きのうの夕刊、ある新聞広告の見出し。マスク越しの声もよく聞こえる「高性能集音器」、猫背・補正、肩スッキリ、腰スッキリ、背筋ピーン「背中サポートベルト」、股下が選べる「ジャージスーツ」、首を伸ばしてスッキリ「製首ストレッチャー」、巻いて安心、脱腸サポータ「腸あんしん」、その夜、男の元気「すっぽん顆粒」。「近頃、独自の人生観を持たない日本人が多くなったという。若者はその日その日の充実感が得られたら、それでよしとする。中年になると保身と利益を重視して、生きていくというだけの、現実を優先させる。初老の人々は、趣味を大事にして、うるおいとゆとりある生活を望み、自然に情緒を求める。さらに年老いると、ひたすら健康と長寿を願うようになる。こうした傾向が強まったことから、日本人は確固たる人生観を持たなくなったのだそうだ。」(笹沢左保)私の頭の中のイメージでは、ロシアのプーチン大統領が、ロシアの大富豪たちの雇った殺し屋、あるいは軍人たちに、ハチの巣のように撃ち殺される姿が浮かぶ。日本はかつて中国に殴り込みをかけて、満州国をつくってしまった。アジア諸国でやりたい放題の悪業を重ねた。80年ほど前である。イギリス、フランス、オランダ、スペイン、アメリカなどは世界中で悪業の限りをした。ロシアは救いがたい事をしているが、欧米列強のしてきた事は、ロシア、中国、北朝鮮などに意見を言う資格はない。先住民の皆殺し、軍事介入、侵略、占領植民地化。もし言うならば、演説のはじめにまず自分たちの過去の過ちを認めた上で、してもらわねばならない。世界は未だに総括をしていない。脱腸状態で“腸あんしん”と言えない。ロシアの暴挙で、テレビはコロナ関係のニュースはサブとなり、ロシア一色、ウクライナ一色となっている。当然岸田内閣はオレたちはついているとなる。ルビコン川を渡ったプーチンは、もう後戻りできない。カサエル(シーザー)は結局元老院に殺される。ブルータスお前もか、とメッタ刺しとなる。賢者は歴史に学び、愚者は今に学ぶという。(むかしのことなんか知ったこっちゃない。今さえよければいいんだよ)“いつまでもあると思うな親と金”というが、人間という生き物は、自分だけは違うと思っている。一度は絶対死ぬのに、いつまでも生きたいと願う。100歳の老人が三度目のワクチンを細い腕に注射してもらって、これで安心して長生きできますと言う。嫁はその横に立ち苦笑する。朝おどろくほどどっさり「便秘改善薬」とか、骨盤矯正開脚180度「整体院」なんてものもある。ある人に合う靴も、別の人には窮屈であるという。人生、人それぞれ。あらゆるケースに適用する人生の秘訣はないという。「目、目を見ず、指、指をささず」誰でも自分の事はよく分からないものである。私などはその見本だ。赤紙一枚で戦場に行くと、気のいい肉屋さんも、やさしい魚屋さんも、たのしい学校の先生も、凶悪な殺人犯となってしまう。戦争は絶対にしてはいけない。“腸かなしい”ことになってしまう。昭和の時代この国はカーキ色の軍服を着た国だった。安倍晋三元総理が、核を持ち込んだっていいではないか、論議に値すると言った。どこまでも脱腸的なのだ。深夜“故工藤栄一監督”の名作、東映製作の「十一人の侍」を見た。正統派時代劇の教科書のようなすばらしい映画だ。ずっとむかしの作品だから、天下無双の剣士も、武士の鑑も、お殿様もお姫さまも、奥方さまも、みんな故人となっている。しかし映画は不滅だ。みんな映画の中で生き続けている。その後、故溝口健二監督の不朽の名作“雨月物語”を見た。世界中の監督たちが、溝口健二監督を徹底的に学んでいる。何度見てもすばらしい映画だ。後日語ることにする。背中が痛い。「背中サポートベルト」の広告を読む。深呼吸をするために窓をあけた。明け方に見る梅の花は、もうすぐ春ですよと言っていた。これから故伊藤大輔監督の「大江戸五人男」を見る。主演は大ファンであった故阪東妻三郎だ。“幡随院長兵衛”を演じる。俠客は江戸の大スターだった。いないのかなあ命を張ってプーチンを止める世界を舞台の大俠客は。(文中敬称略)
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