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2017年11月9日木曜日

「忘れた笑顔」


昨日は終日茅ヶ崎でシコシコと原稿を書いていた。
午後一時を回った頃、いつも行くそば屋さんに新聞二紙を持って行った、とりあえず酒を一本頼み”マグロのぬた”を頼んだ。
隣に七十三、四歳の男がいて、もりそばを二枚重ねて食していた。
そばはつゆに二、三割たらして、一気に音を立てて食すのがルールだと、亡き友から教わった、わさびはつゆに入れたらダメ、そばの上にわさびを点々とのせる。
ネギはつゆに入れたらダメ、最後にそばつゆで飲む時に、ネギをハラハラと加える。
そばはいくら音を出していいが、うどんは音を出したらダメである。
私はすっとルールを破っている。職人風の老人は実に小気味よく、そばをちょびっとつゆにつけ、一気にズルッとすする。かなり粋であった。
オ~オマエラもっと頼めという姿がなかなかであった。
うどんをつゆの中にたっぷり入れて飲み込むような若い衆には、キレイに食えと注意した。
新聞を読みながら、日本酒一合を楽しんだ。先日、友人たちと飲んだ時、この頃の日本人は心から笑わないねという話になった。バラエティ番組で無理やり笑わされているが、これは真底の笑いではない。
つまり良い事がなくなって来ているのだ。腹の底から笑う、うれしい事がないのだ。日本人は落語を生んだ国だから市井の民は笑いを生み育てて来たのだ。
私はバカが大好き、(本当は頭がいい)バカに憧れる。
江頭2:50や坂田利夫師匠などは、これ以上なく愛する。
ケーシー高峰もいい。落語にもいいのが出て来た。でもあと20年以上はかかる。
あるホールのトイレで弟子に連れられて、やっとこさトイレを済ませていた木久扇師匠を見ていて凄味を感じた。その前、四十分以上の話を堂々とつとめていた。歌丸しかり、芸人はその生き様がいい。友人たちと心から笑える日が来て欲しいなと願った。何もいらない。
みんなの笑顔に会いたいのだ。
おっ、出し巻き玉子と焼き海苔が出て来た。
オッと思えば、あちらのお客さん高低差のある夫婦で有名な先生、ご婦人175センチ位(元モデル)、ご主人153センチ位である。
すぐにあいさつに行った。
いや~、久し振りです、相変わらず仲良しですねと言った。
実は退院して始めてここに来たんだ、久々のそばなんだよと言った。
キミの声はでかいし、態度も大きいからすぐに分かったよと言った。
大御所に深くごあいさつをした。
どこかにカレーうどんを食べて大失敗している人がいないかと思ったが、残念ながらいなかった。
酒をチビと飲み終わり、あたたかい花巻そばとせいろを一枚頼んだ。
最近腹の底から笑ってない、あなたは笑ってますか(?)。


2017年11月8日水曜日

「セコイ店主」



「五輝星(いつきぼし)」と読むことを昨年の今頃知った。
一匹百三十万のズワイガニである。鳥取市の鳥取港で競り落とされた。
2015年から鳥取がその色、その形や重さなど一定の水準を満たすものを認定した。
昨年認定されたのは全体の0.03%とか。七日初競りが行われたが0%だったようだ。
それにしても一匹百三十万円のズワイガニを食べる人間とは誰だろうというより、どこのどいつで、何でそんなにアブク銭を持っているのかと思う。
大方超一流料亭が仕入れてシコタマ荒稼ぎをしてる客に、足はカニしゃぶとかそのまんま活身造りとかで食べさせて、カニの甲羅かなにかに日本酒を入れて飲ませる。
カニ味噌もある。シメはカニの出し汁を使ってぞうすいかなんかだ。
百三十万位で仕入れたのだから一匹百七十万円位で出さないと元は取れない。
一匹を四人で食べると一人五十万円となる。メロン一個五十万円とか、ブドウ一房二百万円とか、リンゴ一個百万円なんていうのがあるから、ズワイガニ一匹百三十万円は安いかも。(バカみたいに金を持っている人から見ると)
株価が上昇して好景気と言うが、どこを見ているのかといいたいほど不景気だ。夜の銀座はガラガラ、タクシーは空車の列、有名レストランもガラガラ。
流行っているのは、二時間3000円~5000円で食べ放題飲み放題の店。(プラス歌い放題もある)
一週間お客さんが来ないので何とかしてと、ある店の主が、ある会社の社長に泣きを入れた。社長は大変世話好きなので、あちこちに一人一万円でと誘いの電話をした。
人気者の社長の誘いを断る人はいない。で私も友人と行ったら、狭い店に入りきれないほどのお客さん。見たことも聞いたこともある社会的地位のある人ばかり、ヒマ、ヒマ、ヒマにすっかり慣れていた店の主は、てんてこ舞い。
連れの友人が乾き物のつま味ちょっとで一人一万円は高いんじゃないのと言った。マアマア渡世の義理ってもんだからと、ウイスキーを二杯飲んだ頃お客さんが来て座るところがない。じゃ俺たち帰るわとなった。私を誘った社長が申し訳ないから二人で一万円でいいと言ったら、ヒマこいていた店の店主が、ダメダメ二万円もらってと言った。そんじゃカードかツケと言ったら、その場合は二割り増しですと言った。
ああいいよと言ったら、やっぱり現金で明日必要なんでと言った。
友人とセコイの嫌いなんだよと言って階段を降りた。
ズワイガニの記事は帰りの列車の中で読んだ。世の中はいろいろだ。
セコイ店主はきっとたくさんお客さんを呼んでくれた社長の恩なんかすぐに忘れるだろう。二日間限定だった。今日から又、一人もお客さんが来ない日が続くはずだ。
ボロは着てても心は錦という。店主の服装がヨタヨタであった。プライドだけは人一倍なんだとか。家に帰り、気分直しに明け方までフランス映画の「盗聴」というのを見た。
監視社会は恐ろしく不気味だ。政敵同士が規則正しく盗聴するのだ。今週末は映画バカが集まって作戦会議をする。ズワイガニ一匹の半分以下の予算で短編を作るのである。
シナリオはバッチリ完成しているのだが。


▲五輝星

2017年11月7日火曜日

「異文化の夜」

昨日は異文化コミュニケーションの日であった。
カリスマ美女は世界を舞台に、壮大なロマンを追う(詳細は後日に)
シリコンバレーで活躍する日系人、次期ウズベキスタン大統領候補の男性、某政党の代議士、スティーブ・ジョブズと共にアップルを立ち上げたという人、狭い店内にいろんな人が集まって、これからのニッポンはどうなるのとか、トランプのアメリカとロシアはどういう関係なのとか、日本の選挙制度、特に総理大臣の解散権には問題がある。
落選した議員はすぐに議員宿舎を出なければならない。
子どもの転校とか習い事、受験などの問題でみんな大迷惑となる話。(これは結構身につまされた)
美人と美女との違い論、いい女性といい女の違い論、例えばコシノジュンコとか林真理子はどこに属するのかなども話した。
話はあちこちに飛んで一人会費10000円。

店を出たらやけに腹がすいていた。
朝からにぎり寿し少々しか食べてない。
で銀座を歩いていると、吉野家ですき焼が始まっていた。
ググッと引き込まれてしまった。これが実に旨い!
紅しょうがをたっぷりかけて、充実のディナーとなった。
肉はアメリカ産、米は国内産ではない。
玉ネギはきっと中国、生玉子はアジアのどっかの国、丼ぶりと箸、紅しょうがもきっと国内のものではない。
吉野家は異文化コミュニケーションの産物なのだ。

かなり不思議な夜は、第二幕へと向った。


              (写真はイメージです。)

2017年11月6日月曜日

「メロンソーダと虫メガネ」

私が生理的に苦手な場所がある。
高いビル、広いオフィス、たくさんの会議室、やたら多い社員、首からぶら下げている社員証。
そこに行き、その一室に入ると精神的に落ち着かない。
酷い時は心臓がバクバクする。
デパートの広い売り場も同じでそこでの買い物は苦手だ。
人混みや混雑した列車も苦手で情緒が不安定となる。
多分社会に出た時はじめて入ったデパートが原因でないかと思う。
狭く雑然とした中に潜むようにいるのが私にとってはベストである。
そもそも小作人であるから、分相応でなければならないと思っている。

広辞苑の新しいのが出て予約開始という広告を見た。
現在までその類いは買った事がない。
中学生用の国語辞典と、コンサイスの英語辞典の二冊のみでやりくりして来た。
ある高名な作家は旅に出る時は聖書一冊だけを持って行くと書いてあった。
読み物としていちばんオモシロイんやと語っていた。
一人の高名な作家がロビンソンクルーソーのように南海の孤島に暮らすことになり、この一冊をといえば、広辞苑か広辞林が一冊あればいいと書いていた。
ある高名な作家が、人間にとってのいちばんの読書空間は、拘置所や刑務所の独居房だなと言った。
思想的弾圧で何年か入った。
それ自体は理不尽であったが読書して勉強をするにはこれ以上なくよかったと語った。
何しろ読書するしかやることがない。
君ねヤクザの親分がトルストイを読んだり、詐欺師がカントやニーチェを読みまくる。
凶悪犯が広辞苑を読破するんだ。
時間があるというのはいいもんだよ、やる事が何もないというのは、いいもんなんだよ。
人間は一度三年間位は読書勾留をするといい。
自分で選んだものを読ませるのさ。
パソコン、スマホは一切なし、分からない事は辞典か辞書で調べるんだ。
月謝もなしだ。
君、人間は母の胎内という狭いところで育ったんだ。
学ぶには三畳位が丁度いいんだ。
でかくて広い、美しい書斎なんかで仕事をしている小説家なんて大したもんじゃない。期待しない方がいい。
その姿はそう言っている。
高名そうなその先生の仕事場兼読書空間は、私が住むところの近所にある、ファミレス“ジョナサン”のカウンターの隅っこだ。
午前十時頃から午後十時頃までほぼ1年中そこにいる。
朝・昼・晩三食+(読売新聞付)そこで食べる。
時々出版社(?)らしき人が来る。
ヒゲモジャモジャでドリンクバーを行ったり、来たりする。
相当な人かただのオジサンかも知れない。
一度その人の側の席で、ビールを飲みマカロニグラタン(かなり旨いのだ)を食べていたら大先生、大研究者的オジサンは鼻歌を唄っていた。
♪~星の流れに 身を占って 何処のねぐらの 今日の宿 荒む心でいるのじゃないが 泣けて涙も 涸れ果てた こんな女に 誰がした。
菊池章子のヒット曲だ。
八十歳を過ぎているのは確かだ。
未だその名は聞いていない。
若い頃長い間思想犯として三畳間に閉じ込められていた相当な大物学者だと誰かが言った。
昨日はあたたかであった。
メロンソーダが大好きな私はそれを飲み、大先生は(?)虫メガネで何かの辞典を読んでいた。
ずーっと前から何回行っても指定席にいいるのだ。
その身の今後を占っているのかも知れない。
人間は考える葦である。

三連休八本の映画をDVDレンタルで見た。
35年前の「ブレートランナー」SFついでに「メッセージ」韓国の実話物「善悪の刀」アンジェイワイダの遺作「残像」溝口健二の「雨月物語」小津安二郎の「麦秋」松本清張物「けもの道」岡本喜八の「独立愚連隊」香港映画の名作「男たちの挽歌」

今夜はファッション界のカリスマ美女と会う。
実は着ていく服がないのだ。


2017年11月2日木曜日

「人間の条件」


「人間の条件」
別所哲也さんは俳優であると同時に、日本俳優史上初の凄いことをやった。
俳優さんの仕事といえば与えられた役を演じる事だが、この人は、映画界を育てる役をこなした。(現在も続行中)小説の名手といえば、いかに短く書くかであった。小説の神様と言われた志賀直哉さんはその代表である。ある読書家の書評に、これこそ小説だと思ったものとして、川端康成の「心中」というのがあった。読書家でない私でも読めそうなページ数が書いてあった。それは文庫本でわずか三ページほどとあったので、読んでみたいと思い調べてもらうと、パソコン上に現れた。プリントしてもらうと、コピー用紙(B5判)一枚の中4分の3、これぞ小説なのであった。話を別所哲也さんに戻す。この人は短編映画専門の映画館「ブリリア・ショートシアター」(横浜市西区みなとみらい)を立ち上げ、世界的な国際短編映画祭に育て上げた。2008年2月から始めた。これまでに3000作品を上映、入館者は26万人を数える。来年2月に建物との契約が切れるのを期に、今年の12月2日をもって閉館する。別所哲也さんは一定の役割りは果たしたと。10月29日(日)の東京新聞朝刊の大きな記事で語っていた。この映画祭を目指して世界中から短編が応募し、今をときめく新人監督や撮影、編集、証明、美術、録音などあらゆる部門の新人が育った。130席ほどの映画館は国際交流の場となった。この10年の功績は正真正銘の文化功労者である。私は長編映画より短編が好きである。勿論いい映画なら何時間でもいい。松竹映画の名作「人間の条件」五味川純平原作、小林正樹監督を第一作から最終作まで一気に上映する機会があった。
9時間以上である。有楽町の映画館は満員であった。私は亡き母と共に観た。主人公梶が愛する妻のもとに帰りたいと歩き続け、ついにバッタリと倒れる美千子ちょっとだけ寝かせてくれと。そこに雪がしんしんと降り、やがてこんもりと人の形となって終わったと時、すでに朝となっていた。映画館内は拍手の渦となった。2ヶ月で9人を殺したという事件を知るにつけ人間の条件とは何かを考えている。フツーの職人さん、フツーの先生、フツーの魚屋さんや八百屋さん、床屋さん、乾物屋さんにクリーニング屋さんたちが、軍隊に入ると鬼になってしまう。人を殺して、殺して、殺しまくる。死の恐怖と上官からの絶対命令。「人間の条件とは」という問いかけに対して絶対服従という習性を答えとして出す。梶はあくまで不条理に抵抗する。戦争の極限は人間を変える。人間は生きるためなら、人間を殺す。80代90代の老人が、近所の公園でゲートボール大会を日常的にやっている。ある日ベンチに座ってそれを見ていたら老人の一人が私の隣りに座った。小柄な好々爺である。おじいさん戦争に行ったと聞いたら、行ったよと言った。何人殺したのと聞いたらキッと目付きが鋭くなり、目は血走ったように三角形となった。
ジョーンですよと言って公園を出た。このことをモチーフにある短編映画のシナリオを書いたのだが、資金がない。今の世の中、人間の条件とは金があるかないかとなってしまった。ネット上でこれほど自4殺願望の人間が交流しているなんて知らなかった。川端康成の「心中」は夫婦と子どもの無理心中を、清列な文章で書いてあった。週末”人間の条件”を考えてみませんか。人間は人間の中に、誰でも狂気の人間を潜ませている。
だから私は戦争反対。別所哲也さん大絶賛である。(文中敬称略)

2017年11月1日水曜日

「ネオン花」


♪~風の噂さに一人来て 湯の香恋しい 奥飛弾路 水の流れもそのままに 君は いで湯のネオン花 あ~あ、奥飛弾に雨がふる。
故竜鉄也は目の不自由な歌手であった。
人の手を頼りに舞台に立ち続け、名曲「奥飛弾慕情」を唄った。
午前五時半に起床、シャワーを浴びて、いざ奥飛弾へ。辻堂→小田原→名古屋→奥飛弾。
乗車時間250分、乗り継ぎを入れると約320分、小田原までは朝刊を列車内で読む、名古屋まではサングラスをかけて眠気を誘う。食欲はない。
朝食を食べる習慣はない。
頭の中には以前行った時に食べた最高のチャーシューラーメン+ 煮玉子入りが浮かんだ。奥飛弾のある駅で三人の人と落ち合うことになっている。目指すは織田信長の生まれ変わりのような大天才。
ある説によると天才は100年に一人、大天才は1000年に一人出るという。
我が国では一人は聖徳太子、一人は織田信長という。2017年その一人の候補に会う。
世の中全体がめまぐるしいゲーム社会なのに、一日中ゲームをしている子どもから大人までを見ていると、人間が分岐点を迎えていると実感する。
テレビが出た時には、一億総白痴化と言われたが、スマホが出た今は、一億ゲーマー化している。
さて、奥飛弾慕情はアナログである。
むかし想いを持った女が、奥飛弾のネオン街で働いているという。
そんな噂さを聞いた。木曾川の激流を見ながら、奥飛弾を訪ねる。
いで湯のネオン花とは、温泉芸者かホステスさんだろうか、会ったら憶えているだろうか。
今ならスマホで探すだろう。名古屋発の特急に乗ったら、隣にコロコロに太った27、8歳の女性が乗って来た。今人気の渡辺直美を30%位カットした体型であった。
列車が動き出して直ぐに、ガサゴソとバッグの中を漁り、手製のおにぎり二個と、やはり手製のゆで玉子二個を出した。その次にがスゴかった。黄色いたくあんの太い塊を出した。プーンとたくあんの臭い。ヒザを立てスマホを見ながら、まずそのたくあんを丸ごとほをばる、噛み砕く音、ガリゴリ、ゴリ、ゴリ、ガリゴリ、これがウルサイ、これが気になる。

サングラスをかけて眠ろうと思ったがガリゴリ、コリコリが続く。銀紙の中から大ぶりのおにぎりが登場した。
たくあん、スマホ、おにぎりが実に手際よく進む。ゆで玉子を出し実に上手に殻を取る。スポっとでかい口の中に入れる。ヒックヒックとしゃっくりが出る。
私と言えば、奥飛弾のラーメンのことを考えている。
三人にその旨さを教えてあげようと思った。やがて目的地に着いた。
駅で二人に会い、とりあえずラーメンとなったが全然思い出せない。
そば屋さんとラーメン店が以前よりも多い気がした。仕方なく地元のおばさんに、旨い店教えてと聞いたら、人それぞれいろいろですが、私は◯△ですよと言った。
よしそこにしましょとなった。店内にお客さんが一人老婆とその娘らしき女性のみ、予定通り、チャーシューメン煮玉子入り1050円を頼んだ。
ハイどうもと出て来た瞬間、あ、ハズしたと思った。人間の記憶は確かでない。
何故かおばさんは1050円を1000円にしてくれた。
奥飛弾には雨が似合うのか、演歌調の雨が降っていた。ここが終われば富山へと向かう。
芸者稼業の私は声がかかれば、どこへでも行って芸を売る。流れ、流れるネオン花みたいなものなのだ。  

2017年10月27日金曜日

「オトナのせい」



いじめによう自殺が急増している。
すべてはオトナ達のせいだ。
認知件数が約30数万人と発表されたが、これは氷山の一角だ。
小学校の運動会を見た。
紅勝て、白勝てと玉を転がし、玉を入れ、力を合わせ組体操をする。
徒競走という言葉がなく走れGOー!になっているので何故かと思い聞いてみると、”競走”という言葉が”走り争い”をするようなニュアンスなので使用しないとか(?)。
へえ~と思った。
運動会はみんな仲良く手をつなぎ合うダンスや、ソーラン節など踊り合うメニューが並ぶ。
小さな子どもたちが、いつかオトナになって行った後、画家や作家、博士とか、大臣になったり、殺人犯やヤクザの親分やオレオレ詐欺をする。
将棋の名人や野球の選手。
職人の鏡や社長になっている。
子どもの数だけ必ず親がいて、教育者たる先生がいる。
そして子どもの数だけ夢と未来があるはずである。
いじめはそんな中から生まれている、気づかないオトナ。
心ない教師、隠蔽する教育委員会。
土地の有力者の子とか、PTAの役員の子とか。
金持ちのボンボンはいじめられないのは何故か。
子は子でいじめる相手を選び教師はそれを黙認する、あるいはもっとやれとなる。
いじめで自殺した子の親に復讐する権利はない。
目には目をとはいかない。
子の自殺ほど悲しいニュースはない。
木曜日の運動会、長雨の後、空は雲一つない晴天だったが、足もとは積った雪が溶けた後のようにぬかるんでいた。
かわいい小学生たちの大切な子どもの未来がオトナにかかっている。
教師にかかっているのだが。
子どもはいつから何本もある運命線の上を歩き出し、走り出すのかは化学的に実証されない。
犯罪者と被害者は紙一重で生まれる。
「モノより思い出」かつて日産自動車の名コピーがあった。
「お金より愛」が大切だ。週末又台風が来る。
思い出は家の中でもつくれる。
どんなに苦しくても子の前でお金の話はダメ、それによる夫婦ゲンカもダメ、最大のトラウマとなる。
来週(月)と(火)は都合により休筆する。


2017年10月26日木曜日

「やっと運動会だ」

10月21日(土)雨にて中止、10月22日台風にて中止、次は10月23日(水)となったが雨にて中止。本日やっと小(一)の孫の運動会が行われる。
私にとって運動会での応援は最優先事項であった。
10月22日(日)は結婚式があったが午後二時十五分までに集合だったので、午前中は応援する予定だった。
おにぎり、おいなりさん、玉子焼き、ウインナーソーセージ、トリのから揚げ、ゆで玉子、フライドポテト、など定番を作って待機するも雨には勝てない。
運動場で昼ごはんを一緒に食べるのが何よりの楽しみであった。
本日は結局授業の一つというような扱いでお昼は一緒でないと昨夜帰って聞いた。
孫たちは教室で給食を食べるとか。がっかりであった。朝九時には運動場に行くからと言われ、深夜から早朝まで映画を見て過ごし、このブログを書いて目覚まし時計を七時四十五分にした。
レンドルミン+いつものグラスに45度のジンを入れてミネラルウォーターでほぼ22、5度にして、グイ、グイと飲む。ジンという位だから、口の中からノドを通り、食道から胃袋にジーンと来て、カァーと熱くなる。
以前買ってもらったt電気大切なスタンドがトホホのように暗くなり、湘南モールの中で以前より明るいのを買って来てもらった。
眠気が来るまで、森功著、「高倉健・七つの顔を隠し続けた男」を読み始める。へえ~健さんは酒が飲めないと言っていたが若い頃は大酒が飲めて、酒グセがすこぶる悪かった。酔うと物を壊すとか、大スターとなるにつけストイックになり酒から珈琲になったようだ。撮影が続くとパンツを替えたりできないので汚れが目立たないようにいつも赤いパンツをはいていたらしい。
ずーと健さんの面倒を見ていたマブダチ(本当の友人)の話が面白い。銀座警察と言われた住吉会・小林会会長との出会い。金筋の侠客と健さんの長い仲。健さんは小林会の幹部宅から一時通っていた。
実は女性が好きで何人かの女優と浮名を流した。
同性愛者との噂。終生江利チエミの明るさが大好きで、唯一深く愛し続けた。
江利チエミの親戚の女性による使い込み、大借金を背負う江利チエミ、自宅の大火災。二人のホテル暮らし、そして破局へ。
174頁になった時、眠気が強烈な耳鳴りと共にやって来た。
新しい電気スタンドはブルーの点々が八つ目うなぎみたいに七つあり、上から指で下にスーとすると、スーと暗くなる。七段階に調整ができる。でまっ暗に。全287頁の本なので次の機会に読むことになった。レンドルミン一錠+ジン二杯だと、二時間とちょっとできっと目が覚める。
ペンを置いたのは午前五時頃であった。
午後四時から打ち合わせがあるので、午後二時までフレー、フレー、ガンバレ、ガンバレだ。天気予報は上々である。昨夜雑誌ACTの元ステュアーデスの編集長と四人で食事をした。赤坂「津つ丼」のオムライスは最高だった、夢に出そうであった。”にっぽんの洋食”で有名な店だ。
旨い、高くない、広い、窓の外には一階から地下二階位まで美しく大きな滝が流れている。
一人2000円の予算でOK。
ワインを四人で一本なら一人約3000円。白いオムライスが有名だが、やはり黄色いのにした。確か先日、小泉純一郎、山崎拓、武部勤、そこに偶然小池百合子が居たという店のはずだ。大・中・小の奥座敷がある。
(文中敬称略)

2017年10月25日水曜日

「名前の出ない夜」



昨夜、渋谷宮益坂にあるスペイン料理の店で、現在手掛けている仕事の相談をしている出版社の編集者の人と、打ち合わせを兼ねた夕食を共にした。
6時31分05秒ヨーイドン。
女性編集者は大学時代は広告研究会に入っていたほど広告に精通している。
ご主人はエディトリアルデザインの会社を経営している。
ある物件の空間デザイン、共有施設部分のアイデアを具現化することに協力していただき、ある天才を紹介してもらった。
この天才の話は後日書く。
共有施設にもう一人の天才が参加してくれることになっている。
西麻布の天才と岐阜の天才と話をしていると、いかに自分が浅学非才かが分かる。
全く勉強不足である。編集者の方と話す側にシェフがつきっきりで話をする。
勿論料理を作りながら。読書の虫みたいなシェフと編集者と、本の話、世界史の話、作詞作曲で歌手の小椋佳さんが店に来てあれやこれやうるさく語り、その上バクチと金の話ばかりするので喧嘩になり、能書きばかり言うんじゃネエ、二度と来るなと言ったとかの話。
更に縄文時代から人類史。戦国時代から中国、北朝鮮問題の話、全共闘世代の今の話。そして料理の話と進んだ。このシェフは間違いなく料理の天才である。
村上龍さん、吉本ばななさん、鈴木成一さん、中田英寿さん、内田樹さんなどグルメが絶賛する。私が敬愛する某私立大学英米文学科名誉教授(E・ヘミングウェイ 下とF・ジェラルドの研究者)も大変気に入ってくれている。
小学生時代の同級生で学校で一番勉強ができたあこがれの女の子だった。
シェフはこの友人が大好きである。
とても美人で色っぽいわよなどと、急にオカマ調で話を盛り上げる。
やがて話は映画へと進んだ。やっと私の知る分野である。あの映画、この映画となり時間が3時間近く経った時、今度「ブレード・ランナー」の続編が35年ぶりに上映(今週27日から)されるけど監督は誰だったっけとなった。
えーと、えーと、えーと、みんな名前が出て来ない。
シェフが写真を持って来て、この人、誰だったっけとなったが、遂に名前が出て来ない。そろそろ帰りましょうとなり、友人にワインを一本置き、来たらよろしくと言ってなと言い、編集者の方と店を出た。
「ブレード・ランナー」はSF映画の名作である。続編は制作費165億円をかけたと新聞記事に書いてあったのを思い出した。家に帰ればその記事はある。
思い出せない名は家路につく間ずっとアタマから離れない。
12時15分頃家に着き、直ぐに新聞記事の中を探したら、あった。
なんだ「リドリー・スコット」かと拍子抜けした。2、3日前友人とリドリー・スコットの話をしたばかりだった。
友人は外国ですでに観ていた。
私はSF映画はあまり好みでないが、「ブレード・ランナー」は名作と認めていた。
「もしもし、12時30分近かったが店に電話をした。何度かコールしたら、ハイハイとなんだい今頃みたいに電話にシェフが出た。いきなり、リドリー・スコットだよと言ったら、えっ、何、あっそうと言った後、限りなくでかい声で笑った。
料理サイコーだって言っていたよ、今度ご夫婦で行くって言っていたからと言ったら、更に大きな声で笑った。
ブレード・ランナー続編について、友人は人差し指で口を閉じて話さなかった。観た人教えて、行くべしか否か。何しろこのところ映画館に行ったのは、「禅と骨」以外すべてイマイチであった。で、すこぶる疑い深いのである。

2017年10月24日火曜日

「侠客」

「筋者」男を売る世界では親の恩を裏切ることをせず、仲間や兄弟分との誓いを守る。
それは筋が違うだろう。
道を外しているだろうと、体を張る人間のことを言う。
「筋道」こそ命。
筋者の中の筋者の歴史を持つところを、“金筋”という。
逆に道を外す者を“外道”という。
男と男のやりとりは、筋を通しているか、否かで、いわば判定が決まる。
モメ事が起きた時、時の氏神と言って仲裁人が名乗り出る。
その時にモノを言うのが、どっちが筋が通っているかだ。
男の世界ではこの仲裁がどうしてもうまくいかない、あるいは交渉決裂となった時、仲裁人はそれじゃと言って指を詰める。
相方はそこまでさせては申し訳ないと手打ちをする。
昨今のことは分からないが、かつて縁故(?)(エンコ)を詰める(小指とサヨナラする)というのは男の紋章であった。
伊東ゆかりに「小指の思い出」という歌があったが、これは別世界の歌。

「尾崎士郎」の名作「人生劇場」に侠客吉良の常吉という人物が出て来る。
男とは“侠”のことである。
ヤクザとは違う、渡世人とも違う、勿論極道とも違う。
侠客なのである。
三州吉良の常吉は、清水次郎長の兄弟分だった。
吉良の仁吉の流れを持つ、つまり金筋の血脈である。
清水次郎長は静岡県清水港の博徒の親分であったが、明治維新の時、維新の“三舟”勝海舟、高橋泥舟、そして後年、明治天皇の先生となる剣術者“山岡鉄舟”と出会う。
清水次郎長は山岡鉄舟から強い影響を受けて、戦場で傷ついた人間を手当てし、死んだ人間を弔った。
夥しい数であったという。
やがて清水次郎長は博徒をやめ堅気になり、日本初の英会話教室みたいなものを生んだ。
山岡鉄舟から、男(当時は武士)の筋道の大切さを学んだ。
「諸田玲子」の小説に「空っ風」というのがある。(かなりおススメ)
子分の小政がどんどん堅気になって行く清水次郎長に、アタマきてケツをまくる。
小気味いい名作だ。
小政は博徒の道を通す。
明治26年まで清水次郎長は生き続け畳の上で死んだ。

中学生の頃、教科書は読まず、人生劇場をずっと読んでいた。
ある時生活指導の男の教師が、オマエ将来何になりたいんだと聞いて来たから、三州吉良の常吉みたいになると言ったら、誰だそれはと言うから、人生劇場に出て来る侠客だと言った。
バカかお前はと言われた。
人生劇場は尾崎士郎の自伝的小説である。
♪~やると思えばどこまでやるさ、それが侠の魂じゃないか、義理がすたれりゃこの夜は闇さ…。
と村田英雄が唄いラジオ番組で大ヒットした。
金筋者の飛車角(通称)若い侠客宮川が出て来る。

日本人は実は筋者→侠客が大好きである。
ヤクザ映画は大ヒットする。
人生劇場はウルトラ大ヒットした。
近頃はすっかり暴力団と言われるようになってしまった。
が筋者、金筋はたくさんいる。
堅気の世界にもいる。
立憲民主党の枝野幸男が大躍進したのは、ひとえに筋を通したからである。
道を外した裏切り者は敗北した。
自民党大勝利でも、笑顔はない。
何故なら連立を組む公明党が5議席も減らした。
誰か筋者が白い歯をみせんじゃないと(笑うんじゃない)公明党に筋を通したのだろう。
恩も義も忘れて自分のことだけ考えている人間は、必ずや手痛い仕打ちにあう。
これは古今の歴史が証明する。
三州吉良の常吉は、地元の没落名家(辰巳家)に終生仕える人間であった。

北朝鮮に仲裁人として日本人の誰かが行って、話し合い(掛け合いともいう)に失敗したら、小指を詰めて帰って来る。きっと世界の氏神となるだろう。

新宿歌舞伎町の春山外科(もうないかな)に行けば、麻酔をしてスパッと詰めてくれる。
そんな話が歌舞伎町伝説としてあった。
                      清水次郎長