに、スパゲッティナポリタンだけの店があった。親子丼を見てクラクラとしていた。海老丼を見てグラグラッとした。牛丼を見ると決めた覚悟がゆれた。当初の目的は海鮮丼(ホタテ抜き、アレルギーなので)一本でバッチリと決めようだったが、私はダメな人間である。赤いスパゲッティナポリタンが強烈に目に入り、緑色のピーマンと玉ネギが、タコ形の赤いウィンナーと共にフライパンの上で仲良くくっつき合い、励まし合い、救け合い、支え合っている。場末の純愛みたいだ。よし、これだ。だが海鮮への想いも忘れられない。店のオジサンに、ちょっとあそこの店で、海鮮丼の半分をつくってもらってくるから、そのよこに半分スパゲッティ入れてくれると言った。あ~いいよ、だけどどんぶりは洗わないよと言った。大丈夫ちゃんとするからと言った。で完成したのが、“海鮮スパナポリ丼”新鮮な海老、コハダ、イカ、マグロ、イクラ、玉子焼きの横に、アツアツのナポリタン。日本の伝統美に、ナポリタンの赤ベタの組み合わせは最高であった。海鮮店の夫婦が、おいしそうと言った。お客さんみたいなヒトはじめてだよと言った。海の幸とパスタはよくあるメニューだが、海鮮丼とパスタはないはずだった。主人たちは実に誠実で、料金はハーフ&ハーフだったのでおまけしてくれた。それじゃ悪いからと、コーヒーでも飲んでと迷惑料を払った。この頃外国人さんが多いからこんなメニューもあるなと、海鮮丼の主人は笑った。私はこういうバカなことをアチコチでやってきた。“丼”と何を組み合わせるかを考えるとじつに楽しい。私はイロイロな定期検査前で食事を抜いている。それ故食べ物への思いが浮かび、アタマの中で“作り話”を作っている。シャネルのバックを持っている若い美人女性が、金曜日の夜八時頃、銀座の吉野家で丸椅子に座り、牛丼を食べている。赤い口紅に赤い紅しょうが、夜の世界の女性ではない。こんな美人が何故、花の金曜日に一人吉野家で、丼には謎めいた物語があるのだ。(これは実話)ちなみに、横浜のドンを描いた映画「ハマのドン」はかなり面白いと見た人々が言っている。スパゲッティナポリタンは、横浜の高名なホテルのシェフが進駐軍のために開発した和製料理らしい。初めてイタリアに行った時、レストランでスパゲッティナポリタンをとオーダーしたら、…………(?)(?)(?)であった。そんなのねえ~よというかんじだった。同行していたコーディネーターが、トマトソースと言ってくださいと言った。とってもとても恥ずかしかった。スペアリブを知らなかった私は、アメリカのグランドキャニオンに初めて行った時、夕食が夜遅かった。カウボーイ(牧童)たちが、♪ ローリング、ローリング、ローハイド……と店に来る。同行のコーディネーターが、スペアリブを食べましょうと言うから、OKよろしくとなった。店内は、かなり暗い。何やらゴッツイ肉の塊りがきたので、言われた通り、塊の両端を持ってベタベタしながら、かぶりつくと、ガツンと固い骨、なんだこりゃ、骨ばかりじゃんと大声を出すと、カウボーイたちは、腰に手を当てた。ガンベルトには拳銃が入っている。以来スペアリブは警戒をすることにした。下手をすれば撃ち殺されてしまう。スペア丼をつくるとすれば、骨付の肉と拳銃の弾のハーフ&ハーフだ。ライクーダーのギターとかケニー・ロジャースかなんかが流れたら、少しばかり歯がガタガタになっても食べ尽くすだろう。あ~腹が減った。鳥そぼろ、牛豚兄弟丼が食べたい。BGMは「無法松の一生」だな。さあ、ど~んといってみよう。(文中敬称略)