「ペレス・プラード」音楽好きの人なら知っているはずだ。“マンボ”の王様である。躁鬱病の大作家で有名なのは、「北杜夫」先生で“どくとるマンボウ航海記”は人気シリーズであった。天気予報番組で有名だったのは、“ヤン坊マー坊天気予報”だった。沖縄では今辺野古基地反対運動が続いている。世界一美しいという青い海の中を悠々として游ぐ“マンボー”を殺すなと、一致団結している。何がなんでもオリンピックを開催して政権を維持したい人間たちは、コロナ禍第四波により緊急事態宣言は出したくない。出せばGo To トラベルや、Go To イート解除宣言の解除失敗などを認めることになる。そこで、“マンボー”なる言葉が一気に流行語大賞へと向い始めた。“まん延防止等重点措置”略してマンボーだ。人間をだますために東大を出たような官僚たちは、この手のやり方を得意中の得意としている。国民は緊急事態宣言発出と言えば、オリャー政府は何してるんじゃ、菅内閣はドアホーか、同じ過ちを繰り返してばかりだろうが、井筒和幸監督風に言えばこんな風になる。マンボー、マンボー、言うとるがヨオ、ちゃんとペレス・プラードさんとか、北杜夫さんとか、ヤン坊マー坊さん(ヤンマーディーゼル提供だった)、沖縄のマンボーさんたちにヨオ、名前の使用料を払っての、オ、オ、オ、こんなはヨオ(あんたらはとか、お前たちの広島弁・特に呉のヤクザ)ウソばっかりついてんじゃないの、ヨオ、西村、ヨオ田村、ヨオ、河野、(各担当大臣)“カバチタレ”とるんじゃないよ。(ハッタリとか与太話の広島弁)ワクチンなんか来る来るゆうているが、ゼンゼンこんじゃないか! ヨオ、噂じゃヨオ、コロナ第四波が来ない内に衆議院を解散して、総選挙をやるそうじゃないの、アメリカのバイデン政権にスケてもらって(助けてもらって)ヨオ、米軍の経費をたっぷり増額しますと約束するんじゃろうが、思いやり予算とかでな……。久々に深作欣二監督の名作「仁義なき戦い」を見て、すっかり広島弁風となった。官邸はいよいよ選挙モードになっているのは間違いないと思う。何故ならコロナ禍は拡大の一途になる。ワクチンは少しずつしか届かない。オリンピックはやらねばならない。安倍・麻生たちは週刊文春にリークする(これは推理)毎週木曜日の文春砲がボディブローのように効いてきた。あんたら新聞記者だろ、いつマスクが取れるんだよ、麻生太郎が、新聞記者たち相手にヨタッてた。永田町はすでに仁義なき戦いのど真ん中なのだろう。私たち国民はそんな戦いよりも、コロナとの戦いのど真ん中で、ニッチモ、サッチモ、ドッチモ、コッチモ、ちっ息状態だ。イギリスの医学博士がマスクから解放されるのは、どんなにはやくても。三、四年はかかるとか言っていた。マンボーなどと略さずに、総理大臣たる者は、国民に向って何時間かけても質疑応答をする度量がなくてはならない。その上で責任は私がとる。中・小・零細企業や、個人(フリーランサー)経営の人たち、ネオン街の人々へもしっかりとお金を出す、だから守るべき事は守ってほしいと言わねばならない。俠(オトコ)の社会では“額の傷は男の紋章、背中の傷は男の恥”と言う。正面の傷は戦った証拠、背中の傷は逃げた証拠ということだ。私はこの人との“いい思い出”は大切にしたい。それ故このままこの人と付き合い続けたら、きっといい思い出がなくなってしまう。そう決めたら姿を消すことにしている。散る桜 残る桜も 散る桜という。キックボクシングのスーパースターだった。空手家出身沢村忠さんが死去とのニュースを見た。享年78歳「キックの鬼」232勝(228KO)5敗4分け。“真空跳び膝蹴り”で、巨人、大鵬、玉子焼きよりも人気があった。キックボクシングなんてものに神聖なボクシングという言葉は使わせないと。キックボクシングの生みの親であった。野口ジム会長野口修は、ボクシング協会から除名された。しかし「キックの鬼」沢村忠の登場により、テレビの視聴率は30%以上となり、1973年には三冠を獲った王貞治を抑えて沢村忠は日本プロスポーツ大賞を受賞した。沢村忠はリングネーム、引退後は見事に姿を消した。本名は白羽 秀樹、自動車整備士の資格を取得し、都内で整備工場を経営していたと記事で読んだ。五木ひろしが全く売れなかった頃、沢村忠とリング上で、大ヒット曲となった“よこはま・たそがれ”を歌ったシーンを憶えている。五木ひろしをよろしくと沢村忠は紹介した。野口ジムは目黒にあった。会長の弟は野口恭という、フライ級のいい選手だった。大ファンだった矢尾板貞雄とのタイトルマッチを後楽園ホールに見に行った。私は野球、空手、そして何よりもボクシング少年だった。現在午前三時五十三分五十二秒。これから五木ひろしの“よこはま・たそがれ”を聴く。♪~ よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース 口笛 女の涙 あの人は 行って 行ってしまった もう帰らない……。作詞山口洋子、作曲平尾昌晃の名曲だ。五木ひろしは何度も芸名をかえても芽が出なかったが、この曲と出会い日本を代表する歌手となった。山口洋子は銀座の超高級クラブ「姫」のママであり、後年直木賞作家となる。一曲の誕生が多くの人間の人生を変える。人生はブルースなのだ。沢村忠さんに(合掌)ヨオ、西村、田村、河野、こんなら額の傷を恐れず、がんばらなゃ、いかんのじゃけん。担当大臣として男を見せい、国民を守るのが仕事じゃけんのオ。(文中敬称略)
0 件のコメント:
コメントを投稿