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2023年4月25日火曜日

つれづれ雑草「川は流れる」

やんごとなきこと数多き日々、解決の糸口はなきに等しき事、いろんな難問が滝つぼに集まる水群のごとく流れ落ちてくる。やんごとなきことは、労多くして実りはない。♪~ 夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく なにをいまさら つらくはないが 旅の灯りが 遠く遠くうるむよ……。と小林旭の歌などを聞く。♪~ 涙じゃないよと 言いたいけれど こらえても こらえても まつ毛がぬれる 君よりせつない この俺なのさ だから笑顔が ほしいのに さよならが さよならが 霧にむせぶ夜……。黒木憲を歌う。日本酒の「真澄」を一合飲みながら、♪~ 命に終わりがある 恋にも終わりがくる 秋には枯葉が 小枝と別れ 夕べには太陽が 空と別れる 誰も涙なんか 流しはしない 泣かないで  泣かないで 粋な別れを しようぜ……。石原裕次郎の歌を聞く。ミックスナッツの袋から次々とナッツを出し口に入れる。やんごとなきことの先にはもっと、やんごとなきことが待っている。長いトンネルを抜けると、そこはもっと長いトンネルだったとなる。♪~ 義理と人情を 秤にかけりゃ 義理が重たい 男の世界  幼なじみの 観音様にゃ 俺の心は お見通し 背中で吠えてる 唐獅子牡丹……。高倉健を聞く。男は、「仁」と「義」と「筋」と「道」に命を懸けねばならない。若かれし頃ならば、体は命じるほどに動いたのだが。♪~ 病葉を きょうも浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて 哀しみに 染まる瞳に たそがれの 水のまぶしさ……。仲宗根美樹の歌を聞く。ある人は心冷たく ある人は好きで別れて 吹き抜ける 風に泣いてる。やんごとなきことばかりのこの世の中で、私自身がやんごとなきのことの中にどっぷりといる。私はYOROZU相談室をやっているが、私のYOROZU相談を聞いてもらえる人はいない。この身に流れる血の源は、仲間を裏切ったアノヤロー、今度会ったら必ず地獄の底まで道連れにしてやるという気迫だ。それがずっと私の心の支えだ。苦しみを共有する、楽しみも共有する。一人だけいい子になってはイケナイ。裏切り者が我が世の春と思っているところに、突然現われる。ある年、ある日突然にだ。暴力を使うことは決してない、ただ相手が来れば応じるだけだ。スイセマセン、ワルカッタです。この一言があればいい。それで仲良しになれる。やんごとなきことには、“裏切り”が多くからんでいる。それは、親子であり、兄弟姉妹であり、親の友と思っていた仲であり、誰れから見ても仲良き夫婦だったりする。親族一同はやんごとなきことの主役でもある。財産のある人間が死ぬと、法定相続人と称して、やたらに親族が増える。死体に群がるハゲタカやリカオンのように。昨日の敵は、今日の友、敵の敵は味方とばかりに、財産に群がるのだ。やんごとなき男と女の関係をどう切り離すか。これほどの難問はない。東大の入試より、司法試験よりも難しい。強力なアロンアルファで結びついた強固なものは、KURE CRC5-56をいくら注入してもスパッと別離しない。ならば自由にせよと思うが、やんごとなき相手は、DVを得意とし、その相手はDVを受けて耐えることを愛だと信じている。そして、それはある種の快楽となっている。今まで決して手にしてこなかった、大江健三郎さんの本を読んだ。先日亡くなったノーベル賞作家の本は、難解を極めていると聞いていた。「万延元年のフットボール」のページをめくった。本文全448ページ(解説別)どんな本かいなと読み出すと、11~12ページにこんな一文があった。 この夏の終りに僕の友人は朱色の染料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜(きゅうり)をさしこみ、縊死したのである。やんごとなきことであり、この一冊の本がこれからどうなっていくのか、期待を大いに与えてくれた。一日30ページずつを課して、昨夜読了した。無学の私には読めない漢字ばかりであり、辞典を横に置いて読んだ。四国のある山村で起きた一揆の話があり、その背景には朝鮮人への差別があり、フットボール(ラグビー)のチームをつくっている谷間の若者たちの暴動がある。生んだ子は生まれながらやんごとなき状況にある。妻と弟との姦通。弟と妹との少年少女時代からの近親相姦。暴徒の犯す集団の罪の連鎖。さすがに読みごたえがあり、その後、放心状態となった。今、この国はやんごとなき世になっている。夫婦がキャンプを楽しんでいたら、そこに巨大老木が倒れてきて、妻は死んで夫は重傷となった。何が起きるか分からない世の中である。銀座のママが参議院議員となった。その差わずか300票。“復讐は最高の健康法だ”と言った映画があった。“贅沢は復讐”だと書いた本があった。今の私を支えているのは、自分のケジメをどうつけるかである。私は今、大好きな船村徹の弾き語りを聞いている。♪~ 泣けた 泣けた こらえ切れずに 泣けたっけ……。チクショウ! 人生、負けてたまるかだ。(文中敬称略)




2023年4月22日土曜日

2023年4月15日土曜日

つれづれ雑草「長屋の食事」

ずるずるずるずる……と、情緒のない雨が降りつづいている。こういう雨はじつに気分が重くなる。そうでなくても気が晴れるようなことがない。昨夜息子が食事に来て、インテリアの仕事をしている知り合いが、コロナに感染して、肺炎を悪化させ、四十八歳の若さで急死したと言った。中学一年の子がいたという。なんと悲しいことか。下火になったとはいえ、コロナを甘く見てはいけない。“マスクは「自主的判断」にまかせます”みたいなことになるが、日本人はこのような判断がもっとも苦手な国民である。“お上のいうこと”に従ってさえいればいいんだという習性が身についている。お殿様、御奉行様、御代官様、御役人さんの指示にずっとへいこらと従ってきた。それは何かあった時に、お上の指示に従っただけだという逃げ口上に使える。日本人ほど好戦的な体質を持っている国は少ない。より好戦的なのは、中国と韓国民だろう。日本の文化はこの両国から教わった。共通しているのは、中→韓→日と伝わり、共に、人海戦術で、徹底的に殺し合う。英、仏、米、露、独、オランダ、スペイン、トルコなどは、殺すより生かし奴隷にして、こき使い産業を生み植民地化する。すべてビジネスなのだ。金儲け第一主義だ。戦争の時上官は部下に情況は自分で判断しろ。そして“生きろ”と命じる。日本軍は違う自主的判断は許さず上官は生き恥をさらすな、そして“死ね”と命令する。この国の民は、何より周囲の眼を気にする。体面や世間体を気にする。欧米は生きて帰ることが名誉であり、この国は見事に死んで帰ってこそ名誉となる。なまじ生きて帰ると“村八分”にされた。小さな手帳を持ち、「聞く力」を持ってと言って、芝居がかったデビューをした岸田文雄総理大臣だが、聞く力は国民の声ではなく。米国の声、官界の声、財界の声、今なお安倍派を名のる大派閥の声ばかりを聞いて、軍事費増大OK、原発再稼働OK、カジノ賭博OK、俺の辞書にNOはない、とばかりにあの安倍総理でもOKしなかった重要案件を、オッパッピーと、かってに流行った、パンツスタイルのノリでOKの大連発だ。オッパッピーの小島よしおさんは極めてインテリである。岸田総理はどさ回りの旅人のように点数稼ぎのために、諸国を回ってサミットを迎える。“俺は政局に強いんだ”が自慢のようだが、実は酒の方が強いらしい。和歌山県で選挙の応援中、24歳の若者が何かを爆発させたと、ニュースは伝えている。岩手県六戸では92歳の男が、放火殺人で5人を焼死させたと伝える。幼い子まで殺めるという残酷さに身が震える。自主判断ができない体質の日本人に、これからどんな争い事が起きるか想像もつかない。私は声を大にして言いたい。“死ぬな”“生きろ”そして、殺されるな。私はもう十分過ぎるほど生きているので、命に未練はない。むしろみんなに迷惑ばかりかけてるこの身を恥じる。がどうしても作りたい映画がある。たくあんだけにかじりついても、後世に残したいメッセージがある。いよいよスタッフが決まり、キャストも決まりはじめた。仲間も集結しはじめた。制作費を生み、貧乏に耐えるために、この頃は、メザシと納豆だけ。塩鮭と味噌汁だけ。とろろとカツオ節だけ。こういうメニューの食事をつづけている。江戸時代の長屋の住人の食事を見本にしている。今日はブリのカマと冷奴。早朝、何人かの恩人、知人、友人の健康を祈って、眠り薬と一合の酒を飲む。三時間は眠れるはずだ。楽しみにしていた少年野球の試合は中止だ。20数年前の名作、リドリー・スコットの「ブラックホーク・ダウン」を見る。ソマリアの内戦に米国が介入して失敗した戦争だ。ベトナム、コソボ、イラン、イラク、アフガン、米国は内戦に介入しては軍事ビジネスを栄えさせた。今はその力は無い。世界の番長は中国になった。米軍の主力ヘリコプターの名が“ブラックホーク”であった。先日何かのアクシデントで海に消えた自衛隊の主力ヘリコプターは、ブラックホーク型だという。軍事費を増大して米国の中古品を買わされるというパターンはずっと続くのだろう。後期高齢者の保険料がさらに上がるという。ふざけんな聞く力と言いたい。知り合いの魚屋さんに聞くと、メザシも塩鮭もロシアとか中国からの輸入品、うまそうな蛸だねと言ったら、モロッコ産だとか。鯛のアラ、ブリカマを買った。海老が旨そうだったがメキシコ産だった。魚屋さんはもう一軒しか残ってない。首に難病のある12歳の中学生をロッテ球団が入団させた。こんなステキなニュースを見ると、気分はハレバレする。(文中敬称略)



2023年4月8日土曜日

つれづれ雑草「緋牡丹とヤキソバパン」

午前一時頃外に出ると、一瞬にして全身がずぶ濡れになるほど、猛烈な風と雨であった。傘を持たずに近所のコンビニまで行った。店内に客は一人もいない。バイトの男の子が二人いた。着ていたパーカーとスウェットは家に帰ると、水分をたっぷりと含み、髪の毛はシャワーを浴びたのと同じであった。そこまでしてコンビニに行ったのは、みっともないので書くことはできない。不眠症の私には欠かせないものが家になかったのだ。眠りをとるか、死をつるかといえば、私は“チューチョ”なく死をとる。それは私が予想外に長生きして、恥をさらしているからである。人生はこれからだと思っている人間が生死の間にいる。その男の命の行方を思っていると、私の不眠症は、最早不眠症ではなく、「ずっと起きてるで症」なのだ。なんとか奇跡をと無宗教な私は、亡き父母の写真に願う。“夫婦愛”なんて絵にも描けない、まぼろしの愛だと思っていたのだが、それが生死を握っていると聞くと、私のこころとカラダは、求めてはいけないガソリン(お酒)を求めていた。人生はしらふで生きてはいけない時がある。小さな庭の右奥の隅に、二年ぶりに緋牡丹が二つ咲いた。ブドウ一粒ほどの小さな花実が、イチゴ位の大きさになって、三日後ドバッと大きくなって満開となった。ヨシッ、奇跡は起きる、命は守られると思った。使い捨てカメラにあと6枚フィルムが残っていたので、緋牡丹を撮った。しかし午前一時頃の春の嵐は、美しい花を乱雑なものにした。あと一本ある牡丹の木は成長をすぐやめて、それ以上にならずであった。東海道線内もマスクを外す人がチラホラ出はじめた。先日夜品川駅ホームのベンチに座って列車を待っていると、一人の会社員風の女性が隣りに座った。三人掛けのベンチが背合わせしている。すぐに横にはベンダーがある。ジーンズのスラックスに、白いパーカー、その上にダメージのジーンズジャケットを着ている。薄茶のローヒール。いいセンスである。肌色のマスクを外すとどんなのかと、思いつつ横目で見る。パンパンにふくらんだ名門スーパー紀ノ国屋の袋を開いた。独特の四角い文字のデザイン、青山あたりで働いているのだろうか。時計を見ると特急が来るまであと8分であった。30歳前後の女性がトートバックの中から、出したのは“ヤキソバパン”であった。ホットドックの太いソーセージの変わりに、パンからあふれ出るように、ソースヤキソバがはさまれている。肌色のマスクを外した。期待は予想をはるかに超えて裏切られた。マスクしとけばよかったのに、パンは列車に乗ってから食べればよかったのに。左手にソースパン、右手にファンタレモン、オラオラ、ヤキソバが落ちてるじゃないか。やっぱりマスクは大切な「嘘」がつけるのだ。寝不足がずっと続いていたので、全座席指定の特急小田原行はいい。品川の次は大船そして藤沢、辻堂だ。アレッあの女性は乗らないのか、まだベンチで食べている。指定席券を買っていないのか、反対側列車に乗るのだろうと思った。列車が動き出すと、ぼんやり窓の外を見ていた。やがてスピードは増し一気に川崎駅を通過した。人間の命の行方は一体誰れが、何処で決めているのだろうか。ぶ厚い医学書の中には、ありとあらゆる病気のことが載っている。人間の体の内部は血管や内臓がひしめき合っている。科学的には人間の寿命は115年が限界らしい。百歳を祝ってもらった老人が、テレビのインタビューを受けている。長寿の“ヒケツ”はなんですか(?)、好きな食べ物はなんですか(?)。何んもネエ、何もしないで、食べて寝るだけじゃわ、ウハハハ、好きなものは天ぷら、それと一日一合のお酒じゃ、ウハハハ。ストレスはないのですか、何(?)ストレスって何(?)ウハハハ。何もかんがえんこっちゃ。バアさんはいいヒトだったわい、べっぴんじゃったウハハハ……。結婚を考えているという男女が、結婚っていいですか、と聞いてきたことがある。故「永六輔」さんの言葉を教えてた。“青二才でも結婚すると男らしくなり、娘は女らしくなるもんです。”もう一つ、トルストイの言葉、“急いで結婚することはない。結婚は果物と違って、いくら遅くとも季節外れになることはない。”私はアンチョコのメモ帳からその言葉を見つけて、若い男女に言った。あのソースヤキソバパンの女性は結婚しているのだろうか。生死の間をさまよっている命を守ってくれるには、医学を超えた“夫婦愛”“姉弟愛”が求められている。乱れに乱れた緋牡丹の花が、風に吹かれて揺れている。私といえば残り一枚となったフィルムを深夜まで残しておいて、午前二時過ぎ最後の一枚を撮った。ストロボが光った。仲良い二つの緋牡丹は、深酒した女性の顔のように色気があった。命よがんばれと言いつつ、一合の酒を口から喉に流し込んだ。(文中敬称略)



2023年4月2日日曜日

つれづれ雑草「姉弟のベルト」

「その壁を砕け」中平 康監督/主演「芦川いづみ」、「小高雄二」/製作日活、芦川いづみがまだ20代の初めの頃の作品、1959年の映画だ。自動車修理士の若者が一生懸命働いて念願の車を購入する。うれしくてたまらない。結婚を約束している恋人に会いに、ある地方に向う。心はウキウキしている。修理工役が小高雄二、恋人役が芦川いづみだ。この作品はおそらく実際に起きた冤罪事件を題材にしていたはずだ。社会派監督中平 康は当時日活を代表する一人であった。男は横浜の方から富山の方に向ってひた走る。深夜道路を歩いていた男から乗せてほしいと頼まれ一人の男を乗せてあげ、途中で降ろす。その頃小さな町の中で強盗殺人事件が起きていた。まだ誰も知らない。男はその中でその町を通過する。そして山の中の小さな町は大騒ぎとなる。大事件発生だ。店の老主人は殺され、老主人は頭部に重傷を負う。交番の若い警察官は、初めての大事件で興奮する。刑事たちが続々と現場に集結する。これは流しのたたきだなと推測する。流しのたたきとは、生きずりの強行犯のことである。警察には強力斑という花形部署がある。強盗、殺人、強姦、“強”がつく事件は成績の点数が高い。“強”が二つ付くと長期刑、無期か死刑となる。放火がからみ起訴まで持ち込めば、ぐんと成績が上がり、表彰され昇格する。警察も一般の会社組織と同じで出世争いである。映画の中の事件は、強盗、殺人、殺人未遂であるから、逮捕して起訴に持ち込めば、死刑は間違いない。男が乗っていた車を見たという人間がいた。警察はすぐに手配をする。男は恋人の待つ駅を目指すが、途中で捕まる。厳しい取り調べが始まる。当時は自白が何よりの証拠であった。男は無実を訴える。起訴するには22日以内に自白させねばならない。日が経ち目を覚ました老婦人に男を見せる。(面通し)布団の中からこの男ですと指をさす。よし! 刑事たちはこれで万全だと調書を作り始める。男は無実を主張する。事件があった頃、一人の男を乗せてあげて、途中にあった橋のたもとで降ろしたと叫ぶ。待っていた恋人が来なかった。芦川いづみさんは看護婦(当時)さんであった。結婚するので退職をし、みんなで送別会までしてもらっていた。このままでは、恋人が殺人犯にされてしまう。芦川いづみさんは、刑事専門の弁護士を探し、そして弁護を依頼する。裁判は進む。弁護士は独自に調べて行く。そこからいろんな疑問点や矛盾点が出て来る。ここまではテレビのドラマなどによくある話だ。1960年代の事件で裁判官たちが、警察の調べに不審を持ち、自分たちの目で現場検証をするなどというケースは少ない。裁判官たちは犯行現場を徹底的に再現する。検事の主張は、弁護士の主張によって敗北する。男は無罪を勝ち取る。検事と弁護士の法廷闘争は、勝った、負けたと総括する。ある学者の説によると、人間は10日間一睡もさせない状態で、お前がやった、お前がやったと言い続けられると、俺はやったんだ、私はやったんだ、と思い始める。罪を認めれば、ゆっくり寝かしてやる。かつ丼でも、天丼でも好きな物を食わしてやる。悪いようにしないからなと、言われると、“私がやりました”となる。そして冤罪は生まれる。有史以来、無実で死刑になった人間は数知れない。ボクシングの聖地“後楽園ホール”に行くと、ずっと、ずっと、ずっと前から、「袴田巖」さんを冤罪から救いたい、再審を要求する呼びかけのポスターが貼ってある。そして遂にその時が来た。確か柳田國男の日本人国記によれば、日本でいちばん悪い人が少ないのは静岡県人だとあった。欲深き人間が少ないのだとか。静岡県清水市味噌商殺人事件の真犯人は誰れであったのか。弟のために90歳になるまで、再審を求め闘い続けたのはお姉さんだった。“イワオハ、ヤッテナイ”袴田巖は無実だと。世界で最も長く拘置された元ボクサーは、50年近く容疑者、死刑囚生活を経て、87歳となり正気を失っているが、やってない事は、やってないと分かっているはずだ。兄弟は他人の始まりという言葉があるが。袴田姉弟の絆は太くて強い。そして世界チャンピオンのベルトより価値がある。再審開始というベルトを獲得した。我々一人ひとり、いつでも冤罪になる可能性がある。一度でも指紋を取られた経験のある人は、その可能性はさらに高まる。90歳になった袴田巖さんのお姉さんと、恋人の無実を信じて闘う、芦川いづみさんの美しい顔が重なって見えた。国家権力とは、捏造を生むための権力でもある。何故か元総理大臣故安倍晋三の現場検証は容疑者が同行されずに終った。そこは小さな花壇となった。闇の奥でそれを許されない何かがある。この国は怖しい支配下の中にある。(文中敬称略)