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2011年3月3日木曜日

湘南の嵐便り 「一回忌に想う」


過日親友の一回忌を終えた



別に坊さんを呼んで特別な事はしない。
西麻布の納骨堂に私と会社の社長と行くと友人と親友の愛する人だった女性、そしてずっとアシスタントをしていた女性が二人来ていた。


本妻や息子三人は来ていない。実姉も来てはいない。
182㎝、体重85㎏あった男が20㎝位の仏像の中に入っている。
その日は二人命日らしく、白く小さなスクリーンに二人の名が出ていた。
暖かい日であった。午後十二時、お焼香をした。


つくづく人間の命とは、と思った。
誰も自分で選んでこの世に生を受けた者はいない。生も選べず死も選べない。
朝起きたら息をしていない人もいれば、何年もただ息だけをしている人もいる。

大学病院※写真はイメージです
ある高名な大学教授が言った。権力者やお金持ち程「癌」を告知すると同時に豹変しジタバタすると。検査入院として入って来た時は虚勢を張り堂々たるものであるという。
まあよろしくよろしくという具合に、ところが告知しカンファレンスで手術の説明などすると一流を集めろ、金に糸目はつけない、あの薬、あの温泉、あの、あのと大騒ぎになるそうである。

病院※写真はイメージです

命まで金で買えると思っているのだろう。駆けつけた会社の人間に八つ当たりするわ、不可能な命令をするわ、海外の病院を見つけろと言い出すわ、もう灰神楽みっともない事この上なしとなるらしい。


お金の無い人はシンプルである。先生、何とぞよろしく。
これ以上息子や娘、家族に迷惑をかけたくないのでとなる。


世は皮肉でありもう駄目と思ったお金の無い人は劇的な手術に成功し見事に治り、まあ死ぬ事はないだろうと思った大金持ちは癌があっちこっちに癒着し手術不可能、開腹して直ぐに閉じ、その後暫くして人生を終えた。

癒着しまくって生きてきた人生への戒めだったのだろうか。

私は愚妻と共に尊厳死協会に入っている。
抗癌剤治療、終末治療拒否、緩和ホスピスで誰に知るともなし静かに消えて行きたい。

幸い秋田湯沢で義兄、義姉がそんな病院をしている。秋田の象潟の海を見ながら骨と皮になって海風に吹かれて消えて行く。「海に出て、木枯らし帰るとこ無し」の心境だ。
岩盤浴※写真はイメージです

決してお金を持ってはいけない、ジタバタするから。
我が友も実に見事な終わり方だった。


一年は早いものだ。

今日は弥生一日、昨日ジャンボ飛行機の命日となった。繁栄のシンボルであった。もう一つのシンボル、鶴丸は甦った。

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