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2017年3月10日金曜日

「銀座四丁目」

なんかこのところ笑ってないな。
何か面白いヒトはいないかなと思い銀座四丁目交差点のところに立っていた。
午後二時八分和光の大時計を見上げた。ビル風がやや冷たく吹いていた。
「銀座あけぼの」は相変わらず混んでいる。その隣りのワッフルの店からはいい香りがしていた。
四丁目の交番には何か事件でも起きないかな(?)とヒマそうなお巡りさんに道を訪ねるヒトが二人。その前のオープンカフェには外国人がチラホラと。
四丁目の交差点を正方形のようにひと回りした。「木村屋のあんぱん」店内はぱんぱんにお客さん。
風が止むと三月の日差しは強い。

なんかつまんないヒトが多いなと思いながら和光から教文館書店に向って歩いた。と、その時白いママチャリに乗ったアフリカ人風の女性が山野楽器店前に止まった。
サーモンピンクのジャージの上下、サーモンピンクのショートブーツ、口には煙草ひと吸いして二つの鼻の穴から二本の白い煙が出ていた。
ヘアースタイルが凄かった。まるでグルグル巻いた縄の輪をボコッとのせたようであった。
やけにおなかが大きいなと思って見ていたら、胸の前に赤ちゃんがちょこんと顔を出していた。まるでカンガルーの親子のようであった。
ママチャリの前の籠の中に、セロリの緑の葉と赤いトマト、黄色いパプリカなどが入っていた。
銀座の風景の中で色彩やかなシーンであった。
一服しおわったサーモンピンクの女性は中央通りを京橋に向って走って行った。

今日は雲水さんが立っていなかった。行き交う日本人の顔を見ているとみんなつまんない顔だった。
松屋にあるFENDIのウィンドウを見ていたら、変な顔が写っていた。自分自身だあわてて目をそらして歩き出した。
週末は喜劇の映画でも見ようと思った。

3.11まであと一日。


2017年3月9日木曜日

「ヤッパ(刃物)とサバの塩焼き」




エリア・カザン監督の名作映画に「欲望という名の電車」というのがある。
今この国に起きているさまざまな出来事を見ていると、この国は「絶望という名の電車」に乗っているのではと思ってしまう。

深夜、布団の上に座り沈思黙考。
その日の自分の有り様を振り返ると強烈な疲労感と恥ずかしき思いが全身を襲う。
総理大臣夫婦が私人と公人の違いを分からず、教育者もどきはもどきすらでないエセ右翼、役人は役を放棄し権力の下でペロッと舌を出す。
野党などという存在はスピッツ犬の様に吠えるだけで、猟犬のように獲物を仕留められない。

愛するもの、恩義ある人々に少しでも役に立ち、常日頃の反省を込めて一途に生きて希望への電車に乗りたいと思っているのだが、欲望という名の電車に乗っている人間の、人とも思えない所業に顔色を失うしかないと悶々とする。
パンドラの箱の中にあったのは、たしか希望の二文字だったはずだ。
腹の底から笑うこともなく、心の底からの歓喜もない。
法の正義などという言葉は、粗大ゴミのように黒いビニール袋に入れて捨てられる。
反骨、反発などという言葉は薄ら笑いをしている。

チクショウ負けてたまるかと思うが、泉谷しげるの春夏秋冬の一説を口ずさんでいる。
♪~またひとつずるくなった 当分てれ笑いが続く 今日ですべてが終るさ 今日ですべてが始まるさ。
♪~明日という字は明るい日と書くのね、なんて唄った歌手を思い出す。

人に物事を相談する人にはストレスはない。
一升瓶に二升は入らない。背伸びは滅びる。
人のリスクを背負った人が報われるケースはこの世にない。

ある年私のところに借金に来た人間は、なんとタクシーで帰り、私が人の借金を背負っている時こんな電話をして来た。
ヒトゴトであまり無理しないでくださいよ、体を壊しますから。
録音スタジオで箱弁をスタッフと食べていたら、六本木の高級寿司屋からどーんと出前が届いた。何だこれは頼んでないと言えば、電話の主からだった。
バカヤローシメるぞと本当に怒ったのを思い出す。

スタッフは夜も寝ずにがんばっている。休日返上でがんばっている。
私もがんばろうと思っているが、実は大迷惑をかけているのではと、布団の上で黙考している。

売り上げという数字はこの世の数字の中でいちばんのヤッパ(刃物)だ。
午前一時過ぎ遅い夕食を食べ始めた、こんな気分の時はサバの塩焼きと、浅利の味噌汁に限るのだ。

2017年3月8日水曜日

「元老院」



「ビックリしたなぁ、もう」てんぷくトリオのリーダー、故三波伸介の決め言葉だった。三越伊勢丹の大西洋社長が任期途中3月末をもって退任するという報に接して私が発した言葉は「やられたなぁ、もう」であった。
現在の流通業界において卓越した営業センスと経営手腕を持っている人と思っていたからだ。

新宿伊勢丹の売り場はすばらしい。接客もすばらしい。
流通業界に入った者は伊勢丹を見に行くのがイロハのイであった。
特にメンズ館は他の追従を許さない。食品売場の美しさは目を見張る。
歩いているだけでも気持ちが豊かになる。

大西洋社長は業績悪化、業績低迷の責任を負わされたと昨日の毎日新聞にあった。
デパートという業態が終わっているようだ。

これは私見である。
伊勢丹が“三越伊勢丹”になった時に、伊勢丹内部はガタガタとなった。
三越のDNAと伊勢丹のDNAは全く違う。血液型不適合だ。
日本橋と新橋、オジサン、オバサンとシティボーイ、シティガールの違いとでもいうのだろうか。
着物を来た女性とブルージーンズに白いTシャツ、コットンのジャケットの男が手をつないでデートしているとでもいうのだろうか。

三越と合併(あるいは吸収)大反対と、イヤイヤでも賛成と絶対反対とに分かれたのだろう。
ある経済専門雑誌には三越の人間を伊勢丹の人間は番号で読んでいるとか、昇給にも出世にも大差があると書かれた。
この記事は数ヶ月前位だったから大西洋社長はすでに元老院から不本意な扱いを受けはじめていたのではと思う。

三越と合併させたのは元老院であり、いち早く大失敗だったと思ったのも元老院のはずだ。大西洋社長は三越の人間を番号で呼ぶような人でないことは、業界の人間なら誰でも知っている。
この一年間盛んにテレビ出演したり、本を出版したりしていたのは元老院への抵抗でもあり、世間を味方にするためだったのかもしれない。

私は若かりし頃、売れない百貨店の宣伝部にいた。
そこで見た百貨店は出入り業者にあれ買え、これ買え、あれも買えと勝手に売り上げをつくる。業者の取引額によって割り当てが決まるのだ。
ダイヤモンドからたくあん業者までその対象となる。
大西洋社長は苦悩したに違いない、古い百貨店体質に。

百貨店の外商部というのは外からは見えないが売り上げの相当部分を持ついわば影の軍団だ。レディースやメンズが花形なら、外商はヤクザ者だ。
私は在職中そう思っていた。絵画、陶器、宝飾品、高級呉服、高級時計、高級家具。
あなたの目の前で、ハイこれくださいというのを見たことがありますか?
中国人爆買い以外余り見たことはないはずだ。でもちゃんと売り上げているのだ。

私がいた百貨店は大手百貨店に吸収された。
主任、係長、課長補佐、課長、次長、部長代理、部長、販売促進本部長代理、販売促進本部長、店長代理そして店長。あっという間にどこかへ消えました。
一人だけ特別な奴がいました。ヨイショとゴマスリとセクハラの達人だった。
私は大西洋社長のファンだった。ローマ帝国の時代から元老院は恐ろしいのです。
伊勢丹の創業家とは。

2017年3月7日火曜日

「コンニャク」




金融機関→地面師→不動産業者→役所の窓口→係員→主任→係長→課長補佐→課長→次長→部長補佐→部長→その上司→その上の上司とぞくぞく役所ルート。
一方では町の有力者→町会議員→市会議員→県会議員→元国会議員のルートが。
その一方で元請けの建設会社→解体業者→産廃業者→下請けの業者→孫請けの業者、裏社会などのルートがあるらしい。伝聞である。

世のため人のため、自分たちの老後のためにと、先祖伝来の土地を売ってある施設を建てた。
私の知人は言われるままにあっちこっちに金を渡した。その額は途方もなく、ん億円を超えたという。
ゴルフにカラオケ、そしてお決まりのコース。
おおむね三つのコースを経て許認可事業の施設はやっとこさ建つ。

大化の昔以来日本国はこうした構図によって成り立って来た。いちばん笑うのは金貸しと金融業者であることは言うまでもない。いちばん怖ろしいのは地面師たちであることも言うまでもない。

「悪い奴ほどよく眠る」「生きる」で黒澤明監督はこの仕組みを描いた。
あれから何十年経っただろうか、この国の在り様は何も変わっていない。
永遠にアナログなのだ。

コンニャク→200万、ういろう→500万、レンガ一ケ1000万。
いずれもピン札の場合でこう表現されているらしい。裏社会は実にネーミングが上手い。
ロッキードの時はピーナッツであった。

今、肩で風を切っている東京都知事は、いずれは何かでやられるだろう。
山吹色の誘惑に勝つほどの良識は持っていない。
役人という組織は食えないコンニャク、食えないういろうなのだ。

それにしてもこの頃、権力に挑む山崎富子のような社会派の骨太の映画が一本もない。
無礼者!オレは不動産屋じゃねえ、とっとと持ち帰れ!と勇ましく芝居がかったことをしていた国会議員のオッサンがいたが、太陽が西から上ってもそんなことは絶対しない。
コンニャクはおでんの代表だが、国民の代表のオッサンは煮ても焼いても食えないのだ。

2017年3月6日月曜日

「熱いシャワー」




私は悶々としている。書きたくても書けないことが多いからだ。
義理と人情を秤にかければ当然義理の方が重い。
更に積年の恩義があれば無言を貫くしかない。

佐賀に生まれた武士道「葉隠」は、死ぬことと見つけたりと言った。
伝聞によると西南戦争に敗れた西郷隆盛の愛する部下、陸軍少将桐野利秋は戦に敗れ首を落とされたがその首あとからオーデコロンの香りがしたという。
日々死を覚悟していた。

武士たるものに二言は許されない。
武士たるものは朝が来たらその日死ぬことのために身を清め、新しいふんどしをつけた。
私はうつ状態でヘロヘロになっていた間も、必ず朝シャワーを浴びた。
風呂場で立っているのもつらいのだが、なんとかシャワーを浴びた。そしてヒゲを剃った。
微香性のオーデコロンを細渕晋子さんという女性から頂いていたのでそれを吹きつけた。
細渕さんは私の体をメンテナンスしてくれた治療院のやさしいスタッフだった。

まい日洗いたての下着をつけた。
うつが酷い時ははいつくばり、手すりにしがみついた。
チクショウ、気合だ、気合だ、とくもりガラスに指で字を書いた。
その頃の日記を見ると、やはりチクショウ、気合だばかり書いてある。
私はボーっとしながらも仕事場に向かい(列車で)その日の仕事をこなした。
つらい時は床に横になって打合せをした。親は子のためなら命を捨てられる。
恩義ある人のためなら命はいらない。世話になっている会社のためなら死んでもいい。
私はそれが男だと思って必死に生きてきた。

何がいいたいかと言うと、一国の大将たる者は女房一人に引きずり回されて恥をさらすな。
私の不徳ですのひと言で終了、例え子のためとはいえ、逆にその子の足を引っ張るのはいけない。
全ては私の責任、他人には一切関係ありません。あとはいかようにもと言えばコトはすむ。
歴史に名を残した人は、歴史に残るひと言ですべて解決ができる。
それが誰かは推測に任せるが、私は一度は天下を取ってもらいたい人を思う。
今はガマン、機は来ると。

沈黙は金、沈黙は冗舌ともいう。
あとはみんながついている。お酒を飲み続けベロンベロンになり起きることも叶わず、夜を過ごす胸中とは。
天下人の妻は悶々としているとか。私人か公人か。
一人の悩める女性は、ご主人の愛を求めているのかもしれない。ボクにはキミが必要なんだの一言が。
小さな幸せに勝つ、大きな幸せはこの世にはない。愛より強い権力はない。

2017年3月3日金曜日

「ネバーギブアップ」





長い病と闘っている方々に勇気が出ればと、昨日のことを書く。
午後二時半青山葬儀所で、美術監督の名匠池谷(いけや)さんのお別れの会に行く。

その後浦安に向かう。
巨匠原田徹監督から絵が仕上がったからとの連絡がありお宅に伺った。
戦艦大和攻撃されるのシーンを切り絵で描いていた。
平家物語の最終シーンは油絵であった。

こう書くとああそうですかとなるのだが、原田監督は一日60錠以上のクスリを服用している。六十歳の頃からいろんな病に襲われる。
パーキンソン病になり、心臓にペースメーカーも入れる。
足の裏は活花に使う剣山の上に乗るような激痛があるとか、次々と病が生じている。

闘病10余年、現在七十五歳となった。
先日はボーコーに内視鏡を入れられて、その痛さにマイッタとか、何かのことで舌を噛んで二針縫った。腰痛も酷い。でも決して屈することはない。
読書をし、映画も見る。相変わらずのジョークも小さい声ながら出る。

芸術家としての執念が病と闘っている。
フツーの人ならば一日60錠以上のクスリをずーっと、ずーっと服用すれば、肝臓はギブアップし、胃袋は食欲を失う。だがしかし原田監督の食欲はおとろえを知らない。
奥さまは焼肉を食べたい、なんて言うんですよと笑う。

立派なヒゲを生やした原田監督は仙人のようであった。
私は大賛成だがご家族にはヒゲ反対論もあるとか、キレイに剃っても40日もすれば立派なヒゲになるというから、自らの表情の変化を楽しむのもいいかなと思う。
病気を抱えている方々、決して諦めないで下さい。

一日か二日だけでも絵の個展をやりましょうと言って原田監督宅を後にした。
三匹の猫がまた来てねと私に言っているようであった。人生ネバーギブアップ。

2017年3月2日木曜日

「脳ミソ」


大小の違いはあるが人間の頭の大きさは大差ない。
大差があるのは脳ミソの中味だ。

ノーベル賞を受賞する天才もいれば、何人も人を殺す者がいる。
宇宙の中に地球に似た星が七つあると発見する天才もいれば、カレーうどんを作る名人もいる。
人類は小さな魚のようなものから進化したのだという天才もいれば、老人をだまして詐欺を働く悪人がいる。

天才とバカは紙一重というが、どうもそうではないと思う。DNAが違うのだ。
このDNAをずーっとさかのぼると、ルーツはアフリカになるらしい。
首飾りなんかを作るのが上手だったDNAはジュエリーデザイナーになったり、住む場所を作るのが上手かったDNAは建築家になったり、やたらに凶暴であった者のDNAは殺人者になったりする。
モメ事を金にするのが上手い者のDNAはヤクザ者や法律家になった(?)。
食物を集めて来た人間のDNAは商人になり、それを料理したDNAはシェフになった。
突然変異的にDNAと違う人間も出るが、根っこは同じはずだ。
電話帳の職業欄に載っている以上に人は職業を持っている。そのルーツはアフリカなのだ。
八百屋さんもメガネ屋さんも、役人も先生も、社長も組長も、バスの運転手さんもストリップの女性も、落語家もファッションデザイナーも、みんなアフリカなのだ。

腹が減っては行きていけない、人間は食べ物を求めてアフリカから世界各地に散り散りになりながら旅に出た(グレート・ジャーニー)。旅といっても決してのどかではない。決死的な旅だった。
そして食べるために進化をして行ったのだ。

人類が人間になって行った。食べ物は争いを生む。
腹が減っては戦が出来ない、更に食べ物を求めて争う。
気の合った者たちが結団する。
結団は種族となり自分たちだけが分かり合える記号とか信号を生む、それはやがて言語となる。
進化の上で習性が生まれる。いつまで裸じゃいけないとファッションが生まれ化粧も生まれた。
そんな中で文明を拒否した種族が世界中に未だたくさんいる。私たちのルーツの人たちだ。
私は憧れる文明を拒否した人たちに。一度ヤキトリでも食べながら一杯飲みたいと思う。
特にファッションとヘアメークがすばらしい、色彩感覚がフツーの人間の比ではない。
一度ぜひお寿司でもご一緒したいと思う。

人類は食うために人間になったが、人間は食べ過ぎてしまった。これからは退化して行くのだろうと思う。
私はどんどん退化している。
問題解決を明日からやればいいと先送り、卵が先か、ニワトリが先かと悩んでいると、キミは何をやっていたんだと、お声がかからなくなる。一年なんてあっという間の365日だ。最近の発見!天才と呼ばれている人の頭はとても小さい。その人たちは行動力にあふれている、好奇心と向上心の塊だ。

優れたDNAを持つ脳ミソで味噌汁なんか作って飲みたいものだ。ネギとおトーフを入れて白味噌なんかと合わせて。
かまやつひろしこと「ムッシュかまやつ」さんが亡くなった(78)、歌が上手くない天才だった。
いい人の天才だった。♪~あの時君は若かった…。
父上は有名だったジャズシンガー「ティーヴかまやつ」さん。
DNAは引き継がれていた。(合掌)

2017年3月1日水曜日

「三月一日早朝」




444この数字はなんでしょう、ハイ、ミスタープロ野球長嶋茂雄選手の打った本塁打数ですと、即言える人はナガシマファンです。
私はその一人、今午前四時四十四分ジャストです。

各局のテレビをチェック。
速水もこみちが料理中、松平健が暴れん坊将軍に(再放送)。
アキラ100%という裸にアルミのお盆を持ったピン芸人が、R-1グランプリでオチンチンを見えそうで見えなくして優勝500万の賞金をゲット。
いいねえ40才にして陽の目を見る、オチンチンは見えない。
大阪の松井知事が八の字まゆ毛でしかめっ面をして、森友学園に認可するかどうかわかんないと。全身に金の毒が回っている感じ。

橋下徹のツイッターの発言から露出した(?)この問題、取り分でモメたのかもしれない。世が世なら大疑獄問題である。
が、野党はほぼ無力化していてきっと誰の首も取れない。
相変わらずの国会。若い女子アナはどの局も噛みまくる。カンペの棒読み。

WBC日本代表、台湾に17本も安打されて敗け、ベンチのなんという暗さ。
小久保監督にプラスオーラがない。それにしても台湾の三番バッターはもの凄い。
衆議院で法務大臣金田勝年、防衛大臣稲田朋美の首を取れず。
民進党はホップステップ腰砕け、さて参議院は。

森友学園の土をマジメに整地するにはトラック4000台(?)が行ったり来たりするはずとか。その行跡はなし。
日銀と政府が買い続ける株で、株価を無理やり上げてめくらましをして支持率を保っているが、国民をナメるといかんぜよとなる。
中国に北朝鮮の使者、王毅外相が会うということは、中国は北朝鮮を見限らないということ。金正男暗殺は闇の中。
アメリカの民主主義はアカデミー賞会場で生きていた。
トランプ大統領へのキツイジョークと反分断。

ファクション、ヤバイ、目がかゆい、ヤバイ、鼻が詰まって息苦しい、花粉症が酷い。
ファクション。ティッシュペーパーはどんどん減る。
さて、朝刊を取りに行くか、今日から早や三月だ。ファクション!

♪~地球の上に朝が来た その裏側は夜だろう。
知ってますか、川田晴久の歌です。
ファクション、やけに寒いではないか、外は未だ暗い。
三月は明るくしたいものだ。

福島では未だ余震活動が活発とか。
コンソメスープを飲んで体をあたためるとする。

2017年2月28日火曜日

「ワンタンメン」




ワンタンメンを食べる時、メンが先かワンタンが先か(?)かつてラーメン界に大論争(?)が起きた。
一人はワンタンメンなのだから先ずはワンタンをレンゲにが当然だと言い、一人はワンタンメンと言ってもラーメン界の序列でいえば先ずメンをすするのが当たり前だと言う。相方相譲らず命を張るとか、体を張るという状態となった。

マアマアと仲をとりもったのがチャーシュー、メンマ、ナルトであったが争いを止めるには役不足であった。
論争にケジメをつけたのがスープであった。
先ずスープをすするのが礼儀であるべきだと。
スープといえば中華の命、メンもワンタンもスープがなければ浮かばれない。
正体不明、アリバイ不在となる。

で、結局ワンタンメンの序列が決まった。
一.スープ、二.メン、三.ワンタン、四.チャーシュー以下メンマ、ナルトとなった。
これはG8とかG20の国際会議の議題にはならなかった。
中華料理は大好きだが中国は嫌いだという意見が大勢を占めた(?)
ちなみにメンとワンタンの序列はジャンケンで決めた(?)

昨夜私は辻堂で降りるべきところを、ウトウトしてしまい茅ヶ崎まで一駅乗り越した。
昼にそばをすすっていたが腹は減っていた。
十時に近い、外は寒い、階段から見えたのが赤のれん、白ヌキの文字でヤキトリ。
強烈な引力で店内に吸い込まれた。何を頼んで何を食べたかはお会計2860円でご推測を。

ウンターに座って隣の男女の会話に、オッ、オッと思った。
ヤキトリ界に大論争(?)が起きていた。
三十代中頃の男と二十代終わり頃の女性
「男がヤキトリを箸で外して食べるなんてキモチワルイ、ヤキトリはやっぱり串を持って肉を食いちぎらないと男らしくないわよ!」
「そんなこたあないわよ、口の周りがベタベタしてやなんだよ、こうやってさぁ、一つ一つ串から外してお箸でこうやって食べれば、ホラ、キレイじゃん」
「何それヤダァ小指なんか立てて、男のくせにギンナン一個ずつとか、シシトウ一つずつとか、レバー一切れずつなんてワタシゼッタイ嫌い!」
なんて論争をしていた。

なるほどヤバイではないか、私は気がつくと串から肉を箸で外しているではないか。
でもそのまま食べた肉もある。硬軟肉によって食べ分けていた。
それでいいのだと思った。砂肝は箸で外し、皮はそのまま食べた。
男女2人は鶏茶漬けと、海苔茶漬けをオーダーした。

メンが先か、ワンタンが先か(?)手羽先を食べながら私なりに結論を出す。

2017年2月27日月曜日

「無冠の男」



アホヌカセ!小説家風情、物書き風情に大事な娘を嫁にやれるか。
かつて小説家といえばヤクザな職業、食えない職業の代表であった。

酒に女遊び、博打にクスリ。
ヒモのように生き、ヒルのように女性にへばりつき血を吸った。
そんな生き様を書いた小説は“私小説”というジャンルに分類された。
自堕落な転落小説である。
そんな書き手は無頼派などと言われた。寸借詐欺や借金と前借りを繰り返す。

小説のネタを仕入れるために、更に酒と女遊びと博打とクスリ漬けとならざるを得なかった。転落小説はいつしか出版社により“純文学”というピカピカの称号を得る。
それを生んだのが芥川賞であった。
文芸雑誌の「群像」「すばる」「新潮」などの編集者がこれはと思う新人に目をつけ、編集者の手のひらの上で新人をもてあそぶ。
編集者はSで、新人はMのような関係となる。

出版社には全国の新人たちから夥しい数の小説の売り込みがある。
99.9%はボツとなる。殆どは最初の一行か数行読んでボツとなる。
本が売れない時代、小説よりもそれを書いた人間のプロフィールが重要となる。
あるいは編集者が自分を投影できる人間に、小説を書かせる。原稿は編集者の入れた朱で染まる。Sはケツを叩き、Mは悲鳴をあげる。天才は0.01%もいない。
敏腕編集者はその上を行く才能を持っている。
ハイ書き直し、ハイ書き直し、ダメ出しが続く。

人間は誰でも名作を一作書けると言う。
その人にはその人にしかない人生があるから、そのまま書けばいいのだ。
歴史小説には資料がある。山岳小説は山に登り、紀行文は旅に行けばいい。
冒険小説はそれに挑む。
推理小説には世界中にネタ本があり、更に裁判の記録や実際の事件を巧妙に絡み合わせればソコソコの小説となる。勿論第一級の作家たちの作品は別だが。

昨夜夜九時~NHKスペシャルで芥川賞作家、又吉直樹の第二作を生む苦悩する姿を見せた。これはある意味掟破りの番組だ。
編集者にテーマを決められ書く程に、書き直しをさせられる。
決して読者に見せてはいけない舞台裏だ。少しばかり読書しているお笑い芸人を、作家として売り出した。一作目は実体験で書けたが、二作目はそうはいかない。

恋愛をしてない人間に恋愛を書けと編集者は言う。
又吉直樹はとまどいながら必死に言われるように書き直す。
出版社はすでに本の題名を生み、出版日も決めてしまう。
さて、近々発売されるこの「劇場」という本は誰が書いた小説なのでしょうか。


昨日茅ヶ崎駅南口長谷川書店に行くと、村上春樹の新作がたくさん平積みされていた。
この作家は出版プロデューサーとしての方が才能がある(カバーデザインがやけにマイナーだった)。パラパラとめくっておわり。
又吉直樹よ小説家なんかより、お笑い芸人の方がなんぼも価値あるよ。
つらいこと、嫌なことばかりの世の中で人をコトバで笑わせるほど難しいことはない。
一流の作家はいくらでもいる。が、一流のお笑い芸人は何人もいない。

長谷川書店で私が買った一冊は「無冠の男」故松方弘樹さんのインタビュー本だ。
抜群に面白い映画屋の本だ。
出演全作品紹介の中に中野裕之監督と作った短編映画「灯台」までちゃんと年表に載っていた。高倉健さんは唯一好きになれなかったとか。
(文中敬称略)