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2023年7月29日土曜日

つれづれ雑草「一休さん」

人間はつくづく危険な動物である。そんなことは分かり切っているが、まい日起きている事件を知ると、改めてその危険度を知る。「異邦人」という小説の中の主人公は、ただ太陽が眩しかったからという動機で人を殺した。だとすると、この猛烈な狂暑の中にいたら、目に入る人間を皆殺しにするだろう。そう思わずにはいられない。今日土曜日の昼頃所用があって、東京駅八重洲中央口にいた。そこには人が群れをなしていた。何か大事件でも起きたのかと思った。一時までには帰宅しなければならなかったので私はイライラしていた。外国人も多い、オマエどうしたらそんなにデブになるんだよと声をかけたくなる男、どうしたらそんなでっかいオケツになるんだよと思わず見入ってしまう巨大尻の黒々としたご婦人。なんでか東京駅構内で浮き輪を腰につけている若い女の子、人混みが大の苦手の私には、どいつもこいつもイライラの対象となる。人一倍理性的でない私にとって、一歩間違うとワッパ(手錠)をかけられてしまいそうな人混みだ。理由が分かった4年振りで隅田川で花火大会があるからだ。そうか、そうだったのかとイライラをポケットに仕舞い込んだ。なんで浮き輪かは分からない。おへそを丸出しにしている若い娘の集団が改札口周辺に集まっている、きっと待合せをしているのだろう。おへそ丸出しを見ていると犯罪になるので、目をそらす。気がつくと目のやり場がないではないか。何がおかしいのか、すでに酔っている若者たちが奇声を発する。手には当然ビールとか、缶チューハイとかハイボールを持っている。改札口で体と体がぶつかった。バカヤロー気をつけろ、ブチ殺すぞ、なんてことは決していわない。私はずい分とやさしい年寄りとなっているのだ。打上げ花火は人間を解き放つ魔力がある。恋は遠い日の花火じゃないなんて書いた御仁は、すてきな感性の持ち主なのだ。私が少年の頃は、花火大会イコール喧嘩、イコール荻窪警察とか杉並警察であった。キツイ説教を受けてオシマイだが。長じて私は花火は遠くから見るようになった。少年じゃないから、キツイお説教では済まない。早くて二日、長いと十日間、留置所へとなる。十二時過ぎに辻堂駅に戻って来ると、ここがまた人、人、人、なんだかこりゃと思ったら、久々に海浜公園で、辻の盆なる祭りがあるからだとか。お祭りに行くというのは、私にとってタブーである。花火大会よりもお祭りの方が留置所に行く確率は高かった。何故だろうか、二十代になってからお祭りには行かなくなった。敵対するグループを見つけると、自分が自分でなくなることが分かっていた。(すっかり大人になったのだ)愚妻は私の性格がよく分かっているので、一緒に店に入って怪しい男たちがいると、私を引っ張って、他の店に行こうと言った。遠くからヤバイ男たちが歩いて来ると、私を引っ張って、他の道へと行った。そのおかげもあって現在がある。愚妻の目の前で、何回かボカスカやったことがあるからだ。君子は危うきに近づかずをずっと心がけている。腰が痛い、腰痛バンドをしている我が身が情けない。今、もし何かあったら守るべき人間が守れるだろうかと思い、毎夜一撃必殺の技を研いている。通用するか否かは試して見ないと分からない。男はどんな時でも、守るべき者のために訓練が必要だ。私が通っている床屋さんの二代目が、肩をモミモミしてくれる。その時、失礼ですがそのお歳ですごい筋肉ですねと言う。若い頃鍛えるだけ鍛えたからね、でも今はガッタガタなんだよと話す。人混みの話から、つまんない話となった。九州を回って、奥多摩の御岳山の中へ、坂道と階段がシンドイ、お医者さんから処方してもらっていた漢方薬を服用するのを忘れて明け方宿坊の部屋の中で、ギャー、イテェ~、イテェ~となった。こむら返りを起こして、右足のふくらはぎがカチン、カチンになっていた。部屋中をつま先を立てて歩き回った。水分の補給と芍薬甘草湯は決して忘れてはならない。御嶽神社の宮司の方々、観光協会の会長さん、青梅市のフィルムコミュションの方京王電鉄のケーブルの社長さんなどに撮影へのご協力をお願いした。入間の米軍基地の近くの駅前で、私の会社にいたかわいい後輩が、「食と酒 いち」という店を経営している。その店内でワンシーンを撮るので行った。CMプロデューサーから転じて25年、かわいい奥さんと経営している。フグの調理もできる。私が行くというので、休店にしてくれていた。ゴッツイカツオのタタキを出してくれた。そしておいしい特上寿司も、おマエはなんてかわいいんだ。コロナ禍の前は三つ店を出していた。入間から青梅駅まで私たちを運んでくれた。アリガトサンよと言って別れた。残念ながら四人の子どもたちとは会えなかった。いい奴はずっといい奴、いい嫁はずっといい嫁なのだ。入間の「食と酒 いち」をよろしく。魚が抜群においしいよ。で、七月も終る。近所の自衛隊基地内で、立食のパーティをする時、700人前をつくって運ぶと言っていた。一休さんみたいなツルツル坊主が目印。(文中敬称略)






2023年7月22日土曜日

つれづれ雑草「伝説の金子正次」

お流(おりゅう)にするという言葉が裏社会にある。モメゴメやモツタレ話、そのことを水に流すという時に使う。ゴチャゴチャしたけど、この話はお流にすると言うが、お流は中に入った人間の貫目で決まる。◯╳さんが中に入ったんじゃ仕方ない、顔を立ててお流にしようや、と話はひとまず終る。日本人は「恥」の文化という。面子を重んじる。武士社会の習性が残っていた。家門の恥とか言ってたが、それは今ではすっかりすたれている。あまた数ある駅弁の中で、食べ方がビミョーにむずかしい駅弁がある。それは「鳥そぼろ弁当だ」スクランブルされた玉子と、鳥そぼろが二分割されている。この駅弁を隣りで食べられると、すこぶる気になる。昨夜サザエさんのお父さん、波平さんのような会社員風のオッサンが私の隣りに座った。東海道本線2130分発小田原行の特急だ。おじさんは座るなり駅弁をゴソゴソ開けた。短かい割り箸で玉子と鳥肉のそぼろを、一粒もこぼさずに食べ切るのは不可能に近い、案の定オッサンはボロボロとこぼす。それが私の右足などにふりかかってくる。そうでなくても暑さでへんなりしている気分が、イライラに変わる。雑誌選択を読んでいたのだが、残りわずかとなった頭髪のオッサンは、玉子粒と鳥の粒をポロポロと私にふりかける。自分の体、足元にもいっぱいこぼれている。六十近いオッサンだが、スマホを見ながら食べている。これはとてもお流にできないので品川、川崎間でオイ、ボロボロこぼすなよと言った。きっと善人なのだろう、身をかがめてこぼしたものを一粒づつ割箸でつまんでいる。やめなよ、もういいからと言った。すいませんを何度も言った。鳥そぼろ弁当は実にやっかいなのだ。どこまで行くのと聞いたら、小田原ですと言った。まい日通っているのと聞くと勿論ですと言った。そしてお流にした。家に帰るとズボンに、玉子と鳥そぼろが、いくつもくっついていた。私は小田原のこゆるぎ弁当が大好きなのだが、この中に鳥そぼろがのっている。いままで気にしてなかったか、きっと隣りに座った人に迷惑をかけていたのだろう。男と女性の関係をお流にするのは大変にむずかしい。特にそぼろみたいな涙を、ポロポロ流されると、結局泥縄となる。女性の方から切り出されたら、スパッとしなければならない。ヒモになるような人生の達人は、金色夜叉の貫一とお宮の逆のように、金ヅルの女性にすがりつく。女性は男の涙に弱い。いいわよ、私がお金をつくればいいんでしょ、今夜は雨らしいから傘を持っていつもの所で待っていて、と言われそれに従う。売れないヤクザ者、売れない物書き、絵描き、音楽家などの男はヒモが多い。他に占い師とか手品師、パチンコの事師(ゴトシ)や舞台俳優、映画界の人間、などが多い。ヒモは一種の名人芸なのだ。日本人は「恥」の文化と評した「菊と刀」の女流作家(本業は大学教授)の表わした恥などは、今の日本人は何もかんじない。但し自分がヒモをしている女性が、酷い目にあっている時、ヒモは人が変わったように体を張る。ボコボコにされながらも女性を守る。血だらけになった相手の男を見て、女性はうれしいなどと口走って、いよいよ泥沼にはまっていく。日本国は今、アメリカという性悪のヒモの面倒を見ている。欧米社会は「罪」の文化という。どんな罪を犯しても、イエスキリストによって救われた気分となる。イエスは汝を赦すという、NOとはいわないずい分と調子のいい宗教である。原爆を投下しても、十字を切って赦される。世界一のヒモは、バチカン帝国なのだ。12時頃ふとんの上に横になっても、全然眠れない。「浜 圭介」の歌を明け方に聞いた。題名は「おんな道」 生まれた時から みなし子で 親の顔さえ わからずに 夜に生まれて 夜に育った……。ホステスさんたちはこの歌を聞くと、ウルウルする。 嫌なお客に せがまれて 男の枕に されながら つくる笑顔も 生きるため……。日本人は余りにも、悪政をお流にしすぎている。怒りを忘れた男は男でなく、怒りを忘れた国民は、国民でない。ホトトギスはいう。鳴かぬなら殺してしまえホトトギスという主人なら、きっと両目をつぶしてやるぞ、ホトトギスと逆襲する。但しメスの場合。「おんな道」を聞いていると、つくづく堅気の世界はつまんねえなと思う。赤い灯、青い灯ともる、ネオン街を久々に歩きたくなる。男から殺気と色気がなくなったらオシマイだから。明日早朝から奥多摩に行き超過密スケジュールで、自主映画の下ごしらえをする。宮司の偉い人たち、京王電鉄の人、観光協会の会長など一人ひとり、一つ一つ、ていねいにあいさつに回り、撮影への協力をお願いする。許可どりをする。昨年度準ミス日本の女性が出演してくれることになった。「映画」この二文字は私にとって命なのだ。それでエーガがなと言ってくれたヒトビトに心より感謝する。きっと世界を目指す、グランプリを目指す。この言葉はお流にしない。私の目標は、映画「竜二」をつくって、癌により33歳でこの世を去った、伝説の男「金子正次」なのだ。自主映画と同じで資金づくりに苦労した。男は生き様より、死に様なのだ。(文中敬称略)







2023年7月15日土曜日

つれづれ雑草「コインの裏と表」

空の上から地上を見る。海があり、山があり、森があり、川が流れている。都市の上空に行くと、開放されていたココロがザワザワとする。灰色のビル群は、墓場の墓石のように林立している。母親がよく言っていた言葉を思い出す。亡き父親が家の数だけ何かしらの問題を抱えているんだと。大きな家に住む家には、大きな問題がある。フツーに働いている者たちは大きな家に住むことはできない。言い方は悪いが、何かしら悪いことをしていなければ、大きな家に住むことはできない。それは、ヒトの生き血を吸うようなことであったり、恩人、知人、友人を裏切ることであったり、法の網目をすり抜けるようなことである。漁村にはボスがいて、農村には大地主がいる。山の中、森の中には山林王という王様がいる。大工場地帯には労働者を束ねる、組合の長や、それを操る大資本家がいる。私たち小さな会社は地ベタにはいつくばり、歯をくいしばって生きている。人間には二つの不幸があるという。一つは金があるという不幸。もう一つは金のない不幸だ。格言に“死して美田をのこすべからず”というのがある。なまじ多くの財産を持っていたために、一族一家が遺産をめぐって骨肉の争いをする。運よく遺産を手にした者は、自らが汗水たらして手にした金でないので、使い方を知らず、ある者は破滅するために使い、ある者はもっと増やそうとする。人間の生き方の基本は、“清く、貧しく、美しく”だという。コインとかお札には、なんで裏表があるのだろうか。空の上からふとそう思った。人間という動物は、ほぼ全員裏表がある。なければ化け物だ。男と女が奇跡的に出会い、結婚して夫婦となる。男も女もいくつかの秘められしものがある。美男子でスポーツマン、理想の人だと思っていた男は、イボ痔であり、イビキや歯ぎしりが酷く、枕はヨダレで臭い。そして幻滅の日々を送る。靴を脱ぐと足も臭いのだ。美女でみんなの羨望の的だったのが、洗濯は苦手で、料理ができない、やたらとネットでブランド物を買う。魚の食べ方を見ているとゾッとする。取り柄といえば、見た目が美人だけ。背中や腰にトクホンやサロンパスを貼って、衣服でごまかす。トイレ掃除なんて嫌だといって、トイレ救急隊を呼ぶ。空の上でそんな話を聞いたことを思い出す。コインになんで裏表があるのかが分からないのだ。暑さで脳内がイカレたのかもしれない。空の上から見ると、日本の住民の多くは、山のふもとに集落をつくって生活している。山と川と海と共に生きている。当然のように、雨、風、地震には弱い。この列島の宿命なのだ。毎年のように梅雨の終りに、集中豪雨が襲う。山は崩れ落ち、川は氾濫し家を流す。政治の基本とは「治山治水」である。それが現在では政治家とは裏金づくりの職業となっている。我が身最優先、選挙とは就職活動なりとなっている。木曜日の東海道線は人身事故の影響で、私は戸塚駅で停車する中にいた。この事故の場合は胸の中で手を合わせ、静かな気持ちで車内にいることができる。列車内のスピーカーがイカレていたので、車内放送がよく聞きとれない。そんな中でも平然とメークアップしている女性が、私の視界の中にいた。マツ毛を必死にアップさせていた。何やってんだよ、どうやってもブスはブスだよと思った。「歩いても 歩いても」という2008年の映画を見た。上映時以来二度目である。是枝裕和監督の映画だ。その中で嫁が姑に向って、明日は30度を超えるほど暑くなるようですよと言った。15年前はそんなかんじだったのだ。長兄が死んで15年目、墓参りに泊りがけで夫の実家に来ていた。わずか一泊だが嫁と姑の関係は、コインの裏表のようである。嫁の顔は笑っているが、心の中には刃が光っている。姑のひと言ひと言が、気に障るのだ。金曜日の六時頃、渋谷PARCOに行った。巨匠井上嗣也さんが、渋谷PARCO創立50周年記念のためのポスターやサイネージを制作した作品を見るためだ。去る日、PARCOの宣伝を仕切っていた後輩と、井上さんの三人で食事をした。青森県出身の後輩が新人で入社して来た時、私は会社員だったのだ。とにかく極めつけの善人であったので、日本を代表するトップクリエイターたちは、彼の頼みに応じていい作品を生み、やがてPARCO文化となった。大病を克服して生気ハツラツとしていた。抗癌剤治療や放射線治療をやり遂げて、新品の人間をになっていた。現在、私の周囲には大病と闘っている人が多いので、勇気をもらった。亡き大親友ならたちどころに何故コインに裏表があるのがを教えてくれるだろう。先月20日命日の26日の前に仕事仲間だった人間と献杯をした。スコットランドの蒸留所に行き、念願のスコッチウイスキーのシングルモルトをショットグラスに入れて、ニコッと笑っている写真を飾って。もう11年が経っている。私は無駄に歳を食い、世の中はユメもチボーもなくなっている。日曜日は愚妻と高校野球の試合を見に行くことにした。少年たちが、私に何よりの力を与えてくれるのだ。ずっと裏街道を歩いて来た我が身には、真夏の球場の“太陽がいっぱい”がうれしいのだ。それにしても「井上嗣也」さんと高弟「稲垣 純」さんのPARCOの作品は圧倒的であった。巨大な眼のアップのビジュアルは何を見ているのだろうか。人間社会の裏と表だろうか。それともやがて来る未来社会の表と裏だろうか巨眼の中には灰色の月がポツンと浮かんでいた。守屋 浩の“月のエレジー”を口ずさんだ。♪~ 月が僕を見てる そうだ月に頼もう 逃げた恋を呼んで来て……。よく見ると月はコインのようなのだ。
(文中敬称略)






2023年7月8日土曜日

つれづれ雑草「一人ひとりの才能」

窓の外では強弱の雨が降る銀座の珈琲店で、外国人の夫婦と会話を楽しんだ。二人は米国人である。ご主人はクルマのディーラーの支配人。奥方は雑誌の編集者である。共に四十代、日本に来てすでに十年近く経っている。子はいない、いわゆるディンクスである。初めて日本に来た時のことを聞いた。二人共に共通して言ったのは、(一)お酒を頼むと“お通し”が出る。(一)夏は冷たい、冬は温かい“オシボリ”が出る。(一)買い物をすると、すごくていねいに包装紙を使って、しっかり包んでくれる。その上紙袋に入れてくれて、リザーブの紙袋まで入れてくれる。(一)チップ制でないのにどの店も対応が親切。(一)電車の中ではほとんどみんなしゃべらない。(一)人種差別が全くない。(一)街が安心安全。(一)和菓子の製品が厳重に入っている。例えば、山梨の“信玄餅”は芸術だ。小さな入れものに、お菓子とキナコと、極小の入れ物に入った甘い味、それに楊枝もしっかりと入り、人の手によって一つ一つが風呂敷をたたむようにして結んである。他にも和菓子の世界は、信じられないほどていねいに作られている。(一)アメリカは土足文化だが、日本人はきちんと“靴を脱いで”家に入る。(一)“交番”というのがあるのには驚いた。それじゃこの国の将来はどう思うかと聞くと、ハッキリイッテ、ダメデショーと言った。why何故と言えば、アメリカは日本を食い尽くすだろうと言った。アメリカの政治家は日本の総理大臣を呼んで、アレ、コレ難題を押しつけ、少しでも“チューチョ”すると、ドーンとテーブルを叩き、怒りをあらわにすると、日本の政治家はクションとなって、全てOK、OK、OKとなる。小泉純一郎がブッシュのところに来て、エアーギターのスタイルでパフォーマンスした時から特にOK、OK、みんなOKとなった。と、ご婦人は言った。ジャーナリストだけに鋭い。日本が大好きなだけに、これからの日本の見通しはシビアだ。外国人投資家が円安を利用して日本株をジャンジャン買っている。彼等投資家はいつか売るために買っているのでいずれ売って、売って、売りまくる。株価は大暴落する。それじゃマズイと日銀は国債をバンバン刷って、日銀が買う。負のスパイラルが起きる。国防予算を倍増して数年で43兆円もの予算を使ってアメリカのポンコツを買って、買って、買いまくる。ジョー・バイデンはしたたかな老人で、この事を利用して選挙を有利にする。アメリカは軍産国家だから、バイデンOK、OKとなる。もう中国には勝てない。インドにも勝てない。いままではアッチ、コッチで内戦を起こして、荒稼ぎしたのだが、介入するパワーはもうない。外の雨が激しくなっていた。和菓子の包み方でなごんだのだが、この国の将来は地獄になる、と言っていた「浜矩子」経済学の大先生の言葉を思い出した。大先生の紫色のヘアースタイルは、佐賀鹿島の食道園のお母さん同じだ。話題は変ってコロナ第九波の話となった。カッパ頭の医学界の代表は第九波が始ったと言い、厚労大臣は始っていないと楽観視している。アメリカ人二人は、日本人は50%以上がこんなに暑いのにマスクをしていると言ってバックからマスクを出してニッコリ笑った。昨日代々木上原の住宅街の中にあるギャラリーに行った。もとヘアーメークアーチストだった友人の個展が開催されていた。残念ながら本人は10日間居たのだが、京都の丹後に帰っていた。紫色のヘアーより、もっともっとパンクなギャラリーの老夫婦オーナーが電話してくれた。とにかく多種多才で、時に円空のように流木を彫って仏像にしたり、利休のように味のある陶芸品を作る。今回は小さな骨を入れる壺を焼いていた。70個売れたみたいと言った。私は残りの八つの中から一つ選んで買った。価格はすべて12000円であった。韓国映画の「無垢なる証人」を見た。自閉症の女子高校生が、自分の家の前の家の2階で、その家の家政婦さんが、その家の主人の顔をビニールで包んで殺しているのを目撃する。実話をベースにしている事件だ。この女子高校生には特殊な才能を持っている。人の何倍も聴覚にすぐれている。家政婦はある人から金をもらって殺人をする。“コノヤローしぶとい奴だ”とか言いながら、女子高校生はその言葉をしっかり聞いている。自閉症の女子高生に証人としての能力ははたしてあるか。法廷で裁判官も検事も、弁護士、陪審員たちも、その驚異的な能力に言葉を失ってしまう。初めて飛行機の上から街の風景を見て、家に帰り航空写真と同じように、絵を描く特殊能力の若者の話もある。九十歳を過ぎた大天才の画家「草間彌生」さんは、半世紀以上も病院から通っている。小さな部屋、小さなベット、白いカーテンの中がいちばん心が安まると言う。先日までルイ・ヴィトンとコラボレーションしていたので、銀座松屋は草間ワールドだった。下書きなしでどでかい絵をスイスイ描く。私天才ね、私天才ねと言いながら。人間にはみんなその人、その人の才能がある。試験の点数とか、通信簿で判断してはいけない。五体満足のくせして何もしないで能書きばかりのアホは多い。このアホたちが少しでも心を入れかえて、体が不自由な人々や、介護する人々のために体を使えばいいのだが、会社の仕事はソコソコにしてアホたちはカラオケでは大盛り上がり、♪~ 私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指 さされても……。なんて歌っている。現在土曜日の朝六時四十七分十一秒。かなり眠いのだが横になると目が覚めるのだ。だがどうしようもない、気がつけば七夕は終っていた。
(文中敬称略)






2023年7月3日月曜日

つれづれ雑草「怪物」

「警視庁物語」全24作を8日間で見た。昭和三十五年頃東映の人気シリーズであった。当時は他の映画との二本立であった。一本長くても90分位であった。「警視庁物語」はほぼ60分である。刑事ものの映画やテレビ番組の原型はこの映画シリーズにあったといってもいい。当時はいまと違って肖像権などはほとんどないから、街の中だろうと、野球場、競艇、競馬場などでも、撮影は撮り放題であったようだ。つまり多くのエキストラを起用する必要がない。むしろ映ってしまった人が、オレ映画に映ってしまったよと、自慢していた。カメラアングルは制限がないのでリアリティが違う。東京の街に高いビルはまだ少ない。タクシーの初乗りが70円であった。ルノーの小型タクシーが数多くあった。昆虫みたいな形のルノーに乗って親友と高校に通っていた。それが見つかって母親が学校から呼び出されて、停学処分になったりしたが、アタマを使って、ルノーで通った。刑事たちは黒塗りトヨタの大型車であった。警視庁物語を見れば今も行なわれている捜査方法が分かる。いわば刑事ドラマのヴァイブル的作品であった。後に高名になる監督が何人も手掛けていて、東映全盛時代の礎となった。今の刑事ものがつまんないのはリアリティがないからだ。デカ(刑事)やブン屋(新聞記者)は、みんなバンバン煙草を喫う。黒いダイヤル電話が、何台もあってジャンジャン鳴る。店屋物を運ぶラーメン屋さんや、日本ソバ屋の店員さんが、ラーメンやもりそば、かつ丼などを何度も運んで来る。これが白黒の画面の中で実にウマソーなのだ。一軒一軒への地取り、聞き込みが基本だ。刑事は現場100回という。何事も解決への元は現場にある。捜査一課の物語だから起きる事件は、“殺人”である。事件の多くは現代社会とそう違いはない。金銭目当てが主であり、そこに愛人がからむ。“事件の影に女あり”と、いまでは差別用語となるが、そのからみが多い。犯人となった人間の原因は貧困、差別、両親の堕落、子どもの頃からの生活環境が生む。不良少年、不良少女。空腹で愛情に飢えた子たちは、悪さを重ね成長しながら立派な悪人になる。そして事件は起きるべくして起きる。格差社会はいつの世も変わらない。落ちるところまで落ちた男と女は、傷をなめ合い、事件を打つしか道がないようになる。警視庁物語の事件と現代の事件との違いがある。今の世は溜ったストレスを目の前の者に発散する。自分が生んだ赤ちゃんを、自分を生んでくれた母親を、老い先短かい老人たち。兄弟姉妹が骨肉の争いの末に殺し合う。しまいには誰れでもいいからとか、死刑になりたいからなどと言って弱い者に刃を向ける。警視庁物語の中には、こんな事件はなかった。貧しさの中でも、ギリギリ人間としてやってはいけない事が少しは分かっていたのだろう。SNS全盛時代の事件は、何が起きるか起きてみないと分からない。「怪物」という映画を観た。是枝裕和監督作品、坂元裕二脚本がカンヌで脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。愚妻と共に観にいったのだが、私よりも愚妻の方がよく映画を理解していた。いつもなら、“マアネエ”とか“ツマンナイ”とか、“キライヨ”などのひと言で表わすのだが、いい映画よ“怪物は大人たち”“学校の先生たち”なのよ。子どもたちは、頼りにする大人がいなくて、などと語っていた。子どもがかわいそうだな、が共通見解だった。かつてはいつか見ていろよ、不良からヤクザになって、きっと立派な親分になるんだとアブナイ夢を語る時代もあった。今では反社会人とされて堅気になりたくてもなれない。ヤクザ者の子どもには何ら悪いところはない。夢も希望もあるはずだ。ある年、高校で一年間一緒だった男が、クラス会があるから一度来いよと言って来たことがある。やだよと言ったが、一度だけでもと言われた。16歳が45歳位になっていた。30人以上が新宿のタカノフルーツパーラーに集まっていた。私は一次会は九時までとあったが、八時半頃に行った。幹事は内緒にしていたようで一斉にオ、オ、オ~となった。私がどうなっていたか、みんなの意見を集約すると、(一)ヤクザになっている。(二)死んでいる。(三)刑務所の中にいるであった。私に退学処分を課した担任も来ていて、ひたすら私にあの時はすまなかった。僕にチカラがなかった。君がしてないことは分かっていたんだ。すまん、すまんと言った。グラスを持つ手がガタガタ震えていた。先生全然気にしなくていいよ、かえってよかったと思っているからと言った。校長とか教頭の立場重視、教師と教師の責任のなすりつけ合い。きっと今でも日本国中の学校で起きているだろう。その後、何度かクラス会の通知が来たが行ってない。ブルブルと震える文字で何度か手紙をくれた担任は亡くなったようだ。みんなと別れ二人きりになった、高校時代の恋人(?)は、医師の娘だったが、確か筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなった。家までクルマで送って行って、元気でな、と別れ際握手をした時、その手が氷のように冷たかった。問題児もいい大人たちと出会えば、何んとか生きていける。私は提案する。厚生労働省に「更生庁」をつくって、堅気になりたい人間とか、足を洗った人間やその家族が生きてゆけるようにすることを。(文中敬称略)







2023年6月24日土曜日

つれづれ雑草「九州出張、その(二)」

佐賀県鹿島は、私が大変お世話になった電鉄系大手代理店の役員だった二人の生まれた故郷だ。一人は残念ながら六十代そこそこでこの世を去ってしまった。もう一人は今も健在でずっと家族付き合いをしている。すでに七十代40年以上の仲だ。佐賀県は現在人口70万余である。龍造寺家 vs 鍋島家の内紛は歴史に名高い。騒動は鍋島が勝ち戦国時代の歴史の中で最強といわれた肥前鍋島藩となる。幕末は「薩長土肥」が手を組んで江戸幕府を倒したが、肥前佐賀は鹿児島の薩摩藩より強いといわれた。歴史家の共通見解だ。何故かといえば、鍋島藩は海外からのあらゆる知識を他より先んじて学んだ。戦争での戦略、戦術、用兵術、中でも砲術が抜きんでていた。鍋島藩は学問に投資して、専門的な人材をいち早く育てた。薩摩の西郷隆盛や大久保利通は、軍事にすぐれていたが、もっとすぐれていたのは、政治力だった。佐賀県は正義感が強いが、少々気が短い、いわゆるプッツンしやすいのだ。私はそこが好きなのだ。明治の元勲の中でいちばん頭が切れるといわれたのは、“大久保利通”だが、実は佐賀の江藤新平(初代司法卿)の方が凄い。大久保はその存在を恐れ、プッツンさせるべき手を打った。佐賀の乱である。この乱がやがて西南戦争への引き金となる。乱に敗れた江藤新平は逃げて鹿児島の西郷を頼ったが、政治家西郷は江藤新平を受け入れなかった。やがて江藤新平は捕えられ首を落とされた。私の友人はフツーに大人しいのだが、乗ったタクシーの運転手さんが道を間違えると、“何やってんだよ、道が違うよ、と突然怒る”ゴルフを一緒にやっていて、崖の下に落ちた球を打ち上げるべえと強い素振りをすると、崖の上から見ていて、空振り、空振りと声を発する。素振りだよというが許されない。実のところは空振りであった。短気な人ほど魚釣りが好きだというが、その通りで釣りの名人でもあり、海でも川でも釣果を上げた。私は短気だが釣り下手であった。マメマメしく仕掛を替えたり、餌をとりかえなかった。さて、佐賀県鹿島出身にもう一人大切な人がいる。私の体のメンテナンスを毎週土曜日に来てくれる、鍼灸の達人だ。この先生の実家が焼肉の“食道園”であった。紫色のヘアースタイルを教えてくれていた。この先生も人一倍正義感が強く、曲がったことが大嫌い、そしてプッツンする。そして先生も釣りの名人でもある。海、川いずれも凄い。私の誕生日に海岸からの投げ釣りの道具一式をプレゼントしてくれた。しかし未だに一匹も釣れてない。私のペンネームは“島以佐機”である。茅ヶ崎に引越して初めて投げ釣りした時、奇跡的に釣れたのが、“シマイサキ”であった。家に持ち帰り塩焼きで食べ一杯飲んだ味は最高、気分は抜群だった。以来シマイサキなどは釣れない。九州出張の初日の宿泊先は大牟田の友人宅であった。二日目は鹿島のビジネスホテル。夜七時から観光協会の会長さんと食道園で会食打ち合わせとなっていた。平塚の達人には決して私が行くことを告げてはダメだよと言った。予約は相棒の名でとった。達人には映画に出演してもらったことがあり、私の名前は知れている。もし私と分かったら、勘定はいいですとか、支払いに手ごころをさせてしまうかもと思った。さて、七時頃入店となり名刺を交換して話を始めた。佐賀は和牛の旨い地である。ご主人の女性が肉をコンロにのせてくれる。話は弾む。観光協会会長は、“ガタリンピック”(有明海の干潟でのスポーツ)の生みの親であった。いよいよ友人の熱弁は盛んになり、しきりに私の名が出るようになった。と、ご主人の女性が隣りに来て私の腕をつかみ、もしかしてと私の名を言った。達人から三人のお孫さんの写真を預って来ていた。相棒に勘定をキチンとしたらと打ち合わせしておいた。肉は格別に旨い。値段は東京よりぐんと安い。でも遅い昼食だったせいか三人共多くが食べれなかった。鹿島出身に衆議院議員の方がいて少しお付き合いがある。(政界のボスの側近)その先生の秘書が、偶然私の会社にいた男の妹さんであった。議員会館に行った時、あいさつされてビックリした。先生は東大法学部卒、大臣の時にしつこい地方紙記者の質問に、佐賀県人らしくプッツンして辞任した。さて、勘定はちゃんと済みましたとなり、実はと言ってお孫さんたちの写真を渡すとそれを見てウルウルした。五・六年達人は帰っていない。観光協会の会長はなんだそうだったんだと笑った。みんなで記念写真を撮った。ホテルに向って歩いて行くと遠くでずっと手を振ってくれていた。又、来るからね、元気でねと私は大きな声を出した。昨日金曜日、佐賀の議員先生から電話があった。会長から聞いたよ、そうだったんだ、食道園むかしからよく知ってるよと言った。遊郭をしていた友人のお父さんには、選挙でずい分世話になったんだと言っていた。選挙もなくなったので近々ぜひお会いしましょうと言って電話は終った。そして今日土曜日一時に平塚の達人に針を打ってもらった。世の中は広いようで狭い。私が大ファンである芸人、“江頭2:50”も佐賀県人である。全裸になってトルコでパフォーマンス、逮捕されたはずだ。サイコーです。ぜひお会いしたい方なのです。
(文中敬称略)









2023年6月19日月曜日

つれづれ雑草「九州出張、その(一)」

九州大牟田に坂本龍馬のような熱い男、行動力の塊のような友人がいる。元大手広告代理店の敏腕営業マンであり、天皇ともいわれた会長の側近でもあった。静岡・山梨の「富士山」を世界遺産にすることに尽力した。鹿児島の「屋久島」青森・秋田の「白神山地」、北海道の「知床」などの世界遺産のこれからのために、全国を飛び回っている。熱弁が始まると圧倒される。全身を言語化して自説自論を熱く語る。そして今、坂本龍馬が“薩長同盟”に奔走したように、九州有明海を“日本の地中海”にしようと活動している。有明海は、長崎、福岡、佐賀、熊本の四県に面している。“環有明海観光連合”を立ち上げた。私はその仕事をお手伝いしている。有明海はいままで四県が一つになって、未来への行動を行なっていなかった。熱血漢とはもう三十余年の付き合いになる。初めは、英会話教室NOVAの仕事で、「駅前留学」という言葉を提案した時である。当時は新聞社系の代理店にいた。私はヤクザのようであるから初めて出会った人は、その顔にこのヒトに頼んで大丈夫かな(?)とハッキリあらわれる。が一度仕事をすると、長い長い不思議な運命共同体となり、家族付き合いまで発展して行く。ただ、私は売り上げ、扱いの数字や、金儲けばかりの話をする人とはどうしても相入れない。で、いい思い出が生きている間にその関係を終える。恩を仇で返すことになったりもするが、金より思い出重視なのだ。十四日午前五時起床、(といってもほぼ起きていた)熱いシャワーを浴び、朝刊に目を通していざ九州有明海へ出発だ。辻堂 ― 横浜 ― 京急で羽田へ。ここで私の頼りとする男プログラムエンジニア(人間コンピューター)と合流。この男のヒトが一緒であれば、いかなる難問にも応えてくれる。人工知能AIの未来、地球や人間の未来まで高説を論じてくれる。ガラケーも使えない私の強力な支えとなってくれる。そして羽田からANAで佐賀空港へ。そこにかつて私のところにいた(十年間)アートディレクターの男が福岡から来てくれていた。3.11の時に一歳ほどの子を育てていたが、奥さんが東京での地震や放射能汚染が、子育てに向いてないと、故郷の福岡に帰った。一年ほどで帰ってくると思っていたが、結局そのままとなり、現在に至っている。清々しい勉強家の男は、四十三歳になっていたが、前より清々しい男であった。私のテーマカラー、ライトブルーの小型車に乗って来ていた。小林大助という名は、九州デザイン界で有名になっている。数々の賞を受賞している。直近では、福岡で開催される世界水泳大会の金、銀、銅メダルのデザインコンペで金メダル(最優秀賞)を受賞して、新聞やテレビで大きく報じられている。私にとってこれほどうれしいことはない。オオ~大ちゃんとなった。その後、熱い男が大型のレクサスで来た。いつも通り、ドーモ、ドーモから始まった。三井化学大牟田工場に行き、頼まれていたデザインの打合せをする。超広大な工場を見学。“人の三井”というだけあって、三井の人々は実にやさしい。運命を感じたのは、私が独立した時、はじめて大きな仕事を霞ヶ関ビル内にあった代理店さんから頼まれた。それが現在の三井化学(当時は三井石油化学)であった。その会社の50ページ位の会社案内のデザインであった。チンマリ、コンマイ仕事ばかりやっていた。質屋通いもしていた。山口県大竹工場を撮影、約120メートルの中心部分、60メートルの所にある丸い踊り場からの大仕事だった。20~24歳会社勤めで、デパート関係やファッション系の仕事を4年間やっていたので、石油化学などの仕事は、正直自信がないし、何も分からないのであったが、結婚もしていたので、大きな仕事は断わる訳にはいかなかった。そんな思い出のある会社の仕事に、再び九州大牟田で出会うとは、(その代理店さんとは現在もお付き合いをしている)その後、大牟田で有名な事業家の会社へ行く。環有明海観光連合の会長さんである。◯△グループの総帥の会長さんは、数多くの事業をしながら、青年会議所で後進を育てている。東京の硬派の大学で少林寺拳法の術を極め、本場中国の総本山まで行っている。社内会議室に入ると気合十分の雰囲気であった。会長さんがグループの活動と自らの主義主張を、スクリーンに映る映像や文学群を見ながら、熱く、熱く、火傷するほど熱く語った。その後、会長さんが経営するところで、食事会となった。熱弁は更につづいた。久々に硬派の事業家と会い心地いい。しかし腰がパンパンで激痛がする。会長さんの将来の夢の場所へも行って見学もしていた。食事中まで私を看板のデザイナーだと思っていたようなのだが、熱血漢と人間コンピューターがパソコンを使って、私のいままでの仕事などを映し出し解説すると、実に驚かれて“先生”と言われるようになった。私は先生はやめてください。場末の芸者ですからと言った。会長さんは実に魅力的であった。ぜひアレも、ぜひアソコも、となり再びお会いすることを約束してお別れした。次の日は大牟田から柳川、そして佐賀鹿島へと移動して、観光協会代表理事の方と会った。佐賀は「葉隠」を生んだ武士道の地、その方は静かだが内に秘める魂は、武士の如くであった。夜七時からの会食打合せに私が選んだ店は、焼肉の名店“食道園”にしてもらった。店の女性主人の髪の毛は三十年前から“紫色”それがトレードマークである。肉は東京の叙々苑の最上級より全然安くて美味しい。この食道園については訳があり後日書く。女性主人は、私の姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。私は大きな声でまた来るからネエ~、元気でね~っと叫んだ。そしてすぐ近くのビジネスホテルへ。小さな部屋のベッドの上にぶっ倒れてひとまず大の字になった。
(文中敬称略)









2023年6月17日土曜日

休筆のお知らせ

 本日、またも出張のため休筆致します。
皆様、梅雨の晴れ間に起こる熱中症に注意しましょう。

2023年6月12日月曜日

つれづれ雑草「半分半分」

「ドン」といえばひとは何を連想するか。“学界のドン”“政界のドン”とか、“財界のドン”。今映画でヒットしている“ハマのドン”など、その世界に君臨している人物を称する。“ボス”という言い方もあったが、サントリーの缶コーヒー“BOSS ボス”で市民権を得て、ボスといえば矢沢永吉を連想する。ドンはどんでも「丼」となると、ヒトそれぞれに、オレにとって、アタシにとって、ボクにとって、ワシにとって、オイラにとって、丼は熱愛される。もし丼物が好きでないという人間がいたら、どこまで行っても会ってみたい。丼は食堂界のドンでありボスである。天丼、うな丼、親子丼、海鮮丼、中華丼、カニ玉丼、カレー丼、牛丼、豚丼、かつ丼、海老丼、ウニイクラ丼、鳥そぼろ丼。丼はどんどん食欲を満たしてきた。数をあげたら切りがない。牛丼も食べたいし、となりの人が食べているカレー丼も食べたい。そんな人には相性丼というのがあって、半分牛丼で半分カレー丼というのを、ハイヨッとつくってくれる。食べ物を決める時、人間の性格が分かる。あ~腹減った、私は夢の中にいる。やっと今日はじめてのごはんだと、築地の場外市場を歩いていると、私という天邪鬼で、食いしん坊で何か人と違うものをとの迷惑な性格がでる。築地の場外市場は長いつき合いで、いわば庭みたいであった。大好きだったラーメンの店「井上」は、先年火事で燃えてしまった。海鮮専門の小さな店のとなりに、スパゲッティナポリタンだけの店があった。親子丼を見てクラクラとしていた。海老丼を見てグラグラッとした。牛丼を見ると決めた覚悟がゆれた。当初の目的は海鮮丼(ホタテ抜き、アレルギーなので)一本でバッチリと決めようだったが、私はダメな人間である。赤いスパゲッティナポリタンが強烈に目に入り、緑色のピーマンと玉ネギが、タコ形の赤いウィンナーと共にフライパンの上で仲良くくっつき合い、励まし合い、救け合い、支え合っている。場末の純愛みたいだ。よし、これだ。だが海鮮への想いも忘れられない。店のオジサンに、ちょっとあそこの店で、海鮮丼の半分をつくってもらってくるから、そのよこに半分スパゲッティ入れてくれると言った。あ~いいよ、だけどどんぶりは洗わないよと言った。大丈夫ちゃんとするからと言った。で完成したのが、“海鮮スパナポリ丼”新鮮な海老、コハダ、イカ、マグロ、イクラ、玉子焼きの横に、アツアツのナポリタン。日本の伝統美に、ナポリタンの赤ベタの組み合わせは最高であった。海鮮店の夫婦が、おいしそうと言った。お客さんみたいなヒトはじめてだよと言った。海の幸とパスタはよくあるメニューだが、海鮮丼とパスタはないはずだった。主人たちは実に誠実で、料金はハーフ&ハーフだったのでおまけしてくれた。それじゃ悪いからと、コーヒーでも飲んでと迷惑料を払った。この頃外国人さんが多いからこんなメニューもあるなと、海鮮丼の主人は笑った。私はこういうバカなことをアチコチでやってきた。“丼”と何を組み合わせるかを考えるとじつに楽しい。私はイロイロな定期検査前で食事を抜いている。それ故食べ物への思いが浮かび、アタマの中で“作り話”を作っている。シャネルのバックを持っている若い美人女性が、金曜日の夜八時頃、銀座の吉野家で丸椅子に座り、牛丼を食べている。赤い口紅に赤い紅しょうが、夜の世界の女性ではない。こんな美人が何故、花の金曜日に一人吉野家で、丼には謎めいた物語があるのだ。(これは実話)ちなみに、横浜のドンを描いた映画「ハマのドン」はかなり面白いと見た人々が言っている。スパゲッティナポリタンは、横浜の高名なホテルのシェフが進駐軍のために開発した和製料理らしい。初めてイタリアに行った時、レストランでスパゲッティナポリタンをとオーダーしたら、…………(?)(?)(?)であった。そんなのねえ~よというかんじだった。同行していたコーディネーターが、トマトソースと言ってくださいと言った。とってもとても恥ずかしかった。スペアリブを知らなかった私は、アメリカのグランドキャニオンに初めて行った時、夕食が夜遅かった。カウボーイ(牧)たちが、♪ ローリング、ローリング、ローハイド……と店に来る。同行のコーディネーターが、スペアリブを食べましょうと言うから、OKよろしくとなった。店内は、かなり暗い。何やらゴッツイ肉の塊りがきたので、言われた通り、塊の両端を持ってベタベタしながら、かぶりつくと、ガツンと固い骨、なんだこりゃ、骨ばかりじゃんと大声を出すと、カウボーイたちは、腰に手を当てた。ガンベルトには拳銃が入っている。以来スペアリブは警戒をすることにした。下手をすれば撃ち殺されてしまう。スペア丼をつくるとすれば、骨付の肉と拳銃の弾のハーフ&ハーフだ。ライクーダーのギターとかケニー・ロジャースかなんかが流れたら、少しばかり歯がガタガタになっても食べ尽くすだろう。あ~腹が減った。鳥そぼろ、牛豚兄弟丼が食べたい。BGMは「無法松の一生」だな。さあ、ど~んといってみよう。(文中敬称略)



2023年6月10日土曜日

休筆のお知らせ

本日、出張のため休筆致します。
梅雨時です。皆様、食中毒に気をつけましょう。