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2016年7月28日木曜日

「あるキャッチフレーズ」

※しらべえより



天才的コピーライターは数多くいるが、大天才というのは日本広告史上唯一人しかいない、おそらく永久にいない。

そのヒトは仲畑貴志氏。
大島渚監督の作品「戦場のメリークリスマス」の音楽は坂本龍一氏であった。
その音楽アルバム発売の告知ポスターのキャッチフレーズは「異常も、日々続くと、正常になる。」昨日夜家に帰り仲畑貴志氏のコピーを思い出し、座右の書にしている「コピーのぜんぶ・仲畑貴志コピー集」を開いて言葉を確認した。
当時売り出し中のビートたけしさん、先頃亡くなったデビッド・ボウイ、そして坂本龍一氏も出演した話題作であった。

私たちは今、日々続く異常な事件、異常な出来事、異常な天変地異にさほど異常を感じない人間になってはいないだろうか。世界中で起きているテロの惨劇をテレビで見ながら、またか、そういいながら家族で食事をしたりしている。
テロリストに首を切り落とされる動画をインターネットで見ながらビールを飲んだりしている(これは私でない)。
大地震や大洪水、ハリケーンや竜巻による大被害のシーンを見ながら、オッ結構スゲエなと言いながら居酒屋で乾杯!あの人私のタイプと合コンなどをしている(いわゆる会社員の人々)。

一人二人残念に殺されても別にオドロク事もなく、例え五人十人殺されても、障がい者の人が十九人も殺されても、アッゲット、ヤッタァーとポケモンGOに夢中になっている。
現代社会の人間の有り様を今から何十年も前に仲畑貴志氏は見抜いていた。
正に異常は正常となっている。
健常者自体が自分自身の異常に気づくことなく正常だと思い込んでいる。

インターネット社会は人間を確実に破壊し、破滅させ続ける。
朝家を出て夜無事帰る保証は誰にもない。むしろ一日24時間生きているのが不思議に思える世の中になっている。
さりとてインターネットの便利さと進化は水と酸素と塩分のように無くては生きていけない社会となっていく。異常と正常の区別がつかない。私もよく分かんない。

このブログを書いている最中(夜十一時四十七分)に茨城県北部で震度5弱の地震があったとニュースが流れた。私の仕事の片腕は茨城出身だ。
実家のご両親にどこか安全な地(無いかもしれないが)に引っ越してもらう事をすすめたい。みなさん異常に気をつけて下さい、以上です。

2016年7月27日水曜日

「報道に(?)」




昨日戦後最大の事件が起きた。本日はブログを控える。

ただ一つ印象的な事を記す。
昨夜NHK九時のニュースで事件をより詳しく知りたいと思った。
だがNHK18分しか事件を取り扱わなかった。
MCの河野憲治氏はいつものように無感情、無表情であった。
このような事件は二度と起きないように、この位のコメントで次へとなった。
少々薄笑いだったのが不気味だった。

その後テレ朝の報道ステーションをチェックし、テレ東のWBSをチェックし、日テレのNEWS ZEROをチェックした。
MCの富川悠太、大江麻理子、村尾信尚、TBSNEWS23の星浩らをチェックしたが、皆それほどの切迫感も緊張感も、事の重大性へのメッセージはなかった。

私は思った、被害者の多くが障がい者であったからだと。
報道は差別しているのだ。もしこの大事件の被害者が、健常者であったら報道の仕方はもっと変わっただろうと思った。
プライバシーを考慮しているとしても、私はテレビ報道に(?)を感じた。

最早異常な事件は通常の事件と変わらずMCたちは自らの言葉を放棄し、あるいわ失い淡々とその日の仕事をこなすのみとなる。(文中敬称略)

2016年7月26日火曜日

「太陽の季節」




昨日ゴールドジムのことを書いたら、そもそもゴールドジムは“ソノケ”のある男たちが好んで入るジムなんだと教えられた。
駅前で便利だから入ったのだが知らなかった。
ボディビル系なのは分かっていたが、私の場合は時速10km位で一時間から二時間位歩くだけだった。私には全く“ソノケ”はないのである。

ナルシストというのは実に厄介な人間だ。
何しろ世の中の人はみんな自分を見ていると思っている。
また、見られているという、高揚した気分を全身に受けとめて快感を得る。
ドン・キホーテと呼ばれることもある。

鳥越俊太郎氏もそれに近い。
自分はカッコイイジャーナリストだという並外れたナルシズムが大ズッコケになっている。政治とは演説だがまるで演説になっていない。
聞く耳を持っているのが売りなら、朝から晩まで一カ所で討論会のバトルをやるべきだった。ジャーナリストは真実を語らねばその存在はない。

癌と闘いながら指揮者岩城宏之さんは、ベートーヴェンの第九を一番から九番までぶっ通しで指揮をしていた(休憩はある)、十時間位だっただろうか。
途中酸素吸入を受けながらタクトを振り続けた。鬼気迫っていた。その何日か後この世を去った。
最近では蜷川幸雄さんが骨と皮になりながら、酸素吸入をしながら演出をした。
私の好きだった神代辰巳監督はやはり車椅子に乗り酸素吸入をしながら映画を作った。
永六輔さんと大橋巨泉氏が死の直前「徹子の部屋」に出た。永さんはずっと口を開きっ放しでモノを語らず、大橋巨泉氏はシワシワになった体で思い出を語った。
残酷に変わった自分を見ろという覚悟があった。
私は見るに耐えなくなった。永さんのずっと開く口を見て。

渋谷区に住んでいた頃、青山サウナというのがあった。
東映ヤクザ映画の全盛期、ボスは富司純子さんの父親で東映ヤクザ映画の生みの親、大プロデューサーの俊藤浩滋さんだった。高倉健さんたちを連れてよく来ていた。
ゴールドジムで思い出した。健さんは鏡の前に立ってずっと自分の体を見続けていた。

健さんを愛してやまない田中邦衛さんとある年、下呂温泉の浴場で会った。
岩下志麻さんを起用して下呂温泉の老舗水明館の仕事をしていた。
浴場に全身ショボショボになった人がいた。
オシリの肉が煮込んだハンペンみたいだった。
田中さんですかと言ったら、おちょぼ口をとがらせて、どーもと言った。

話はずい分外れたが私が言いたいのは、ひと度事を成すためには命をかけるんだと言いたい。醜態をとことん晒せよだ。実はそれが真の美しさなんだから。
競輪を知っている人ならこんな言葉があるのを知っているだろう。
「後位凡走」これ鳥越俊太郎氏。「ちょい差し」これは強力な逃げ足を持ち一番先を行く選手をマークし、文字通りゴール寸前でちょい差しする、増田寛也さんは今この位置にいる。落車というのがある。ゴール目前にして猛スピードで三角から四角を目指した時、バァーンと落車する。小池百合子選手は無事ゴール板を通過できるか(?)
「まくり」という丈勝負がある、後方から一人で仕掛ける。
八人の選手をバンクの中央まで登り一気に抜き去る。「かまし」とも言う。
競輪用語に「もがく」というのがある、全身全霊を込めてペダルを踏む。
その必死さがもがくという表現になる。
勝負の神はこの「もがく」を最後までやった者にしか微笑まない。

候補者の入ったタスキをかっこ悪いから、あるいはオレの名は誰でも知ってるからと身につけない気取り屋は、ゴール寸前に行く前に落車する。
こう書いてみるとやっぱり石原慎太郎さんというのは特別だったんだなと思う。
いよいよ梅雨が終り、太陽の季節だ。

2016年7月25日月曜日

「ブラリ途中駅の旅」



八万五千人の軍隊が重装備の武器を持って守る中で行われる平和の祭典(?)リオオリンピック・パラリンピックは本来の意味があるのかと思う。

平和の祭典とは名ばかりで政治利用、プロ他商業化されたスポーツ利権の見本市みたいになっている。
より厳重なドーピング検査をしたらおそらく殆どの選手が何かしらの反応を示すのではないだろうか。

スポーツジムに行くとプロテインをビールの大ジョッキに入れてガブガブ飲むアスリート、または筋肉マニア、またはナルシストがいる。
私は一時期辻堂駅前のゴールドジムに入り、ウォーキングで汗を流していたが、とにかくキモチワルイ男が多いのでやめた。

やたらに陽灼けサロンで灼いた肌、やたらについた筋肉、やたらに裸を見せる男、鏡の前でじっと自分を見てニヤニヤする男、ドヒャーとでっかい若者たちが太いブラブラを見せつけながら鏡野前にいた。
誰だと聞けばオリンピックの強化選手だった(レスリング)。
ャグジーから出て来た名のあるプロレスラーが弟子二人と一緒に突っ立って体を拭かせていた、勿論全部だ。あーキモチワルイと思った。

三年近く会員ではあった。
ずっと行かなくなった時ジムから電話があり、ロッカーの期限が切れるのでどうしますかというから、シューズやらシャツやらを取りに行って終りにした。
相変わらず筋肉マンたちがプロテインをガブガブ飲んでいた。
腹筋が六分割のモナカアイスみたいになっていた。

筋肉はすぐつくが、すぐに落ちる。つまり鍛え続けなければならない。
つまり筋肉中毒となる。男の全裸ほど間の抜けたものはない。
つい見てしまうのだが、グニャとしてダランとしたものが緊張感をなくす。
トレーナーにプロテインを飲めばあのフニャとしてダラリとしたのに筋肉がつくんじゃないのと言ったら、それは無理ですと言った。
なんでだろうね同じ体の一部なのにと思った。

現代医学の進歩は薬の進化でもある。
医師が処方してくれた薬の成分を全てチェックするのは難しいだろうから、アスリートたちを守るシステムを世界が一つになって考えなければ、これからもドーピング疑惑が晴れる日は来ないだろう。

ジムの中のブラブラも嫌だったが、今国中のアチコチでポケモンGOというのに熱中した老若男女が、スマホを見ながらブラリ途中駅の旅をはじめている。
きっと思いもよらぬ事件や事故が多発するのは間違いない。
思考しない人間はフニャフニャになり続ける(これは私自身)。

2016年7月22日金曜日

「白州で拍手」



サントリーHPより

「少年よ大志を抱け」クラーク博士はその教えを北海道の大地に残した。
昨日夏の甲子園への出場を決める北北海道大会決勝で大事件が起きた。

それは何か、クラーク記念国際高校という通信制の高校(スポーツコース・硬式野球部は全日制)が、野球部創部3年で、な、なんと強敵滝川西高校を30で破り見事甲子園初出場を果たした。

校長先生は登山家三浦雄一郎さんと知った。
通信制による生徒数は一万一千人超えるとか。
正に少年よ大志を抱けではないか

小・中学校時代から野球が凄いといわれる少年を名門校がスカウトするのは今では常識だ。甲子園大会は本来地元出身の少年たち同士が戦う大会であったかが、学校の名を高めるために甲子園大会を利用することとなった。
高校野球界には少年たちをまるで売り買いするようなシステムが生まれた。

クラーク記念国際という学校名をはじめて知ったが、生徒たちを率いて勝ち抜いた監督も知りたいが、生徒たちのことも知りたい。また、練習法や指導法も知りたい。
名門校や強豪校、シード校の監督やコーチは顔色を失っているだろう。
逆に自分たちの学校はどうせ弱小高校だと思っている野球少年たちに、大きな夢と希望をもたせたことだろう。

クラーク記念国際の選手たちはゲームセットの瞬間飛び上がり、ピッチャーマウンドに駆け寄り、全員一番を表す指を一本天に向って突き上げ歓喜の雄叫びを上げた。
オレたちはイチバンダァー、ヤッタァー、カッタァー!甲子園だぞー!少年たちの活躍をこれからも追いたい。久々に胸躍るシーンであった。

一方名門中の名門、PL学園が予選一回戦で敗けたのを最後に休部となった。
上級生による下級生への暴力行為が原因だ。残念でならない。
甲子園でPL学園に勝つんだが、野球少年たちの目標であった。
数多くのプロ野球の名選手を生んだ。
母校の最後の試合を見届けるために先輩たちはスタンドから声援を送った。涙をさそうシーンだった。

日本国の運動部といえば軍隊と同じである。
フェアプレー精神論と肉体根性論は同体化する。
野球の先進国アメリカの指導者から見ると、甲子園は信じられない特攻隊的世界に見えるらしい。

何故わざわざ真夏の炎天下、それも真っ昼間に少年たちに野球をやらせるのか、一人の投手が一試合に100球、120球、150球、あの松坂大輔に至っては200球近く投げさせた。その答えは朝日新聞とNHKにあるのはいうまでもない。

夏休みには甲子園という熱闘が、自分たちの存在価値を高めるために必要であった。
プロ野球の一流選手になるのは選ばれし天才たちである。
じっくりと育てて行けば一流になったであろう幾多の少年たちは肩を壊し、ヒジを痛め、肉体も精神もボロボロになり野球を捨てた。
だが厳しい練習に耐え抜いたという体験は大人社会を生き抜く時に大きな支えとなるのも確かである。礼儀正しくなるのも確かである。

クラーク記念国際の快挙を見て私は複雑な気持ちなのだ。
やはり甲子園は最高だという気持ちと、野球少年たちをボロボロにするなよという気持ちが交差する。日曜日には神奈川県大会を見に行くことにしている。
クラーク博士もきっと今年の甲子園大会に熱狂するだろう。
深夜、少年野球を愛する後輩から頂いた、とっておきのウィスキー白州をいつものグラスに注ぎ、北の少年たちに拍手乾杯をした。