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2011年11月30日水曜日

「答えのない問題」

11.25放送朝まで生テレビより

十一月二十五日午後一時二十五分より「朝まで生テレビ・暴力団排除条例」を見た。

議論は百出するも何ともチンプンカンプンであった。
何故なら出席者それぞれがこの条例がよく分かってないからだろう。

私はあえて警察について書く。
日本の警察は成果主義である。例えば目の前で喧嘩しそうな人間がいるとすると警察官は決して、君たち、お前達喧嘩をするなとは言わない。事件を予防しても得点にならないからだ。むしろ、さあ早くやれやれ根性出せといった感じである。
やるんであればただ殴り合ったり蹴り合ったりじゃつまんない。切ったり刺したりしてほしいというのが本音なのだ。
その結果傷害致死や殺人事件の犯人逮捕となると得点はグンと上がるのだ。

私自身何度か警察にけしかけられた経験があり、したくもない喧嘩を警察によってやらされた(裏社会ではジャッキを入れる「あおる」という)。暴力団は社会悪であるが(金筋のヤクザや侠客は男だ)、警察もまた社会悪である場合は多い。最も重大な事は冤罪だ。日本特有のバレなきゃいいじゃん。出世第一なのだ。

元ヤクザの組長が元警察官僚の平沢勝栄にこんな質問をした。
平沢さんがもし人に殺されそうになった時、暴力団に助けられそうになったらどうしますか(平沢勝栄は言葉に窮した)。
極めて分かりにくい法と言わざるを得ない。

一歩間違うとかつての悪法治安維持法となってしまいます。

2011年11月29日火曜日

「馬鹿は死んでも直らない」




山形の洋梨(ラ・フランス)を食べながら夕刊に目を通す。

大学生の内定率、10月時点で59.9%、高校生は41.59月時点。

こんな数字の横に大王製紙社長、刑事告発へ。
その額なんと1068千万円。全て博打に消えたとかの記事があった。

その男、井川意高は東大法学部卒、それも現役で入った秀才の筈であった。
だが凡才であった。法学部で法を犯す事を学んだのか。
東大を卒業したら銀座のクラブ大学に入学、芸能界の姉ちゃん達を連れて男女共学でラスベガス大学院、マカオ大学院、モナコ大学院、ソウル大学院、シンガポールやフィリピン大学院などに入学。
わずか一年半で入学金106億円以上を使った。(実際は更に数十億)

バカラ学科、ルーレット学科、ポーカー学科、最後にドボン学科に入って本当にドボンとなった。
そして世の中から退学処分となった。

私の尊敬する博徒の親分(史上最高と言われた)波谷守之さんは素人が博打に手出ししても絶対勝てないと言っていたと聞いた。そして拳銃で自死をした。金庫の中には素人衆の博打の負けの証文がゴッソリあったとか。
決して自分が追い込みをかけられても素人衆に追い込みをかけなかった。博打はやらなければ絶対負けない。

井川意高には博才がなかった。

2011年11月28日月曜日

「毒舌の天才逝く」


立川談志七十五歳、骨と皮となり死す。
十一月二十六日(土)BS、朝十一時から一時の特集を見る。
死を予想していたのかずっと「談志師匠」を追っていた。

さすがNHKだと思った。
こういう仕事をしてくれるなら皆気持ちよく受信料を払うであろう。

権威、権力、旧習、旧態を嫌った。落語家は「噺家」ともいう。その文字のつくりは「口」偏に「新」と書く。
即ち絶えず新しい創意工夫をしているのだ。又、噺家は喋ってこそ商売である故、文字に何かを込める事はない。がしかし立川談志は違った。膨大な書籍を集めて蔵書とし、それを読み込み自らの手で膨大な全集を遺した。
心底古典落語を愛していたのだろう。


定席から追放された中で当代きっての人気噺家。志の輔、談春、談笑、志ろく等育て遺した。
反逆児であるがシャイで小心で毒舌で不安症で巾帳面で家族思いで孫大好きであったという。

この頃毒舌家がいなくなって来た。口げんかすらしない時代はイケナイ、キケンだ。
嫌いで結構、好かれちゃ困るその気迫が必要だ。立川談志の「芝浜」は特上であった。
落語のCDから引き出し、名人桂三木助の「芝浜」と聞き比べた。落語家と噺家の違いが分かる。

2011年11月25日金曜日

「腹上の知人」

「ダライラマ」来日の事を「ダラリマラ」来日と言ったらすごく受けたのでその気になってある処で同じ様に言ったら、何という不謹慎な言動とこっぴどく叱られました。
 
以来慎んでおります。この場を借りてダライラマ様お詫びします。

つくづく、ホトホト、ひと言多い自分を反省させております。
ある知人が若く美しい女性と再々婚しました。

今流行の年の差婚です。知人六十三歳、新妻三十一歳です。
銀座の風月堂で一緒に珈琲を飲んでいた時二枚の紙を見せられました。二枚とも雑誌広告をビリビリと破ったものです。

一枚は「漲るあなたEDよサヨナラ」と大見出し、もう一枚は「夜よ今夜もありがとう」の大見出しです。
これですがね、一つは錠剤、ひとつはスプレータイプらしいんですが今取り寄せているんです。
何でしたらお裾分けしますよなんて言った。

イラネイヨ、そんなのインチキに決まってるから止めておけと言ったのでした。

ある夜、ある住宅街に救急車が駆けつけたのです。男が一人とても恥ずかしい姿で運ばれたのでした。
だらりとした両腕が見えたそうです。


2011年11月24日木曜日

「ブルッた名前」

佐藤さんは強い、最強だ。
柔道でいえば無敗の鬼、木村政彦。空手で言えば牛殺しの大山倍達。プロレスでいえば空手チョップの力道山。相撲でいえば69連勝の双葉山。ボクシングでいえば全盛期のカシアスクレイ。

佐藤さんはその全部を足してかけ算した位強いのだ。

佐藤さんはなんでも食べ、何でも飲むという。ビールや日本酒やジンだって?
おーい佐藤さん散歩行くよと知人の久我さんはいう。

「佐藤さん」は久我さんが飼っている超猛犬、闘犬界最強のブルテリアの名前なのだ。なんというネーミングの天才か。
佐藤さんは久我さんのいう事だけはちゃんと聞く耳を持っている。
秋田犬、紀州犬、土佐犬の猛者も佐藤さんにはマイッタ、ヤメテらしい。


決して大きくないし、顔だって恐くない。久我さんの携帯に写っている顔を見るとごくフツーの犬だ。
これがひと度戦いとなると喉笛にガバッと食らいついて決して離さない。
犬は飼い主に似るというが久我さんも一見穏やかであるが何処か殺気が見える。きっと怒ったら最強かもしれない。

佐藤さんと友達になりたいがそれ程気は進まない。

佐藤さんと同じ、ブルテリア。闘犬界最強らしいです。

2011年11月22日火曜日

「遠足気分の夜」

十一月二十日(日)、夜十一時四十一分。

礼状を出しにサークルKのポストへ行く。家から歩いて五分とかからない。
昼は少年野球の応援をした。日差しがやけに強かった。天気予報通り日が暮れてから一気に冷えて来た。

一週間一人暮らしだ。
レトルトのクリームシチュー2袋、銀座カレー(中辛)2袋、チーズ6ピース入り一ヶ、サバの水煮缶一ヶ、ノザキのコンビーフ一ヶ、マグロツナ缶一ヶ、おかゆ()2袋を買って帰る。

一人はいいぞ楽しいぞ遠足にでも行く気分になる。
アイツがいるとこういう旨い物は食べれない。夜空がやけに澄んで星がいっぱい光っている。

思わず平尾昌晃の「星はなんでも知っている」を口ずさむ。
星は何でも知っている。夕べあの娘が泣いたのもぉーと、きて今度は坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の空を」に移る。
見上げでごらん夜の星を、僕らの星をオーとなり、一気に谷村新司の「昴」になる。
我はゆく青白き頬のままでェーと。

野良猫が一匹馬鹿にして見上げていた。

2011年11月17日木曜日

「お前の名は分かるか」

 
フロ、メシ、ネル。フロ、メシ、ネル。
昼夜兼行、減私奉公が定番だった。その内、メシだけとか、ネルだけとかフロ抜きとなりいつかネルもなくなり、起きる、起きよう、起き続けようという労働変則三段活用となっていった。

モーレツ社員の誕生、1960年代からだ。その中核は元軍人少年か元軍人たちであった。
上官の命令には逆らえない。気が付けば会社は軍隊となっていたのだ。“企業戦士”なんて言葉が生まれたのはこの頃だ。

24時間戦えますか」なんてふざけんじゃねえぞコノヤローと思う、ドリンクのコマーシャルがその延長上で生まれた。

私も一時期徹夜、徹夜、半徹、徹夜、徹夜、半徹、完徹そしてダウン。
先輩がオイ大丈夫か?気は確かか?お前今日は何曜日か分かるか?オイ、お前自分の名前いってみろなんて言われた。

「モーレツからビューティフルへ」なんていう言葉がテレビから流れ出した時何だか新しい夜明けが来るのではないかと思ったのであった。

だがその先に来たのは更にモーレツな地獄の戦場であった。

2011年11月16日水曜日

「真っ赤な嘘」




お葬式メシじゃないんだから何も手を合わせる事はないと思う。
武士社会の名残か食事の前にいちいち手を合わせ、いただきますをする人がいる。
楽しい食事が辛気臭くなってしまう。


その夜ホテルで原稿書きをしていて腹が減った。
よし、今夜は吉野家だと決定し入った。深夜一時十五分、派手なつくりの若い娘さんが入ってきた。カールされているのは二重つけまつ毛だ。すいません、牛丼の並盛りとお新香とお味噌汁をお願いしますと注文をした。

体中から一仕事終えた疲労感が漂っている。両腕をついてメールを見ている。そこへ注文の品が出る。
静かに手を合わせ黒い箸を両手に渡しもう一度顔の前に持って行き声は出さずに「イタダキマス」。

食べ終えた私が立ち上がり勘定しながらそんなに拝んでばかりいたら牛丼が「マズク」なっちゃうよ、働いた後はガツガツ食べた方が「ウマイ」よといったらコクンと頷いてペロッと舌を出した。
その舌は紅生姜で真っ赤であった。

2011年11月15日火曜日

「一歩が痛い一級建築士」



朝日新聞「be」より



笑顔がきれいな男。
生まれつき軟骨が成長しない難病(アコンドロプラジア)。

職業はアトリエインカーブのクリエイティブディレクター。
一級建築士でもあり空間デザイナーでもある。

大学卒業後ディスプレイ会社大手の乃村工藝社で18年間働き、通産大臣賞も受けた。
ある年憧れの建築家ル・コルビュジェの作品を観たいと欧州に行った。しかしコルビュジェは彼を殆ど感激させなかった。

むしろ専門教育を受けていない人が石を積み上げて作った「シュバルの理想宮」や精神疾患のある人らの「アール・ブリュット(生の芸術)」に心を揺さぶられそのオリジナル性に圧倒されたという。彼はいまアウトサイダー・アートという障害者による現代アートを女優の山口智子さんが持つギャラリーなどで発表している。

かつては美術館で差別された。
作品は福祉施設のバザーとされ10円、20円で売った。だがその作品は今世界で評価され100万、200万となった。

彼はいう、インカーブとは野球用語で内角をえぐる変化球。彼は今100メートルを歩くのも難しい。
 痛い痛い中で夢を追う一人一人に美術館を持たせたいと。

彼の名は今中博之(48歳)。

2011年11月11日金曜日

「間違いだらけのアナ」


「ベニスに死す」という映画の名作がある。
 
もし「べ」を「ペ」に書き間違うと「ペニスに死す」なんて猛烈な死に方になる。
エコに「゛」をつけると「エゴ」、エコとエゴが近い関係である事に気付く。

おい、親父トロ握ってくれやなんて江戸っ子に「゛」をつけると、親父ドロを握ってくれやなんてマズイ事になる。
 僕は彼女を力一杯引き寄せキスキスをし続けた。
こんな淡い青春も「゛」を付けると、力一杯引き寄せギスギスし続けた、なんて青春ぶっ壊しとなる。

小さな「゜」や「゛」でどえらい違いとなる。

この頃女子アナウンサーの喋り間違えが多すぎる。
ただいま入ったニュースによりますと、女優の○○さんが自宅のマンションで危うく「死」にそうになりかけましたが近くを通りかかった男性に助けられたよう様です。
先程のニュースについてお詫びして訂正いたします。
女優の○○さんは「じ」になりましたが近くにいた男性により助けられた様子です。

これ位酷い間違いを連発しているのです。

理由は簡単、スポーツ選手と遊びすぎです。反省!


2011年11月10日木曜日

「第九とボールペン」



後1日だ、禁お酒ちゃんを決意して約束の一ヶ月が来る。
自分の意志の強さに自分で脱帽する?お酒ちゃんを飲んでいた時は甘い物は一切食べなかった。
が、お酒ちゃんを禁じたらやたら甘い物が食べたかった。


116日、椿山荘での結婚式ではデザートのケーキを二種類食べてしまった。 
29日間の内で小豆まんじゅう2ヶ、ポッキー二箱、クッキー6ヶ、チョコアイス6ヶ、バニラアイス6ヶ、チョコパフェ4ヶを食べてしまった。毎日食意地日記を書いているのでほぼ正確だ。

あっ、そうだ甘ずっぱい干し梅ちゃん2袋も食べた。お酒ちゃんに入っていた糖分が入らなくなった結果らしい。

119日夜915分、左手に「潜入ルポヤクザの修羅場」鈴木智彦著、それを読みながら右目はBSテレビの「アート&ビート」を見ている。世界のコバケンこと小林研一郎(71)がベートーベンの第九1楽章を熱烈かつご丁寧に指導している。
左目は原稿用紙の升目を追っている。右手にはUni ball signo太字ボールペン、30枚ほどの提案書を書いている。
ずっと昔から3つ位の事を同時にする癖になっている(だから頭がややこしくなるのだ)。

92508秒、テレビの画面は私の育った荻窪にある杉並公会堂の舞台に、東京フィルハーモニー交響楽団のメンバー、観客はビートたけしただ一人(贅沢な企画だ)
 ブラームスからスメタナの「わが祖国」と続きコバケンのアンコールの定番、私の大好きなアイルランド民謡ダニーボーイと続く。いよいよ明日からお酒ちゃん一杯だけ飲むか、お宝のバカラグラスでジントニックを。

いやマズイ、イケナイ、コワイ、お酒はダメという顔が浮かぶ。
甘い心は禁物だ。元々意志が弱いのだから。
デスクの女性のOKがでるまで、大磯の先生や番頭さん兄弟分たちとの一杯はお預けとするか。

神田明神下にある左々舎のふぐ鍋が頭にくつくつと音を立てて浮かんでいる。美しいふぐ刺しも。
このブログは禁お酒ちゃん記念なので800字になりました。リング外です。

2011年11月9日水曜日

「文学少女を偲ぶ会」



虎魚(おこぜ)、自分の住まいがある処の名を頭に付けて“鉢山亭虎魚”と名乗る。
真冬でも雪駄履き、着流しに信玄袋でニタッと現れる(絶対に遅刻は許されない)。

希代の名文家、希代の美食家、この人がここは美味いといえば一級、あの取り寄せは美味いといえば一級、なかなか誉めない。私の先生の師匠である。


先生と師匠と私の3人で「忘憂会」を時々する。
「忘憂」とは中国では「酒」の事だ。先生から紹介された時、さすがの私も大緊張した。

東大を出てあの池波正太郎の内弟子となる、ウルトラワガママな池波正太郎と長きに渡って師弟関係であった。雑誌広告の見開きに書かれた文章は教科書であった。
歴史に残るサントリーオールドの「懐石サントリーシリーズ」、長いシリーズ広告だった。

 1022日土曜日、その大師匠の奥様を偲ぶ会が神田駿河台、山の上ホテル(文士のホテルという)で行われた。

自宅で静養中であったが何がなんでも行かねばならない。
知り合いの人に車を運転してもらい、挨拶をし帰って来た。
勿論大磯の先生と一緒であった。
亡くなった愛妻のお気に入りの写真の前でパチリと写真を撮ってもらった。
凄い人達が続々と来はじめた。

2011年11月8日火曜日

「ジャブとジョブ」

 
ボクシングの基本はジャブ、生きて行く上で大切なのはジョブ=仕事だ。

左は世界を制するという。左のジャブ、ジャブ、ジャブが打てないボクサーは絶対強くならない(右利きの場合)。
アップル社を時価総額(36兆円位)世界一にしたスティーブ・ジョブズ氏、手は芸術的であり言葉は機関銃の様にダダダダダーンと飛び出したらしい。

ジョブ、ジョブ、ジョブ、さあ仕事だ、仕事だ仕事だぁーと言い続けたのだろう。
今、世界中でジョブ、ジョブ、ジョブ、仕事を寄越せ、寄越せ、寄越せってんだよぉー、お前ら1%の金持ちが99%を支配してんだ、バァロー、バァロー、と世界はジョブの洪水だ。

皮肉にもスティーブ・ジョブズ氏の名前はジョブ(Jobs)=沢山な仕事であった。
膵臓癌と肝臓移植でも命はお金で買えなかったのだよ。
世のお金持ち達、お金は貧しい人へ分配しないといけないのだよ。映画に出資しないといけないんだよ。

スティーブ・ジョブズ氏は若者達にこう言った。「ハングリーであれ、愚か者であれ。」
明日のジョーが丹下段平に最初に教えて貰った言葉はジョー、ジャブだ。
真っ白い灰になるまで戦うのだ。ジョブズ氏は56歳で白い灰となった。


2011年11月7日月曜日

「そうせい公」

私の一番大好きな人、高杉晋作
飲み込む相手。

こういう人は手強い人だから気をつけよう。
私のように直ぐ反応する男はスヤイ男(安い男)。

幕末維新の頃、長州の毛利公は「そうせい公」といわれた。
家老でも、その下の者でも、その下の下の者でも意見具申をすると「そうせい」と応える。
本当にいいのといえば「そうせい」、知らないよどえらい事になってもと言っても「そうせい」と応えたのだろう。

そんな中から吉田松陰や桂小五郎(後の木戸孝充)や高杉晋作や久坂玄瑞、村田蔵六(後の大村益次郎、日本陸軍生みの親)や山縣狂介(後の日本陸軍の大ボス山縣有朋)、伊藤俊輔(後の初代総理大臣伊藤博文)たちが続々と生まれた。
現在の日本を支配している官僚システムの源流だ。

野田佳彦を甘く見るとそれは甘い。私なら手強い相手と見る。
ヤクザ者の世界でアイツは砂を食って来た男だ、といえば辛い思いをして来た男だから気をつけろという事。
どじょうは泥を食い飲み込んで生きて行く。だからヌルヌルと掴みにくい。ドジョウのぬめりを取り料理を早くするには酒樽の中に酒を入れ、その中にいれるらしい。

攻めるヒントはここにある。
野田佳彦は大の酒好きらしい、うなぎや穴子より手強い。

2011年11月4日金曜日

「名刺は恐いよ」

名刺という文字を見ていると段々と恐くなる。

名前で刺すとも見えてくる。
日本で最初に名刺を出したのは、坂本龍馬を暗殺に来た男が龍馬が留守であったので小さな紙に名を書いて置いていったという説がある。となると暗殺者は本当は堂々と名を名乗り龍馬と勝負する気であったという事になる。

が、しかし龍馬は暗殺された。
と、いう事は紙に名を書いて堂々とした男と、いきなり刀を振り下ろした名を名乗らない男と別人という事になる。

名は体を現すともいうから名刺を作る時はよくよく気を配った方が良いと思う。
一枚の名刺は強力な武器である。一度見たら忘れられない一枚を必死に作ったが勝ちに繋がる。

一枚の名刺で人を殺す事ができる。
親指と人差し指で名刺を横にし、相手の喉笛に当て思い切り横にする。
これで相手はオロク(死ぬの意)となる。最もこの場合は名刺ではなく名死という不気味な文字になる。
久々に名刺の整理をしていたら恐くなってきたのです。

悪い癖で直ぐ名刺で人を殺す映画なんか作りたくなるのです。そんな自分が恐いのです。

2011年11月2日水曜日

「アリスが魅せられたスポーツ」



最も神聖なるスポーツ、それはボクシングといわれた。

同じ体重リミットの中で戦い例え死んでも殺しても罪にならない合法的なのである。
アゴの先をチン、耳に近いアゴをジョー、こめかみの部分をテンプルという、この3カ所が急所だ。

腹の部分をボディ、肝臓をリバー(レバーとも)、横腹の部分をキドニーという急所だ。
そこ意外は反則となる。ヘディング(頭突き)、サミング(グローブの親指で目を突く)、ベルトの下を打つローブローが主な反則だ。

顔面のパンチで横や後に倒れたケースはほぼ立ち上がるがボディブローで前に倒れるとほぼ立ち上がらない。


死ぬケースはボディブローを打たれ続け、顔面にパンチを受け、後に倒れ後頭部を打つケースが多い。計量に失敗するとグローブを大きくされタイトル戦ならノンタイトルとなる。

絞りに絞った体、1ミリグラムを減量するのに苦労する。
頭を刈り、パンツも脱ぎ、体毛も剃るそして計量計に挑む。
計量はいまでも分銅式、是が一番正確だといわれる。

この頃心身共に贅肉が付きすぎてしまった。

アリスが歌った「チャンピオン」を思い出す。
立ち上がるな、もうこれでいいんだと。いや老いても最後のリングに上がるんだ。
最終回のゴングまであと1ラウンドある。

2011年11月1日火曜日

「新聞広告の日の先の新聞広告」

朝日新聞より

坂田栄一郎氏 朝日新聞より
1020日は新聞広告の日だった。
しかしこれといった新聞広告は影も形もない。どうしたんだといいたい。

かつて新聞広告は歌舞伎座座であり、帝国劇場であり、京都南座であり、鈴本であり、末広亭で有り続けた。檜舞台だったのだ。


広告の作り手をカタカナでいうとクリエイター。
長崎円山、京都祇園、東京赤坂、柳橋でいえば花形芸者、職業的にいえば職人、農業的にいえば小作人、工業的にいえばシステムエンジニア。


自分の持っているあらゆる感性や習性や野性や理性や本気や冗談を総動員して新聞広告の舞台に載るのだった。拍手もあれば帰れ、下がれコールもあったり、座布団一枚いや二枚をもらったりする。

私の大尊敬する写真家の坂田栄一郎さんが今は朝起きて新聞広告を見る楽しみがなくなったとインタビューに応えていた。
私の尊愛する仲畑貴志氏と井上嗣也氏との作品が載っていたいい新聞広告だ。

広告界を代表してきた秋山晶氏とJR東日本の「その先の日本へ」を作った。
山形新幹線デビューの広告だった。その新幹線は今、被災地を走っている。

何か暗示的ではないか。その先の日本へ、その先の新聞広告。