大島渚監督が亡くなった。
私が敬愛してやまない芸術家だった。
同じ湘南に住んでおり、家も直ぐ近くだった。
辻堂駅でよく出会い、同じ列車に乗った。
雲の上の人であったので言葉は殆ど交わせない。
監督は体もでかく、顔もでかく、声もでかく、着ている服もでかく、背中に確かGANGと大きく文字が縫い込まれている服を着ていた。
手にいつも週刊プレイボーイとか、週刊モーニングとかの雑誌を持っていた。
品川駅までそれを読み続けていた。
フランスに起きた新しい波(ヌーベルバーグ)に触発された三人の監督が松竹に育っていた。当時松竹といえばメロドラマの代表、大船映画全盛であった。
そこに大島渚、篠田正浩、吉田喜重が頭角を現した。全てに挑戦的であった。
「青春残酷物語」は少年の私に衝撃を与えた。
佐々木功とか炎加世子とか、ビートたけしとか、坂本龍一とかデビットボウイとかあっと思わせるキャステングを連発し続けた。
「愛のコリーダ」で藤竜也と相手の女優とそのものズバリの本番シーンを撮った。
海外では無修正であったが、日本ではボカシが入った。
私は特殊なルートで無修正を見た。
芸術性を訴える大島渚とエロ映画だという国側の裁判となった。
今では全く問題外、ネット上では何もかも見れる時代だ。
女性に赤ちゃんを育てる聖なる乳房があり、男と女の交わりから可愛い赤ちゃんが生まれる。ヘアーがあるのだから何も隠す事はないと少年ながら私は思っていた。
私が最も好きだった桑野みゆき(全てが最高だった)という女優が川津裕介に木場の材木置き場に落とされる。水に濡れた桑野みゆきが白いシュミーズだけになる。
豊かな美しい胸が少年だった私の心を途方も無く刺激した。
桑野みゆきは中村屋という肉まんじゅうとカレーで有名な店の息子と結婚して芸能界から去った。その後一切マスコミに出ない。母親は大女優桑野通子だった。
私は未だに中村屋の商品は決して買わない。肉まんは井村屋と思っている。
虎は死して皮を残すというが、大島渚は死して崔洋一監督という才能を映画界に残した。TVのインタビューで涙を流す崔洋一を見て目頭が熱くなった。
ちなみに、大島渚の妻は小山明子、篠田正浩の妻は岩下志麻、吉田喜重の妻は岡田茉莉子という当時の看板女優であった。映画監督は何しろモテる、女優殺しともいわれている。殺し屋だ。合掌。
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