人生とは勝負、勝負の連続作業だ。
もう駄目だと思ったら負の連鎖、負の渦へと巻き込まれる。
勝負には運とツキがどう動くかがポイントとなる。
運とツキは法則化されていないから自分で読むしかない、その他に“ケチ”が付くという厄介な事もある。大金を払っても、いかなる権力や地位を利用しても、決して買い求められない、手に入らないのが“運とツキ”それと“ケチ”だ。
2020年東京オリンピックにケチがいろいろと付き始めた。
プロの博打場ではこんな時は、場がクスブルとか腐るという。
場がブシイ(渋い)ともいう。厄(ヤク)な場ともいう。
厄とは文字通り“イイコトナイ”という事だ。厄払いに行く人も多い。
何もかもやりたい放題であった安倍一強政権が運を使い果たし、ツキに見放され、ケチが付き始めメロメロとなって来た。新国立競技場のザハ案はシナ(ナシ)の話に。
安保法案は“戦争法案”にとネーミングされ、憲法学者の99%に違憲といわれグダグダに。最側近の人間は、法的安定性なんて関係ないなどと口走り(実は本音)運の尽きはいよいよ加速する。仕方ないからわずか15分だけ国会で詫びを入れさせることに。
沖縄の新聞社は潰せとか、マスコミ殺すには広告を止めさせろなどと広言しては、大厄を生む。こういうのを「ヤクな奴」という。
一強だと思っていたのが「早く質問しろよ」のひと言で、一気に場を腐れさせた。
こうなるともうイケマセン街道を全力に走り出す。“アキマ変”となる。
過去に学ばない者は、今が見えない、という。
権力を滅ぼすのは権力者がバカにしていた大衆と、権力者がかわいがっている側近、お友だち、そしてヤクな奴なのだ。
以前にも書いたが、本物の勝負師は運を使いきらず残しておく。これを遠慮という。
何しろ運とツキは気まぐれだから最大限の敬意が必要なのだ。
麻雀をやった人なら分かるはずだ。
ポンだチーだと食いまくりガツガツ勝ちにこだわる人間は、最後の勝負が終わったら“ハコテン”になっている。
ハコテンとはスッカラカンの事(またはハイナシともいう)。
今、運もツキもない、ケチが付いてばかりだと思って悲観している人がいたとしたら、決してメゲず、アキらめずに一生懸命自分を励まして下さい。
きっと運とツキが回って来ます(私もそれを信じているのです)。
人を裏切ることさえしてなければ。それとヤクな奴とは付き合わないように。
“アキマ変”になりますから。
法的安定性のない国を一般常識では“独裁国家”という。
私が知るところでは東大法学部で勉強ばかりしていた人間は、ヤクな奴がとても多いのです。