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2016年2月22日月曜日

「宮トオル遺作展」





銀座ヴァニラ画廊にて、久々に一枚のリトグラフの絵を買った。
と言っても会社で買った。いずれ私個人として買い戻そうと思っている。
手元不如意という訳だ。

画家の名は“F.Sゾンネンシュターン”という。
美しい絵を描いている人。かわいい絵を描いている人。
上手に描いている、どこかで見たような絵を描いている人。
床の間に似合う絵を描いている人。その人たちとは価値観がまるで違う。

人間の神髄を描く。
感化院、精神病院、刑務所、アル中、放浪、ドサ回りのサーカス、コメディアン、キャバレー、アル中、その後占星術師、郵便配達、密輸業者、オカルト教団教祖、精神病院、詐欺師、男爵夫人の情人、塩の販売、医薬品偽装販売など〜。
13人兄弟の三男に生まれたゾンネンシュターンは90歳で死ぬまで人間の想像出来ない人生を生き、想像を超える絵を色鉛筆で描いた。

この狂気の画家に匹敵するといえば、海外なら“ピカソ”やアフリカンアートの“ムパタ”であろう。日本人画家でいえば“ジミー大西”だ。
現在の日本でジミー大西に勝る画家はいない。
気取った画家たちはジミー大西の絵を見たら、バカにし、コケにするだろうが内心はガタガタと震えるだろう。

本日22日より銀座ヴァニラ画廊で私の友人のご主人であった“宮トオル”さんの遺作展が開催される。35日まで。縁あって少しばかりお手伝いをさせて頂いた。
沈黙する聖少女」がタイトルだ。

私は宮トオルさんの絵の大ファンであった(実は二枚秘蔵している)。
ぜひご覧ください。独特のエロス、子宮の中から語りかける無言が、きっとあなたを聖なる心に誘ってくれるはずです。人間は生き残った精子と卵子がくっついて生まれる。
F.Sゾンネンシュターンが遺した言葉は「死んだら余を起こしてくれ」であった。

1974年池袋西武美術館で大回顧展が実現した。
種村季弘が序文を書き、澁澤龍彦、加山又造、金井美恵子が文章を寄せ、谷川晃一が追悼文を書いた。F.Sゾンネンシュターンはこうも言い遺した。
「余は古今無双の変人なり、代役などいない」誰もが描かなかった、創造と創作は変人と狂人、つまり天才が生んで来た。それが真の芸術の歴史である。
27日(土)ヴァニラ画廊で午後五時よりレセプションパーティーがある。
ぜひのお越しを。(文中敬称略)

2016年2月19日金曜日

「静岡why?」




大根、ジャガイモ、ハンペン、牛スジ、ゆで玉子、ソーセージ、これらを日焼けサロンに持って行き一日中紫外線を浴びせると、きっと真っ黒になるはずだ。

真っ黒なおでんを昨夜友人と食べた。
“静岡おでん”であった。初めてのおでんだった。
何しろここまで煮込むかというほど煮込んでいる。
黒大根、黒ジャガイモ、黒ハンペン、黒牛スジ、黒ゆで玉子、黒ソーセージである。
煮込みが凄いので味がほとんどしない。
ほとんどしない中に残るかすかな味に味がある。

ウマイ!とはいえないが、マズイ!ともいえない。
おでんの松崎しげるだ。
顔は日焼けで真っ黒であるが、歌はうまい。
気候温暖、気質温和、日本一出世欲がないといわれる静岡県がどーして黒いおでんを生んだかは分からない。友人が連れて行ってくれた。
絶対にここは私が払うといって聞かないので仕方なくごちそうになった。
私は余程のことでない限り人に払ってもらわない。

ハンペンは白いと決まっていたはずだが、メニューに黒ハンペンとあった。
ハンペンの膨らみは煮込まれてまったくない。ヘナヘナとしてペシャンコだ。
ハンペン独特の弾力は失われてお皿にへばり付いている。
オイ、お前はハンペンかと声をかければ、ヘイ、むかしは色白の身でありやした、なんて応える。
ゆで玉子は黒い弾丸となっていて、お前はゆで玉子かと声をかけても返事をしない。
箸が折れてしまうかと思う位チカラを込めて黒い弾丸に突き立て突き刺すと、中から黄身がボロボロと現れる。ゆで玉子というより栗に近い。

おでん大好きな私の初体験は、静岡why?であった。
また今度行って徹底的に黒い味を食べ尽くしてみる。
一度では語り尽くせない、不思議なおでんであった。
作家松本清張の“黒”シリーズは有名だが“黒いおでん”はなかった。

店は細長く、一階、二階、三階とあり満杯であった。
私と友人の隣には二人の女性がいた。黒いロールキャベツが、黒い竹輪が不敵に笑っていた。餃子の上にてんこ盛りのモヤシがのったものが運ばれて来た。
“浜松餃子”であった。浜松why?ヤキヤキの餃子に水っぽいモヤシを何故のせた?

午前一時三十分〜二時二十分からNHKで司馬遼太郎の旅、日本人とは何か、その二、武士についてを再放送していた。先日も見たのだが司馬遼太郎は余りに明治を愛しすぎている。武士の心“名こそ惜しけれ”この精神が日本人の心の中に脈々と生きている。
武士こそ最高の作品だ、みたいなことをもっともらしく書く。
が、日本を戦争に突き進ませ、名こそ惜しけれと玉砕をさせたのは武士の精神、明治の精神であった。

明治とは薩長支配であった。
海軍は薩摩、陸軍は長州の時代がずっと続き、官僚体制とは薩長体制であった。
大日本帝国は明治時代の延長であった。
「この国のかたち」を書く司馬遼太郎は明治を美化しすぎで大いに誤っている。
私は司馬遼太郎のエッセイは大好きだが、小説は講談のようであり嫌いだ。
講釈師を見て来たような嘘をつく。明治こそ日本の黒い遺伝子なのだ。
幕末期における武士は人間が生んだ最高の芸術品である。
司馬遼太郎はそう書いている。

天誅、天誅といって殺しまくった武士たちは、最高の芸術品であったのだろうか。
ならば武士の延長上にある軍人たちはいかなる作品であったのだろうか。
静岡おでんを思い出しながらこれを書いた。

2016年2月18日木曜日

「梅干しの夜」



人間は凄い。この大宇宙の成り立ちを見つける。
だが、人間は汚い。利に群がり、利にまみれる。
人間は愚か。クスリに頼り、身を滅ぼす。
人間は弱い。権力に屈し、従順となる。
人間は欲情。サイトで出会い、愛欲の果てに向かう。
人間は恐い。我が子を殺し、親も殺す。
人間は脆い。出世話に先輩も同僚も裏切る。
人間は悲しい。老人は投げ捨てられる。
人間は残酷。果てしなく人間同士戦争する。
人間はズルイ。昨日の味方は今日の敵。
人間は貧しい。名誉欲は終わりを知らない。
人間は切ない。人間は迷う。人間は哀れ。人間は馬鹿。

人間は…、人間は…と書き続けると原稿用紙は不足となる。
否、人間はすばらしいと思えば、人間ほど強くてステキな生き物はない。
不信、不安、不満、不が渦巻くこの世の海峡を人間は逞しく泳ぎ、生きて行く。


二月十一日午後二時十一分まで生きていた我が友が、二月十六日午後一時二十分には骨片となった。自分自身の中にあるであろう涙を探すが、最早流れ落ちるものはない。
もう苦しくはない。もう痛くはない。もうオムツはいらない。

さらば友よ、よく闘い、よく果てた。
人間は必ず死ぬ。この絶対に対して毎日近づいて行く。
人間は人間に何かが出来る筈だ。弱き者のために。
私は私へ落とし前をつけねばならない。
私は恩返しと罪滅ぼしの明日へと向かう。昨夜いつものグラスに冷酒を入れて飲んだ。
それにしても人間とは?梅干しを一つ口に入れた。その味は…。

2016年2月15日月曜日

本日から三日間ブログを休みます。18日から再開します。
気温の変化が激しいようなので、くれぐれも体調に気をつけて下さい。

フ、フ、ファックション。
目からは涙、鼻水タラタラ、チキショウ。
花粉の季節です。
私は今のところは大丈夫です。


2016年2月12日金曜日

「ジャアナ」




二月は逃げるという。足が速い月なのだ。
わずか二週間ほどの二月に、甘利大臣の現金フトコロ入れ辞任、清原和博のシャブ漬け逮捕、北朝鮮のミサイル発射、国会議員にも育休をといっていた議員の不倫発覚。
プロレスの必殺技岩石落としのように株価は大暴落、金利は史上初のマイナスへ、円安から一気に円高に、石油の価格は1バレル25円に近づく。

女性議員の発言が官邸の頭を痛くする。
高市早苗総務相の電波法発言、島尻安伊子北方担当相の歯舞を読めない発言、丸川珠代環境相の1ミリシーベルト以下なんて何の根拠もない発言、黒い網タイツが決めファッションの稲田朋美先生の超右翼的発言。
永田町は一寸先は闇のまた闇の中に入った。
国民はやっと大事な事に気が付き始めたが、野党はバランバラン。

アメリカでは民主社会主義者バーニー・サンダースが支持を拡大中。
民主党のヒラリー・クリントンは一家総出で防戦。一方、共和党のトランプは金、金、金のカードを大乱発して、ワンペア、ツーペア、スリーカードとなっているが、100%大統領にはなれない。
最後はドボンで終わり、だが宣伝効果は使った金以上なので損はしない。
トランプを扱うカジノのディーラーのように、トランプは博打では負けない。

毎日刻々と目と耳に入る出来事を知ると、自分自身現在はどこにいるのかと思ってしまう。台湾のビルの倒壊を見ると、東京直下型地震が来たらそこいら中の超高層ビルがバキッ、ボキッ折れたり、ガランゴロンと倒壊するだろう。

十日夜、友人がプロデューサーとしてその腕を奮っている映画の完成試写を見せていただいた。未発表なので詳細は書けないが、主人公が言った言葉が胸に刺さった。
「お前ら、生きている人間の先には死しかないんだよ」

二月十一日建国記念日、午後二時十二分、三年目の闘病に入っていた大、大、大親友が、生きている先の世界に旅立った。
初めて知りあった高校一年の入学の時を思い出す。
私は155センチ、友はすでに180センチ以上。見上げるようにでっかい男だった。
学ランのボタンを2つ外し、学帽を頭にチョコンとのせてドーンと私の隣に座った、ヨォッと言って。亡き母は自分の子どもの様に可愛がってくれた。
ほぼ一年中私と一緒であった。

東京都立鷺宮高等学校出身の人がこのブログを読んでいたら合掌をしてくれ。
オレといつも一緒だった。高橋周平が旅立った。
二月十五日(月)お通夜、二月十六日(火)が告別式だ。
南多摩斎場で。TEL042-797-7641

一人でも会いに来てくれ。勿論オレは両日その場にいる。
友の別れ際の口癖は、ジャアナ、であった。
抗癌剤の副作用と転移で声は出なくなっていて、そのジャアナは言えなかった。