午前一時頃外に出ると、一瞬にして全身がずぶ濡れになるほど、猛烈な風と雨であった。傘を持たずに近所のコンビニまで行った。店内に客は一人もいない。バイトの男の子が二人いた。着ていたパーカーとスウェットは家に帰ると、水分をたっぷりと含み、髪の毛はシャワーを浴びたのと同じであった。そこまでしてコンビニに行ったのは、みっともないので書くことはできない。不眠症の私には欠かせないものが家になかったのだ。眠りをとるか、死をつるかといえば、私は“チューチョ”なく死をとる。それは私が予想外に長生きして、恥をさらしているからである。人生はこれからだと思っている人間が生死の間にいる。その男の命の行方を思っていると、私の不眠症は、最早不眠症ではなく、「ずっと起きてるで症」なのだ。なんとか奇跡をと無宗教な私は、亡き父母の写真に願う。“夫婦愛”なんて絵にも描けない、まぼろしの愛だと思っていたのだが、それが生死を握っていると聞くと、私のこころとカラダは、求めてはいけないガソリン(お酒)を求めていた。人生はしらふで生きてはいけない時がある。小さな庭の右奥の隅に、二年ぶりに緋牡丹が二つ咲いた。ブドウ一粒ほどの小さな花実が、イチゴ位の大きさになって、三日後ドバッと大きくなって満開となった。ヨシッ、奇跡は起きる、命は守られると思った。使い捨てカメラにあと6枚フィルムが残っていたので、緋牡丹を撮った。しかし午前一時頃の春の嵐は、美しい花を乱雑なものにした。あと一本ある牡丹の木は成長をすぐやめて、それ以上にならずであった。東海道線内もマスクを外す人がチラホラ出はじめた。先日夜品川駅ホームのベンチに座って列車を待っていると、一人の会社員風の女性が隣りに座った。三人掛けのベンチが背合わせしている。すぐに横にはベンダーがある。ジーンズのスラックスに、白いパーカー、その上にダメージのジーンズジャケットを着ている。薄茶のローヒール。いいセンスである。肌色のマスクを外すとどんなのかと、思いつつ横目で見る。パンパンにふくらんだ名門スーパー紀ノ国屋の袋を開いた。独特の四角い文字のデザイン、青山あたりで働いているのだろうか。時計を見ると特急が来るまであと8分であった。30歳前後の女性がトートバックの中から、出したのは“ヤキソバパン”であった。ホットドックの太いソーセージの変わりに、パンからあふれ出るように、ソースヤキソバがはさまれている。肌色のマスクを外した。期待は予想をはるかに超えて裏切られた。マスクしとけばよかったのに、パンは列車に乗ってから食べればよかったのに。左手にソースパン、右手にファンタレモン、オラオラ、ヤキソバが落ちてるじゃないか。やっぱりマスクは大切な「嘘」がつけるのだ。寝不足がずっと続いていたので、全座席指定の特急小田原行はいい。品川の次は大船そして藤沢、辻堂だ。アレッあの女性は乗らないのか、まだベンチで食べている。指定席券を買っていないのか、反対側列車に乗るのだろうと思った。列車が動き出すと、ぼんやり窓の外を見ていた。やがてスピードは増し一気に川崎駅を通過した。人間の命の行方は一体誰れが、何処で決めているのだろうか。ぶ厚い医学書の中には、ありとあらゆる病気のことが載っている。人間の体の内部は血管や内臓がひしめき合っている。科学的には人間の寿命は115年が限界らしい。百歳を祝ってもらった老人が、テレビのインタビューを受けている。長寿の“ヒケツ”はなんですか(?)、好きな食べ物はなんですか(?)。何んもネエ、何もしないで、食べて寝るだけじゃわ、ウハハハ、好きなものは天ぷら、それと一日一合のお酒じゃ、ウハハハ。ストレスはないのですか、何(?)ストレスって何(?)ウハハハ。何もかんがえんこっちゃ。バアさんはいいヒトだったわい、べっぴんじゃったウハハハ……。結婚を考えているという男女が、結婚っていいですか、と聞いてきたことがある。故「永六輔」さんの言葉を教えてた。“青二才でも結婚すると男らしくなり、娘は女らしくなるもんです。”もう一つ、トルストイの言葉、“急いで結婚することはない。結婚は果物と違って、いくら遅くとも季節外れになることはない。”私はアンチョコのメモ帳からその言葉を見つけて、若い男女に言った。あのソースヤキソバパンの女性は結婚しているのだろうか。生死の間をさまよっている命を守ってくれるには、医学を超えた“夫婦愛”“姉弟愛”が求められている。乱れに乱れた緋牡丹の花が、風に吹かれて揺れている。私といえば残り一枚となったフィルムを深夜まで残しておいて、午前二時過ぎ最後の一枚を撮った。ストロボが光った。仲良い二つの緋牡丹は、深酒した女性の顔のように色気があった。命よがんばれと言いつつ、一合の酒を口から喉に流し込んだ。(文中敬称略)
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