Te,le-vi-sion(テレビジョン)コンサイス英語辞典を引くと、
テレビ受像機;テレビ放送、〜テレビを見る。〜テレビで(劇)を見るとわずか四行、この言葉と共に大衆文化は花開いた。
日経新聞朝刊の最終面に名物コラムがある。
「私の履歴書」という。各界の著名人が自らの人生を書き残す。
七月二十二日は浅丘ルリ子さんの第21回であった。
浅丘ルリ子さんは数多の名演出家と名作ドラマを生んだ。
和田勉、久世光彦、石井ふく子、石橋冠など日本を代表する人たちであった。
そんな多才な人の中で最も敬愛したのが鶴橋康夫だったという。
鶴橋康夫は「テレビとはギリシャ語とラテン語の合成語で遠くのものを見るという意味」が口癖だったという。世の中で最も遠いものは人の心。この心の闇を解き明かすのがテレビの役割なんだー。
浅丘ルリ子さんと鶴橋康夫のコンビで計20本の作品を生んだ。私が憶えているのは、84年放映の「魔性」正しく記憶していないので浅丘ルリ子さんの原文のママを書く。
「『魔性』は群を抜いて壮絶な作品だった。私は近親相姦を経験したレズビアン。若い愛人を殺害し、死体をバラバラにして食べて死刑囚となる。独房では自慰行為にふけり、最後は絞首刑に処されて失禁する(テレビでここまで放映していいのかしら?)。台本を読んで私は鳥肌が立った」
おそらく実際にあった事件をモデルにした作品だと思う。
30年以上前のテレビには骨太な社会派のドラマが多くあった。
才能と才能がぶつかり合った。そして互いに認めあった。
テレビの内容はすっかり変わったが、世の中に起きている事件の裏にある人の心の闇は変わっていない。
あの頃は各局の看板演出家が我こそはと競い合った。
芸術祭参加作品という勝負の舞台があった。
現代社会の闇に蠢く者共を、故萬屋錦之介が演じた「破れ傘刀舟」の決めゼリフ、確かこんな感じであったと思う。“お前たちは人間じゃねえ、叩き斬ってやる”と正義の刀で骨太のドラマを生んでもらいたいと願うのだ。
浅丘ルリ子さんの第1回〜第21回、赤裸々な人生の履歴が私の青春時代を思い出させた。
一年中通った映画館が“荻窪日活パルサス”。
石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、そして宍戸錠。
浅丘ルリ子、芦川いづみ、笹森礼子、そして北原三枝。
♪〜君も覚えているだろ 別れ口笛 わかれ船…と石原裕次郎さんの歌を口ずさみ。
♪〜夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく…と小林旭を口ずさみながらこれを書いているのだ。
浅丘ルリ子さんは、極貧の中で育ったと書いてあった。学校すらいけなかったと。
次は第22回となる。タフガイとマイトガイ。この頃の作品はモンダイガイ。(文中敬称略)
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