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2017年1月10日火曜日

「小鳥とペン」



2017年1月10日400字のリングのゴングが鳴った。
猫の額ほどのリビングの片隅におもちゃを入れたダンボール箱がある。
その中にあるいくつかのぬいぐるみが私をジッと見ている。
江ノ島の水族館で買ったピンクのイルカは口を開けたままだ。
ピカチュウは大きな目を開けたまま、三毛猫はものかなしげだ。

ずっとむかし子どもたちに買ったものが、その子らに引き継がれてきた。
つまりぬいぐるみたちはずっとずっと同じ表情とポーズなのだ。
ミッキーマウスもずっと手を広げたままだ。


年が明け近所を歩いて見ると、デニーズは味噌ラーメン屋に、イタリアンレストランがメモリアルホールに、我が家の家電の世話をしてくれていた電器店が貸店舗となっていた。駅伝が走る道路にあったサークルKが閉店し、ブックオフはジャガーのディーラーになっていた。

一個50円で買ってきた傷もののリンゴを細かく切って小さな庭にばら撒くと小鳥たちが集まってきた。二羽ずつだから夫婦なのだろう。
あ~この風景は生きているなと思った。ぬいぐるみたちには意志がない。

そんなの関係ネェ~、ハイオッパッピーと言って人気を博したパンツの芸人はすっかり姿を見なくなったが、“そんなの関係ネェ~”この言葉ほど今の日本人を表しているのはないと思っていた。自分に関係ないものは、関係ネェ~社会となってきた。
人間と社会のぬいぐるみ化と私は言いたい。
無思想、無関心、無表情、無言、そして無情。

御用学者たちはこの10年で日本人の健康は飛躍的に向上した、それ故今後は75歳を高齢者とするのはどうだろうとなった。年金が払えなくなった国家が年金の支払いを引き上げるのだ。若者たちの未来に年金はない。
日本以外の国なら大変なことなのだが、そんなの関係ネェ~と若者たちは思っているのだろうか。

新しい年、私はどう生きて行くべきかリンゴを突っつく小鳥たちにたずねた。
用心深くキョロキョロする一羽の小鳥が言った、自分の意志を持てと。
リンゴをばら撒いてくれる人はいないと思えと。

ピコ太郎はリンゴをペンで刺してアイディアを発見した。
ならば私はペンで時代を刺して新しいメッセージを発信して行こうと思う。

2016年12月22日木曜日

「泣いてたまるか」




師走二十二日(木)今年最後の400字のリングとなる。申年は去る。
人間に多くの宿題を残して。

冬至というのにジーンズにTシャツでもいいような暖かさは不気味だ。
そう申年は何もかも不気味な明日を感じさせた。人類の危機すら感じる。
富める者と貧者の格差は拡大の一途となる。
世界は右傾化、暴力化する。ファナティックなリーダーが世界を動かす。
狂気の時代が来ているのだ。

戦争か平和か。国民主権か、国家主権か。法は萎縮し怯える。
我々日本国がアメリカの従属国、未だに占領政策下に置かれていることが露出する。
政治、経済は混乱、混迷し主体を失い支配国に振り回される。
先進国の中で最下位に近い教育への投資はこの国の未来を失う。

芸術、文化は牙を抜かれ、哲学者は沈黙する。人間は思考することを哄笑しつつ、後退して行く。まるで息を吸うようにスマホを酸素化しパソコンに向い、マウスを握りしめる。便利な進化と便利すぎる退化がギシギシとせめぎ合う。
人とヒトは傷つけ合い、人とヒトは赤く流れる血の川を泳ぐ。
だが決して諦めてはならない。
少年のような青い空があり、少女のような白い雲は流れる。

自分にできることは何かを考える。
背伸びして出来ないことをすることはない。
等身大の自分を磨く。その結果が希望となる。
無為徒食に生きては人生は勿体ないということを私自身に語りかけている。

来たる酉年、どうコケコッコーとスタートさせるかを考えている。
♪~上を向いたらキリがない 下を向いたらアトがない さじをなげるは まだまだ早い…。「泣いてたまるか」渥美清さんが唄ったように。

出来ることを今日からやる。一年間400字のリングにお付き合いありがとうございます。
良いお年を迎えて下さい。人間は強い、ヒトはやさしい。
私はそれを信じて、新しいリングの上に立って行く。

一月十日より再開します。いつものグラスにドライジン。
午前四時ジャスト、NHKテレビではカンガルーの親子が仲良く食事をしている。
私は落花生をむきはじめた。「花は落ちてもきっと生きる。」

2016年12月21日水曜日

「長い電話、第九と大工」




私の長い付き合いの人間、熱血漢、正義感の塊、熱心、陽気、マラソンマン、ボランティア人間。何しろ一生懸命の男が、砂漠に家を建てるが如く一つの仕事に向かっていた。
上司や同僚たちは何をやってんだ、いくらやったって形にはならない、つまり仕事にならない、売上にならない、認められない、出世できないという図式で見られていた。

それでも男はメゲズ、クジケズ、アキラメズに新しい仕事の開発に励んだ。
流通に携わる人間に土・日・旗日はない、稼ぎ時だからだ。
私も四年近く流通業に身を置いた。当然、土・日・旗日はなかった。
当時は水曜定休だった。たまに休めても友人たちは会社に行っていない。
カレンダーの土・日・旗日はすべて☓☓☓となる。

私の長い付き合いの人間は、土・日・旗日を返上し、家庭を犠牲にし、親子の関係は壊れていった。何しろいつも家にいない。
一生懸命の男がやっと大きなルートを開発できるところまでこぎつけた時、上司に呼ばれお前はこの仕事から外れろあとは俺がやると言われた。
こんな話はそこいら中にある。殆どはチキショウといって泣き寝入りする。
オボエテロヨとヤケ酒を飲みまくる。

が、私の長い付き合いの人間は違った。
男を五十年やって来てはじめて人を殴るという“快挙”をやった。
一発、二発、上司の目の上は切れ、鼻血が出て口びるからも出血した。
バカヤローと言ってバーンと辞表を出した、という長い電話があった。

実はこのことが世に出てしまったり、ネット上に出たりしたら流通大手にとってダメージは大きい。で、上司の上司、その上司の上司、その上と続いて慰留をされた。
思いとどまってくれ、あいつは遠くへ島流しにするからと。

流通業の外商といえば刑事と同じ、靴の底がすぐに減るほど歩いて回る。
中には女社長に気に入られてショッピングやゴルフにも同行する。
私の長い付き合いの人間は偉い人からの慰留に屈せず十二月末日付けで退社する。
ヤッホーじゃないかと言った。

の大好きな男はやっぱり次も流通業に行くらしい。お客さんが大好きなんだ。
新年早々一献を約束して長い長い長い電話を切った(話は半分位なのかもしれない)。
昨夜午後23時頃から24時半頃まで、途中で一度トイレに行かせてもらった。
次の日午前七時に起きなきゃ駄目なんだと知りつつ話し込んでしまった。

サントリーホールで読響の「第九」を観て聞いて帰っていたのだがすっかり感動は忘れちまった。サントリーホールを建てたのは誰だ、それは“大工だ”レベルまで思考力は低下してしまった。

2016年12月20日火曜日

「福原力也選手引退の夜」




何故か列車は空いていた。昨夜新橋から熱海行に乗った。
八時四十四分、年の瀬そして大の苦手の熱海行、きっとグリーン車も座れないだろうと覚悟して乗った。

ところが、アレ、アレ、な、なんだと思った。酔客はいない。why、何故。
グリーン車の中にはわずか十数人ほどしかいない。
そうかみんな未だ飲んでいるのだ。で、ポッカリと空いていたのだ。
きっとそうに決まっている。

苦虫を噛みつぶしたような顔の五十代中ほどの男、笑ったまま寝ているような六十代後半の男、ポキっと折れてしまいそうな極細ジーンズをはいている三十代前半の女性。
何かを考えているだろう、ポケーッとしているつまんない顔の四十代中ほどの男。
そんな顔を見ながら列車の真ん中位に座った。

暑い夜だ十二月の終わりというのに。
マフラーをなくさないようにバッグにくくりつけた。みんな疲れている。
私だって疲れている。

新橋駅前ビル地下で朝から何も食べてなかった腹に、冷酒一合とふぐのヒレ酒一杯。
酒はスキッパラに飲むのがいちばん旨い。「橙」という店は魚が旨い。
早い、安い、中国人の店員さんが感じいい。
親切で思いやりが日本人以上にある。

突然呼び出し打合せに来てもらった後輩に好きなもん食べてという。
銀だらの煮付け、冷奴、イワシ、サバ、マグロの刺身三点セット、肉じゃが、きんぴらごぼう、浅利の酒蒸しを二人で仲良く食べた。
後輩は、色っぽいんだよな、絵も上手い、でもどうしようもないところがあるので別れたという。でもかわいくてとてもモテる元彼女の話をビール一杯飲みながら話してくれた。二十五才だとか。別れても好きなヒトという歌のようであった。

後輩は三十代ソコソコ、今売り出し中のアートディレクター&デザイナーだ。
ツーといえばカーと私の意思を一晩でカタチにしてくれる。
間違いなく日本を代表するクリエイターになるだろう。
美術、映画、写真、音楽、読書、展覧会鑑賞、講演セミナーへの参加。
とにかくよく勉強している。昨夜はずーっと元彼女の話をしていた。

若いのはうらやましいなと思った。
男はやはりいくつになっても恋をしてなければ、パサパサな男になってしまう。
〆にこれぞおにぎりというのを二つ頼んだ。
私はシャケ、後輩はおかか、おトーフとワカメのお味噌汁、それにお漬物ですべて完了。

中国美人の若い女性が、ハイアリガトゴザマス、マタキテクダサイ、ヒヤザケ、ヒレザケマチガエテゴメンネと言った。そう私は“冷酒”と言ったら“ヒレ酒”が出たのだ。
まあ~腹の中に入れば酒は酒だ。

知人のボクサーの引退試合に行くはずだったが、間に合わず不義理をしてしまった。
もう殴ることも殴られることもない。但し人生というリングの上での戦いは続く。
前途に幸多からんことを祈る。
福原力也さんが自分が果たせなかった世界チャンピオンを育てるだろう。

2016年12月19日月曜日

「やせたソクラテスに」




年の瀬がいよいよ迫って来た。
「瀬」は川の流れに由来する。
今年も知人、友人、恩人たちがあの世に旅立ってしまった。

「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(崇徳院)これは恋の歌である。愛する人と一度は別れても、いつかまたきっと逢える。
愛する人と死別した人にこの恋の歌をおくる。いずれあの世で逢えるからと。

科学的には人間の寿命の限界は115歳だという。
何兆、何千、何百億を持っていても死は絶対に来る。
路上で死んだホームレスの焼かれた骨の色と、日本一の資産家といわれるソフトバンクの孫正義さんの骨の色も同じだ。孫正義さんが120歳、130歳まで生きることはできない。

一日でも長生きしたいと世は健康ブーム、サプリメントブームだ。
青汁やセサミンなど数え切れないほどの健康補助食品がある。
が何よりの健康法はぐっすり眠ること。
年の瀬といえばミカンだ、長生きしたい人、糖尿病や脂肪肝にかなりの予防効果があるという。
食べ過ぎはダメだが、ミカンは1個ほぼ35キロカロリー、8個食べてもお茶碗一杯分のご飯と同じ。サプリメントは単独で大量摂取すると体にマイナスになるという。
ミカンの消費量が他の果物が出たせいか右肩下がりで減っている。
マズイゾ、ウマイミカンを食べないなんて。

関が原の合戦で徳川方に敗れた武将に宇喜多秀家という西軍を代表する豪の者がいた。
敗退後京都所司代に出頭した時、久能山(静岡)に幽閉された時も家康に命乞いをしなかった。結果八丈島に流された。
八十三歳で死ぬまで貧しさを極めたというが、その生命を長らえたのは「明日葉」を常食にしていたのではと研究者はいう。
今日摘んでも明日には葉が出る生命力があり、栄養価は高い。
秀家の妻豪姫は加賀前田家が実家、隠れて差し入れがあったが、その時代島では貧しいものしかない。やはり健康維持には明日葉だったはずだ。

果物は、朝が“金”という。長生きしたい人、成人病が気になる人は朝ミカンを食べて、あとは明日葉をダバダバと食べるといい。
昨日NHKの大河ドラマ「真田丸」が最終回であった。
予想通りラストはハチャメチャであった。
その夜他の番組に三谷幸喜さんが出演していた。
ピンストライプのダブルのスーツ姿は、激太りした金貸しのようであった。
脚本家は金満になったら終わりだ。
炭水化物をやめてミカンをたくさん食べることをすすめる。
「太ったブタよりやせたソクラテスになれ」という東大学長の卒業式の言葉を思い出す。

♪~病葉(わくらば)を 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて…。仲宗根美樹の名曲「川は流れる」が年の瀬悲しく聞こえる。
あの人とはわれても末に逢うのが楽しみだが、あの人とは逢いたくないという人もいる。今年望み破れても、新しい年に新たな望みを持てばいい。
と、まあそんな訳でミカンの皮をむきながら残り少なき年の瀬を乗り切って行く。

2016年12月15日木曜日

「泣き言」




義理がすたればこの世は闇、恩を忘れればこの世は…、そうケモノの世界だ。
人間という生き物(動物)は唯一恩義を忘れない生き物でなくてはならない。
他の生き物たちは動物的本能によって生き抜く。

素っカタギの人たちが、なんでヤクザ映画を見に行くか、それはその映画の中に、弱きをたすけ強きをくじくバーチャルな世界があるから。
また、今自分の目の前に起きているどうしようもない人間たちの生き様を見て、これじゃまるでヤクザ者よりひどいじゃないかを確認する。

人間は金と名誉と出世と肩書と、色と欲がからむとケモノと化す。
自分を守るためなら恩も義理も、筋も道も捨てる、というよりハナから男としての生きる筋道がわかっていない、他力本願で生きて来た人間たちは自己防衛に何もかも見失う。
その結果実はその人間がすべて失うことを知らない。

そういう人間たちが、昨夜ワイワイ、ガヤガヤ渋谷の飲み屋で忘年会をやっていた。
私と仕事の打合せしたクライアントの二人の女性を渋谷まで送った。
その後相談したいことがあるという男と会いちょっとした飲み屋に入った。
酔客たちはオレはヨォ~、アイツはサァ~、アノヤローとボルテージは上がる。

男の相談はやっぱり会社や同僚、上司への不平、不満、不安、不信、裏切られたという自己弁護であった。なまじ大きな会社にいるために、グジグジ度も大きい。
かといってケツをまくる根性もない。会社を出て自分で勝負する力量もない。
男の泣き言を聞くことほど嫌な時間はなく、飲む酒もまずい。

私は飲みながら目の前の人間を一つ一つ採点してやった。
結果すべてはその人間が不出来なのであった。
そのことを一つ一つ指摘していると、オイオイと泣き出してしまった。
で、今夜はここまでと外に出た。
私より大きな男が後ろから泣きながらトボトボとついて来ていた。
多分このブログを読んでいるんだろうと思う。
もう一度言う、キミが会社を出たいというよりも、会社がキミに出て行ってほしいと願っているはずだ。男はメソメソすんじゃない。

女子大生らしき酔っぱらいが数人センター街の入り口でベロベロになっていた。
二人はみっともない姿でへたり込んでいた。親はその姿を見たら悲しむだろう。
男が三人介抱をしていた。悪い予感がした。

二時間ほど前キミたち静かにしなさい!他のお客さんがいるだろうと店内で大ハシャギし大笑いをする三人のお客を叱ったレストランのオーナーシェフを思い出した。
世の中に叱る人がいなくなってしまった。何故なら叱るとすぐに泣いてしまう。
もっともそれは男であって、女性はちょっとやそっとでは泣きを入れない。

“酉年に向かって”とラベルに書いて少年時代の友へ白ワインを置いた。
がんばれ介護。

2016年12月14日水曜日

「ヨロン、ヨロンの銀だこ」



「かくばかり憂き世の中を忍びても待つべきことの末にあるかは」(千載集)、
こんなにもつらいこの世を耐え忍んだとして、期待して待つほどのよい事が将来、わが身に起こるだろうか、起こりそうもない。
希代の数奇人、登蓮法師の述懐歌という。
今の世も王朝の歌人たちが生きた世も、人は耐え忍んで生きていた。
人間として生まれた宿命である。

できちゃった婚でなく淡い恋、熱い恋、燃える恋をして晴れて夫婦となったその日から、親兄弟、親族、姑、小姑、見事に期待を裏切ってくれた夫への悪口、不平不満が露出する。
「妻をめとらば才たけて、みめうるわしくなさけあり」そんな賢妻、良妻はまずいない。私はあなたやあなたのバカ親、バカ兄姉、アホな弟や妹、グチグチ能書き説教をたれるクソッタレ親戚たちに、ジッと我慢をして尽くしているのに、ボケなあなたはまったく乳離れ、親離れが出来ていない。
何すんのお乳に触らないでよ、離れてよ、もっとずっと、何、その顔ヘラヘラしないでよ、サイテー、あなたはスペシャルサイテーよ。
なんであなたの家族がせっせとこさえた借金を、安月給のあたしたちが払わなければならないの、なんで私に内緒で保証人なんかになってたの、あ~嫌だ嫌だ、そのヘラ顔見てるとゾッとするわ。
何よ、やめてよ近づいて来ないでよ。
これで刺すわよ、年の瀬ともなるとこんなシーンがアチコチの夫婦に見られることになる。耐え忍んだ妻が逆上したら、あなたに新年は来ない。
あけましておめでとうも、お雑煮も磯辺焼きもない。

そぼふる雨の新橋、夜九時過ぎ、忘年会の一次会が終わったのか、黒いスーツを着た20人近い会社員集団が、奇声を発し合っていた。
若者、初老、中老、そして大老も“銀だこ”を楊枝で刺しながらグラングラン、ヨロンヨロンしている。

私の大、大、大嫌いな汚らしい酔払いだ。
男の美学を持っていない奴には嫌悪する。
家に帰ると恐い奥方が楊枝よりももっと刺す力のあるのを持って待っている。
あ~嫌だもう耐えられない、年は越せないと。
なぁ~んてことを勝手に想像した。

仏教では愛憎違順(あいぞういじゅん)愛が強いほど憎しみは深くなる、愛情と憎悪はコインの表裏と説く。この恐い宿命は、結婚初夜から始まり、一緒にいる限り続く。
成田離婚、熟年離婚が多いのはそのためなのだ。諸兄よゆめゆめ忘れてはならない。

2016年12月13日火曜日

「ワイ、ワイ、ワインの夜」




昨日深夜というより午前四時半頃に、赤坂から銀座までタクシーに乗った。
親愛なる友二人と年末の会をした。
午後六時に会ってから、七・八・九・十・十一・十二・一・二・三・四時と話は弾んだ。

三人揃って歩くとかなりキケンな感じとなる。
少年の頃の話、やんちゃなこと、東京のこと、京都のこと、映画談義、やっぱり「仁義なき戦い」はサイコーだったなというと、千葉真一が一等賞、次が金子信雄だなとなった。
友は短編映画の監督をやるぞという、オ~イイネ、やろやろと盛り上がる。

場所を移して次の店に行くと、これがまた映画みたい。
某大手出版社の二人が入って来て大きな声で話し、かつ大きな声で笑う。
小さなカウンターには女性連れで来ていたお客さんが(42-3才位)、ウルサイと三度言う。
で、バーンと一万円札を何枚かポケットから出して叩きつけて、帰ると言って女性と共に帰って他の店に行った。店のママさんがあとで数えると六万円もあった。

出版社二人の大きな笑い声は止まらない。
確かにウルサイ、ダハハハ、ギャハハ、ガハハと笑う、有名なマンガを出している出版社の人であった。カウンターの隅のところに馴染みのお客さん。
一人なのにワイングラスが五つ六つ。グイグイ誰かと飲んでいたようだ。
ボックスにいたのだが私たちのためにカウンターに移動してくれた。

聞けばこの六十代の小柄な人は、未だにバブル全盛期のようなブットイ飲み方をするのだとか、一年間でン億円を飲むらしい。今どきビックリした。
私の親愛なる友とは顔なじみ、で、四人で赤坂へとなった。

ここがかの有名な韓国バー。整形美人がズラズラといた。
みんなピノキオの鼻のようにツンとして高い。
どこぞの親分のカノジョというのから、松嶋菜々子さんソックリに整形している女性を見てクローン人間かと思った。

矢沢永吉を持ち歌にしている人間ザ・ヒットパレードのような友がお酒は一滴も飲まずに口火を切った。ヤンヤ、ヤンヤ、ワンサカ、ワンサカ唄って盛り上げる。
この友は夜の銀座の生き字引みたいで、遊び方の達人なのだ。
私は次の日の朝撮影の仕事が入っていたのだが、この三人の会は特別なので席を立つことはない。

ン億円を飲むという人は、バンバンチップを渡していた。
久々に見たバブリーの怪人であった。
いるんです、未だこういう夜の紳士が(?)。
こうして楽しい夜は過ぎ、じゃ良いお年を、もういくつ寝るとお正月となって行く。

2016年12月12日月曜日

「ポルシェと板わさ」




四十年以上会社を共にやって来た、私の何より大切な仲間の一人が先夜、夢は赤いポルシェに中古でもいいから一度は乗りたかったとはじめて言った。
クルマのことがまったく分からない私だが、家の近所にある松下政経塾の隣にポルシェのショールームがあるのは知っていた。
その隣は三菱自動車のショールームだ。
そのトイメン(まんまえ)が私がよく行く「紅がら」というおそば屋さん。

昨日午後二時ちょっと過ぎ、床屋さん帰りにポルシェのショールームに行った。
勿論はじめてである。
すいませんポルシェあると言えば、歯を矯正中の33才位の女性が落ち着き払って、ハイございます。
目の前にドーンと2台。
赤いのあると言えば、今ここにはありません、どんな車種でしょうかと言う。

少し遠くで42才位の店長らしき人がパソコンを見ながら私を見た(その顔にはこの客はただのヒヤカシと描いてあった)。
道路の側の丸テーブルで40才位の一人の男性が上着を脱いでなにやら書類を作っていた。はじめてのポルシェショップ、外から見るのとは大違いでかなり大きい。
どんな車種をお探しですかと再度聞かれて、うん、あのカタログあるというと、ハイございますとカウンター奥に行った。

白い方が1750万、黒い方が1950万位だった。
価格表示の数字が多くて良く確かめられなかった。おっと振り返ると矯正女子が立っていて、いろいろオプションをつけたりすると、2000万円位になるんだと。
いいねえ、いいクルマだ、なんて言いつくろってカタログを受け取った(何しろ運転免許も持ってない)。

ミニチュアカーがガラスケースの中に入っていた。
一台9800円、よしとりあえずこれを買ってあげようと思い、赤いのはないのと聞いたら、申し訳ありません、今ここにはありませんと言われた。
おクルマに乗ってみますかと言うから、と、と、とんでもないと断った。
分厚いドアーの中は分厚い革のソファーがあった。

ずい分前からここにショールームがあるけど、外からは薄暗くてよく見えないね、このあたりでこんな高いの売れるのと聞いたら、ハイ、お買上げいただけますから、ずっとやっておりますと言われた。スミマセン失礼いたしました。
今度赤いポルシェに乗りたいという男を連れて来ますと言ってショールームを出た。
トイメンの紅がらに行こうと信号を待ちながら振り返ると、ショールームのドアの外で矯正女子が深々と頭を下げていた。

ふと知人の歯科医師のクルマのことを思い出した。
特注のポルシェで3800万位したと言っていた。注文して3年かかったとか。
やっぱり歯医者さんはもうかるんだな。

我が愛する仲間よ、まずはカタログで勘弁しろ、いずれ中古の赤いポルシェを。
あるいわ9800円のミニカーを。少し大きいミニカーは29,800円だった。
夢は追うためにある。レースは未だこれからだ。

山口百恵ちゃんが唄った歌の中に、真っ赤なポルシェが出てきた。
その歌の中に♪~バカにしないでよ そっちのせいよ ちょっと待って プレイバックプレイバックというフレーズがあった。
初心にプレイバックだ。みんなで力を合わせて戦うのだ。

紅がらで小ビール一杯、酒一合、つま味にまぐろ山かけと板わさ。
〆はざるそばであった。

2016年12月9日金曜日

「シンプル・ソング」




一日一本365本(DVD含む)を目標に国内外の旧作、新作、準新作の映画を見て来たが、今年は全然ダメで200本位だった。その中で、これほど会話がすばらしいのはなかった。

「グランドフィナーレ」イギリスの老作曲家は引退してスイスの別荘地ホテルにいる、親友の映画監督たちと。
老作曲家がつくった「シンプル・ソング」を女王陛下がソプラノソロと共に交響楽団を指揮する老作曲家を待っている。
スイスまでその旨を交渉に来るが老作曲家は断る。親友の老監督とまい日絶妙の会話をする。

老作曲家の娘と老監督の息子は結婚していたが、好きな女性ができたので別れるという。
父は息子に聞く、あのアバズレのどこがいいんだ。息子は応える“ベッドの上が最高だから”と。
それを聞いた老作曲家は泣きじゃくる娘にいう。
キミがベッド下手ということはありえない、何故?と娘は聞く。
“オレはベッドの上で最高だったから”その娘のキミが下手な訳がない。父と娘は大笑いをする。

老作曲家と老監督は、朝レストランに現れる老夫婦がまい日ひと言も口を利かないのを見て、今日は利くか利かないかお金をかける。
若い脚本家スタッフと構想を練る老監督は前立腺肥大でオシッコがでない。老作曲家も同じ。
朝散歩する時、必ず二人は今日は出たか?と互いに聞き合う。スイスの映像はまるで絵書き。
温泉プールには様々な人が来る。まるでダルマ腹のマラドーナ?、オールヌードのミス・ユニバース、アクターたち、登山家、そのシーンの間にインスピレーションの映像がインサートされる。

これがまた抜群の映像、クラシカル、ポップアート、シュルレアリスム、グラフィカル。まるで映像の美術館だ。
座禅を組み瞑想をする若い修行僧は浮場をめざしている。
会話をよくよく理解していくと、スイスの美しい風景の中に、人間の生老病死と四苦八苦がある。
これが人間にとって「シンプル・ソング」であることを教える。是非オススメの名作だ。

かつてその曲を唄った女性ソリストは老作曲家の妻であった。
そのソリストは、一枚100円か150円でレンタルしてくれば、その変わり果てた姿に会える。そして…。