ページ

2021年5月28日金曜日

つれづれ雑草「情けない」

「コラ、ババア、電話出らんかい。ババア、死ね、コラアー」と昨年末から今年5月かけて、40代の男性と60代の女性に、電話をかけ続けていた、四天王寺大学准教授(48)が五月二十四日脅迫の疑いで逮捕された。元外務官僚である。昨年11月被害者の男性は、勤務する職場近くの牛丼店で食事をしていた。会社役員をしていたその男性に、電話が入った。男性はマスクを外した状態で、「食事中なので折り返します」と話をした。マスクの着脱、そのことに准教授は立腹した。その場ではトラブルにならなかったが、准教授は男性の後をつけ、職場を突き止め、脅迫電話をかけた。その日以降、無言電話や脅迫電話が数十回続いた。脅しはやがて、息子さんやお母さんに向けられた。その内容は、留守電にしっかり録音されていた。1997年早大卒、2000年コロンビア大学で修士を取得、富士通に就職後、ユニセフのパキスタン事務所で児童保護官を務め、国連の国際労働機関のタイ事務所で児童労働専門官、そして外務省へ。さらにJICA国際協力機構に所属、帰国後広島大、羽衣国際大へ。パクられた時は四天王寺大の専任講師(准教授(?))だった。大阪維新の会の橋下徹氏に共感して、政治塾で受講していた。世の中的に言えばエリートなのだろう。あるいは友人たちが、いつかきっとと言われていた阿呆なのだろう。とにかくしつこい男であったようだ。数ヶ月ババア、ババアの連発だったようだ。被害者家族は相当にマイッテ、警察に相談した。「間違いありません」と容疑を認めているとか。(5/27日刊ゲンダイ抜粋)マスクを外すか、外さないかでトラブルが生じている。マスクの着脱には十分注意しなければならないと、この記事を読んで思った。FACTAという会員誌・今月号に「食べログ」で、★の数や評価点を減らされて、そうでなくてもコロナでお客さんが減っているのに、大迷惑だ! とお店のオーナーたち、という記事があった。(自由競争経済秩序を侵害しているから独禁法違反に当たる)東京地裁へ公正取引委員会事務総局審査局長が意見書を提出した。この問題はコロナ禍の中で大きく広がって行くと思われる。(とても気がかりなのだ)知っていた店が、次々と閉店や廃業している。昨日深夜、溝口健二監督の「山椒大夫」を久々に見た。森鴎外原作である。平安末期、世は乱れ人が人として生きてられない時代であった。現在と同じ格差社会だ。一昨日日本人が海外で持っている資産が、350兆円近くもあると記事で知った。国内での預貯金は1000兆円を超すともいう。ケチ、守銭奴、ゼニゲバたちは金が金を生んでいるのだ。使い切れずに死んで行く。さて、「山椒大夫」だが右大臣家から広大な荘園を預かるボスである山椒大夫は、貧乏人たちを安く買い漁り、コキ使って銭を稼ぐ、そして貴族たちに貢ぎ物をする。人としての正しさを、妻や息子厨子王、娘安寿に教えた父は死ぬ。母は佐渡へ送られ遊女にされる。厨子王と安寿は山椒大夫に買われて、生かさず、殺さずコキ使われる。いつの世も同じである。兄を逃がすために入水自殺する妹。やがて月日は経ち、山椒大夫は厨子王によって退治される。そして厨子王は佐渡へと渡り、老女となった母と会い抱き合い、安寿の死を知り母は泣き崩れる。私はこの手の映画に弱いので、涙を流していた。白黒の佐渡の海は美しかった。映画の中で安寿が織り物をするシーンがあった。買われて来た少女たちに織り方を教えるのだ。ふと、ユニクロの事を思った。より安い原材料を使い、より安い賃金でより安い商品をつくる。アメリカではユニクロの一部商品を、人権問題にあたるとして、輸入不可にした。(そういうアメリカもかつて、綿栽培は奴隷の仕事であった)ユニクロは女工哀史で成長をした企業であることは言うまでもない。中国やベトナムなどアジア諸国で、そこの賃金が上がるとバングラデシュなどへ。そのバングラデシュでは、ユニクロの商品は、「血の糸」(娘たちの安い賃金)で織られていると言われている。売り上げ高世界一へとエラソーに言っても、ユニクロはユニクロ、GUはGUでしかない。これから企業はエシカル(倫理的)が求められる。倫理性に欠けていたら、そのブランドは認められない。山椒大夫と同じなのだ。売れ残ったユニクロ商品が燃やされ、焼却された時に出す二酸化炭素が空気を汚す。女工たちの祟りがきっとあるだろう。それにしても、溝口健二の世界はすべてにおいてすばらしい。その後、新藤兼人監督の「悪党」を見た。谷崎潤一郎原作「顔世」をベースに作られている。この映画については後日。今、ある作品づくりの資料を読み進めている。母は強し、されど女は……。コラッ! 阿呆官僚たち、ババアなんて言ってんじゃネエぞ。コラッ!IOCのバッハ会長オリンピックでひと儲けして、バッハハハハと笑うんじゃないぞ。IOCのコーツ調整委員長、コイツは悪想の極みだ。(人のことは言えないが)子どもたちの運動会が中止になっているのに、オリンピックはできないだろうと、ハッキリ物言う議員が出たら、次のリーダー候補になるだろう。近所の市会議員たちが、ワクチンのために全く働いていない。オッとババア、じゃない、奥さま方が声高に叫んでいる。次は絶対投票しないと。飛行機の中で、CAの女性のおしりをワシづかみしてパクられた男がいる。ホトホト情けない国になっているのだ。




2021年5月21日金曜日

つれづれ雑草「エスカルゴ」

粘着テープをシュレッダーして、暗い空から落とし続けるような嫌な雨が降る。心も体もベトベトする。人類すべてがマスクをしている。(アマゾンの原住民もアフリカの民族も(?))ふと、ある映画のシーンを思い出す。確か大岡昇平原作の映画か、火野葦平の映画だった。敗戦間近の南方戦線のジャングルの中、飢餓地獄の日本軍兵士たちが、動く物なら何でも食べると食物を探す。一年中雨のような熱帯雨林の中で育った、かたつむりは大きい。フランス料理のエスカルゴも、日本兵士たちには、悲惨なかたつむりでしかない。(でんでん虫ともいう)連合国には空から陸から食料が次々と補給される。戦争の勝敗は、兵站(食料弾薬、武器)の差で決る。日本軍の作戦命令は、現地調達せよであった。つまり現地で略奪しろという事であった。太平洋戦争の戦死者の60%以上が餓死であった。木の皮、木の根を、サラミか、ビーフジャーキーのように思い、待っている人のために生きようとしたのだ。飢えた日本兵は、ハンニバル・レクター博士のようになっていた。敗戦から76年目、世界大戦の中にいる。新型コロナウイルスが、世界共通の敵となっている。戦争は武器商人たちにとって、これ以上ないビックビジネスである。世界各国の財閥は戦争によって生まれた。当然日本の財閥も戦争成金である。2021年現在日本国民はかたつむりの代わりに、ワクチンを必死に求めている。このワクチンは正しくは、ワクチンではなく、新薬だと世界の科学者は言う。治験も経ていない新薬(ワクチンと称しているだけ)を求めて、配給米を支給されるが如く列をつくる。人間は一度必ず死ぬが、ずっと生き続けたいと思う生き物である。過度に発達したIT社会の中で、日本がIT後進国であった事を知る。(私は全くITオンチ)ワクチン注射の予約がとれない、つながらないと今、後期高齢者たちは怒る。この国はホントダメ、菅政権はサイテー。黒岩サイテー(神奈川県知事)と、ご近所は大合唱する。悪夢のような民主党政権時代と、安倍首相はよく言ったが、今や悪夢の上を行くのが菅政権だとの声が、鳴門海峡の渦より大きく広がっている。今ではワクチン敗戦国の大見出しが夕刊紙に、週刊誌に踊る。すべてはオリンピック開催のための作戦も、かつての日本軍司令部の机上の空論のように、あてが外れまくる。織田信長だったらどうするか、豊臣秀吉や徳川家康だったら、西郷隆盛や大久保利通、江藤新平だったら。大村益次郎や秋山好古、真之兄弟だったら。児玉源太郎や後藤新平だったらを研究していない。私が最も尊敬する吉本興業のアホの坂田さんにお願いするしかない局面になっている。坂田利夫さんは、本当は凄いインテリ(?)なのだ。このままだと、米一揆ではなくワクチン一揆だ。世界を仕切る新薬マフィアの高笑いが聞こえる。バチカン銀行の口座には、上納金がしこたま振込まれるはずだ。悪魔はいつも微笑している。名画モナリザの微笑は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、女装した自分を描いたのではと私は思っている。ダ・ヴィンチはジョークが好きだったとか。ミサイルなどの武器や弾薬にも使用期限があるらしい。で、在庫一掃セールのように、イスラエルとパレスチナなどが、ドンパチして新兵器を買う。武器マフィアの売り上げは上々となり、バチカン銀行に上納金が入る仕組みなのだろう。コロナワクチンという新薬は、ずっと先きの先きまで日本国民みんなの腕には注射されない。(二度打てというオマケつきだ)今はガチンコ勝負だが、かつて大相撲の世界では、八百長をすることを注射を打つと言った。どの国の誰がウイルス菌を創り、大儲けを企んだか、八百長を仕組んだ胴元が、いつの日か分かるだろう。「五輪一大感染イベント」に米の権威、延期を促す(ニューヨーク=共同)米国感染研究の権威の一人、バンダービルト大のウィリアム・シャフナー教授は、CNNのニュースで東京五輪延期を語った。バイデン大統領は、科学的に安全・安心が証明されない限り、と言っていた。五輪中止を勇気を持って決断したら、菅義偉総理は歴史上の大人物として後世に語り継がれるだろう。さもないと敗戦のA級戦犯、東條英機となる。私の好きな、河竹黙阿弥の言葉(花街模様薊色縫~十六夜清心)。「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ」。ある戦史家が、同じ武器を持たせ、同じ人数で戦ったら、日本人が世界で一番強いと言った。みんなでゆずり合ってコロナと戦って行こう。最高司令長官は、アホの坂田こと、坂田利夫元帥だ。作戦名はエスカルゴ。あせらず争わず前へ。梅雨の季節は、天才中野裕之監督のピースな映画作品を見よう。日本全国雨は降っていない。(文中敬称略)



2021年5月14日金曜日

つれづれ雑草「無用の用」

孫子はその兵法の中で、ドンパチやり合うほど愚かな戦さはない。戦わずして勝つべしと教える。即ち人の心の中を読む。人はその立場によって、心が揺れ動く。高い立場にいれば、さらにその上を目指す。あるいはその立場を守らんとする。孫子はその心を知略調略によって摘めよと教える。昨夜「その住人たち」というスペイン映画を見た。主人公の男は広告会社の重役であった。CM制作担当である。(クリエイター)家族の幸せ感や、人間の幸せ感を表現した作品をつくり、業界で名を成していた。高級レジデンスに住み、窓から外界を見下ろしていた。妻と娘がいる。こんなシーンから映画は始まる。とある大手広告会社で自身の作品を見せながら就職活動をしている。つまり失業中なのだ。面接をする相手は、その名をよく知っているが、あなたはもう古いのですよ、そんな対応をされる。一社、二社、どこでもそう言われて職につけない。主人公は、今の生活を維持して生きたい。妻との間にはスキ間風が吹いている。かつてアルコール依存症だった。失業が続く中引っ越しをする。安い住まいでの生活の中で、一人の男と出会う。そこは断酒会の場であった。男がどこに住んでいるかを調べる。そこには国内で二番目の大手運送会社の夫婦が一人娘といた。広大な庭園では庭師が日々手入れをしている。大きなプール付き。主人公は、一つの考えを持つ。この家族をそっくり手に入れてしまえばいいのだと。つまり邸宅の夫婦の間もうまくいっていない。出会った男は妻の父親の会社にいるので、ストレスが多くアルコール依存症になっている。暴力をふるったりして妻を傷つける。主人公は戦わずしてこの家族を手に入れるべき、調略をめぐらす。自分たち夫婦の関係を解消させ、狙った相手夫婦も解消させる。その妻の再婚相手は自分だ。この映画はシナリオが実に良い。役者の名は知らないが、いかにも策略家の味を出す。遠くから見ると幸せの見本みたいで憧れの家族も、ひと皮めくれば憎悪の館、殺意の館なのだ。変態の庭師はそれを知っている。もの凄く後味が悪く面白い映画だ。シェイクスピアの「オセロ」は、イアーゴのたったひと言の告げ口で、嫉妬の炎を燃やし亡びてしまう。人間とは業の深い生き物である。シェイクスピアの変わらぬ主題だ。現代社会では、ネットという告げ口が主流だ。姿が見えない分、イアーゴよりタチが悪い。「ブロークン・シティ/インフェルノ」という映画も見た。NYの市長選がらみの夫婦憎悪劇だ。アメリカ社会は全て、カネ、カネ、カネ、ワシントン・ポスト紙がIOCの連中のことも、そう書いていた。又、ニューヨークタイムズ紙、シカゴの有力紙も、日本のオリンピックは、非科学的なので、もう中止せよと書いている。私はすでに中止した場合、ぼったくりのIOCや、スポーツマフィア、ユダヤ系資本家たちと、落とし前の金額交渉を進めているのではと推測する。孫子の兵法を読んでいる知略家が政府にいるだろうか。コロナ禍の中で「ところ天」をすする機会が増えた。私はところ天という存在に声をかける。君はそばでもなく、しらたきでもなく、くずきりや、はるさめでもない。主義思想や、実存の哲学を感じることもない。君がいなくても世の中に影響はない。栄養もなく見栄えもよくない。きざみのりをまぶし、酢にひたし、黄色いカラシをそえる。ところ天にヌルヌル感を持ちながら、箸でかき混ぜて、ズルズルとすする。カラシが鼻にツーンとして、目に涙がたまる。効きすぎだ。君は実に知略に富んでいる。自己を捨てて、自己を活かす。相手に合わせて、相手を拒否する。“無用の用”のような存在の価値創造をする。私はところ天に大いに学んでいる。深夜映画を見ながら、ズルズルとした世の先きを知る。大リーグで大谷選手が、大活躍をしている。すばらしいが、必らず大怪我をする。何か見世物にされているようで私はツライ。才能が有りすぎる不幸がある。元横浜ベイスターズの筒香選手が大リーグで活躍できず、横浜ベイスターズに帰ってくるとか。うれしいようでツライ。日本で最多安打を打っていた、秋山選手も活躍が全くできない。やはり大リーグの壁は厚く高い。日本のプロ野球は元大リーガーとかドミニカなどの外人選手だらけになってしまった。一昨日の夜、横浜ベイスターズが5対3で勝っていた。九回ツーアウトだった。辻堂駅に降り家に着いたら、エ~5対5の同点で終わっていた。筒香選手が必要なのだ。野球はアタマでするスポーツともいう。横浜ベイスターズの監督のアタマはリーゼント。オールバック、何か関係あるのだろうか。進めない成績に。絵に描いたような幸せな夫婦は、この地球上に一つもない。何かモメたら、ドンマイ、ドンマイだ。コロナ禍は拡大の一途だ。オリンピックは“ガマンピック”だったと忘れよう。選手たちにはツライ。親愛なるアカギ君、横浜ベイスターズは、これから大前進だ(?)。「1922」というアメリカ映画を見ると、夫婦憎悪の極限を知る。スティーヴン・キング原作だ。ネズミ年生まれの人には、オススメだ。(文中敬称略)



2021年5月10日月曜日

つれづれ雑草「運砂利」

 「お流にする」。表ではない社会の人間が使う言葉だ。おりゅうにすると言う。この話は水に流して無かった事にしようとか、いままでの関係は無かった事にしようとかの場面で使われる。水に流すという意味だ。オリンピックはお流にしよう。国民の70%近くが中止又は延期を望んでいる。17日に来日予定のIOC会長バッハが来日延期となった。米国の有力紙は、バッハ会長をぼったくり男爵と評した。やらずぼったくりの人間だと。IOCなどは今ではスポーツマフィアである。世界中のネットワークや、マスコミはユダヤ資本が殆ど仕切っている。外交力が著しく不足している日本国は、何から何までやらずぼったくられて来た。優秀な外交官を育てて来なかったからだ。国際的歴史観も、語学力も無い。外交術を持っていない。それ故ダフネゴシューターがいない。江戸時代の幕閣の人間の方がはるかに優れている。外国人は相手が弱腰だと見ると、怒鳴り、机の上を拳で叩き、顔面を紅潮させる。タフでないと、ブルッテしまう。相手はそれを見逃さない。で、次々とやらずぼったくりの要件を突きつける。私は外人相手は得意中の得意だった。外人が怒ったら、こっちは日本語でさらり、さらりと話をする。そして腹を切るポーズをしてニタッと笑う。外人はこれで静かになる。長引くコロナ禍の中で運動不足解消にと、毎日シャドーボクシングをやっていたら、足腰がパンパンになり筋肉を痛めてしまった。体は正直でありバカな行為を許さなかった。でもってスパーリングはお流にした。過日(10日位前)新聞に次の総理大臣は、菅総理でいいじゃないのと、安倍晋三前総理が語ったとかの記事があった。総選挙で勝ったらの条件がついていたようだが、コロナ禍という火中の栗を拾う人間は誰か。クリント・イーストウッドの映画「運び屋」では、引退した老人が麻薬の運び屋をやる。河野太郎ワクチン担当大臣は、それを見たのか、下手なジョークで、自らを運び屋と言った。語学が達者な政治家らしいが、人間力が達者ではない。発言が日々コロンコロン変わる。変節漢である。次の総理大臣の人気NO1とか。絶句である。シタタカなワクチンマフィアは、日本の足元を見て値をつり上げる。相手が求めれば、小出しに売るという、商人の定法通りでやりたい放題にされている。国内ワクチンの開発費を大幅にカットしたために、日本でワクチンは開発できなくなっている。(安倍政権下でカット)日本の科学者は優秀なのに才能が発揮できない。ウイルスはこれからも続々と現われる。すぐにでも手を打つべしだ。「学のある馬鹿は、無学の馬鹿よりお馬鹿さんである(モリエール)」。目が死んでいるリーダーの軍には、勝機は来ない。どこで覚えたのか、やたらエビデンス、エビデンスと我が国のリーダーは言うが、目が死んでいる。眼光が無い。ここで一発目を光らせて、オリンピックはお流にします。責任は私が取ると言えば男一代、名は末代となる。ワクチンが入手できても打つ手がいない、なんて話を聞いていたよからぬ人間たちが、打つ手なんて、なんぼでもおるわい、シャブ中はみんな注射を上手に打つけんのオ、なんて言っているやも知れない。夜うめき声がした、何んだこりゃと思ったら、洗濯機が古くなって労働に耐えられなくなっていた。冷蔵庫も一日中むせび泣いている。やはり古くなっているからだ。テレビを見ていると突然画面が無になる。どうやらアンテナが塩害でやられているようだ。友人たちの個展が多く中止になっている。ギャラリーがどうしても開催してくれと言われて開催しても、観に来てくれる人は少ない。人流なんて言葉があったのを知らなかった。人の流れと言ってほしい。小泉信三さんと言う高名な人の言葉を大切にしている。「人生において、万巻の書を読むより、すぐれた人物に一人でも多く会うほうが、どれだけ勉強になるか」。学校や学問、読書が苦手な私にはこのお言葉が支えであった。しかし大切な人とお流にした人生である。今、奇蹟の命を守り、支え、愛し続ける。海よりも深い親子愛の物語を読んでいる。15年余に及ぶ日記のようなものだ。沖縄にいる友人と、ドキュメンタリーの映画にしたいと思っている。いずれ有志をとお願いする。「愛」このフツーの一文字が、実は人間社会において、いちばん形にできないのだ。オリンピックは、人類愛を求めている。ならば今、お流にすべきだろう。開催すればコロナ禍は拡大の一途となるだろう。オリンピックの選手に変な意見を突きつけてはならない。選手も国民の一人に過ぎないのだから。うんざりという言葉を漢字で書くとどうなるのだろうか。運砂利はどうだろう。運は一握の砂の如くであり、利は得られない。小さな努力を積み重ねよう。(文中敬称略)